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5・端緒

「弓兵隊、放て!」

 少佐の号令が響き、山道の上空を埋め尽くさんばかりの矢が奔る。

 ようやっと姿を現した魔獣の群れは、まさに雲霞の如くといった様相を呈していた。どれほど呼び集めてきたのやら、狐に鹿、小型の猪がいたかと思えば、熊までもが混じっている。

 それらが一塊となり、山下りの勢いそのまま突撃してこようというのだから、何ともまあひどい話だ。小型の魔獣は正面からの矢である程度止めることができているものの、大型はそれらの屍を踏み越えてまで押し進んでくる。

「弓兵は射撃を継続したまま下がれ、白兵隊前へ!」

 再びよく通る声が指示を飛ばし、少尉を含め弓兵隊の後列に控えていた人員が各々の武器を手に前へ出た。弓兵隊が下がった分、相対的に私たちが前に押し出される格好になる。すぐ横をびゅうびゅうと音を立てて矢が抜けていくというのに、少佐は意にも介さず身動ぎもしない。部隊の真っ只中に踏み止まった厳しい眼差しで戦況を睨み据え、伝心術と口頭とで並行して指揮を執り続けている。

 その集中を乱すのは本意でない。けれど、放置しておく訳にもゆかなかった。少佐、と呼びながら振り返る。ほんの数歩下がった位置に、守るべき人は敢然として立っていた。

「もう少し後方へ。ここでは乱戦に巻き込まれる可能性が」

「問題ない」

 短く言い切る指揮官の眼は矢の降り注ぐ最前線にのみ据えられており、こちらを一瞥すらしない。

「この程度の状況で自分の身も守れなくなるほど、非力であるつもりはない。それよりも貴様が求めた許可をくれてやる。背後から射られる矢を避ける自信があるのなら、一働きしてこい」

「……了解しました」

 少し迷ってから、そう答えた。つまりは、単独で前線に出てこい、ということだろう。自分に護衛は必要ないと。

 本音を言うのなら、不安がない訳ではなかった。もちろん、前線に出向くことではなくて、この場を離れることに対して。これまで少佐と任務を共にしたことはなく、その腰に提げられた剣がどのように振るわれるのかも分からないから。ただ、ここまで断言するのだから、腕に自信があるのだろうとは思うけれど。

 ともかく、命令が出た以上は従わなければならない。念の為、少佐の状況はこちらでも勝手に窺っているようにしよう。そうすれば、万が一の際に助けに入ることができるはずだし。

「ご自身がお選びになった駒の性能がどれほどのものか、とくと御覧あれ」

 軽く頭を下げ、走り出す。白兵隊が各々に武器を構えて居並ぶ後方を抜けて現場の側面に回りこみつつ、左手の鎖を手頃な木の枝に巻きつけ地面を蹴った。同時に鎖を収縮させれば、瞬く間に身体は宙へ舞い上がる。なるべく背の高く、立派な枝振りのものをと選択した木は、その負荷にさえ揺るぎもしない。

 空中をまっすぐ木に向かって引き寄せられながら、振り子の要領で大きく勢いをつける。振れ幅が戦場に向かって最も大きくなった瞬間に鎖を解き、身体を空へと投げ出した。くるくると回転しながら姿勢を制御し、矢の降り注ぐ戦場を眼下に捉える。

 右手の短剣を変形、鎌の形状に整えて柄に鎖を接続。出来上がった即席の鎖鎌を魔獣の群れへと投じれば、下でもこちらに気付いたらしいようで、それらしき声がちらほらと聞こえた。

「おい、待て、上を見ろ!」

「少佐の『褒賞』? 何をする気だ?」

 右に、左に。鎖で繋いだ鎌を振って薙ぐ度に、ころりころりと獣の首が落ちてゆく。四足の獣は、上からでも首を刈りやすいのが楽でいい。

 宙に投じた身体の落下が始まるタイミングで、鎖と鎌を手元に引き戻す。さすがに一度で全て刈りきるのは望むべくもない。身体の大きな獣の首を落とすには、相応の力がいる。それは純粋な筋力の話であり、また武器としての重みだ。

 鎌に魔力を注ぎ始めると共に身体が重力に従い、地上へと引き戻され始める。倒れ伏した獣の亡骸を避けて着地。この距離ならギリギリ矢が届いてしまうけれど、その程度なら後で治せば済む。問題にはならない。鎖の長さだけ、山道の両脇に潜む味方に届かないよう気を払っておけば。

 右手に握り直す鎌は、獣の巨体を狩るに相応しく大きく鋭く編み上げた。身体を限界まで捻り、両足で地面を踏みしめて放つ刃は、こちらに向かって爪を振りかぶる熊を、突進しようとする猪を滑らかに斬り離した。

