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ウソカタルシス ~魔王暗殺の虚飾~  作者: 裏山おもて
3章 奇怪<キカイ>仕掛けの街
22/56

時計台の首吊り

 


 なかなか安眠できずに朝を迎えた。

 何度か眠りに落ちたものの、すぐに意識が浮上してしまったのだ。意識すると息苦しいような気がして、落ち着かず部屋のなかを歩き回ったりもしてみた。

 そうこうしているうちに陽が昇り、厨房から女主人の料理の音が聞こえてきた。一人でいるより落ち着くだろうと食堂に向かうと、そこには先客がいた。


「あら、早いのね」


 ネムが椅子に座って本を読んでいた。表紙に見覚えはないので部屋にあったものだろう。タイトルから想像するに、どうやら誰かの冒険録らしい。


「おまえこそ早いな。どうした」


「べつに。あまり眠くなかったから……ふあっ」


 そう言った途端、あくびが出てしまうネム。慌てて本で口元を隠したが、バレバレだった。


「リッカが隣の部屋じゃ落ち着かなかったよな。それは考えてなかった、すまん」


「ち、ちがうわ。今のはたまたまだから。たまたま」


 偶然のせいにしておきたそうだったので、それ以上は追及しないでおくことにする。

 余計なことを言わずに黙っていたセイシンは、ネムが手に持っていた本から一枚の紙の端が飛び出していることに気付いた。


「それ、なんだ? 破れてるのか?」


「どれよ」


「それだよ、それ」


 何度か指さしてようやく、ネムが紙に気付いて抜いた。

 本の紙とは少し色も大きさも違っていて、別の本のページだとはすぐにわかった。しかしそこに書かれた乱雑な文字を見て、首をひねる。



『――け伝えておく。私はこの街が嫌いだ。だから――』



 誰かの手記だろうか。

 破れていて読み取れる文字が少なく、そこまで読み取れただけで精一杯だった。

 日記か、あるいは誰かに充てた手紙か。


「……これ、なにかしら」


「さあ。なんだろうな」


 宿に泊まった人が残して行ったのだろうか。

 あまりにも情報量が少なかったので、想像するしかない。だが内容的にこの街のことを嫌っている人物のものだろう。


「ま、どうでもいいか」


「そうね」


 ネムは紙を本の隙間に戻してしまった。

 それから他愛のない話をしつつ朝食を待っているとリッカが起きてきた。ここ数日旅をしてわかったが、寝癖がついたままの勇者はどうやら朝が苦手なようだった。

 御者は昨日までの旅路に疲れていたのか、窓から朝日が射しこんできても起きてくる気配がなかった。せっかくの温かい料理が冷めても悪いのでそのまま三人で朝食を摂り、これからの予定を話し合うことになった。


「じゃあ今日は領長のとこに話を聞きに行く。それでいいな?」


「はい。情報収集です」


 ディルから渡された紙を開く。

 その左上に、この街フッサと領長アーデルハイドの名前が記されていた。どうやらアーデルハイドという領長は【暗殺教団】の情報を持っていて、自ら王都に連絡を取ってきたらしい。

