『悪霊』
広大な草原を抜け、川を渡り、山々の間を縫って馬車はゆく。
フッサへ向かう旅路も三日ほどが経ち、景色も少しずつ変わってきた。鬱蒼とした森を進んでいると、木々の合間から時々巨大な山が見えることがあった。どうやら方角的に例の火山のようで、街はかなり近くまで迫っていることがわかる。
「しかし悪路だな……」
王国の道路整備も、ここまでは手が届いていないらしい。
地面の凹凸のほかにも、石灰石がところどころ混じっているのか地面が白くなっていて、馬の蹄が硬い地面を叩く音を軽快に響かせる。
「でも、街はもうすぐみたいですよ」
窓から身を乗り出したリッカは、期待に声を高めた。
「耳を澄ましてください、鉄を打つ音が聞こえますよ。鉄工所でもあるんですかね?」
たしかにわずかだが金属音が聞こえてきた。
近くは火山でも、それなりに鉱石が取れるのだろうか。
街の気配が近づいてくると、どこからか湧水が漏れているのか道が濡れていた。石灰石の地面が濡れてかなり滑りやすくなっており、馬は慎重に歩みを進める。
「雨でも降ったんでしょうか」
「どうだろうな。温泉ってわけでもないだろうけど」
火山周辺の温泉と言えば、硫黄の匂いがする場所が多いはずだ。まだその兆候はないから、おそらくただの湧水だろう。
「温泉があればいいいんですが――止めて下さい!」
リッカが御者に指示を出した。
御者はすぐに手綱を引いて馬を止めた。リッカは車輪が止まる前に、扉を開けて外へ飛び出していた。
「誰ですか!」
外に出ると同時、瞬速の抜剣で弾き落としたのは一本の矢だった。白い矢じりがついたごく普通の矢。
その矢が飛んできた方向を睨むと、木々をかき分けて人影が出てきた。
「おおっと、すまん。大丈夫か? 野生の獣かと思ったぜ」
三十歳ほどの無精ひげの男だった。
手には大きな弓に、腰には短剣。森に紛れる緑の服に、矢筒を背負っていた。
見るからに猟師だったが。
「野生? ここ、街道ですよ?」
リッカが勘繰る。たしかに街道に向かって矢を撃って、野生だと思ったというのは少し言い訳としては心苦しいはずだった。
しかし男は肩をすくめた。
「いやあ、その道は昔から誰も使わんからな。もしかしてウルスから来たのか?」
「ええまあ」
「やっぱりか。ウルス以外の街から来るなら、東の街道を通ってくるはずだからな。そもそもウルスからわざわざここまで来るやつなんて滅多にいないせいで、ここは野生の獣が通り道にしてるんだよ。だからすまん、わざとじゃないんだ」
「そうだったんですか」
そう言われてみれば、たしかに納得できることは多かった。使った形跡が乏しい野営地に、手入れされていない街道。石で滑る地面なんて馬車ではもってのほかだ。
「でもまあ、当たらなくてよかったよ」
「わたしが斬って落としましたから」
「矢を? 剣で?」
目を丸くする猟師。どうやらリッカの剣閃は見えていなかったようだ。
武器としての矢は、狩りに使う弓矢はもちろん、戦争時に使われていたものも、目に留まらないほどの速さで矢を飛ばす。あくまで人の多い場所では到底使えるような武器じゃないが、流れ弾の心配がない場所でならその威力を如何なく発揮するのだ。
その気配を察知しただけでなく剣で撃ち落とすのは常人離れしているが、リッカはそもそも常人ではない。
それをあえて説明する必要もなく、リッカは尋ねた。
「ところであなた、フッサの猟師ですか?」
「そうだ。君たちは?」
「王家の遣いでフッサの領長さんを訪ねにきた者です。よければ街へ案内してもらえますか?」
「王家の……ああ、わかった」
リッカの佇まいを見て只者じゃないと思ったのだろう。王家の名にすぐに納得したようだった。
馬車は男の後について進んだ。濡れた地面を抜けると、道が下り始める。
崖でもあるのだろうかと思った直後、一気に視界が広がった。
「わお」
巨大なクレーターに、すっぽりとハマったような街だった。
セイシンたちが進んできた道の西側の地面には直径一キロほどの穴が空いており、街がすべてその中に納まっていた。街の一番高い部分でもセイシンたちより目線は低く、今いる場所から街全体が見下ろせた。風が山肌から街の中に吹きこんでいて、地形の変化で唸るような音をときどき響かせていた。
風と鉄を打つ音が響く街だ。
「なんだか凄い街ですね」
「一番の見どころはアレだ」
男が指さしたのは、街の北側にある時計台だ。
