第12話 私に夢中
「じゃあ…おやすみ」
「おやすみ」
布団を並べて、同じ部屋で寝る。
嘘だ。
眠れるはずがない。
ご飯の時も、畑作業の時も、お風呂に入る時も、片時もホミのあの声と水っぽい音が頭を離れないんだ。
ホミが隣にいるから自制できるけど…もし個室が割り当てられたら我慢できる自信はない。
…ここは、眠くなるまで無関係な話をして誤魔化そう。
「……ねぇホミ」
「ん?なに?」
「その…私がいる生活ってさ、窮屈?」
これから寝ようと言うのに、いきなり世間話を始めるのもおかしな話だ。
だから、関係ないこともない話で誤魔化す。
特に…ホミが窮屈に思っているなら私は別の宿を探すか…家に帰るべきだ。
…いい加減、スマホの通知がヤバいことになってるだろうし。
電源を切ってるからわかんないけど…いざつけたらヤバそう。
「窮屈なんて思わないよ。見ての通りこの家は、一人で生きるには広すぎるからね」
「そうだね。すごく立派な家だと思う」
私の家の周辺でこんな家を建てようと思ったら、一体いくら掛かることやら。
少なくとも億は超えるんじゃないかな?
「ホミが居ると…窮屈とは言わないよ?でも、うまくいかないこととか、思い通りにならない事は沢山ある」
「うっ…家事能力のない女でごめんね」
「いいよいいよ。普通の高校生はそんなものだよ。私が…そういう環境に居るために特別出来ることが多いだけだから」
私が居る暮らしは、窮屈ではないらしい。
けれど、やっぱり家事が全くできない私が居ると思い通りにならない事は多いみたいだ。
それは、申し訳ないと思う。
「それに…誰かと一緒に暮らすって事は、そういうことでしょ?」
「…お互いの自由を制限する、ってこと?」
「そう。一人は良いよ。自分のタイミングで、自分の好きなことを、自分の好きなだけやれる。そのツケは自分が払わなきゃいけない欠点はあるけどね?」
「なんだか…楽しそうだね」
「楽しい?まさか。一人暮らしなんて…寂しいだけだよ」
驚くほど実感が籠もり、本当に寂しそうな声でホミはそう言った。
「私は、サカイが来てくれてすごく嬉しい。何にもできなくて、お話にならなくて、イライラする事はもちろんあるよ?出会って3日でこれなら…そのうち喧嘩するだろうね」
「それは…褒めてくれてるの?」
「さあね。でも、例え喧嘩しても私はここをサカイの居場所にしたい。家を飛び出して、街に繰り出して、電車に乗って何処かへ行ってしまっても。サカイがいつか帰ってくる場所は、実家じゃなくてここがいい。私はそう思ってる」
私の居場所。
私の帰ってくる場所。
……それは、何処なんだろう。
私は家に帰りたくはない。
あの家に居場所はあるようで無いようなもの。
スマホの電源を切ってしまったのは、通信料を節約するためじゃない。
怖いんだ。
いざスマホを開いて、1つも家族から私を心配する連絡が来ていなかったら。
私が拗らせているだけで、家族は私のことを大切に思ってくれている。
けどそれが、私の幻想だとしたら?
そう考えてしまって、怖くてスマホの電源を切ったまま。
「私の居場所…何処なんだろうね」
「ここだよ」
「…でも、いつかは――」
ずっとここに居る訳にはいかない。
家出少女にも限界はある。
私は高校生。
親の保護なく生きてはいけない。
いつかは帰って、顔を見せて…ぶん殴られて、本来の生活に戻らないといけないんだ。
「―――そのいつかを、私は変えたいな」
「えっ?」
ホミがとんでもない事を言い出した。
いつかを変えるって、そもそもなんだろう?
というか、『いつか』って何?
「『いつか』に続く言葉きっと、『日常』でしょ?教えてよ。サカイの『日常』を」
「私の…日常…」
……言ったら、軽蔑されるだろうか?
ホミはそんな事しないと、どうして私が言い切れるだろうか?
私をおかずに、オ―――していたから?
私の胸を揉んで、私でえっちな想像をして……初対面の時、一目惚れしたかのように、いきなりキスしてきたから?
それら全てをまとめて、私に夢中だから?
「…言っても、私のことをずっとここに置いてくれる?」
「内容による」
「…なにそれ?じゃあ言いたくないんだけど?」
「私を、信じられない?」
…そんな事はない。
けど……冷静に考えて、私達はまだ会って3日なんだよ?
