明日へ
「ありがとう」
薄紅の綺麗な唇が感謝の言葉を告げた。白鶴が淡い色と共に舞って煌めいている。
恥ずかしそうにはにかむ笑顔は、真っ直ぐに正面を向いていた。
華やかで、賑やかで、幸せに満ちたその場所で。花嫁は微笑みながらもう一度、唇を開く。
「ありがとう。とても、嬉しい」
今にも泣き出しそうな顔をする花嫁を、花婿が苦笑いで見つめている。
美しく輝く婚礼衣装と、幸せそうに並ぶ新郎新婦。込み上げる色々な思いに、ついに耐えきれなくなった。ぼろぼろと溢れる涙の向こうで、ぴたりと停止した花婿と花嫁。
涙に濡れた瞳で隣を見れば、優しい笑顔が向けられる。リモコンをテーブルに置いて、若葉さんが私を抱き締めた。
「――もう、心配しなくて良い」
最後の引っ掛かりは消えた。悩んでいた問題が、やっといま解決した。
若葉さんと私が付き合い始めて、既に四年の月日が経っている。
結婚式に出席出来ない私の為に、妹が昨日撮ってきてくれたビデオには、花嫁の――兄の彼女だったあの人からの、お礼の言葉が映っていた。
たった四年、されど四年。短いようで長かった。
一度は兄と別れた彼女は、別れてからもずっと兄を好きで居てくれていた。軽いように見えて頑固な兄を納得させるまで、三年も掛かってしまった。
今日と言う日を迎える迄に、一年が掛かっている。
「俺には幸せそうに見える。紫月には、どう見えた?」
別れた理由は言わずもがな、私の存在だった。兄は頑なに口を閉ざしていたけれども、妹から話を聞いて全てを知る事になった。
若葉さんはそんな私を見て、必死になってくれた。企画を軌道に乗せようとして、過労で倒れたりもして。
青葉さんが私を叱咤して若葉さんと大喧嘩になったり、私が取り乱して逃げ出そうとしてしまったり――本当に色々な事があった。だけど、なんとか持ち直して、安定する事が出来た。
「幸せそうに、見えるよ」
――それから一年、ここまで漸く辿り着いて。
「うわあ、やっぱ綺麗だなあ。紫月ちゃんの縫った色打掛。刺繍もよく映えてんじゃん」
マグカップを手にした青葉さんは、目を細めて画面を見ていた。
「青葉さんの選んだ生地が良かったからですよ」
手触りや色の映え方、デザインの入り易さを考慮して青葉さんが選んだ色打ち掛け用の緞子。何でも、特殊な織り方を取り入れているらしく、ごく一部の老舗でしか取り扱われていない貴重な生地だ。
青葉さんがこれだ!と譲らなくて、販売は顧客にしかしていないという老舗の主に何度も何度も頭を下げて、やっと聞き入れて貰え手に入れたもの。
鶴のデザインと配色は、若葉さんが担当している。ああでもないこうでもないと頭を悩ませる若葉さんを見ていた光さんと緑さんが焦れて手を出そうとして、康成さんに叱られたこともあった。
若葉さんのデザインがある程度決まらなければ、刺繍も進める事が出来ない。だからか、若葉さんの焦り具合は目に余る程だった。
そんな修羅場をいくつも乗り越えて、出来上がった色打掛。
頭を彩る簪はタナベさんが作ったものだ。造化や生花での髪飾りを何度も作ったにも関わらず、最終的に簪へ変えてしまったけれど、いまの花嫁を見れば一番しっくりくる組み合わせ。
綿帽子は被らないと言ってくれたからこそ、こうして輝ける簪。
若葉さんが巻き込むと決めていたのはタナベさんだけでは無く――
「あれ?ビデオ届くの早いね、製作会社に頼んだやつ……じゃないのか。ねぇ、最初から見ても良い?」
作業場兼事務所として康成さんが使う事を許してくれたのは、ビルの二階。三階には康成さんの会社がある。
コンビニのビニール袋を片手に現れた奏太くんは、リモコンをさっと握って巻き戻しを始めてしまった。
「ちょっと奏太。私のもそれに入ってるんだけど」
巴さんは事務所の扉を閉めて、奏太くんのビニール袋を強引に奪う。
来年から正式に立ち上げる事になった若葉さんのブランドは、和のテイストを取り入れた洋服とオーダーメイドの和服の二つをメインにして売り出す事になっている。
そして、専属モデルになるのは奏太くんと巴さんの二人。奏太くんは二年前にマスコミに公開され、巴さんは一年前にお店を辞めてフリーターになっていた。
若葉さんは私に提案した日よりも前に、計画を二人に話した事があったらしい。だけど、まだまだ不確かで本決まりでは無かった為に二人も本気にはしていなかったとか。
ある程度見通しがついてから若葉さんがもう一度声を掛けて、二人もそれに乗ったと言う話だった。
若葉さんに青葉さん、タナベさんに奏太くん、巴さんに私。六人で新しく始める事に、正直とてもわくわくしている。
トラウマの克服は、実を言うと出来ていない。
私は若葉さんの運転で自宅と事務所を行き来させて貰っている。若葉さんが居ないときや都合が悪いときは青葉さんが、どちらも出られないときは緑さんが助けてくれる。
自分自身の情けなさに、やっぱり落ち込むこともある。だけど、少しずつだけれど回復の兆しは見えていて。
「――そう言えば、紫月ちゃんって今日は母さんと打掛ドレスの話しするんじゃなかったっけ?」
「ああああ……!」
青葉さんの言葉を聞いて、慌ててばたばたと立ち上がった私に、若葉さんがフッと笑う。
「落ち着いて、深呼吸。まだ約束してる時間まで三十分もあるだろ?」
「う、うん。……サンプル、いくつか持っていくね」
「ああ。焦らなくて良い。話が終わったら一緒に帰ろう」
「何時になんのか分かったもんじゃねぇけどな」
横から茶々を入れる青葉さんを、若葉さんが冷ややかな眼差しで見る。奏太くんと巴さんは、兄の結婚式のビデオに釘付けになっていた。
時刻は午後。
夕方を過ぎて外は暗くなり始めている。
終わるのは何時になるか、分からない。
「……ご飯、遅くなっても大丈夫?」
だけど、きっと。
「ああ」
どんな時間でも“大事な食事”の時間には違いないから。
「紫月と食べられるなら何時でも良い」
――いただきますの挨拶の後、彼には私が見えなくなる。
噛み締めるように目を細め、
「――美味い」
ぽつりと小さく呟くのだ。
そのはにかんだ顔が見たくて、いつも私は待っていた。
時に楽しく、時に寂しく
いつも二人で過ごしてきた。
そして、今日もまた同じ。
彼と食べる、夜更けのディナー
【‐Fin‐】