建物としては五階建てほどもある高さだ。街全体を見ても圧倒的に高い。そもそも街の北側のほうが若干高くなっているようだが、それを差し引いてもどこからでも時計が見えるほどに大きな時計台だった。
リッカが感心する。
「珍しいですね。王都以外で時計台なんて」
「そうだろ? ここフッサと隣街のシュミルサは、鉄や石の製品技術を長年争ってるんだ。王国の時計はすべてどちらかの街で生産してるとも言われてる。職人の街だぞ」
自慢げに語る男。
「もっとも技術面に関しては、シュミルサには一歩及ばないがな」
「そうなんですか?」
「ああ。シュミルサにはひとり天才的な鉄工職人がいてな。戦争時、色々な兵器を製造して王国に貢献したと聞いている」
「兵器ですか……そういえば炸裂弾や焼夷弾は、シュミルサ製だった気が」
どうやらリッカには心当たりがあるようだった。
セイシンも、手で投げる小型の爆弾が戦争終盤に猛威を振るったことは聞いている。火薬と鉄を組み合わせた爆弾は、少ない火薬で高い威力を発揮していたらしい。魔王城へ辿り着くために何度か使ったのだろう。
「この街はあまり兵器を作らなかったんですか?」
素朴な疑問をぶつけるリッカ。
男は渋い顔をしてうなずいた。
「残念ながら、この街がシュミルサに決定的に負けてるところがひとつあってね」
「なんでしょう?」
「交通さ。この街から王都に向かうためには、シュミルサを経由する必要がある。つまり流通の問題で、あまり重い物を運ぶには適していないんだ。経済的じゃないんだよ。鉄製の兵器なんて危険なものはもってのほかだ」
「ああ、なるほど……だから細かな技術が進歩すると」
「そういうことさ。鉄製品も、より小さいものが得意なんだ。街に降りたら雑貨屋に行くといい。他の都市じゃ手に入らないような機械仕掛けの玩具なんかもたくさんある。むしろそういう分野がこの都市の得意な部分だな」
兵器より玩具、か。
戦争が終わったいま、むしろそっちのほうが需要はありそうだったが。
とにかくここから街を見下ろしていても始まらない。下り道を進んで、どんどん街の中へと入っていった。
街の象徴である時計台が、ずっとセイシンたちを見つめていた。
フッサの街は閑散としていた。
馬宿に御者を送ってから、宿屋まで案内してもらったセイシンたち。街の南端に位置する宿屋に着いた頃には、すでに夕暮れ時になっていた。
時間も遅いので領長を訪ねるのは明日にしよう、ということにした一同は、まずは宿屋で話を聞くことにしたのだった。
観光地でもない街なので、他の街から訪ねてくるのは鉄製品を仕入れる商人くらいだという。宿屋も部屋は少なくこじんまりとしていた。
その一階の食堂で、近くに温泉がないかと尋ねたセイシンたちに、宿屋の女主人は昔を懐かしむように答えた。
「温泉? ああ、昔はあったねえ」
「昔は、というと?」
「三十年くらい前だったかね。北の火山が噴火してね。その時まで街の北に温泉が湧いてたんだけど、どうも地下水の経路が変わったらしくて涸れちまったんだよねえ。それ以来、温泉が湧いているなんて話は聞かないねえ」
「そうですか……」
あからさまに肩を落としたリッカ。
「あんたらウルスから来たんだろう? そっちの方の道は誰も通らないから、探せばあるかもしれないけど」
「そういえば途中の道が濡れてました。湧水があるかもです」
「湧水なんてそこら中に溢れてるさ。大事なのは質と温度だよ。冷たけりゃ風邪ひいちまうし、せっかく熱くても知らずに入って体が溶けちまったら洒落にならないだろうからね」
「湧水で体が溶けるんですか!?」
「さてはあんた、火山のことなんにも知らないね?」
それから主人は色々と得意げに話した。火山周辺の湧水や間欠泉のこと、泉質のことなども。セイシンも知っている話がほとんどだったが、知らない部分もあった。
主人は最後に声を潜めて言った。
「それより、あんたたち気を付けるんだよ」
「気を付ける? なににですか?」
「この街は、ときどき『悪霊』が出るからね。とくに今日みたいなどんよりと曇った日の夜にね」
不穏な言葉を口にした女主人。
困惑したリッカは聞き返す。
「悪霊、ですか?」
「ああ『悪霊』さ。夜、寝ている時に襲われるって話だよ。とくに旅の者なんかは狙われやすいっていうからね。何人か、襲われたひとを見たよ。死んだ人もいるしね」
「そうですか……」
リッカが困ったようにこっちを向く。
