3・落ちこぼれ
トリクス――ベアトリス・フェラン、十九歳。性別は女。東方の小村の生まれであり、呪い子としての特質は「治癒」。自らの身体における損傷を迅速に復元することができるが、あくまでも当人のみに作用し、さほど珍しい種類でもないことから特質としての評価は中の下程度に留まる。
ハプザカナで与えられた書類に書かれていた情報と言えば、この程度のことでしかなかった。
それ以外に窺い知れたことと言えば、かの支部の司令官が口にしていた「死ににくいことだけが取り得」という評価が精々か。死ににくいからこそ生き残ってきただけの、大して秀でたものもない凡庸な兵士。
そのくせ、上官に対しても平気で口答えをしてくる跳ねっ返りであると。確かに、些かふてぶてしい物言いをする娘ではあった。
そう思いながら、手元の書類に描かれた魔術紋に手をかざせば、件の娘の容貌が空中に投影され浮かび上がる。青みの強い灰の髪は少年のように短く、琥珀の眼は微塵も怯む色を見せず、まっすぐにこちらへ向けられていた。
俺に向かって「覚悟しておけ」と生意気な口をきいた、あの日のように。
何とも言えない息を吐き、デスクに置いていた他の書類に持ち替える。部下に書かせた、ここ一月あまりのフェランの働きに関する報告書だ。
過日上げた戦功により、俺は少佐の身分と呪い子という手駒の褒賞を得た。すなわち三個小隊からなる中隊を指揮する立場にあり、それらを指揮するのが目下の大きな役目と言える。この立場は新たな「手駒」の質を見るにあたって、至極都合のいいものだった。
ハプザカナにはやや劣るが、ファリシゴも南方指折りの大都市だ。人や物の行き来が盛んであれば、その経路には賊が出る。更にはファリシゴ支部の管轄下となる周辺地域には深い森や峻厳な山脈、切り立った崖からなる谷など、魔獣が住み着くに格好の難所も多い。
よって、配下の小隊が魔獣討伐に出向く際、フェランを同行させるよう指示を出したのだが。
「……あの渓谷の魔鳥を、単騎で討つとはな」
ファリシゴ支部配属後、初の任務で示した戦果がそれだった。
ズィフォニ渓谷に魔鳥が棲みついていることは以前から確認されていたが、いかなる生態の変化によるものか、ここ半年ほど被害が拡大していた。近隣の村落が広い範囲で襲撃に遭い、家畜のみならず人間まで殺傷される事件が相次いだ。
これを解決せよ、と我が中隊に命を下されたのが、まさに一月前のことだ。中隊から一個小隊を派遣すると共にフェランを同行させ、討伐を試みることにしたが、当初はやはり苦戦を強いられたらしい。
幅の狭い谷は部隊が展開するに不適であり、隘路を形成する切り立った崖に日も遮られ、昼間でさえ谷底は薄暗い。討伐部隊の接近に勘付いた魔鳥は先手を打っての奇襲を図り、上空を抑えられた小隊は防戦一方を余儀なくされた。
だが、報告書に曰く、その状況をフェランは独りで打開した。
魔鳥は上空からの急降下攻撃と即時離脱を繰り返すばかりか、その翼で起こす風をもって部隊を地表に釘付けにした。幾許かは耐えられようが、現状が続けばやがて削り通される。焦燥に駆られる部隊の前に、娘はふらりと出たのだという。熟練の小隊長ですら虚を突かれ、一瞬唖然としたほどの自然な足取りで。
「そこからは、もう、全くもって一気呵成で」
とは、現場で部隊を指揮していた古強者の小隊長の言である。
呪い子には正規部隊の兵士のように与えられる装備は無いに等しく、往々にして自らの特質、ないし魔術によって形成した武器を用いる。
フェランは両手に鎖を握ると、さながら左右の岸壁を縫い合わせるかのように次々と打ち込んだ。谷間に張り巡らせたそれを足場に上空へ躍り出ると、瞠目する部隊員の見上げる中、魔鳥の周囲を目にも止まらぬほどの速さで跳び回り、瞬く間に翼持つ巨体を絡め取ったのだという。鎖に締め上げられた魔鳥は呆気なく地に墜ち、フェランは右手に創り出した短剣で事も無げにその首を刎ねた。
小隊長はおろか、その場に居合わせた誰もが唖然とするほどの手際であったそうだ。
「少佐、あんなものどこで拾ってこられたんです? 呪い子を他に知らない訳じゃないが、あれはとびきりだ。とんでもない化けも……いえ、何でもありません」
我が中隊に所属する三人の小隊長の中で最も年嵩であり、熟練として知られる男はひとしきり報告として述べた後、厳しい表情でそう告げたものだった。
「化け物、とまで言うか。忌むべき呪いの受け手であることは確かだが」
