58. 合流します
駆けてくる足音の方へチェラシュカが視線を向けると――。
「ラキュス! レオニクスとストラメルも無事だったのね!」
暗い通路の奥から、ラキュスたちが猛スピードで近付いてくる。
「チェリだな!?」
「え、チェリちゃ……オレ!?」
「ラキュスさんとレオニクスさん! じゃ、ないんだった、とっ、とりあえず逃げるっすよ!!!」
真っ青な顔でこちらへ駆けてくる彼らの必死な様子に、チェラシュカは急いで立ち上がった。
彼らが何から逃げているのかはわからないが、こういうときはとにかく周りと同じ行動をすべきだと学んでいる。
幸いにも、先程通ってきたこの道は危ない罠が無いことはわかっている。
走ってできるだけ遠くへ――そう思うものの、緩慢な動作で立ち上がるティンナトールに気を取られてしまう。
どうしてそこから動こうとしないのだろう。
のろのろと走りながらもつい気になって振り返ったところで、チェラシュカは見た。
逃げろって! と叫びながらティンナトールの前を通り過ぎるラキュスたち。
彼らの灯す明かりが遠ざかった通路の奥の奥。闇に包まれたそこに唯一見えたのは、その明かりを反射する一対の目。
大量のひたひたという音と共にこちらに近付いてくる、禍々しい輝きを放つ目。
一人佇むティンナトールの頭上の明かりは、彼の手の届く範囲を照らしている。
その明かりに引き寄せられるかのように姿を表したそれは、夥しい数の手で出来た生き物だった。
背丈と同じくらいの大きな手の平がこちらに向けられており、その真ん中では血走った二つの目がギョロリと動いている。
手首から向こうの前腕部分からは普通の大きさの手が数え切れないほど生えており、それが節足動物の足のように動くことでこちらに迫ってきているのだった。
チェラシュカは思わず息を呑み、零れ落ちそうな程目を見開く。かつてない程の嫌悪感に爪先から頭のてっぺんまで震えが走るが、振り向いたまま足を動かし、叫ぶ。
「っ、ティンナトール!」
彼が居るのはチェラシュカたちの二十歩以上後ろだが、彼がやられればあっという間にチェラシュカたちもやられてしまうだろう。
大きな手の平が彼の目前に迫り、握り潰してしまうのではないかと思われたその時、彼の漏らした声が聞こえた。
「相変わらず趣味が悪い……」
その言葉の意味を考える間もなく、手で出来た謎の生き物が彼に触れ、めり込んだ。
「え」
「おい!」
「はあ!?」
「ぎゃああああ!!」
チェラシュカ同様に振り向いたラキュスたちが、その光景を見て驚愕の声を上げ――。
ぱしゃん。
砂の入った袋を落としたような音と共に、巨大な手は塵となって消えた。
「は、はああああああああ!?!?」
「なっ、ななななんすか今の!! あのバケモノ消えたんすけど!?」
レオニクスたちが大騒ぎしながらティンナトールの元へと駆け寄った。
何が起こったのかわからないチェラシュカは、息を止めていたことに気が付いた。
深く息を吸い込んで、ひんやりとした空気で肺の中をゆっくりと満たす。そして、そっと両手で自身の二の腕を掴み、震える体を落ち着かせる。
同じく深呼吸をしたラキュスがこちらを――正確にはチェラシュカの頭のてっぺんあたりを見て声をかけてきた。
「…………チェリ、大丈夫か」
「……ええ。私はなんともないわ。再会できて良かった」
先程ティンナトールは、ここに入った全員が別の誰かに見えているはずだと言っていた。きっと今のラキュスの目には、チェラシュカでない誰かの姿が映っているのだろう。
そう思いつつ、無事再会できた喜びに両手で彼の手を取る。
彼は一瞬手を震わせて険しい顔になったものの、そっと指を曲げてこちらの手に沿わせてくれた。
すると、ティンナトールを囲み質問攻めにしていたレオニクスたちの声がピタリとやむ。
「え、オレ、あんなふうに見えてんの?」
「あのー、俺の姿でそわそわしないでほしいっす」
「……ティンナトールの見た目でその軽い口調ってのが、すげえ混乱すんだよな」
こちらに視線を向けるレオニクスたちを見て首を傾げる。
同じく彼らを見ているティンナトールは、興味深そうにこう口にした。
「へえ。あなたがたが互いにストラメルと私に見えているということは、……ラキュスのことは、チェラシュカに見えているんですね」
