4th Record:together③
蒼天のAIRLINE最新話です。突如、翼を失い、飛べなくなってしまったリリス。黒雲の中、リリスはそのまま孤立してしまい――。
【3rd Flight】
ロージナ救出を実行している機体がモニターを横切った。カエルム中心部にしてカエルムの操縦室を担う一室。そこは外部の光景を知らせる為に複数の表示装置が設置されていた。
薄暗い室内で表示される映像を眺めていると、背後から幼い声に質問を投げかけられた。純真無垢を連想させる、清涼な木霊が耳を揺さぶる。
『おとーさんは、ここにいて、だいじょうぶ?』
背後に顔を回す。『おとーさん』と呼んだ真っ白な少女が不思議そうな眼差しで見つめていた。
『あのね……きょうのは、すごくたいへんだとおもうよ。…………ほら』
半透明のカプセルに入っている少女は連なったディスプレイを指さした。言葉に従い、厳かに視線を戻す。
映っていた光景は総艇長ボーデンの両目を細めさせた。隅に追いやられていた黒雲がカエルムの小鳥を囲み始めていたのだ。逃げ場がなくなるよう、均等な群れが配布されている。
「ふむ……」
厳めしい顔付きに手を当て、部隊の状況を脳内で整理する。任務に支障を来たした機体はないが少数の負傷者は既に続出していた。更に重力の嵐が激しくなると言うなら、死傷者まで懸念すべき危険性が有った。
操縦室を照らす淡い輝きがモニターの映像と混じり合っている。ボーデンは光と相反する闇の渦にしばし見入っていた。
「シャイナ」
『うん』
筋骨隆々の男性に怯える様子もなく、シャイナは素直に頷いた。半透明の素材がボーデンとシャイナの間を区切っている。強固なカプセルは内部と外部の声も遮っており、スピーカー越しの返事は何処か包まれて聴こえた。
「今回はお前の力を借りるかもしれない。準備をしていてくれ」
白髪の子供は背中を丸め、翼を大きく広げた。
『わかってるよ、おとーさん』
円柱型のカプセルが急に輝き出した。根元から溢れる照明が薄緑色の液体を濃淡に変化させてゆく。下から上への流れも内部に加わった。流体の移動によって、少女の髪や衣服、翼が逆立っていった。
部屋の中心地からカプセル内部と同色の閃光が放出された。幾何学的に複雑な道筋を光がなぞってゆく。壁に辿り着くと、その向こう側へと止まることなく走っていった。
シャイナの口から白い泡が零れた。
『……おねえちゃんと、おはなしできない』
ボーデンの太い眉がぴくりと持ち上がる。
「それはリリス・エレフセリアのことか?」
『そうだよ。このまえから、おはなしできるようになったの』
「もう接触出来ると言うのか。さすが、大天使階級だな」
ボーデンはリリスが配置された部隊をディスプレイに表示させた。画面に展開されたのは五割以上を占める黒雲だった。映像の中枢で飛行しているのが話題に出た操縦者の機体である。
差異の少ない塊によって飛行の具合が分かり辛い。だが、空色の鴉から十二枚の翼が生えていることはボーデンに一先ずの安堵を与えた。
大天使階級は全力であれば、どんな重力も抑制する。これは実験の結果から得た確かな情報だった。
『…………おかーさんも、あんなふう、だった?』
実験の対象であった少女にボーデンは無表情で答えた。
「まあ……な。お前の母親はあんなに小さくはなかったが、凄い操縦者ではあった」
己の発言でシャイナの雰囲気が綻んだ気配があった。ボーデンは母親と瓜二つの笑顔がカプセル内で浮かんでいると確信した。けれども、視線はモニターから離せない。
「む……」
黒い雲を突き進む機体の動静が奇妙だった。ボーデンは制御卓によってリリスの小鳥が観測している自機情報を画面に展開させる。
機体の速度が低下していた。光の膜も少しずつ薄くなっている。
「まずいな」
ロージナからの使者クレインとの交渉で彼女の精神状態が不安定であることは重々承知していた。管制官からの連絡でその心情も掴んでいた。任務中にリリスが操縦を手放す事態も想定済みであった。
光が弱い。ボーデンは彼女が初めに任務を維持できなくなると考えた。
「シャイナ」
今までより少々強い語気で娘を呼ぶ。
ボーデンが立っている床を薄緑の光が二度通過した。シャイナが準備を始めているのだ。連続で床を走る閃光は増えていき、放出される間隔も短くなっていった。
『あとすこし……』
縞模様だった光の走行が連結した。操縦室の地盤が薄緑色の光線で輝き出す。シャイナを基点とした荘厳な模様が刻まれていた。
そして、部屋全体を揺さぶるような起動音が反響する。
『もうすぐで、このこはうごきだす』
体が重い、意識が遠い。
球状のモニターには光の膜を隔てて充満している黒雲が映っていた。紫煙を一層色濃くした闇が押し潰そうと迫ってきている。弱体化した機体の出力で抑え切れなくなるのは時間の問題だった。
「う……うぅ……!」
リリスは前のめりになって操縦桿へと全体重をかけた。左右の手で握るこれらは単純な操作機能しか持ち合わせていない。どれ程の圧力が働こうが小鳥への影響は皆無だった。
だが、動作によって精神は有り方を変えようとする。
「ま、だ……っ」
重力抑制のみにリリスは集中していた。二本だけの翼が残った今、カエルムへの生還は難しいものとなっている。自分の身を守ることで精一杯だった。任務の続行は頭からも抜け落ちている。
黒雲との拮抗は数分間ならば維持されていた。リリスは階級の利点として無限大のエネルギーを持っている。寂しく形を保った二本だけは消えないと信じていた。逆説的に、散った十本の羽は出力が及んでいなかった事となる。
――なんで、どうして。飛びたくないと言ってしまったから!?