途中で飲み込まれた言葉を敢えて混ぜっ返して尋ねれば、小隊長はいよいよ眉間に皺を寄せ、渋い顔になった。その顔には、あるかなきかの困惑と畏怖さえもが滲んでいるように見える。
「……ええ、あれは化け物です。正真正銘のね。とんでもない。谷を丸ごと使って網を張れるような魔力に、宙に浮かんだ鎖なんて不安定な足場を使って跳び回れる身体能力。そして何より、一連の行動があまりにも早すぎた。部隊の前に出て、鎖を張って跳んで――首を落とすまでに、ほんの数分です。たったの一撃ももらうことなく」
断言する声に、知らず眉根が寄った。
フェランの異能は「治癒」であり、それ以外の何物でもないはずだった。であれば、あれは異能に頼ることなく魔鳥を討伐したということになる。死ににくいだけの落ちこぼれという前評判を思えば、俄かには信じがたい。
「死ににくいのだけが取り柄なんて触れ込みでしたがね、あれは違います。あれにかかれば、死ににくいという単純な事実こそが、何よりも強力な武器だ。あれだけのことができて、生半な攻撃じゃ止まらない。……あれが味方でよかったと、心底思いましたよ」
敵に回ったらと思うと、まるで悪夢だ。
そう呟いた小隊長がぶるりと肩を震わせる様が、妙に目に残った。
かくして、当初の想定を大きく超え、トリクス・フェランは大言に相応しいだけの戦果を上げ続けた。
魔鳥討伐作戦の次に投じたのは山城を拠点とする賊を壊滅させる為の強襲作戦だったが、これも先陣を切って敵拠点に突入し、敵の首魁を捕らえるまでの働きを見せた。その後も方々で魔獣を打ち倒し、つい先日街で暴れていた賞金首を取り押さえた……のは偶然のことであり、俺の指示したことではないが、その戦績はこの短い期間でさえ指折り列挙することができるほどだ。
更に言えば、想定外の事態はこれだけに留まらなかった。
呪い子は幼くして軍に徴集され、練兵所で訓練を受ける。訓練課程を修了した後も一貫して捨て駒として扱われ続けるがゆえか、人格的に難のある者、精神的に不安定な者が少なくないというのが一般的な見方だ。その点、フェランに対しては、一切そういった声が聞こえてこなかった。一月をかけて三小隊全てを渡り歩かせたが、それでもだ。
賊との乱戦の最中に窮地に陥った者、魔獣に不意を突かれた者を助けた。賞金首の人質にとられそうだった子供を身を挺して庇った。むしろ、この手の報告には事欠かず、また部隊員の中には「呪い子」と露骨に蔑む風の態度を取る者もあったそうだが、それにさえ怒りも嘆きもせず、頓着しなかったという。出来すぎている、といえば、その通りだった。
より早く、より確実に任務を果たすことができれば、それだけ俺の評価も上がる。フェランの働きは願ってもなかったが、同時にひどく不審でもあった。
これほどの戦果を上げられるものが、何ゆえ「凡庸」を通り越して「落ちこぼれ」だの「能無し」という評価を受けていたのか。――否、何ゆえトリクス・フェランは、そのような評価に甘んじるような振る舞いをしていたのか。
疑問は尽きないが、その答えを軍の中で誰一人持ち合わせていないであろうこともまた、分かっていた。ハプザカナの司令官はもちろん、当時の上官にあたる部隊長ですらフェランを「能無し」と揶揄していたと聞く。おそらくは誰一人として、あれの真意など知るまい。
フェランの練兵所における成績も取り寄せてみたが、これもまた凡庸の一言に尽きた。人並みの成績で、人並みの早さで教育課程を修了した。俺の直下に配属されてからの「化け物」ぶりの片鱗すら窺えない、絵に描いたような平均さでだ。
我が隊の小隊長をすら畏怖させるだけのものが、一朝一夕に育まれるはずはない。であれば、奴は初めから意図していたのだ。能が無いのではなく、能を隠してきた。では、それは――
「何が目的だ」
「はい?」
これが俺の直下に配されてから、ようよう三月になろうとしていた、ある日のことである。夏の焼け付くような日差しの鬱陶しい昼前。
ふと思い立って筆記していた手を止め、執務室の端に申し訳程度に用意してやった机で暇そうに書類を読んでいたフェランに向けて言うと、当人はきょとんとした間抜けな顔でこちらを向いた。俺の執務机から奴の居場所まではやや距離があるが、喋り声が届かぬほどではない。
「何が、とは」
「貴様、猫を被っていたろう」
心持ち眼光を強めて言えば、フェランはゆっくりと瞬きをした後で「さあ、何のことですやら」などと白々しく肩をすくめた。相も変わらず、妙にふてぶてしい娘である。