 本来はディルが会いに来る予定だったが、王子の容態が安定するまでは離れるに離れられないので急遽代理としてセイシンたちが来たわけなのだが。


「問題は俺たちに話してくれるか、だな」


「呼び出しておいて話さない、なんてことあるんですか?」


「そりゃあ俺たちは王宮騎士じゃないからな。領長が秘密主義じゃなければいいんだけど」


「大丈夫じゃないですか? 代理の証として王家の印が入った書状もありますし、ディルさんに我々のことも書いてもらいましたから」


「それを奪ったら誰でも王家の遣いになれるからな。疑われるかも」


「大丈夫ですって。セイシンさんは心配性ですね」


 そう言って手を伸ばしてくるリッカ。

 頭を撫でられる。


「おい、なんだこれは」


「よしよし、ってやつですよ」


「子ども扱いやめろ」


 セイシンは頭を引いて離れる。

 なぜか不満そうな顔をされた。


「セイシンさん、誕生月いつですか」


「九の月だ」


「わたし七の月です。わたしのほうがお姉さんですから、いいですよね?」


「どういう理屈だよ」


 また撫でてこようとするリッカを避けつつ、ふと気になって隣で黙々とお茶を啜っているネムに聞いた。


「そういやネムも同じ歳だったよな。何月生まれだ?」


「九の月よ。それがどうしたの」


 ネムは生まれ月なんて興味もなさそうだった。

 占いとかしたことないんだろうか。


「へえ、同じなのか。偶然だな」


「十二人に一人は同じ計算よ。べつにたいした意味もないわ」


「そうか? 俺は嬉しいけど」


「……またそうやって……」


 ネムは顔を背けてしまった。

 その様子を見ていたリッカが不機嫌になり、ネムにつっかかる。


「ほんと媚びるのが上手ですねネムセフィア」


「媚びる? なんのことよ」


「セイシンさんを喜ばせようって魂胆がみえみえですよ。同じ月に生まれるなんて卑怯です。いやらしいですね」


「なに言ってるの。この人を喜ばせるために同じ月に生まれたわけじゃないわ」


 至極当然の返答で呆れたネムだった。

 リッカが理不尽に文句を言ってるだけだから、この二人の口論は無視しておこう。

 それよりセイシンは体の向きを変えて、厨房で皿を洗っている女主人に話しかけた。


「すみません、いまから領長に会いに行くつもりなんですけど、どこにいるかわかりますか?」


「領長の仕事場かい? それなら時計台がそうさ。あそこが役所さね」


「そうだったんですか。会う前に連絡とか必要ですか?」


「さあ。会いに行ったことないからねえ」


 肩をすくめた女主人。

 そりゃそうか。わざわざ領長を訪ねる用事なんて、普通に暮らしていればないだろう。


「あんたらまだまだ若いってのに、領長に何の用事だい」


「ちょっと話し合いの予定があって」


「約束事かい?」


「そうといえばそうですね。本当は別の人が来る予定だったんですけど」


「なんだ代理かいな」


 少し不審なものを見るような目つきだったが、代理と知って納得したようだった。


「ま、今の領長は若いからね。同じ若いもん同士のほうが気が合うかもね」


「そうなんですか。アーデルハイド領長、まだ若かったんですね」


「アーデルハイドだって?」


 唐突に、声を裏返した女主人。

 皿洗いの手を止め、目を見開いてセイシンを見てくる。


「……どうしたんですか?」


「どうしたもこうしたもあるかい。あんた、アーデルハイドを訪ねに来たのかい?」


「ええ、まあ。この街の領長ですよね?」


 聞くと、女主人は言いにくそうに顔をしかめた。


「そうさ……いや、そうだったと言うべきさね。でもいまは違う」


「違う? どうしてです?」


「死んだからだよ」


 と、彼女はなぜか周囲を警戒しながら言った。

 誰かに聞かれるのを恐れているように。


「アーデルハイドは死んだよ。十日ほど前にね」


「死んだ? どうしてです」


 予想外の事実に、つい腰が浮いたセイシン。


「殺されたのさ。時計台で、首を吊って」


 女主人は窓を指さした。

 そこから見えるのは時計台。街のどこからでも臨める、この街の象徴だった。


「時計台の頂上が見えるだろ? 屋根のてっぺんさ。あそこで首を吊って死んでるのが見つかったのさ。それがちょうど十日前のことさね」