「そうなんすよ! 仏頂面のチェラシュカさん、正直めちゃくちゃ怖えっす」
「……再会したとき、嫌われたかと思ったもんなオレ」
ラキュスと再会した時のことを思い出しているのか、落ち込んだ様子を見せるレオニクス。
目の前で「いつも通りだろう」と言うラキュスのいつも通り――よりは少し固いように思える真顔の彼を眺める。
自分が同じ表情をしたらどんな感じだろう、とチェラシュカは彼の手を離して両手で頬を揉む。
「てか二人は見え方おかしくなってないんすか?」
「どうしたら治るんだ? 違和感だらけで落ち着かねえんだよ」
「はあ、あなた方は手がかかりますね」
嘆息したティンナトールが右手を持ち上げ、パチン! と指を鳴らした。
ラキュスの強張っていた表情が解け、穏やかな微笑みをたたえた目と目が合う。
レオニクスとストラメルからは、「ずっとあのままだったらどうしようかと思ったぜ……」「あ、戻ったっす」と声が上がった。
その様子を黙って見つめていたティンナトールが、小さく首を傾げた。
「……なんというか」
「なんだよ、言いたいことがあんなら言えって」
ややトゲのあるレオニクスの声。
では遠慮なく、と遠慮などしたことが無いであろう研究者の言葉が続く。
「この程度の魔法を自力で解けないで、よく迷宮に挑戦しようと思いましたね」
「お前なあ……」
「こんな罠があるなんて知らなかったんすよ! それに、そもそも行こうと言い出したのはチェラ、」
「何か文句があるのか」
「……無いっすけど」
ラキュスたちのやり取りを見て片眉を上げるティンナトールの方を向き、チェラシュカはきゅっと口角を上げた。
「そのために、あなたを連れてきたんでしょう」
「……そうでしたね」
そこで眉間に皺を寄せたレオニクスが口を開いた。
「つーか、結局あれなんだったんだ?」
「攻撃が全然当たらなかったっすもんね、あの右手……」
あの恐ろしい姿を思い出しているのか、ストラメルがブルッと震えた。
彼の言う通り、先程の謎の巨大な手は、足として動いていた部分も含めて全て右手で出来ていたのだった。
「ああ、あれは幻覚です」
幻覚? と繰り返すストラメルに対し、ティンナトールが首肯する。
「あなたたちが先程までかかっていた幻覚魔法と同じ種類の仕掛けということです」
「でもお前、めりこんでなかったか?」
「幻覚の核に触れて消滅させるためには近付く必要がありまして」
「近付くというレベルではないだろう……」
ラキュスの声に困惑が滲むのも当然のことだ。あの光景を見ていた全員が、あのままティンナトールがやられてしまうのかもと思ったのだから。
「なんで幻覚ってわかるんすか?」
「私はああいった精神干渉魔法を打ち消すための魔法を体表に纏っているので、その気配がわかるのですよ」
精神干渉魔法の打ち消し、と彼は簡単に言うが、その領域の魔法について少しでも齧ったことがあれば、途轍もなく難しいことをやっているとわかる。
現に、ラキュスやストラメルは息を呑んで何も言えないようだ。
「……その打ち消す奴? ってオレらにもかけらんねえの?」
そんなレオニクスの問いに、ティンナトールが何と答えるのか気になってしまう。
そもそも精神干渉魔法とは、五感や記憶に影響を与える魔法の総称であり、イメージしづらいため一般的には使うのが難しいとされている。
チェラシュカが使う悪夢を見せる幻惑魔法や、写し身を作る幻覚魔法もその一種だ。
それを打ち消す場合、自身にどのような魔法をかけられているかを把握して、その逆位相となるような魔法をかける……と先生は言っていた。
つまり今回の場合だと、"幻覚を見せられている"と把握し、影響を受けている対象に対して"幻覚を見せる魔法を逆転させた精神干渉魔法"をかけなければいけない。
彼が凄いのだと言ってしまえばそれまでだが、それほど細かな調整を素早く行うなんて本当に可能なのだろうか――。
「これは私の魔力を有した対象にしかかけられない防護魔法でして」
そんなティンナトールの言葉にチェラシュカは考えを改める。
防護魔法――ということは、精神干渉魔法を逆転させているわけではないらしい。
いずれにせよ、かなり高度な技術であることには違いない。
