06 杖無しと魔法
「良かった。食欲はあるみたいだ。流石は鬼だ。僕達魔法使いよりもよっぽど強靭だね」
アルバスは笑いながら空に成った器を持って立ち上がる。
そのアルバスの背へハクアの声が届いた。
「……どう、して?」
「ん?」
「どうして、助けて、くれたの?」
ハクアが強張った顔でこちらを見ている。警戒は解けていない。
きっと、恐怖する目にあったのだ。絶望する目にあったのだ。
「あなたが、魔法使いだから? わたしの角を杖にするため?」
水晶よりも美しく、綺麗に光る白い角をアルバスは見た。
「杖」
アルバスの口から声が漏れる。
高い魔力伝導率と変換率を持つ鬼の角は魔法使いの杖の最適な素材だと言われていた。
ハクアの角は大きかった。どうやら長い間折っていない様だ。
そして水晶の様に透き通って美しい。不純物が余程少ないのだろう。魔力を高効率で伝えられそうだった。
確かにハクアの言うとおり、この角を数多の魔法使いが欲しがるだろう。
「……君は角狩りから逃げて来たのか?」
「……」
ハクアは答えない。けれど、反応がほぼ答えを示していた。
ああ、そうか。だから、この少女は怯えて、恐怖して、絶望していたのだ。アルバスは理解する。少女に何があったのか。
「君は鬼から角を奪う犯罪者、角狩りから逃げて来たんじゃないのか?」
「……」
答えは帰って来なかった。先程よりも警戒の色を強くして、ハクアがこちらを睨む、
「君の角は長くて綺麗だ。さぞ、良い杖に成るだろうね」
ビクッ。アルバスの言葉と視線にハクアが体を強張らせる。鬼とは言え、手足も動かせない今の彼女では魔法使いから逃げられない。
やろうと思えば、この美しい角はアルバスの意のままだ。
「あ、ごめん。怯えさせたかったんじゃ無いんだ」
アルバスは違う違うと、手を振ってその後、ゆっくりと言った。
「……僕が君を助けたのは、君が死にかかっていたからだよ」
「……本当?」
警戒の色は薄まらない。きっと、何かの証拠を見せなければ彼女は安心できないのだろう。
幸いにして、アルバスにはハクアが安心できるであろう証拠があった。
「……僕に杖とか意味無いんだ」
アルバスは立ち上がり、奥の部屋から一本の黒い杖を持って来た。
「……これは森の外にあるテツバイの町で買った杖だよ。中古品だけどね、結構有名な鬼の若い頃の角だよ」
二年かけて貯めた金でやっと買ったアルバスの家で一番の一品である。
ハクアの角と比べてしまえば多少の濁りはあるが、それでも普及している角と比較すれば上等な物であるのは明らかだった。
アルバスは窓へその杖先を向けた。
「見てて」
本当はあまりしたくない。これはアルバスの恥を見せる事だからだ。
アルバスは一度目を閉じた後、集中し、初等魔法学入門のテキストを思い出しながら、忠実に実行した。
「放て」
魔弾。体内の魔力を杖先に集めて放つだけの基礎とすら呼べない技術。
魔法使いでも、鬼でも、子供でも、もしかしたら赤子でさえ、杖を持てば大なり小なり誰でも放てる様な技術だ。
「……」
その魔弾がアルバスの杖からは一欠けらでさえ生まれなかった。
アルバスの胸に冷たい感情が降りる。
「……ダメか」
分かっていた。今朝も試して、昨日も試して、この十年毎日試している。
やはり今日も魔弾は出なかった。
唇を引き締め、アルバスはハクアを見た。警戒したままだったが、その眼には困惑の色が混ざっている。
「僕は〝杖無し〟なんだよ」
「杖無し?」
困惑の答えをアルバスは口にした。
「先天的に魔素を貯める魔力炉が無い魔法使いの事。だから、どんな杖を使っても魔法が使えないんだ。珍しいけど、ありふれた、魔法使いの欠陥品だよ」
魔法が使えない魔法使い。杖を持つ意味が無い魔法使い。
だから、杖無し。
その蔑称をアルバスは安心させるように少女へ言った。
「だから、と言って良いかは分からないけど、でも、安心して。君の角を杖にする気は本当に無いんだ」
「……本当?」
「本当。集中してみてくれれば分かるよ。僕の体から魔力を感じないでしょ?」
杖無しにはほとんど全ての生物に宿っている魔力が無い。故に、生物達が本能レベルで行っている魔力感知で認識できない。魔物達からもこの体質でどうにか今まで逃げて切ってきたのだ。
ハクアもそれを感じ取ったのだろう。
やっと体から力を抜き、糸が切れた様にベッドへと倒れ込んだ。
安心したのかその眼から涙を流れ出す。
アルバスは笑い、布団をハクアへ被せ、枕脇を二度叩いた。
「君の怪我が治るまでこの家に居て良いし、怪我が治ったら町まで連れて行くよ。今はとにかく寝て」
「あり、がとう」
ハクアは眼を閉じ、少しして眠りに落ちた。
その様を見た後、アルバスは先程まで食事を食べていた机に戻り、煮込みを再び食べ始めた。
その瞬間、強烈な睡魔がアルバスを襲う。
「……ねっむい」
眠かった。理由ははっきりとしている。この三日間ハクアの看病でほとんど眠れていないのだ。
肉の味も分からないほどに瞼が重い。まるで風邪をひいた時の様だ。
だけど、熱に浮かされた頭が歓喜していた。
ハクアを見る。穏やかな寝息で、角はホウホウとはっきり光っている。
生きている。生きていた。生きてくれていた。
なら、もうそれで良い。
アルバスは残りの肉と星見草を一息に食べ終え、片付けもせずに、そのまま机に突っ伏して眠りに落ちた。