「……首吊り、ですか」


 動き続けている時計台。

 いまから訪ねるはずの人物が、その頂上で首を吊って死んでいたなんて想像すらしていなかった。

 困惑して言葉が出ないセイシン。リッカとネムも、つい口論を止めて不安そうな顔をする。

 女主人はそんな三人に、とびきりの秘密を話すかのように囁き声になった。


「だがね、妙なのはここからさ。あの時計台の屋根、かなりの急傾斜だろう? あそこに登ることなんて普通はできやしないのさ」


「たしかに難しそうですね。でも実際に、アーデルハイド領長は……」


「ああ、首を吊って死んだ。しかも月も出ていないような真っ暗な夜中のうちに、だよ。だから皆言ってるのさ。アーデルハイドを殺したのは『悪霊』だってね」


 また悪霊か。

 胸のどこかがざわついた。まだ昨夜のことを引きずっているようだ。

 セイシンは不安を追い払うように首を振った。


「自殺ってことはないんですか?」


「さあね。ただ言えることは、あの夜中にあそこまで登って首を吊るなんてのは人間業じゃないってことさ。もっと話を聞いてみたけりゃ、時計台に行くといいさね。役所は役所だから、いまの領長や他の職員もたくさん働いてる。アーデルハイドのことも色々教えてくれるだろうさ」


 女主人はそれ以上語ることがない、と言わんばかりに口を閉ざして皿洗いに戻った。

 悪霊の棲む街。

 セイシンたちは顔を見合わせ、眉をひそめるのだった。






「アーデルハイドですか」


 時計台のある建物、その二階には領長の執務室があった。

 執務室というわりには、かなり手狭な部屋だった。本棚がいくつかと、簡素な椅子と机が並んでおり、奥の机には書類などが乱雑に置かれている。セイシンたち三人と領長が面と向かって座れば、その後ろを通るのにも苦労しそうなほどの狭さだ。

 現領長はカウラという名の背の高い青年だった。栄養が足りてないかと思えるくらい頬がこけて痩せていたが、笑顔はにこやかで人当たりは良さそうだった。

 カウラはセイシンたちが訪ねると、すぐに応じてくれた。領長になってまだ一週間足らずという短い期間だからか、来客慣れしておらず緊張がはっきりと顔に出ていた。

 できればなるべく隠密に話したいという旨を伝えると、応接室ではなく執務室に案内した若き領長。

 そこで向かい合ったセイシンたちが口を開くと、それまで笑顔で応じていた表情が曇った。

 彼がアーデルハイドと呼び捨てにしていることには触れず、リッカが先を促した。


「ええ。わたしたちは、その前領長から聞きたいことがあって来たんです。カーキン第一王子の使者と約束事がある、などと聞いていませんでしたか?」


「さて、どうでしたか……」


 カウラは考えに耽るように、口元を押さえていた。

 しばらく記憶を辿っていたものの、何も思い当たることはなかったようだった。


「すみません。私も領長補佐として三年ほど務めておりましたが、彼からはそのようなことは一言も聞いたことがありませんで。先日まで、彼が使用していた資料などもひととおり整理しておりましたがそのような旨はどこにも……」


「そうでしたか」


 カウラが相当な役者でなければ、その言葉に嘘はなさそうだった。本人が亡くなっているからあまり期待はしていなかったが、さすがに情報を何も残していないとは。

 王族に充てて直接連絡をとってくるところを考えるにあたり、やはりかなりの秘密主義だったのだろう。

 困った顔でセイシンを見てくるリッカ。

 こういう交渉事はあまり大人数が話すものではないというのが定石だ。リッカが代表して話す予定だったのだが、こうなれば仕方ない。

 セイシンも口を開く。


「ちなみにカウラさん以外に、前領長に近しい方などはいらっしゃいますか? 仕事関係でも、私生活でも構いません」


 家族がいれば、そちらに話を聞こうと思っていたが。

 カウラは首を振った。


「私生活のことはほとんど知りません。気軽に話すような間柄でもありませんでしたから。ひとりかふたり、知人はいるようでしたが……誰かと一緒に食事を摂ったりしたという話も聞いたことがありませんでした。仕事関係では、私以外に近しいとなると彼の秘書だった者がおります。いまは私の秘書をしてくれておりますが、呼んで参りましょうか?」