結局、彼の魔法の技術が並外れて優れているということだけがはっきりした。
「ふうん……よくわかんねえけどよ、お前一人だけそういう魔法にはかかんねえってことか?」
「いえ、幻覚は見えるように調整しています」
「幻覚?」
「はい。私だけ同じ幻覚が見えていないと、皆さんが遭遇しても対処できないので困りますよね。皆さんが」
最後の一言が物凄く恩着せがましく聞こえたのは、気のせいだろうか。
だから彼も最初はチェラシュカのことがレオニクスに見えていたし、あの右手の怪物もその目に捉えることができたのか、と納得する。
納得はしたが、理解はできない。彼ほどの魔法の使い手なら、もっとやりようがあるのではないかと思ってしまう。
確かに、先程の怪物に襲われたときティンナトールにそれが見えていなかったとしたら、とても困った事態になっていただろう。
素直に感謝すべき配慮だとは思うのだが、この研究者について知れば知るほど、何を考えて生きているのかと疑問符が頭の中を占める。
チェラシュカは一度頭の中をリセットするように、ふうと息を吐く。
「……ねえ」
「なんでしょう」
「もしあれが幻覚だと知らなくてそのまま襲われてしまったら、……どうなっていたの?」
「気になりますか」
ふと気になって、投げかけた問い。
すっと目を細めて口が弧を描いた彼に、聞かない方が良かったかもと思う。
だが、チェラシュカが肯定も否定もできないうちに彼の口が動いた。
「ぐしゃっと、握り潰されたと錯覚してそのまま死にます」
持ち上げた右手を軽く握る動作と共に、告げられた言葉。
彼はどうして死ぬと知っているのだろう。冗談と言いきれないところがまた怖い。
流石に恐ろしく思い、それ以上の言葉は出なかった。
「なら、あれも幻覚なのか」
ラキュスの言葉に全員が彼の指さす方を見た。
「うわ、今度は左手っすか?」
先程逃げかけた通路の奥、ラキュスが少し遠くまで照らした明かりでギリギリ見える範囲に、先程の巨大な右手と似たようなシルエットが浮かんでいた。
じわじわと近付いてきており、幻覚であってもやはりそわそわと落ち着かない心地になる。
「マジで気持ち悪すぎんだろ……」
チェラシュカは静かに頷いてレオニクスに同意を示す。そこそこ距離はあるものの、ここからでも十分にその特徴は捉えることができる。
あまり何かの見た目に対して否定などはしたくないが、できれば一生視界に入れたくないタイプの形状だ。
「ああ、あれは本物ですね」
まるで明日の天気くらいの軽い調子で告げられた言葉に、一瞬反応が遅れる。
「……えっ」
「ふうん、ほんも……本物!?!?」
「は!? マジで言ってるっすか!?」
「おい、なんでそんな平然としてるんだ!」
掴みかかりそうな勢いで食って掛かるラキュスたちに対し、ティンナトールは飄々としている。何を言われてもどこ吹く風の彼が、動じることなんてあるのだろうか。
「そう言われましても……幻覚ではないので、皆さんの攻撃も当たりますよ」
「おっまえなああああ!」
「あんた、マッジでありえないっす!!」
そんなやりとりの間にも、ひたひたひたひた……と大量の手を動かしてこちらに近付いてくる、巨大な左手。
名前を出したくはないあの生き物を彷彿とさせるその動きに、ぞわぞわぞわぞわ……と背筋に冷たいものが走る。
攻撃が当たるとかどうとか、数々の悪態とか、どうやって対処するかとか、周囲で飛び交う彼らの言葉を脳がきちんと処理する前に、身体が動いていた。
ぼわっ。
チェラシュカはサッと突き出した右手の先から背丈ほどの火球を出現させ、びゅんっと真っ直ぐに飛ばす。
今いる位置から十歩分程先にまで迫っていた巨大な左手の怪物。
それはチェラシュカの出した火にぶつかると一瞬で炎に包まれ、通路内を明るく照らす。
しばらくごうごうと燃えた後で、サラサラ……と灰になり完全に消えた。
「……燃えたわね」
『…………』
物言いたげにこちらへと向けられる四対の目。素知らぬ振りをして、「先へ進みましょうか」と告げる。
「……仏頂面より本物が一番怖えっす」
「なあに?」
「なんでもないっす」
ストラメルにニッコリとした笑みを向けたチェラシュカは、ティンナトールに案内を催促するのだった。