空色の鴉を包んでいた膜が縮み始めた。耐えていた間に黒雲の密度が増えてしまったのだ。これからも重力は自分の相棒へと魔の手を伸ばしてくる。希望的観測においても十分も抑制出来るか微妙だった。
重力に押され、光球の直径がまたも縮んだ。
「ぐ」
このままじゃ、いけない。
抗う術をリリスは必死に模索した。ミエン達への救援は言いそびれてしまい、黒雲のせいで通信も阻害されている。位置情報だけは何とか掴んでいたが、黒色に染まった空の大河が合間に流れていた。残り時間で合流できるかはかなり怪しい。
絶体絶命。リリスの脳裏が不吉な四文字熟語を思い浮かべる。
「だ……れ……か」
助けを求める声は孤立した操縦席で虚しく反響する。
リリスは下顎を痛めるぐらいに力ませた。こうなっては自力で脱出するしかない。がり、とくいしばった奥歯が鳴った。
――もう一度来てください、私の翼!
左右対称の双翼を五組ずつ想像する。リリスの意識は両腕を通じて操縦桿へと流れていった。時間差なく、光の筋が操縦席全体へと放出される。
…………。
首を横に振り、翼を一瞥する。
…………出てこない。飛ぶことが、出来ない!
空色の翼は十二枚に戻ってはいなかった。黒雲に場所を奪われ、窮屈そうに曲がりかけた侘しく細い双翼が有るだけである。
再びリリスが機体に自分の心象を捧げる。だが、結果は同じだった。
「…………っ」
愕然とした面持ちで正面を見上げる。各所で陥没した光の膜がリリスの視野に飛び込んだ。圧縮された黒雲が機体の間近へと到達しつつあったのだ。
どくん、と心臓の鼓動が自分の耳を痛めた。
もう駄目だ。
汚濁された宵闇が小鳥の殻を割り破ろうとする。リリスは断念した思いでモニターを凝視した。
こんなことが、以前にもあったような……。記憶が刺激され、知らずの内に走馬灯と呼べる映像が視界を縦断した。十六年間という短くも長くもない人生。リリスは危険な場面に幾つも遭遇していたと想起する。
現下の有様と類似した体験もリリスは覚えていた。
……そうだ、あれが、きっかけだったんでした……。
得体の知れない人に声をかけられ、憧れの小鳥に乗って、そして重力の嵐に巻き込まれて――。あの時は、何も分からずに飛べた、のに。
死の現実がリリスの感覚を麻痺させていた。現在と過去が脳内で入り乱れ、すぐ近くに自分を導いてくれた人が居るのだと錯覚する。
目下の惨事を他人事と感じつつ、彼の声を求めたリリスが口を開いた。
「……カインド……さん……」
リリスは、光の膜は硝子のように細い破片となって砕けるのだと初めて知った。
他からの明かりを浴びる、という経験も。
『――――呼んだ?』
眩い明光が闇を払い、漆黒の小鳥が舞い降りた。
大型の梟型。それに通信機から響いた掴みどころのない声音。リリスは記憶が丸ごと形に成ったのではないかと疑う。
自分の前に現れたのは、カインド・フェン・エグニームその人だった。
『何とか間に合ったみたいだね』
「あ、な、え……?」
我を忘れてリリスはモニターに割り込んだ小鳥を見つめた。目を擦ってみるが、漆黒の梟は消えてなくならない。カインドが確かに自分の正面で存在していた。
『ぼんやりしている暇は』
カインドの機体が強力な輝きを辺り一面に放出した。巨大な双翼の加護は空色の鴉に授けられ、目と鼻の先だった黒雲が遠ざかっていった。
『ないよっ』
自分の神経を圧迫していた負荷も軽くなる。壊れた光の膜を再構築するべく、リリスは操縦桿に有りっ丈の感情を送り出した。
繊細な機器に熱が入る瞬間。甲高い旋律がリリスの周囲で鳴り渡った。
光る膜がうっすらとモニターに浮かんでいく。尚も心許ない光量であったことがリリスの不全を示していた。
「カインドさん。わた、しはっ」
リリスは彼への接し方に迷った。喜ばしくもあり予期しなかった助太刀である。どんな言葉を用いれば良いか頭に浮かんでこなかった。
『何も言わなくていい。今は、この状況をどうにかしないと』
彼の切羽詰まった態度がリリスの不安を掻き立てた。黒雲の体積は留まるところを知らずに増えている。対して、自分は能力が限界まで落ちてしまっていた。カインド一人ならともかく、二機同時の脱出は絶望的である。
『格好つけて来たんだけど……大分まずいな』
「どう……しましょう」
重い沈黙が通信機から流れた。流石のカインドも打開策には悩んでいるようだ。当のリリスも力が回復する様子はなかった。
ふと、カインドの小鳥がゆっくりと下へ降りていった。