「お願いします」


 カウラは頷くと、すぐに部屋を出て行った。

 扉が閉まると、リッカが唇を尖らせた。


「なんだか難航しそうですね。アーデルハイドさん、どんな人だったんでしょう」


「さあな。あまり評判は良くなさそうだけど」


 宿屋の女主人も、役所の受付の人たちも、そしてカウラも彼を呼び捨てにしていた。全員、彼の名前を出すときに少し表情が曇っていたのは、単に彼が不可解な死を遂げたからだとは思えなかった。


「領長って仕事は色々大変そうだな」


「そうですね。カウラさんもかなりやつれていましたし、激務なのかもですね」


 まだ情報が少なすぎるのであまり先入観を持つのはよくないが、執務室がこれだけ狭いなかで仕事をするっていうのはかなり窮屈な気がする。窓も小さく、少なくとも開放感がある部屋ではない。

 仕事のせいなのかもわからないけど。


 部屋の中を観察していると、足音がふたつ戻ってきた。

 カウラが連れてきたのは熟年の女性だった。背が低く、目つきは悪い。


「こちら、秘書のヒルダさんです」


「ヒルダです」


 ヒルダは軽く会釈をしつつ、セイシンたちの顔を見比べて眉をひそめた。若い男女が三人連れだって死んだ領長を訪ねてくることを、明らかに不審がっていた。


「アーデルハイドに何の用で?」


「彼との約束がありまして」


 リッカは書状を開いて見せた。カーキン第一王子とディルの署名と刻印が入ったものだ。アーデルハイドとの約束があること、代理で訪れる者の名前などが記されている。

 秘書のヒルダは目を丸くしてその書状を眺めていたが、ある場所で指を震わせて、


「……こ、この、リッカというのは……」


「わたしです」


「もしや、【剣の神子(みこ)】の?」


「ええ。申し遅れましたが、わたしはリッカといいます。【勇者】と【剣の神子】の冠名を、王国より授からせて頂いております」


「ひょえっ!?」


 リッカが礼儀正しくお辞儀をすると、ヒルダは腰を抜かして床に尻もちをついた。

 カウラも同じように驚愕した表情だったが、そこはさすがの領長。動揺を隠す余裕はあったようだった。うやうやしく首を垂れる。


「ゆ、勇者様でしたか……そうとは知らず、このような狭い部屋に招いてしまい大変失礼を。すぐに広い部屋を用意させましょう」


「いえ、お気になさらず。それよりヒルダさん」


「は、はいなんでございましょう」


「アーデルハイドさんのこと、詳しく聞いてもよろしいですか」


「もちろんでございます」


 おののくヒルダもようやく椅子に座り、全員が膝を突き合わせた。

 勇者の名前の効力はすごいな、と改めて感心するセイシンだった。考えてもみれば当然だろう。世間では勇者の逸話として、一晩で百人の魔族を斬ったとか、王宮騎士を全員相手しても負けないとか、そういう噂話が跋扈している。しかも、語られる勇者の逸話のほとんどが事実なのだ。

 勇者とは、いうなれば個人で到達できる最高峰の称号だ。その称号は憧れと同時に、畏怖の対象でもあるのだ。

 そんな名の売れた勇者の陰にひっそりと座るセイシン。

 目立たなくていいのはありがたい。


「ヒルダさんも、アーデルハイドさんから何か聞いていませんか? 王家の遣いと会うこともそうですし、他に何か隠し事があるとか知っていれば」


「申し訳ございません。まったく、王家如何に関しての心当たりは。それに、そもそもアーデルハイドは昔から隠し事の多い人でございましたから、私も彼の隠し事について詳しく探ろうとしたこともありません」


