第1話 (1)リトルダンサー
「人、人、人…っと」
ごくり
僕は一心不乱に手のひらに“人”と言う文字を書いてはごくりと飲み込んでいた。昔からよくある緊張した時のおまじない、らしい。緊張している僕をみかねて、先輩ダンサーさんが教えてくれたのだ。僕の手のひらには血液や黒い土埃が付着していて、普通の人がみれば異様に感じるかもしれない。
「カッピー! 緊張とれたかい?」
「と、とれません…! もう人を100回は飲み込んでいるのに…!」
声の方を向くと、そこにはゾンビが立っていた。僕がゾンビに声をかけられても、平常心で返事をするのは、何事にも動じない強い心の持ち主だからではない。もしこれが本物のゾンビだったら、僕は「うっぴゃぁ〜」と情けない声を上げて逃げ出しているだろう。
声をかけてくれたのは、ハナさんという先輩ダンサーだった。僕たちはゾンビナイトと言う、テーマパークのハロウィンイベントに出演するダンサーだ。初めての出番に緊張している僕に、先ほどのおまじないを教えてくれたのは、何を隠そうこのハナさんである。
「あっはっはー! あたしは昔、人を1000回飲み込んだ時に緊張がとれたよ! まだまだ飲み込みが足りないね!」
ハナさんはゾンビ姿のまま、腹を抱えて笑っている。その顔には、同様に血のりと汚しのメイクがされている。見るからにゾンビでしかないけど、けらけらと笑う彼女の笑顔はあまりに人間らしくて、ゾンビとはかけ離れていた。
——1000回?!
ハナさんの言葉に驚いた僕は思った事をそのまま言葉に出してみる。
「1000回?! その頃にはゾンビナイト始まってますよ!」
「人を飲み込む時間を考えてなかった君のミスだね! 今日は緊張したまま、ウーウー言って漂うことだね! 今年は手の震えてる緊張ゾンビがいるって、SNSで話題になるだろうね! あはは! 愉快愉快!」
「ハナさん! 変なこと言わないでくださいよ!」
「ごめんごめん、冗談だよ!カッピーはからかいがいがあるなぁ〜」
ハナさんは、そう言いながら笑って僕の頭を小突く。
——嫌な冗談はやめて欲しいなぁ。こういうの本当になったりするんだよな…
そんな事を思いながら、僕は立ち上がった。すると、そんな僕らの方へとスタッフさんが近づいてきて声をかける。
「そろそろ時間なので、位置にお願いします!」
「あ、はい!!」
僕らはスタッフさんに返事をして、指示された位置へと移動した。
門の近くへと移動する。この門を越えれば、そこにはテーマパークの世界が広がっている。僕たちが今いる裏側とは違うキラキラとした世界だ。位置についた僕に、ハナさんがヒソヒソ声で話しかけてくれる。
「ちょっとは緊張とれたかい?」
いつも飄々とふざけていて何も考えてないようなそぶりだが、新人で緊張している僕にわざわざ声をかけてくれる優しい先輩なのだ。僕も少しふざけて返す。
「おかげですっかり緊張が取れました、どうやら緊張ゾンビの出番は今年はなさそうです」
「そりゃあ残念! ただのカッピーゾンビってわけだ」
「カッピーゾンビじゃなくて、囚人ゾンビです!」
僕がハナさんにそう伝えると、またけらけらと笑っていた。僕はふと手のひらを見て、先程まで“人”の字を書いていたことを思い出す。それにしてもゾンビが人を飲み込むなんて、洒落が効いているよな。クスリと笑った瞬間——
『ウォオオーーーン、ウォオオーーーン』
突然サイレンの音が鳴り響いた。周囲に緊張感が漂う。僕の横にいるハナさんに先ほどまでの和やかな雰囲気はなく、呻き声をあげたゾンビそのものに変化していた。誰がどう見てもゾンビそのものだった。
——流石何年もやってるだけあるなぁ
プロの凄さに感心したのも束の間、僕もゾンビにならなければと思い、呻き声をあげてゾンビモードに入っていく。しかし、頭の中には少しだけ人間の僕が顔を覗かせていた。
——てか、カッピーってあだ名は何なんだ。帰ったら絶対ハナさんに抗議しよう。
カッピーと言うのは、ハナさんが僕につけてくれたあだ名だ。ヘンテコな名前で気に入ってないんだけど、ハナさんが言いふらしたせいで定着しつつある。何とか変更を打診しなければ…!
〜〜〜
「ちょっと人やばくない?」
「テーマパークのコツってアカウントが、今日閑散日だってつぶやいてたのにー。こんな混むなんて聞いてないよー」
歩道に立つ少女たちが愚痴をこぼしていた。SNSの呟きを真に受けた彼女達は、人が空いてるつもりでパークにやってきていた。しかし、そこに広がっていたのは、人混みにつぐ人混みだった。そして、その周りには、カチューシャやキャラの被り物をした人々がひしめき合い、園内はキラキラとした期待に満ちている。
「すいませーん! 車道はゾンビの通り道になりますので、空けてくださーい!」
スタッフの声を聞いて車道の人々が慌てて移動する。
——そう、ここはテーマパーク。欧米の街並みを模したこのエリアは、SNS映えスポットとして若者に人気なのだ。あなたも訪れた際には、ぜひ記念にパチリと。……ゴホン、それはさておき…
園内のみんなが待っていたのは、もちろんゾンビだ。今日はUPJの人気ハロウィンイベント『ゾンビナイト』の初日。イベントの初日が混雑するというのは、テーマパークファンにとっては常識である。先ほどの少女達は、あまり熱心なファンではなく、真偽不明のSNSのアカウントの情報をそのまま信じてしまったようだ。かわいそうに。
『ウォオオーーーン、ウォオオーーーン』
サイレンと共に園内が一気に暗転し、不気味な雰囲気に包まれる。
「きた! 来るんじゃない?」
「来そうだね!」
混雑に疲れていた少女たちが、目をキラキラとさせて、スマートフォンを門に向けて構える。その瞬間、門がギィッと開き、十数体のゾンビたちが一斉に姿を現した。
「ゔぅ…。ゔぅぉああ!!」
「きたぁあ!」
「きゃーー! ゾンビだー!」
カシャカシャカシャ
ゾンビの登場に喜ぶ人、ゾンビを怖がる人、ただ黙々とカメラのシャッターを切る人。ゾンビナイトの楽しみ方は人それぞれだった。そして、どうやら登場したゾンビの中に手の震えた緊張ゾンビの姿はないようだった。
〜〜〜
「ゔぅ…。ゔぉあ…」
門が開いて、呻き声をあげながらお客様の待つストリートへと歩みを進めた。これが僕のゾンビダンサーとしての最初の一歩。このテーマパークで僕はゾンビとして踊るんだ。
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