4th Record:together④
蒼天のAIRLINE、アクションシーンのクライマックスです。色々と伏線が回収されますので、ぜひお楽しみください。
【4th Flight】
微かに、鼓膜が悲鳴を上げた。
自分のみっともない泣き声の他に音響が存在している。リリスは俯かせていた顔を正面へと向き直させた。当たりを見回す。通信機を初めに確認したが、カインドが原因ではなさそうだった。
……この声は……。
「貴女は」
リリスの耳元で稚い少女が話し掛けていた。これまでに数回は聴いた、あの幼い子供の様だった。
――おねえちゃん……。
空耳にも思える舌足らずな発音は自分へと尋ねて来た。
――たすけて、ほしい?
「え」
彼女が口にした疑問にリリスは衝撃を受けた。数か月前から続いている幻聴もどきは自分に救いの手を差し伸べてくれると言うのだ。困惑が眉の寄り添いに出てしまう。リリスは謎の相手を信じるべきか判断が付かなかった。
そもそも、自分はカエルムから悠遠の彼方にある閉鎖空間に居るのだ。こうして任務中に彼女と会話するのは初の体験だ。普段からの幻覚が危機的状況で特別に発生してしまったのではないかと否定的に疑えてしまう。
そうであっても、リリスは藁に縋る思いで頼った。
「はい! 助けて……助けて下さい! どんなことでも、しますからっ!!」
心の底からリリスは懇願する。視線を暗黒に包まれたモニターの上空へと集め、少しでも彼女に本心が届くよう叫びきった。下からはカインドの訝しげな声が発せられた。彼には聴こえていないのだろうか。
――ほんとうに? ほんとうに、いいの?
覚悟を問う無垢な声音には人肌の泥沼に沈みこむことを暗示させているようだった。きっと温かいのだろう。そして、抜け出すには大変な努力を必要とするのだろう。
……構うもの、ですか!
リリスはその代償を背負ってまで駆けつけてくれた人間を知っていた。彼女と彼が頭を撫でてくれた温かさも憶えていた。自分がカインドに恩返しをするとしたら、この瞬間しかないのではないだろうか。たとえ他力本願だとしても、リリスは無下に断ることを選ばない。
自分が示したいのは、決断した選択に縛られず、本人を待ち受ける不幸からも抜け出せるという事実だった。リリスを助けようとしたカインド・フェン・エグニームが助からない。そんな最悪な結果から飛び立ちたかったのだ。
心に納まりきらなかった叫びを、リリスはまだ見ぬ少女へと伝える。
「お願いします! 私達を、助けて下さいっ!!」
リリスの絶叫に返ってきたのは静かな時間だった。脳内に少女の返答が響いてこない。
彼女との通信が途絶えてしまったのか。もしくは、自分の頼み方に不備があったせいで断られてしまったのか。黒雲の如く湧き上がる不安が自分を怯えさせる。
けれども、心配は一瞬にして晴れ渡った。
――わかったっ!!
強大な音量がリリスの知覚を支配した。耳が吹き飛ばされるかの様だった。油断を許さない状況下と理解しながら、あまりの出来事に意識が遠のいてしまう。
『い、今の声は……っ!?』
カインドが自分と同じ反応を返していた。
彼にも、聴こえていたのだ。少女の声は決して幻ではない。どんな相手か予想もつかないが、その事実は不安の減少に一役買ってくれた。
……誰でもいいです。早く、助けに来て下さいっ!!