「そうですか……ふむむ」


 唸るリッカ。


「では、アーデルハイドさんはどんな人でしたか?」


「……寡黙で、頑固なところがある昔気質の男でした」


「頑固ですか」


「はい。口も悪く、いつも相手を罵る悪癖がありまして……その、なんというか」


「嫌われていた、と?」


「あまり好かれてはなかったかと」


 迂遠させた言い回しで答えたが、ヒルダの苦虫を噛んだような表情がアーデルハイドの人間性を如実に物語っていた。

 秘密主義の頑固な嫌われ者、か。

 セイシンは他人のこととは思えなかったので、ひっそりと苦笑しておいた。


「では結婚もしてなかった?」


「そうです。家も小さな場所を間借りしていただけで、死んでからすぐに家財は処分するよう手配してしまいました」


「ということは、私物もほとんど残っていないということですね」


「すみません。勇者様が来られるとわかっていれば、すべて残していたのですが……」


 手がかりはまったくないようだった。

 家の中を探せばなにかしら見つかるかもしれない、という希望的観測も絶たれたといっていいだろう。

 リッカもそれ以上は聞いても無駄だと悟ったようだった。椅子の背にもたれて腕を組んでしまった。


「あの、勇者様」


「なんでしょう」


「アーデルハイドとどのようなお約束をされていたかをお教え頂ければ、私たちもご協力する次第でございます」


「すみません。それは言えません」


 リッカはヒルダの提案をすげなく断った。


「あまりおおっぴらに言えることじゃありませんから、お気持ちだけ受け取らせてもらいます」


「そうですか……」


 そのリッカの判断は当然とも言えた。

 かつての【暗殺教団】は、その情報を必要以上に詳しく知る者を探し出して始末していた。実際にセイシンが故郷に居た頃にも、ステイルス家の者たちがその任務を担っていたはずだ。幼馴染のレナもそういう任務についていた記憶がある。

 もちろんセイシンがそれをリッカに言ったわけではない。かつて【暗殺教団】の内情を知る士官たちが殺され、さらにアーデルハイドもつい先日死んでしまった。

 リッカは偶然では片づけられない、と判断したのだろう。誰かを巻き込む危険性を察知しているようだった。

 もちろん昔の【暗殺教団】と今の【暗殺教団】は別の組織だ。だがそれを踏まえても、話さないのは賢明な判断だろう。

 これ以上は話が進展しなさそうだったので、セイシンは横から口を挟んだ。


「ちなみに、アーデルハイドさんが死んだ理由は詳しくわかりますか?」


「アーデルハイドの? 首吊りでしょうか」


 カウラが答える。

 宿屋でもそう聞いていたが、聞いたのはアーデルハイドが時計台で首を吊っていたということだけだ。


「首を吊っていた状態で見つかった、とは聞いています。でも、死因が首吊りだとは聞いていないものですから」


 さっと視線を走らせて、二人の表情をうかがう。


「『悪霊』ですよ」


 ヒルダは短く答えた。


「あんな仕業ができるのは、悪霊くらいです」


「そうですか。カウラさんもそう思いますか?」


「私は……」


 カウラは言い淀んだ。

 この街には『悪霊』が棲んでいる。宿屋の主人もそう信じていた。

 しかしこの街の全員が悪霊を信じている、とはセイシンは思っていない。それにもし本当に悪霊が住んでいたとしても、悪霊が時計台に人間を吊り上げる、なんてことをするとは到底思えないのだ。