梟型の機体が視界から消えると同時に、『ちょっとごめんよ』という音声が通信機から流れる。
ごつん、と自分の真下で何かが接触した。揺らいだ心境が怯えるあまりに全身が跳ね上がったが、リリスは柔らかに迫り上がる浮力も探知する。
「カ、カインドさん?」
リリスの機体がカインドの機体に乗っかったのだ。下方から展開された力場が自分を包んでいる。小鳥を背負いながらも光の膜は完全に重力を遮断していた。
元々梟型は出力に長けた機体である。一段階小さい鴉型が荷重されても、重力抑制には支障が出にくかった。
『不安定だけど我慢してくれ。これで少しは時間を稼げる』
――まさか。
彼の考えに察しが付き、指が映像通信のスイッチを入れようとする。馬鹿げた案をリリスは反対したかった。しかし、相手方は顔を見られることを拒否していた。
「カインドさん! まさか、このまま飛ぶつもりじゃ――」
『その、まさかだよ』
外部モニターの端で添付された高度の数字が上昇した。緩慢な増加で、数字の変化が認識出来る程だ。
リリスは意識下にない飛行に困惑した。
「だ、駄目ですよ! こんな高重力の中、私を背負ったままでは!」
『大丈夫』
「そんなはずありませんっ! 私を守りながらなんて無理ですっ。それに、エネルギーだって……!」
重力抑制と翅翼飛行は同種の出力を必要とし、同種の操作系統を通過する。片方に集中すれば、もう片方が疎かとなる。小鳥に乗る操縦者にとっては常識の原理だった。
それをリリスより上の学年であるカインドが知らない筈がない。寧ろ、十二分に理解している上で自分を乗せているのだ。
空色の鴉は抑制も飛行も通常の小鳥以下の性能となってしまった。二機同時に飛び立つとなれば、カインドが不足分を補わなければならない。例え五割五割の配分だったとしても、リリスの分を加えることで十割十割と超過してしまうのだ。
「カインドさんっ。カインドさんっ!」
駄々を捏ねる様に訴えかける。リリスは必死にカインドの名前を叫び続けた。
『分かっているなら、静かにしてくれ』
「っ」
スピーカーから聴こえた重い声色にリリスは息を呑んだ。彼が発している気迫に屈したからではない。そこに隠れた異常なまでの疲労を読み取ったからだ。
『動いて、くれよ……』
微動していた外観の流れが速まった。モニターの奥で照っている膜が薄くなる様子もない。外側で蠢く濃密な黒雲にも耐えていた。
一見して、カインドに任せれば無事に生還出来るのでは、とリリスは希望を持った。
――その矢先。
黒雲は推進力に逆らう向きで奔流を始めた。光の力場で抑圧する際の轟音が二つの機体を震わせる。全身を揺るがす振動が肝を冷やさせた。
「なっ」
『ぐぅ……っ』
重力の圧迫を堪えているのだろうか。カインドが苦痛の意を示した。やはり二機同時では無理があったのだ。
「カインドさん! もういいです!」
『……駄、目……だ』
「どうして! 貴方がそこまでする必要はないでしょう!?」
『――――ある』
絶え間なく聴こえる息切れの中、カインドははっきりと断言した。
…………何だって、言うんですか。
自分も知らぬ間に瞼は水滴を浮かべていた。元はと言えば自分で招いた失態だ。カインドには何の落ち度もない。無意味に苦しみを味わっては欲しくなかった。
『君がそんな風になったのは、僕のせいだろ……?』
リリスは首を横に振った。
「違います! これは」
『違っても、いいさ。それでも僕は、君を無傷で、生還させて……みせる』
意固地な先輩の姿勢にリリスは顔を歪めた。
彼の言い分は少なくとも当たっているかもしれない。自分の心象を捻じ曲げたのはここ数日の出来事だった。そこにはカインドによるリリスの見限りも含まれている。
――だとしても、素直に受け止めきれなかったのは私の方ですよ……。
操縦桿を握る掌に爪が食い込んで痛かった。頬へと垂れる涙が自分の不甲斐なさを弥が上にも自覚させた。伝説の大天使階級と呼ばれて舞い上がっていたと言うのに、この体たらくは無様過ぎる。
梟に背負われた鴉は徐々に上空を目指している。光の分厚い殻に守られているお蔭で上段の小鳥は清らかな翼を広げていた。
宵闇と黒煙の入り乱れた重力の源は蜷局を巻いた。カインドが作り上げた城壁を打ち砕こうと轟音を騒めかせている。がんがん、と光の膜は圧縮された黒雲の木槌で五月蠅く叩かれた。
『ぐ……うぅ……うっ! もって、くれよ!』
もうエネルギーが……! これ以上は、私が、飛ばなければ!