なんでそんな、心を開いて許し合える関係になってるんだろうか。
本音を言えば信頼できる。
それでも……私の中の正しいかも分からないひねくれた『常識』が、信頼してはいけないと言う。
「…信じる」
『常識』なんて…当てにしちゃダメだ。
だってそれは『私の中の常識』。
つまりは言葉を変えると『主観』になる。
世の中何事にも客観視することが求められる。
私も主観を捨てて、客観的に物事を見られるようにならないと。
「私がここに来た理由だけど……会ったに話したこと以上に理由は無いよ。今までの生活に嫌気が差して、逃げるように反対側の電車に乗った。ただそれだけの事」
「じゃあやっぱり、問題は『日常』にあるんだね。教えてくれる?」
「もちろん。と言っても、教えるほどの日常が無いんだけどね…」
どれだけ首を傾げて記憶の中の日常を振り返ろうとも…思い出せやしない。
それほどまでに、私は空っぽなのだ。
「私の日常は…まず朝起こされて、その10分か15分後に目を覚まして起き出してくる。大体6時半くらいかな?そこから1時間でご飯を食べて、顔を洗って、歯磨きして、寝癖だけ直して制服に着替える。そしたら、10分かけて歩いて最寄り駅まで行くんだ。そこから7時45分の電車で大きな駅に行って、7時55分に乗り換えて8時12分に学校の最寄り駅に着く。さらに歩いて10分すると学校について…大体8時25分前後くらいかな?教室に着くのは。45分からホームルームが始まるからそれまでスマホをいじって時間を潰す。そしたら…45分から学校が始まって、終わるのは15時20分。そしたら10分かけて駅に行って、15時33分の電車に乗って15時50分に大きな駅に着く。16時ちょうどの電車で最寄り駅に帰ってきて…家に着くのは16時23分くらい。そこから夜ご飯の18時までボーっとしたり、スマホを触ったり、勉強したりする。で、夜ご飯を食べ終わったら2番目にお風呂に入って…早い時は23時。遅い時は2時に寝るまでスマホを触ってる。それが…毎日毎週続くんだ」
思い出せる範囲で、私の日常を語る。
まあこんなものだろう、私の日常なんて。
「す、すごいね…途中からもう一切頭に入ってこなかったけど、ちゃんと何時に何をしてるかまで思い出せるんだ…」
「そんなに凄いことでもないよ」
ホミは褒めてくれたが…私は全く嬉しくない。
これは、本来褒められたことでは無いのだから。
「これだけ言えるのは、比喩でも何でもなく、毎日こうなんだよ。決まった行動パターンで、決まった場所を決まった通りに、決まった時間に動くだけ。まるでロボットだ」
「…じゃあ、休日は?」
「食事とトイレ以外ずっと布団の上にいる」
「……なるほどねぇ〜」
休日は特に語ることもないだろう。
そして、ホミが私の話を聞いて理解できたのか、何か分かった風の反応を見せる。
「サカイってアレだね。お掃除ロボットみたい」
「…失礼な」
「でも、話だけ聞くとそうじゃない?」
「確かにそうだけど……」
「そんな生活してたら、そりゃあひねくれてこうなっちゃうのも納得だよ」
「え?めっちゃバカにされてる気がする。喧嘩?」
「その貧弱な身体で私に勝てると?」
「ぐっ…」
喧嘩を売られた気がして、買ってやろうかと思ったけど…取っ組み合いになったら私は勝てない。
口論になったら…仮に口喧嘩で勝てたとてホミにはご飯抜きというとっておきの策がある。
…勝てないね。ホミには。
…ただまあ、こうして嫌な気分になるって事は、ホミの言っている事は的を得ているんだろう。
「サカイの問題は、あまりにも人間らしくない!もっと、楽しく生きないと」
「…そうだね。楽しく生きられたらどれだけ楽なことか」
「重症だね…それ含め。これから何とかしてこう」
何処か可哀想なものを見る目で私を見るホミ。
…そう言うけど、ホミはどうなんだ。
私と同じで、かなり拗らせて中身が空っぽな人間だと思うけど…
「私の日常の話はこれで終わりだとして…ホミはどうなの?」
「私?私は…日常というよりは、きっかけがあってこうなったかな?」
「きっかけ?」
「そうだよ。とあるきっかけを契機に…私はダメになっちゃった」
ホミは天井を眺め、過去を思い出している。
…思い出せる過去があるのも、私には羨ましい話だね。
「私は…小学生の頃はクラスの中心で、底抜けなく明るくて、いつだって友達に囲まれて楽しかった。最高に…最高に子供の特権を活かして遊びまくってたよ」
「…自慢?」
「うん。自慢」
「あっそ…続けて」
…羨ましい半分、そんな私とは対極に位置する縁遠い存在が、とうして私と同類になったんだという困惑半分。
その契機というのは…よほど大きなものだったんだろうね。