 返す刀で更に三体、次のもう一振りで二体。呆気ないほどの手応えで刈り取りは進み、

「これで最後、と」

 最後の一体の熊を胴斬りにしたところで、動くものは何もいなくなった。

 弓兵部隊の射撃と側面からの挟撃のお陰で数が減っていたし、動きの鈍っていたものも少なくなかった。飛んできた矢も粗方避けたし、少佐の指示によるものなのか、途中から射掛けられること自体がなくなっていた。お陰で負傷もなし、これなら結果としては上々ってもんでしょう。

 お眼鏡に適っていればいいけれど、なんて思いつつ屍を跨ぎ越す。

『――魔獣の第二波を確認。その数、四十超!』

 その瞬間、物見役の報告が伝心魔術越しに飛び込んできた。あちこちで小さくどよめく声が聞こえてくる。元から想定していた訳でもないけれど、驚きはそれほど強くない。これほどの大規模作戦ともなれば、さすがに迎撃一回で済むなんてこともないかと嘆息するだけ。

『全隊、気を抜くな! 魔獣が山を下るのならば、それを討つまでだ。――フェラン! 山道へ上り、群れの数を減らしながら誘引してこい。怯えて恐慌を起こすほどには殺しすぎるな、あくまでも総体は山から引きずり出せ』

 間髪容れず、少佐の命令が飛ぶ。おっと、なかなかに指示が早い。その決断の速さは、割と嫌いじゃないかもしれない。

『了か――』

『少佐、緊急事態です!』

 けれど、答えようとした思念に割り込むようにして、再び物見役の叫びが上がった。今し方の報告にも増して語気荒く、焦ったような感情をまとうそれには、正しく嫌な予感しかしない。

『第二波の直後、第三波およそ三十体! しかも、奴ら道を(・・)外れて(・・・)います(・・・)!』

『何だと!?』

「うっそォ!」

 嫌な予感どころか最悪に近い凶報に、了解と応じるより先に声が飛び出した。少佐の驚きの声と重なって響いたそれは、すぐに山の方から聞こえ始めた地響きに掻き消される。

 こうなってしまえば、遠見の才も魔術も持たない私でも、何が起ころうとしているのか理解せざるを得ない。おそろしい――おそろしく面倒なものが近付いてきているのだと。舌打ちの一つでもしてやりたい気分だった。

 ため息を一つ吐き、足元に転がっていた屍を跨ぎ越える。さっきよりも多くの数を相手にしなければならないのなら、もっと使い慣れている武器の方がいい。手の中の鎌を剣に組み替え直そうとした時、

『フェラン!』

 鋭く呼ぶ思念(こえ)。その主へ背を向け、山を振り仰いだまま、『何か』とだけ送り返す。

『命令を変更する。道を外れたものを追え。足止めをし、可能な限り討て』

『了解。……ですが、少佐』

『何だ』

『道を外れさせたのは、魔獣を追う部隊――ひいては誘導の術を敷設した部隊の責になるのでは』

 そもそも司令官は意図的に情報を遮断している可能性がある。その上、誘導に失敗したとなれば、失策の誹りは免れ得ない。それを上手く利用することができれば、失脚を謀ることもできるのでは。

 そこまでは伝えはしなかったけれど、少佐は私の言いたいことが分かっていたのだろう。問い返す言葉はなく、ただ一言。

『下らん』

 バッサリと切り捨てる、迷いのない響き。

『報告によれば、道を外れた魔獣の進行方向には村がある。放置しては被害は免れん。益体もない無駄口を叩くくらいなら、とっとと動け。絶対に山から出すな』

 苛烈なまでの物言いを聞きながら、ふ、と口元が緩むのを感じた。

 相変わらず言葉はきついし、優しさなんて微塵もない。これまでの一月だって休みなく任務に駆り出され続けもしたし、たぶん、これからもずっとそうなんだろう。少佐の望みが叶うまで。

 ――でも、きっと。その「望み」は、決して悪いものではないのだろう。

 漠然とした、根拠もないに等しい印象だけれど。少佐は私をひたすらに容赦なく使うものの、それが私利私欲、或いは自己の保身の為であったことは一度もなかったように思う。今だってそうだ。村に被害を出さない為に、と言った。自分の命を守る為でなく、他人を蹴落とす為でなく。

 であるのなら、力を尽くして戦う甲斐もある。他でもない私が私利私欲で戦っているだけに、それを上手く利用してもらえるのなら。それこそ望外の僥倖というものかもしれない。

『了解しました。標的の位置だけ、伝達願います』

『逐次伝える。じきに足の速い者を選りすぐって向かわせる。それまで、何としても押し止めろ』

 最後に、ちらと少佐を振り返り、頷く素振りを見せてから走り出す。同時に鎖を周囲の木に巻き付けては跳び、時には木の幹を蹴って木から木へと飛び移りながら、障害物を追い越しながら移動距離を稼ぐ。

 伝心術では、少佐を介して標的の位置情報が送られてくる。山の斜面を下っているのだとしても、やけに早い。……もしかして、意図的に何かしてる? 司令官がうちの少佐を疎むあまり、情報を寄越さず、敢えて多くの魔獣をけしかけ、その上で分断を図っているのだとすれば――いや、いくら何でもそこまでのことはしないでしょう。しないものと思いたい。

