第6話 彼氏彼女
「一八九一年、エジソンはとある装置についての特許を申請しました。それはキネトスコープとキネトグラフと呼ばれる、映写装置と撮影装置です」
強烈な睡魔が襲いかかり、瞼同士がくっつきそうになる。
男性講師のマイクを通したくぐもった声を聞きながら、俺は耐えるために背筋を無理やり伸ばした。
映画鑑賞が趣味なので『映画史』を取ったが、若干後悔し始めていた。
普通に講義がつまらない。
俺はいつも、中央より少し後ろの一番端の席に座っている。
当然、一人で。
ここなら、下手に当てられることもないし、中央にグループで座っている奴らから離れることができる。
一人で講義を受けるなんて真面目だねと言われたりするが、そういうわけじゃない。
ただ単に、大学でつるむ相手を作っていないだけだ。
友人を作ったら、自然と色々なことを比べられる。
テストの点数、単位の取得数、容姿やコミュニケーション能力の点数、彼女の有無、お互いの友人の数、などなど。
そんな生活、もう沢山だ。
なるべく自分が傷つかない生活を送りたい。
だから俺はなるべく一人で過ごすようにしている。
おかげで、だいぶマシな生活を送ることができていた。
講師は一度、息をつく。
壁掛け時計を見ると、もうすぐ講義が終わる時間だった。
「では次回、もう少し解説した後、一九〇〇年代に入り、『月世界旅行』、『大列車強盗』の全編、一部抜粋した『イントレランス』の上映と解説を行います。――今日は個人名をいくつか挙げましたが、勘違いしてほしくないのは、映画は個人の芸術ではありません。現在に至るまで、名もなき人たちの手によって支えられてきた芸術なのです」
講師がそう言い終え、講義は終わった。
……でも、歴史に名が残るのは選ばれた人たちだけだろ。
そんな事を考えながら、ファイルにレジュメを入れる。
俺はきっと何にもなれず、死んだ後に名が残らない。
何か目標を持っているわけでもなく、講義も真面目に受けず、ただ時間を浪費する。そういう人生なんだ。
俺はリアクションペーパーをほとんど適当に書いて提出し、教室から出ていく。
今日はユユがこっちにやって来る日だ。
出迎えのために、早めに駅に着いておきたい。
昼過ぎのキャンパスは、にぎやかだった。
ジャージを着て、運動場へ走って向かう学生たち。
縁石に座り、ギターの練習をしているサークル連中。
彼らを尻目に、俺は正門へと向かう。
大学入学時、サークルや部活に入ろうとは思わなかった。
彼らが全員本気ではなく、遊びで入っている人達がいることも知っている。
それでも、俺の無能さは俺が一番わかっている。
きっと所属しても上手くいかず、楽しいという気持ちにさえならない。
それなら、初めから入らなければいい。
――そんな俺がユユを幸せにすることができるのだろうか?
ユユをこちらに呼んで、本当によかったのだろうか?