祈りを捧げる合掌の代わりにリリスが操縦桿に両手を戻した。助けが来るまで、自分も出来る限りの実力を出すべきである。
――耐えてみせる、と口を動かしながら黒雲を睨み返した。
円状に拡大されたセンサーがモニターの正面下方に照らされている。黒雲を示す赤い印が大量に整列していた。赤褐色の帯を手前に右往左往している緑色の印が自機と同部隊の小鳥達である。
アネット・レンヴェルフは顰めた顔に大きな汗を浮かべた。自分の機体は広範囲の探知に特化しており、現場の司令塔補佐として任務に携わっている最中だった。
「くっ。完全に反応が捉えきれない……!」
センサーが教えてくれたのは黒い壁より手前にいる機体だけであり、飲み込まれてしまった空色の鴉は消息不明であった。
アネットが意識を浅く広く同心円状に引き延ばした。歯痒い気持ちで探索を誤ってしまいそうだ。それでも、緑色の印を赤い領域の中に見つけるまでは続けねばならない。
ほんの数分前。黒雲の大揺れにリリスが乗った小鳥が巻き込まれてしまった。大天使階級である彼女ならば反応は他の機体より強い筈だ。だが、アネットがどれだけ黒い嵐を探索してもリリスを捉えきれなかった。
「あ、ちょっとっ!」
センサーに変化が起きた。はっきりと補足している同部隊の機体が進みだしていた。モニターを超えて特定せずとも誰かは分かる。
「ミエン、止まりなさい! 貴女が行っても無駄よ!」
深紅色の隼が予想通りに先行していた。加速による衝撃波の鎧を纏って、分厚い黒雲の壁を突破しようとしたのだろう。黒い雲に食べられた小鳥は一匹だけではない。短気寄りのミエンが助けに行こうと独断するのも当然だった。
『――っ、何でだよ!』
通信機からミエンの怒声が迸った。待機が苦手な彼女の事だ。理論に乗っ取った説得も無駄になるかもしれない。
思惑を伝えねば、三機目の被害が出る。アネットは孤立した操縦者の家族であるミエンへ強く言い返した。
「隼型は速度特化の機体よ。カインドさんの梟型とは違って重力抑制を高出力・長時間で維持できない。ミエンが突撃すれば入れるかもしれないけれど……その先は」
『アタシもやばくなるってか』
小さく首を縦に振る。音声通信のみに絞ったせいでミエンには見えていないだろうが、自分の無言が意味している事は伝わる筈だ。
『でも! それじゃあ、兄貴達はどうなるんだよっ』
「…………他の部隊の……救援が来ないと……」
我が言葉ながら壊滅的な希望だった。解決の兆しが闇に囚われている。伝説の大天使階級であるリリス自身が脱出していないのだ。リリスは本調子ではないと頭の隅では予測できている。だが、モニターを埋め尽くす黒雲こそ絶好調のリリスでなければ対処は不可能だと察せられた。
最大の戦力でなければ抜け出せない檻に、不調な本人が閉じ込められている。
カインドが彼女の後を追って黒雲に侵入したが、無事合流したかさえ疑わしかった。二人が救出しやすい一ヶ所に留まっていることさえ神頼みなのである。別の部隊が加わっただけでは助けられるとは考え難かった。
『その救援とやらは、いつ来るんだ? 今の嵐で他は手を焼いてるんじゃないのか?』
「でも――」
『このままじゃ! 本当に死ぬ奴が出ちまうんだぞっ!!』
――分かってるわよ!
怒りとも形容し難い憤然がアネットの瞳を細めた。
「………………それを出さない為にも、ミエンは行くべきでないの」
アネットは胸の内で爆発した感情を何とか喉奥に押し留めた。自分は冷静でいなければならない立場だ。ミエンの言い分も重々承知している。自分も二人を助けたいと同意見だった。
「……今から、私があの渦の手薄な箇所を探すわ。それまで我慢しなさいっ」
『アネット?』
「ミエンの無謀に賭ける訳じゃないわ。その先を、私が誘導して上げる」
操縦桿から走る閃光は私の意識を代替わりしていた。これらで自機に探索範囲を広げるよう指示する。重力抑制の粒子を微弱化した物を出来る限り散布し、後に手応えが小さかった箇所を的と判断するのだ。
あくまで重力抑制の応用である。翅翼飛行が劣ってしまうのは仕方がなかった。だが、大切な友人を助ける為なら惜しくはない。
「――ど、こ、だ――」
双眼を盛大に開き、黒雲の脆弱部を探す。
闇と黒、暗影がマーブル模様を描く重力の嵐はかつてない勢いで回転していた。触れた小鳥は気を抜けばひとたまりもないだろう。そんな破壊の根源に弱点などあるのだろうか。
「…………私だって……操縦者よ……」
自身に根付いていた誇りが勇気を与えてくれた。最高と最速の友人に挟まれた日々は楽しいだけではなかった。
――でも、私は知っているわ。そんなちっぽけなプライドを乗り越えてこそ、彼女達のような操縦者になれるのだと。
漆黒の蛇を連想させる嵐の五時の方角。アネットは重力に打ち勝った光が激しく瞬いたのを感知した。
「見つけた!」
『よしっ』
ミエンの機体は光の双翼を逞しく羽ばたかせた。折り畳まれた翼の先端から推進力が流出される。全力疾走で私の発見した弱部を貫くつもりなのだろう。
アネットは通信機のマイク部分へと顔を近づけた。黒雲が嵐として回っている以上、一番の安全地帯は台風の目である中心だ。リリスとカインドもきっと其処に居る。
「ミエン! ――五時の方が」
連結していた意識の管から途轍もない何か《、、》が逆流したのは、その束の間だった。
――わかったっ!!