「中学生になった時も、1年生の頃は同じような感じ。すごく楽しかったよ。けど問題は…2年生の5月。進路の授業だ」
「進路……」
私達の頭を悩ませる、これ以上無いほど凶悪な二文字。
ホミにも…進路を心配したり悩んだりする感性があったんだ…
「その授業で将来何をしたいかと言うアンケートが取られた。私は当時、花屋さんとかケーキ屋さんとか…ありふれた女児らしい夢を書こうとした。けど先生はこう言ったんだ。『野球選手とかサッカー選手とか花屋さんとかケーキ屋さんとか。そういう夢じゃなくて、将来自分の能力で何が出来るのか、何の仕事をするのかと言う現実的な事を書きなさい。それは、高校生、大学生。そして社会人になるまで続く大事なものです』ってね?」
…キツイ。
私でもそんな事を言われたら、凹んで数日学校に行けない気がする。
「…何も思いつかなかった。私が、私の力で花屋さんをやっている姿も、ケーキ屋さんをやっている姿も想像できなかった。だから私は、お父さんとお母さんの仕事を考えた。お父さんは市役所で働いて、お母さんは家から少し離れたところの診療所で看護師をやってる。…私は、どっちの仕事をしている姿も想像出来なかった」
…自分の将来の姿、か。
そんなの考えたって、想像できるはずがないんだけどね…
ホミは…その事に気付けなかったんだろう。
「何も想像できなかった私は、自分の能力について考えた。…思いつくことは沢山あったけど、それが将来に繋がることは無かった。当たり前だよ。ずっと子供の世界で生きてきて、遊びと勉強だけしか知らなかった。いきなり大人の世界を想像しろと言われても知識がない。だから私は…その時自分が何者でもなく、何も出来ず、何者にもなれないって思ったんだ。結局それを、1年間引き摺った」
「…大変だったね」
「ホントだよ。…しかも、悪い事は続くものだ。何者にもなれなくて、元々勉強がそこまで得意でもなかったから、不安で一杯な私は学力ダダ下がり。家から少し離れたところにある…いわゆる底辺高校に通う事になって……この先どうしようって思った矢先。おじいちゃんとおばあちゃんが急に死んじゃった」
……反応に困る話題が出てきたね。
何をしても正解になるのか分からない話題。
…とりあえず様子見かな。
「原因は…食中毒。正確には、食中毒による脱水と栄養失調で衰弱して、そのまま回復せずって感じ。私は、衛生管理をしっかりしてるよ。2人の死を…無駄にしない為にね」
「………」
「まあ、私は昔から随分おじいちゃんおばあちゃんっ子でね?ただでさえ不安で一杯の時期に大好きな2人の訃報。…もう、何もかもがなくなった気がした。そこからは…将来に対して希望を抱けなくなって、この家に逃げてきた。大好きな2人の思い出の場所を、未来に繋いでいく為に。……という建前の、現実逃避」
悲しくて、切なくて、苦しい話のはずなのに…何処か、楽観的なホミ。
…いや、そんな嫌な話だからこそ楽観的に笑い話にして、自分を守っているんだ。
その気持ちは…わかるよ。
「ホミは…出来ることはあるけれど、やりたいことが無いんだね」
「う〜ん…そうだね。何かを成している自分が想像できないから、やりたい事も想像できない」
「私は、何事にも興味がない。だから何も出来ないし、何にもならない。空っぽでひねくれた人間同士でも、違うものだね」
私とホミは違う。
けど……その違いを認め合いたいと思う。
そう思えるのは…なんでか分からないけど。
「…でも、私にもやりたいことが出来た」
「え?」
「私に夢中なサカイを、立派な1人の人間にする事だよ」
ホミは私の方を向くと、優しい笑みを浮かべた。
私を立派な1人の人間に、ね…
大きなお世話だよ。
それに…
「私に夢中って…それこっちのセリフなんだけど?」
「いいや、夢中なのはサカイだね」
「ホミのほうが夢中になってるよ」
小競り合いが起こり、ジッと見つめ合う。
…正直、否定はしないけど認めたくはない。
だから、ホミの布団に潜り込んで至近距離で見つめ合う。
「ほら、ホミの心臓の音が聞こえるよ。ドッドッドッって。興奮してるんでしょ?私で」
「それ、自分の心音じゃなくて?私で興奮してるのはサカイの方」
「じゃあ……試してみる?」
「……望むところだよ」
私達はすぅっと手を伸ばして、互いの胸に触れる。
良く熟れて膨らんだ果実の隙間に手をねじ込んで、心臓の鼓動を感じられように触れ合うと……激しく鼓動しているのが分かった。
けど、それを指摘することはしない。
何故なら私も同じくらい、心臓が激しく鼓動していて…しかも速度や脈打つタイミングが全く一緒だ。
何も言えなくなって…ただ顔を赤くして見つめ合う事しか出来なかった。




