第九話 モンスターテイム
「来たな」
俺がそう呟くと同時に、先頭にいた黒影狼が飛びかかってきた。
膝を曲げてその噛みつきを躱しながら、黒影狼のお腹に手を当てて力の向きを変える。
怪我をさせないように優しくしたため、相手はくるりと回転して綺麗に着地。
しかし、初めての体験で驚いたのだろう。耳を立てて追撃するのを躊躇っている。
俺達の攻防で警戒が増したのか、追いついた他の黒影狼達も攻撃する様子はない。
「で、連れてきたはいいけど、どうすんの?」
「こうする」
小首を傾げているキティーをよそに、俺は黒影狼達の赤い瞳を覗いた。
唸り声を上げて威嚇されるが、気にせず高速で思考を巡らせていく。
やはり、思った通りだ。
彼等の瞳からは、感じられる人間への殺意が薄い。
本当に黒影狼がモンスターから魔物に堕ちているなら、ここまで綺麗な赤色をしていないはずだ。
俺が知る限り、モンスターが魔物になる事を堕ちると表す。
魔物になるとモンスターの目が白く濁り、人間への憎悪が本能に刻まれてしまう。
そうなるメカニズムは知らないが、モンスターテイマーの間では、魔物になったモンスターは殺すのが通例だった。
少しでも、魔物と人間の争いを減らすために。
「あんたと目を合わせてから、こいつら大人しいわね。なんかしたの?」
「ん、まあな。ちょっと落ち着いてもらうようにしただけだよ」
「へー。それが、モンスターテイマーとしての力?」
「そんな感じ」
キティーと出会ってから、互いの状況は話し合っていたので、彼女に俺の事は知られている。
初めて見るであろうモンスターテイマーに、大変興味深そうだったのが印象的だった。
現在、俺が使ったのは、モンスターテイマーとしての素質がある人なら誰でも使える、モンスターの感情を鎮める能力。
己の視覚に魔力を通し、モンスターと目を合わせて心を伝える魔法。
いや、魔法陣を描いているわけでもないので、どちらかと言えば、魔の術……魔術といったところか。
ともかく、その魔術を使い、黒影狼達と心を通わせようとしているのだ。
俺が一匹一匹その場にいる黒影狼達を見回すと、上手く魔術が発動したのだろう。どこか戸惑っている様子で座り、唸っていた口を閉ざす。
そんなモンスター達の変化を見て、片眉を上げたキティーが口笛を吹く。
「やるじゃない。魔物と魔力を共鳴させて、繋がりを作るってわけね。推測するに、それができる人間がモンスターテイマーになるって感じかしら」
「よくわかったな。そうだよ」
キティーにそう返しながら、俺は今度は言葉に魔力を乗せて口を開く。
『俺の言葉がわかるか?』
ぴくり、と。
耳をそばだてた黒影狼達は、目を丸くして俺を見つめる。
こちらの方も、上手くいったようだ。
モンスターテイマーがモンスターをテイムする時には、大まかに三つの手順を踏む。
一つ目は先ほどしたように、モンスターと魔力を合わせて共鳴する事。
二つ目は、今のように言葉に魔力を含んで、モンスターと意思疎通を図る。
そして、三つ目は──
「よし、いい子だ」
顔を弛緩させて穏やかな雰囲気になった黒影狼達に、俺は満面の笑みを浮かべた。
黒影狼達との魔力の繋がりを感じ、これで彼等を一時的にテイムできた状態となる。
三つ目の方法は、簡単だ。
共鳴した魔力を辿って、俺の魔力を相手に染み込ませればいい。
そうすれば、こちらから伸びる魔力の糸が、モンスターの魔力と結びつき、それが繋がりとなるのだ。
試しに近寄ってみても、黒影狼達は大人しいまま。
ゆっくりと頭を撫でていくと、気持ちよさそうに目を細めて尻尾を振っていた。
自分もしてくれ、と寄ってきた黒影狼達に対応している俺を見て、キティーが感心したような表情を浮かべる。
「驚いた。テイムって、こうやってするのね。それに、人間のくせに魔力を操れるなんて」
「モンスターテイマーなら、自分の身体の中なら魔力を操れるからな。流石にキティーみたいに魔力を外に放出はできないけど」
「へー。って事は、おばば様みたいに体内強化ができんの?」
「……まあ、できるな」
目を見開いたキティーに頷きつつ、俺の中では微かな希望が浮き上がっていた。
時折、彼女の口から現れる“おばば様”という名の妖精族。話を聞いているだけでも、おばば様とやらが強い人物だとわかる。
元々、俺は強者と戦うために、封印を自身に施したのだが……そのおばば様と、戦えないだろうか。
本当ならモンスターテイマーとしての戦闘の方が好みなのだが、この際贅沢は言わない。
一度、そのおばば様に会ってみたいものだ。