どうやら悪霊なんていう眉唾物を信じていないのは、リッカもセイシンも同じだった。小さな街や村にはどこにでも迷信はある。それをわざわざ否定するような愚かなことをする必要はないので、適当に話を合わせていた。
「わかりました。気を付けます」
「うんうん。それで、あんたら今夜はここで夕飯食べてくかい? どこかに出かけるのかい?」
「雑貨屋に少しだけ寄ろうかなと思ってますけど、食事の予定はないです」
「なら作ってあげるよ。こう見えても、料理だけは得意でね」
女主人はやる気を見せるように腕をまくると厨房へと入っていった。他に客もおらず、食堂に残されたのはセイシンたちだけになった。
とくに目ぼしい情報はなかったように思えたが、それよりリッカにとっては温泉がないということがかなり残念だったらしく、わかりやすく落ち込んでいた。
「わたしの温泉が……」
「気を落とすなって。雑貨屋でも行って気分転換しようぜ」
「……はい……」
セイシンも少しはガッカリしていたが、ないものはしかたない。
ずっと部屋の隅でじっとしているネムにも声をかける。
「ネムはどうする?」
「あたしは残るわ。とくに買いたいものもないから」
「そうか。ネムの部屋、二階だってな。なるべく部屋から出ないようにな」
「わかってるわ」
ネムは自分の荷物を抱えて階段を上がっていく。
ちなみにセイシンの寝室は一階。ネムとリッカは二階だった。男は一階を使うことが義務だ、と部屋を指定されているのだった。
ネムが自分の部屋に入って鍵をかけた音を聞いてから、セイシンとリッカは宿屋から出た。
街は北に向かってわずかに坂になっている。そのせいもあり、視界が良ければどこからでも時計台が見えるため時間を確認するのは容易かった。
少し北に進み、仕事を終えて帰路に着く街の人々に混じりながら、舗装されていない土の地面を歩く。観光客のいない小さな街ながら店はそれなりに多く、ときどき雑貨屋や服屋に立ち寄ってフッサ特有の品物を吟味した。
リッカはいつも動きやすそうな服を重視しているからか、あまり服には関心がなさそうだった。それよりもアクセサリーなどに興味があるらしい。
セイシンは猟師の男に言われた通り、珍しい玩具を探してみることにした。
話には聞いたことがあったものの、小型のゼンマイ機構を使った玩具や道具は初めて見るものばかりだった。戦争が終わったおかげで、職人もこうした技術を研究する余裕が生まれたと言うことだろう。
新しい技術、新しい時代だ。
もの珍しく玩具を手に取って眺めていると、雑貨屋の店主が誇らしげに言った。
「もうすぐ時計もそれくらいの大きさになるよ」
「え? 本当ですか?」
にわかには信じられなかった。時計はいくら小さくても、セイシンの体ほどの大きさがないと動かないと思っていたからだ。しかも高価で、個人で所有している人なんてほとんどいないから見たこともなかった。噂程度のものだ。
「ゼンマイが開発されてから、脱進機もどんどん小型化してきたからねえ。試作機ならすでに領長が持ってるらしいよ。しかも『シュミルサの天才製』っていうから、時間もほとんど狂わないらしい。こっちでは量産型がそろそろ造られるって噂だけど」
「そうですか……さすが職人の街」
「あんたら王都から来たんだろ? あっちの技術も進んでるって話だけど」
ずっとこの街に住んでるであろう店主は、むしろ王都の話を聞きたがっているようだった。
セイシンは首を横に振った。
「いえ、俺たちは王都から来たんじゃないんですよ。でも王都にも小型の時計はないはずですし、技術はこっちのほうが進んでると思います。王都で進んでるのは、どちらかといえば医療や食品の加工技術らしいですし」
「へえ。ま、王都周辺は鉄も石も採れないらしいから、そんなもんかい」
広大な平原に造られた王都。
たしかに資源は山間部のほうがよっぽど恵まれている。
「でも若い職人も王都に憧れて、少しずつこの街から出てってるからな。そのうち技術も王都に抜かれるんじゃないかねえ」
「そうですかね。それはちょっと寂しい気もしますけど」
戦争が終わった影響は、そういうところにも現われているのだろうか。
人の流れを意識したことがないセイシンにはわからないことだった。
それからセイシンは店主としばらく話し込んで、三つほど商品を買った。店を出た頃にはすでに日が暮れて薄暗く、ところどころにある街の灯かりがゆらゆらと揺れていた。