「ちなみに、宿屋の主人は悪霊の仕業だと言ってました」


「え?」


 セイシンが先手を打つと、カウラは迷いを表層に出した。


「悪霊じゃないと時計台には登れないと言っていました。人間業じゃないから、と」


「たしかに、それはそうですが」


「でも俺はそうは思いません」


 悪霊を信じているヒルダと、おそらく悪霊を信じていないカウラ。

 どちらの様子も伺いつつ、隣に座るリッカの肩を軽く叩く。


「たとえばリッカ、おまえなら時計台の頂上まで登れるか? 夜、視界の悪い状態で」


「わたしですか? 余裕ですよ」


 あっけらかんと頷いたリッカ。


「たかだか二十メートルくらいですからね。本気出せば三歩くらいで跳べますし、跳ばなくても窓枠と排水管を使えば余裕ですね。目を閉じててもできます」


「男をひとり担いでてもできるか?」


「たいして違わないですよ、そんなの」


 肩をすくめる勇者。

 それが嘘じゃないことくらい、実際に本気の彼女と斬り合ったセイシンがよくわかっている。


「でもそれは勇者様だからで……」


 ヒルダが言いにくそうに口を開く。

 セイシンは頷いた。


「たしかにそうかもしれません。でも、例えば俺なら縄を使います。凡人でも、縄と引っ張る人数が三人でもいれば、人ひとりをあの高さまで吊り上げられることも可能です」


「……それはそうかもしれませんが……」


「もちろん『悪霊』かもしれません。俺だって昨日、悪霊のようなものに首を絞められる夢を見てますし、『悪霊』がいることを否定しようとは思いません」


 正直に言うと、リッカやネムが驚いてセイシンの顔を見てきた。

 詳しく聞きたそうな顔をしていたが、いまは無視して話を続ける。


「俺は思うんですよ。アーデルハイドさんが時計台で首を吊っていたことに関しては、どうやってそこで首を吊ったのかはあまり問題じゃないんです。やりようによっては一般人でもできるんですよ」


 セイシンはカウラをまっすぐ見つめる。


「どうやって時計台の上で死んだか、は問題じゃないと思います。それより、アーデルハイドさんがなぜ死んだのかが重要なんです。もし彼を殺したのが『悪霊』じゃなければ、彼が死んだことには意味があったはずです」


 彼を殺した犯人が【暗殺教団】じゃない場合は、とくにその理由があるはずだった。もちろん彼が【暗殺教団】のことを知りすぎたために口封じで殺された可能性は高い。そうなれば、彼の死の理由は深く問う必要はないのだけれど。

 ここで迂闊なことは言えないが、少しでも情報が欲しかった。

 カウラは少し迷ってから口を開いた。


「私は、アーデルハイドは自殺したんだと思います」


「自殺ですか。それは、なぜです?」


「少し前から、様子がおかしかったんです。来訪者に対して、ひどく怯えているような態度をとることもありましたから。死ぬ直前はとくに情緒不安定だったので、そのせいで自殺したのかと思っていました」


「その様子なら、私も何度か見ましたよ。死ぬ直前は昼から窓もすべて閉め切って、わざわざ扉にまで鍵をかけてこの部屋に籠っておりましたから」


 ヒルダも付け加えた。

 それが本当なら、アーデルハイドは死を予測していたのか。

 もしかしたら、彼は【暗殺教団】のことを知りすぎたせいで命を狙われていると勘付いていたのかもしれない。その兆候を察知していたのかも。

 ならば、アーデルハイドの情報が残されていないのではない。

【暗殺教団】情報が消されたか。

 あるいは――


「……秘密主義者か」


 アーデルハイドは、秘密を抱えたまま大人しく死んだのだろうか。

 セイシンは想像する。

 もし殺されると怯えた秘密主義者なら、その秘密をどこかに隠さなかったのだろうか。殺した犯人が探しても、簡単には見つけられないような場所に隠すという選択肢を取るのでは。

 もしそうだとしたら、情報が残っていないのではない。

 残っていないようにみえる、だ。


「お二人にお伺いします。なるべく記憶を遡って頂きたいのですが」


 だからセイシンは問いかけた。


「アーデルハイドさんがこの数か月、自分の家とこの時計台以外で出かけた場所を、知っている限りすべて教えていただけますか?」



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