焦燥感に駆られたリリスは全身全霊の想像を練った。十二枚を根こそぎ取り戻すことが優先ではない。カインドへの負担を軽減できる程の実力が発揮されれば良かった。
『リリス……ちゃん。君は、手を、出すな……!』
ところが、リリスの所思は先に読まれていた。
「え……?」
『まだ、なんだ。君は、僕が飛べなくなったら、飛んでくれ……』
彼が言わんとしている事を把握し、リリスは血相を変えた。
カインドは機体のエネルギーが切れるまで飛行を続け、後にリリスだけを黒雲の檻から脱出させようとしているのだ。
リリスは痙攣した唇で問い質した。
「貴方は、どうする……つもり、なんですか」
乾いた笑いが通信機から響く。その瞬間だけ、飄々としたカインド独特の雰囲気が声色には張り付いていた。
『後で考えるよ』
梟型の操縦者はどうするつもりもなかったのだ。
エネルギーが切れた機体は翼を捻り出せなくなり、飛行も抑制も封じられる。その状態で重力の渦に飲み込まれれば、如何に堅牢な装甲も瓦解してしまうのが目に見えていた。
『僕は……さ』
壮絶な覚悟を腹に据えているだろうカインドは、徐にリリスへ語り始めた。
『君にロージナへ帰ってもらいたいんだ……』
「――――訳が、分かりませんよ。カインドさんは、私を助けながら……どうして私をカエルムから遠ざけようとするんですか?」
『別に君が……嫌い、なわけじゃない。ただ、僕は……っ』
会話を続けるだけでも相当の体力を消費しているのだろう。通信機が繋げている彼の音声は少しずつ覇気を失っていた。それでも、カインドは怯むことがなかった。
『君に、お母さんと、会ってもらいたいんだ。僕の母さんは、会いたくても、もう……この世にはいないから』
「………………っ」
ここに至ってリリスは自分の無神経な思想に気づかされた。カインドの事情を知らなかったとはいえ、彼の人格自体を疑ってしまっていた。自分を導いてくれたのは誰か。眼下のカインド・フェン・エグニームだ。リリスを誘ってきた私情には彼なりの優しさに満ち溢れていた。それを、自分は信じてさえいなかったのだ。
『公園では、悪いと、思っている。本当は……僕の、勝手な我儘でしかないんだ……。…………ホント、ごめんね』
「そんなこと、ないです。私の、方こそ……っ」
ああ、もしかしたらお母さんもそう考えていたのでしょうか……。
ぽた、ぽた。
リリスの涙腺は既に決壊していた。落ちてゆく雫が衣服に大きな斑点を作っていた。顔の筋肉では抑え切れなかった。
遂には操縦桿から両手を離し、目元へと擡げさせた。
「だったら、最初から……言って、くれれば……良かったんですよぉ」
無力の少女は溢れて来る暖かな涙を拭いつつ、弱々しく嗚咽した。感謝と非難の色を籠めつつ、彼等へと訴える。
「そこまで、優しくしてくれなくても、私は大丈夫だったのにぃ…………」
カインドはリリスの涙声を無言で受け取りつつ、最後に短く呟いた。
『……ごめん』
途絶えることなく、空色の小鳥に乗った少女は鳴き通した。
操縦席の外では光と闇が二重に膜を張っていた。せめぎ合う二つの反する力場。その中心こそが二人の存在する世界だった。
次もAIRLINEを続けて投稿したいと思います。鋭意に執筆しておりますので、ぜひ読んでみてください。E・Dはこの次の次に更新したいと思います。