「あ、セイシンさん。首尾はどうですか」
「まずまずだ。そっちは欲しいもの買えたか?」
「ん~いまいちでした。お腹もすいたので帰りましょう」
リッカと合流し、宿屋への道を下る。
「今日は疲れましたね」
「ああ、そうだな。移動も長かったしな」
「わたし、少し眠たいです」
あくびをするリッカ。
セイシンもかなり眠気を感じていた。はやく飯を食べて寝よう。
そのまま宿屋に戻ると、すでに食事の用意ができていた。セイシンたちの他に客もおらず、馬の世話を終えた御者と二階から降りてきたネムも含めて、四人で机を囲んで食事を摂った。
すべてを終えて部屋に戻ったセイシンは、迫る眠気に勝てずにベッドに倒れ込むようにして眠った。自分でもわからないほど、体に疲れが溜まっていたらしい。
こうしてフッサの一日目が終えたのだった。
――死ぬ。
そう思ったのは夢の中でのことだった。
過去の夢を見ていたはずだった。幼い頃、故郷の村の草原でレナと遊びまわっている夢だった。ふたりで野鳥を追いかけ、木々を飛び移り、水に潜って魚を捕まえていた。
ふざけ合って転がりまわり、泥にまみれて笑い合う。懐かしい夢だ。
そんな平和な雰囲気のなか、レナが突然豹変した。
寝転んだセイシンの上に馬乗りになって、首を絞めてきたのだ。
うまく呼吸ができず、困惑するセイシン。
なにするの、レナ。
そう語りかけた少女の顔が、少しずつ焼け爛れた醜いものになっていく。
その口からは瘴気が漏れ、しわがれたうめき声をあげていた。もはやその姿はレナではなく、かつて見た故郷の人々の成れの果てとなり襲いかかて来ていた。
セイシンは必死にもがいた。
苦しい。離して、苦しい。
手足をばたつかせ、喉を圧迫する悪霊の手を引き剥がそうとする。
しかしまるでくっついているかのように喉がから離れない。
必死に胴体を思い切り殴ると、悪霊は後ろに倒れた。
でも、手だけがその場に残り、セイシンの喉を絞めつけてくる。恐ろしかった。苦しかった。わけがわからず、もがき続ける。
息、が……。
セイシンの意識は朦朧として、そして――――
「――ッ!」
飛び起きた。
悪夢を見たからではない。
夢の中と同じく、息が、できなかった。
呼吸しているのに酸素が肺から吸い上げられない。それが錯覚か、あるいは本当なのかはわからない。ただ感じたのは張りついたような喉と、水を求める魚のような無力感。
とっさに指を喉の奥に突っ込んだ。
胃液がせり上がってくるような気配を感じてやめると、無理やり空気が奥へと流れ込む。かなりの荒技に視界が明滅しかけたが、過剰なほどの酸素供給にようやく肺が動いた。
荒く息をつく。意識が飛びかけた。
机に置いてあった水を飲むと冷たい水が喉を広げ、胃に染みわたり、なんとか体が命が繋がった感覚が戻ってきた。
「……なに、が……?」
あきらかにおかしかった。
夢では過去の幻影が首を絞めてきて、現実でも呼吸困難に陥っていた。こんな経験はいままでになかったことだ。幼い頃から訓練していなければ、寝起きで即座に動けなかったかもしれない。
「『悪霊』……?」
女主人が言っていたことが脳裏をよぎる。
そんなはずはない。
悪霊などいるはずもない。いままでそう思ってきた。迷信は迷信だと。
だが、いまのはなんだ?
いままでセイシンの体調に異変はなかった。頭はすこしぼうっとするものの、すでに呼吸も安定してきて他の部分にも様子がおかしいところはない。寝ている間に呼吸だけが遮られた、そんな症状だった。平常であれば起こり得るはずもない呼吸障害。
いまのは、なんだ。
自問する。悪霊でなければ、いまのは一体何がセイシンを襲ったというのだ。
「落ち着け」
わざと声に出して自分を諫める。
夜はセイシンの領分だ。心を乱されているのは、冷静になっていない証拠だ。
周囲は静寂で、隣の部屋からは御者のいびき声が聞こえてくる。どうやらいまのはセイシンだけに襲いかかってきたものらしい。
「……『悪霊』か」
にわかに信じるられるものじゃない。
だが、奇怪な現象には必ず理由がある。自律神経が意味もなく乱れるなんてことはない。体調や心に異変がなければ、その原因は必ず対外的なもののはずだ。
セイシンは壁にもたれかかって、思考する。
「……いまのは、一体なんだ……?」
ほんのわずかに、だけど。
幼い頃以来久々に、セイシンは寝ることに恐怖を感じていた。