「それで、テイムはできたみたいだけど。これからどうすんの?」
「ちょっと待ってろ。……うん、なるほど」
好奇心が刺激されたのだろう。鼻息荒く緑瞳を輝かせるキティーをよそに、俺は耳の裏を大人しく撫でさせてくれる黒影狼と波長を合わす。
しばらく話を聞くと、中々興味深い内容が手に入った。
「で、で、この魔物はなんて言ったわけ?」
「落ち着けって。それに、魔物じゃなくてモンスターな」
「細かいことは気にしない! あたしの勘では、こいつらは魔王の手下で、世界征服をするための斥候ってところね!」
「残念、ハズレ。こいつらは、どうやら森から逃げてきたみたいだ」
「ちぇ、あたしの勘が外れたか……逃げてきた?」
口を尖らせたキティーは、おっと片眉を上げた。
明らかにろくでもない事を企んだような顔つきになり、重々しく腕を組むと口を一文字に引き結ぶ。
「……なにを考えた?」
「むむむ。あたしは思うわけよ。“世界樹の森”は、見てわかる通り世界で一番大きいわ。探せば逃げ場所が沢山あるのに、森の中ではなく外まで逃げてきた黒影狼。これは、よほど困っているに違いないわ」
「それで?」
「だ、か、ら! 親切な美少女妖精族であるあたしと、まあまあ使えるモンスターテイマーであるあんたが、この問題を解決してあげるべきじゃないかって思ったのよ」
「本音は?」
「魔物が逃げるとか絶対に面白いわ! 町よりこっちに行って遊びましょ!」
「遊びじゃねえよ!」
やはり、ろくでもない考えだったか。
マリーさんに頼まれた手紙を届けなければならないのに、それをあっさりと忘れてそんな事を言うなんて。
キティーの言葉は理解できずとも察せたのか、黒影狼達が微妙な表情を浮かべている。
彼等にしてみれば、自分の問題を遊びと思われているのだ。
心中察して余りあるだろう。
「なんでよぉ。どうせ、森には行くんでしょ? だったら、先に行ったっていいじゃない。ほら、問題を後回しにすると面倒だし」
「お前はただ行ってみたいだけで、問題とは思ってないだろ……」
とは返しながらも、俺もこの話については気になっていた。
今あの森ではなにが起きているのか。黒影狼達の話だけでは全貌が見えてこない。
仮契約した黒影狼達の世話も考えなければならないし、町に着く前から色々と問題が表れすぎではないだろうか。
まあ、黒影狼達に関しては、俺の自己責任なのだが。
《──》
「ん? どうした?」
対処方法を考えていると、今まで黙っていたロコが念話を寄越してきた。
その思念によると、どうやら黒影狼達は自分がなんとかするらしい。
また、しばらくの間、俺の様子を窺えなくなるとも。
「確かに、ロコの山に行けば当面の食料はなんとかなるか……よし、という事で、お前達には向かってもらいたい場所があるんだけど」
俺の言葉を耳にした黒影狼達は、何故か勢いよく首を横に振った。
縋るような眼差しを送ってきており、まるで捨てられた子犬のような瞳だ。
「えー。こいつらと一緒に、森の調査をするんじゃないの?」
「だから、俺達にはやるべき事があるんだよ。それに、キティーに好きな物を買ってあげる約束だしな」
「あ、そうだったわ。じゃあ、森については後でいいか。どうせ、近いうちに見にくるんだろうし」
「そういう事。……と、いうわけだ。場所は俺の魔力を辿ればわかると思うが、あっちな」
しばらく潤んだ目でこちらを見ていたが、自分の腹の音が鳴って我慢できなくなったのか。
黒影狼達は哀愁を漂わせながら、ロコの山へと駆け出していった。
ついでに、近いうちに森で待ち合わせするのも告げておき、これでやるべき事を終える。
黒影狼達の事は後ろ髪が引かれるが、優先順位を間違えてはいけない。
まずは、頼まれた仕事を済ませてから。その後で、やりたい事を思う存分しよう。
……まあ、村の早馬が町にたどり着いていれば、この手紙は無用の長物と化すのだが。
「よーっし。それじゃ、早く行きましょ!」
「そうだな。……そういや、襲われた馬車はどうなったんだ?」
「それなら、あっちで悪戦苦闘しているわよ」
「悪戦苦闘?」
キティーの指さす方向を見てみても、既にロコとの同化は切っていたため、遠すぎてよくわからなかった。
ただ、影の動きから予想するに、横転した馬車を直してでもいるのだろう。
まあ、彼等が助かったのなら良かった。
個人的に貴族の可能性がある彼等と関わるつもりはないので、近づく事しないが。
とにかく、鉢合わせしないよう歩幅を調整しなければ。
街道に戻った俺は、気持ちゆっくりめで歩きを再開するのだった。