ep.3 生きる場所
足音が聞こえる。
俺は欠けた剣を握りしめたまま、暗闇の向こうへ視線を向けた。
さっきから何度も聞こえてくる音だが、まだその正体は分からない。
ズル、ズル、と何かを引きずる音が、一定の間隔でこちらへ近づいてくる。
俺は壁に背を預けながら、できるだけ気配を消した。
やがて、通路の奥から一体のアンデッドが姿を現す。
先ほど戦ったものと大きくは変わらない。
腐った身体を引きずりながら、ただ本能のままに歩いている。
俺を見つけると、その濁った目がこちらへ向いた。
そして、何の迷いもなく襲いかかってくる。
「……来い」
今度は、さっきほどの恐怖はなかった。
もちろん怖い。
けれど、何度か戦ったことで、こいつらの動きが少しずつ分かってきている。
アンデッドが腕を振り上げる。
俺は一歩だけ後ろへ下がり、爪を避ける。
そのまま横へ回り込み、剣を首元へ叩き込んだ。
鈍い感触が手に伝わる。
アンデッドは数歩よろめき、それから地面へ倒れた。
「……慣れてきたな」
自分で言ってから、少しだけ嫌な気分になった。
モンスターを殺すことに慣れてきた。
それは探索者として考えれば、決して珍しいことではない。
ダンジョンへ潜る以上、モンスターとの戦闘は避けられない。
ただ、以前の俺と今の俺では、何かが違う気がした。
俺は倒れたアンデッドの前にしゃがみ込む。
すると、いつものように視界へ文字が浮かんだ。
【対象:腐肉喰らい】
【状態:死亡】
【吸収可能】
「……これか」
俺は《死体漁り》を発動させる。
【吸収を実行しますか?】
「YES」
身体の奥へ、ほんの少しだけ違和感が流れ込んでくる。
前ほどの苦しさはない。
どうやら、一度経験したことで身体がある程度慣れてきたらしい。
【能力の吸収に成功しました】
俺は立ち上がり、自分の身体を確認する。
目立った変化はない。
ただ、少しだけ身体が軽くなったように感じる。
「……これを繰り返せば」
俺はそこで言葉を止めた。
何を考えているのか、自分でも分かっていた。
もっと強くなれる。
死体から能力を吸収できるのなら、戦って倒して、その死体から力を得ればいい。
単純な話だった。
けれど、同時に一つの問題もあった。
俺は自分の手を見つめる。
人間の手だ。
少なくとも、見た目だけならそう見える。
だが、本当に自分が人間なのかは分からない。
死んだはずなのに生きている。
心臓が動いている感覚もない。
それなのに身体は動く。
そして、死体から能力を吸収できる。
「……俺は何なんだ」
答えは出ない。
考えれば考えるほど、分からなくなる。
俺は一度立ち上がり、先へ進むことにした。
不死者の巣窟は、記憶している限りではそれほど人気のあるダンジョンではない。
アンデッドが多く、雰囲気も悪い。
素材の価値もそこまで高くない。
おまけに攻略効率も他のダンジョンに比べれば低いから、わざわざここへ潜る物好きな探索者は中々いない。
少なくとも、俺が知っている限りではそうだった。
「……だったら」
俺は周囲を見回す。
「しばらくここにいても、誰かに見つかる可能性は低いか」
それは今の俺にとって、都合がよかった。
俺が生きていると知られれば、どうなるか分からない。
そもそも俺は一度死んでいる。
探索者として登録されていた俺は、当然ながら死亡者として扱われているはずだ。
大して仲の良くない家族や知人に、俺が生きていると伝える方法もない。
いや、仮に伝えられたとしても、今の俺を見て誰が信じる。
死んだ人間が生き返りました。
死体から能力を吸収できます。
そんな話をして、まともに受け取ってもらえるとは思えない。
「……帰れないな」
その言葉を口にすると、胸の奥が少しだけ重くなった。
帰る場所はある。
そう思っていた。
けれど、もうそこへ戻る資格が自分に残っているのかは分からない。
俺はしばらく黙って歩き続けた。
やがて、通路の先に小さな空間が見えてきた。
そこには何体かのアンデッドがいた。
俺が近づいても、こちらを見ただけで襲いかかってくる。
「……やっぱり、知能はないのか」
俺は一体を斬り伏せる。
続けて、もう一体へ向かう。
今度は焦らなかった。
相手の動きを見ながら距離を取り、攻撃の隙を見つけて剣を振る。
数分後、そこに立っているのは俺だけになった。
死体が増えた。
俺はその一体ずつへ《死体漁り》を使っていく。
能力を吸収できるものもあれば、ほとんど何も得られないものもある。
どうやら、死体なら何でも強くなれるというわけではないらしい。
「……全部が使えるわけじゃない」
むしろ、当然なのかもしれない。
もし全ての死体から力を奪えるなら、戦えば戦うほど際限なく強くなってしまう。
俺は自分の身体に意識を向ける。
だが、少しずつではあるが確実に変化している。
身体能力。
感覚。
それ以外にも、細かな違いが増えている。
「……もっと強くなれる」
その言葉が、自然と口から漏れた。
強くなれば、生き残れる。
強くなれば、ここから出られるかもしれない。
そして何より――。
「もう、誰かに殺されるのはごめんだ」
あの日のことを思い出す。
逃げていく仲間たち。
倒れた俺を置いていった背中。
あの瞬間に感じたものは、怒りだったのか、恐怖だったのか、それとも諦めだったのか…
今となっては、もうよく分からない。
ただ、二度と同じことを経験したくないという気持ちだけは残っていた。
俺は剣を握り直した。
その時、通路の奥から別の気配がした。
「……またか」
今度は一体ではない。
複数いる。
俺は身構えながら、暗闇の奥を見る。
そこから現れたのは、先ほどまでのアンデッドよりも一回り大きな個体だった。
その後ろにも、何体かのアンデッドが続いている。
俺は剣を構えた。
さっきまでなら、数が多いだけで逃げていたかもしれない。
けれど、今は違う。
《死体漁り》という力がある。
戦って倒せば、強くなれる。
なら――。
「来いよ」
俺は自分から一歩踏み出した。
今度は、俺が逃げる側じゃない。
追う側になる。
アンデッドたちが一斉に動き出した。
俺も地面を蹴る。
そして、不死者の巣窟で生き残るための戦いを始めた。