ここ最近、ずっとそのことについて考えている。
もちろん、責任持って全力でユユを幸せにしないといけないのだけれど。
若干早足になりながら正門を出た瞬間、
「あ! やっと来たぁ‼」
と、やけに明るい声と共に腕を引っ張られた。
向くと、制服姿の背の高い女子高生が突然腕を組んできた。
「……お前、誰だよ⁉」
「ひどい! もう忘れたの? まぁ、いいや。さ、早く行こ?」
茶髪の巻き髪ロングにベージュ色のカーディガンを着た女子高生。
おそらく全身校則違反なのであろう彼女が、ぐいぐいと俺の腕を引っ張って行こうとする。
「いや、本当に誰だよ! 離せって!」
「ちょ、マジで空気読んで! 彼氏役としては実力不十分なんだから、せめて演技力でカバーしてよ!」
彼女が小声でそう言った瞬間、
「美沙希! 待ちなさい!」
と、後ろから呼び止められ、彼女は歩みを止めた。
後ろを向くと、大学指定のジャージを着た女学生がこちらに向かって駆け寄ってくる。
「……あはは! せんぱーい、だから言っているじゃーん! 私は彼氏と約束があるって!」
「美沙希! いい加減にしなさい! そうやっていつも笑って誤魔化して!」
「でも先輩! 私はもう辞めたんだよー⁉」
「あなた、中学では誰よりも上手かったじゃない!」
「えー? でも私、バスケには飽きちゃったからー。それに今は彼氏いるし!」
そう言い、美沙希は俺をグイッと自らの方に引き寄せた。
彼女との距離が近づき、甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「あんた誰?」
女学生は怒りを含んだ言い方で訊き、俺のことを睨んでくる。
「……二年の芹沢虎太郎」
「私の彼氏なんだよね⁉」
美沙希は俺の自己紹介に被せるほどの必死さで、そう付け加えた。
「いや、彼氏なんかじゃあ――」
ギュッと腕を掴んでくる力を強める美沙希。
い、痛すぎる……。
「あ……ああ、彼氏だ」
痛みに耐えながら、何とか台詞を言う。
こ、この女、なんなんだよ。
女学生はじっと睨み、俺と美沙希を見比べる。
入国審査での緊張感って、こんな感じなんだろうな。
「まぁ、そんな嘘は置いておいて――」
バレんのかよ。
「美沙希。あなたあの時の怪我、治っているんでしょう? それなら、高校の女バスにでも入って――」
「先輩、しつこいー」
「だから、あなたにはそれだけの実力が!」
「私、怪我をしてバスケに捨てられたんじゃない。私がバスケを捨てたの」
「……なんですって?」
一瞬で、空気が凍りついた。
「私、本当にバスケに飽きたの。あんなスポーツ、つまんないよ! ボールをリングに通すだけのことにあんなに必死になって! みーんな、馬鹿みたい!」
「――それ、本気で言っているの?」
「うん! もちろん!」
その返事を聞き、女子生徒の唇はピクリと震えた。
「……そう。わかった」
女学生は静かな声でそう返事をし、こちらに背を向いて正門の方へと歩き出す。
「じゃあもう、好きにしなさい」
冷たくそれだけを言い残し、女学生は行ってしまった。
「……もう、いいか?」
俺は返事を待たず、美沙希から自分の腕を引っ張り出す。
「んじゃまぁ、俺も行くから」
冷たいとか言われるかもしれないが、そんなのどうだっていい。
こちとら、無駄なトラブルに巻き込まれたくないんだ。
初恋の相手ならまだしも、見ず知らずの女子高生を相手にしている暇なんて――
「ちょっと! どこ行くの⁉」
歩き出そうとした瞬間、美沙希は大声で俺を呼び止めてきた。
「一部始終見ていたでしょ! なんで私のこと、慰めようとしないの⁉」
「なんか、めんどくさそうだから」
「めっ……私、こんな美少女なのに⁉ 一瞬でも、彼氏役にしてあげたのに⁉ 信じられない!」
「俺はお前の自信が信じられない」
「……ねぇ~、慰めてよぉ~、頭撫でるとかで良いから~。ね? お願い」
頭を少しだけ傾かせ、両手を合わせて頼み込んでくる美沙希。
こいつ、自分の武器を理解できているっていう感じだな。
「――ああ、わかった」
「ほんと⁉ やったぁ!」
美沙希はパッと笑顔になり、にひひと嬉しそうに笑った。
「頭撫でるから、目を瞑れ」
「はーい」
言われるがまま、美沙希は目を瞑る。
よし、あとは――
俺はきびすを返し、駅の方面に向かって走り出した。
「え⁉ ちょっと‼」
後ろから、そんな驚きの声が聞こえる。
当然、無視して走り続けた。
俺には心に決めた相手がいるんだ。
浮気なんて、してやるもんか。