「練兵所並びに前所属部隊において示してきた戦歴と、今現在のそれとでは隔たりが大きすぎる。周囲に実力を偽っていた理由は何だ」
「偽っていた、とは人聞きが悪い。誰しも自分の都合のいいように振舞うものでしょう」
「実力を過小評価されることが、好都合であったと?」
「出る杭は打たれる。下手に使えると思われれば酷使される。そういうものでしょう? ――前にも申し上げましたが、私は故郷の家族に仕送りをしている。仕送りに困らない程度、細く長く生きていく必要がありましたので」
「……なるほどな」
平然として連ねられた言葉は、軍人としてはおよそ褒められたものではないが、呪い子の立場とすれば合理的極まりない。
軍に籍を置き、その命に従って働く以上、呪い子と言えど規定通りの報酬は約束される。だが、死ねば全て終わりだ。奴らは僻地に困難を承知で送り込まれるがゆえ、亡骸が持ち帰られることすら稀であり、正規軍の兵とも異なれば、死したところで遺族には何の補填もない。公式には戦死の報すら送っていなかったはずだ。
「おや、『愛国心が足らん!』とかお怒りにはならない?」
「貴様がその歳まで生き延びてきて、素直に国を愛し仕えている方が不自然だ」
練兵所ではもちろん、そのような教育をしている。守るべき国の為に尽くせ、国を愛しその身を捧げよ、と。
それは呪い子に対し、まだ幼子の時分――練兵所に入れられて真っ先に刷り込まれる思想であるだけに、教育課程を終了した直後の忠誠心は低くない。だが、愚直にそれを信じたものこそが、死を恐れず命令に従い、結果として死んでいく。
仮に生き延びたとしても、まともに装備も与えられず、治療の配慮もなされない。そんな境遇にあっては、植えつけた忠誠心とて薄れないことがあるものか。そもそも、フェランは練兵所に在籍していた頃から意図的に己の実力を隠していた節がある。刷り込み自体が失敗していると見るべきだ。
真実呪い子を効率的に運用しようと思うのなら、今のようなやり口はかえって非効率的であると言わざるを得ない。だが、上は要するにまともに奴らを使う気などないのだ。程々に役に立ち、程々のところで死んでもらうのが最も都合がいい。
異能をもって組織の中でのし上がろうなどと考えられるのも、実行されるのも疎ましい。大方、そういった腹だろう。個人的な所感を述べるのならば、使える駒も使いこなせない程度の人材には、積極的に蹴落とされていってもらいたいところだが。
「だとしても、何故今になって十年も徹底してきた方針を変えた?」
「そりゃあ、状況が変わりましたからね。さすがにいつまでも『死なないだけが取り柄』の『能無し』でいてみせるんじゃ、いつかどこかで角が立つ。まあ、私にとってもちょうど良かったってことです」
「ちょうどいい?」
「ええ。だって、少佐、あなたは出る杭があれば利用したがるでしょう。利用することを躊躇わない人でしょう。『所有物』たる私が上げた戦果が自分の評価に繋がるとなれば、それを阻みはしない。使える限り上手く使おうとする。そういう、目的の為に手段を選ばない――野心の強い豺狼の如きお人だと、噂に聞きましたのでね。これまでのところ、報酬も十全に支払われている。であれば、今のうちに稼いでおこうとか、価値を示して『使える』と判断してもらっておこうとか、考える訳です」
あっけらかんと、娘は言い放った。
なるほど、と今度は声に出さず思う。褒賞を与えるとして候補が一列に並べられた際、消去法と直感で選び取ったものだったが、存外に当たりを引いていたらしい。
俺が欲していたのは、唯々諾々と従う考えなしの駒ではない。多少癖があろうとも、自ら考える頭を持つ兵だ。ただ俺の言葉に頷くだけの人形では、従える意味も価値もない。そも駒にあらず兵を御せぬ程度の器では、野心を抱いたところで高が知れようというものだ。
とはいえ、この娘についての判断を固めるには、まだ些か早計でもあろう。
「つくづく、貴様は大言壮語を躊躇わんな」
「言うだけのことはしてみせたと思っておりますので」
「言っていろ。一月後にミザーゼで大規模な山狩りが行われる。この支部の司令まで出張る大規模作戦だ。中隊を率いて俺も参加する。無論、貴様もだ。そこで改めて身の程を示して見せろ」
そう告げると、フェランは一瞬の間を置いてから、にやりと笑った。
「いいでしょう、受けて立ちましょうとも」
日頃はどこか呑気そうな、ともすれば飄々とした態度を取る娘にしては珍しく、多分に好戦的な笑い方だった。