 寒気のする思考を振り切り、更に大きく跳んだ。


 * * *


 魔獣の群れは、都合四度にわたって山を下った。幸いにも、そのうち誘導を外れたのは一度のみ。三度麓を襲った魔獣は、残らず討伐を果たした。道を外れたものも、フェランの奮闘と後に差し向けた別働隊によって事なきを得たという。

 もっとも、加勢に向かわせたフリートウッド少尉の報告によれば、またしてもフェランが単騎で粗方を仕留めたらしいが。

『戦果は八割がたがトリクスのですね。木と木の間に鎖を巡らせて壁を作ったかと思うと、足止めされてる獣の首を片っ端からぽんぽんと。それくらいのことはやってのける奴だとは知っていましたが、ありゃあ鮮やかって言葉ですら生易しい』

 別働隊とフェランを引き連れて合流を図るべく移動中だという少尉は、恐れよりも呆れの強い思念で伝えてくる。……全く、あの娘はどれほどの猫をかぶっていたのだかな。

『戦果報告はまた後で詳細に聞く。損害は』

『俺も連れてきた面々も、多少の手傷はあれど元気なもんです。トリクスが庇いました』

『フェランが?』

『ええ。どうもこの子は不器用というか……なまじ周りを見る余裕があって、そのくせ集団戦に不慣れだから性質が悪いですね。そうそう死なないと思ってるから余計に大雑把になってるのかもしれませんが、危ないと見れば必ず庇いに入るくせに庇い方が下手で下手で』

『負傷しているのか』

『ええ。……腕を一本、食いちぎられました』

 一転して、そう告げる思念は悔悟を帯びて感じられた。

 思わず、こちらの現場に対して発していた指示までもが一瞬途切れる。何事かとあちこちから視線が向けられてくるも、何でもない振りをして口上を再開させれば、すぐにそれらも散っていった。

 吐きかけた嘆息を飲み込む。……全く、今回の担当は面倒なことばかりだ。

 この作戦において遺跡攻めの部隊を主役と擬えるならば、魔獣討伐部隊はまさに脇役そのものと言える。その役目は獣を討つこと自体ではなく、むしろその後。現場に残された獣の死骸を検分し、利用できそうなものがあれば回収する。それこそが、今の我々に求められていることだった。

「解体が済んだものはそれと分かるように印でもつけておけ。二度手間三度手間になる」

「了解」

「回収したものは一箇所にまとめろ。ウィルクスの分隊で保存器に収容する。回収の要不要に迷った時は上官に確認しろ」

「少佐、確認をお願いできますか」

「今向かう」

 声を上げた者が誰であるかを確認し、死骸の間を縫って歩みを進める。足元は流れた血でぬかるむほどだった。

 三度魔獣の襲撃を受け、戦闘の場となった麓は、むせ返るほどの血臭が満ち満ちている。ただでさえ血みどろの戦場であったものが、死骸の検分によって一層厄介な有様と化していた。作業は手分けして進めている最中だが、まだしばらくはかかるだろう。

 どの部隊もが魔獣討伐の役を嫌がるのも道理だ。誰がこんな面倒で利の薄い仕事をしたがるものか。忌々しい内情を振り切るように、再びフリートウッドとの伝心に意識を向ける。

『フェランの様子は』

『本人は『時間はかかるけど戻せるから大したことじゃない』とか言ってますが、さすがに顔色も悪いので、今俺が担いで運んでます。それで、その……少佐』

『何だ』

『トリクスの手当に物資を割くことは、できませんか』

 窺う様子の問い掛けに、すぐには応じることができなかった。

 呪い子は通常の兵士と同列に扱われない。とりわけ、フェランは俺個人の所有物として認識されてすらいる。軍お抱えの治癒魔術師が治癒を施す対象から除外され、傷病に施す為の物品や薬品も提供されない。

 だとしても、本来ならば所有者として個人的に処置を行えば済むだけのことだが――

『……奴が、おそらく妨害に出る』

 そう答えた途端、フリートウッドが明白に苦々しげにするのが分かった。

 俺が覚えている限り、この作戦においてこれほど多くの魔獣が山を下ってきた例はない。そして何より、追い立てられた魔獣が誘導から外れるなどという珍事も。加えて、情報伝達のお粗末さを見るに、そのように取り計らった愚物がいることは間違いない。

 部隊ごと魔獣の群れで押し潰そうとしたか、はたまた「脇役」程度の役目もこなせぬと難癖をつけるつもりでもあったのか。その思惑など知る由もなく、知りたくもないが、今後どんな手を打ってくるかは予想できなくもない。

 ファリシゴに配属されてからというもの、フェランはひたすらに戦果を上げ続けた。それは当然「愚物」も知るところであろうし、俺の失脚を目論むからには手駒を削ろうとすることだろう。それを防ごうと動けば、その行動自体をあげつらってくることも想像に難くない。―-呪い子などに何を、と

『何とか、ならないんですか』

 縋るような言葉に、俺は答えなかった。

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