無垢な童心で溢れた声音。癒しと母性を掻き立てる子供の意識がアネットの精神に入り込んでいた。天地を反転させる程に高音な返事だった。
「っ……!?」
操縦席に座ったアネットだけでなく愛機全体までもが揺さぶられる。半開きの口から紡ぐ予定だった指示が吹き消されていた。
『あぁぁ!?』
奇声がセンサーだらけの空間へ自分を引き戻した。アネットはすかさずミエンへ今の現象について尋ねた。
「な、何なのっ! 今の声は!?」
『知らねーよ! アタシに訊くな!』
アネットも知らない人物だったのは確かだ。しかし、今のは誰だ、と言う疑問までには発展しなかった。通信機を使った呼びかけとも違っていた。頭に直接響いてきた。操縦者にとってこのような現象は極めて不可解であった。
……本当に、今日は何が起こっているのよ……。
無意識に緊張が解け、アネットは不可思議な声に大半の注意を割り当てていた。
センサーの端から端までに異変は見つからなかった。カエルム勢とロージナ勢の小鳥、黒雲の領域。拮抗と圧倒を繰り返す二大勢力は尚も続いていた。
「どこに、いるの?」
自分は声の主を待ち侘びている。
あの高く柔らかな言葉に嘘偽りは混じっていなかった。正体は恐らく幼い少女だ。それも操縦者とは呼べない年齢だと推定される。だが、隠れている驚異性はかの大天使階級であるリリスさえも匹敵するかもしれない。
一縷の望みを託すべきかもしれない。純真の化身とも思える少女にアネットは期待した。
「――――え」
目にも明らかな異変がセンサーに投影された。信頼に値する機体が探知できる範囲へと進入してきたのだ。
「嘘、でしょ……?」
背後を振り返り、自分を絶句させた機体を目視する。
『おい……。マジかよ……』
ミエンも同じ景色を見ているようだった。隼が溜めていた推進力が少しずつ放散されていた。無理もない、とアネットは頭の片隅で共感した。
光を放ち、黒い世界を塗り替える翼。
黒雲を照らす光陰はアネットが乗った機体のモニターにまで差し込んだ。余りにも眩い閃光が周囲を上書きする。曲面に収まりきれなかった光は操縦席にまで手を伸ばし、アネットの眼鏡に反射されていった。
暴風が黒く軋んだ景色を薙ぎ払った。圧倒的な力で混沌の渦が進む方向を乱されてゆく。整列を崩した黒雲の隙間からは光の薄刃が幾重にも見えていた。
リリスは自分の目を瞠った。
「…………貴女、が」
重力の鳥籠が瞬く間に崩壊してゆく。巨大な光の塊がリリス達の正面へと穴を空けていた。抑制の余波は周囲へと拡散され、自分を襲っていた闇も取り払われる。
空色の鴉に展開させていた光の膜をリリスが解除した。目の前のモニターに出現した存在を良く見る為だ。
『まさか…………』
カインドが疲労を隠し切れない声で言葉に詰まった。黒色の梟は大きな双翼を失ってはいない。リリスは彼の無事に肩の荷を軽く降ろした。
本題はあの少女の事だ。
――おねえちゃん。たすけにきたよ。
光る物体が鴉の前へと差し出される。先端で既にカインドの梟型を超えている大きさにリリスは狼狽えた。だが、これは少女にとっての挨拶代わりなのだろう。怯むことなく、少女の機体へ目線を据えた。
「貴女、だったのですね」
鴉と梟の前に現れたのは小鳥ではなかった。重力を抑制する輝く翼。機体全体で舞い上がる光の粒子。全ては小鳥に乗る天使階級保持者の能力に相違なかった。
それでも、目前の存在を称する言葉は小鳥では不適切であった。
「私を見守ってくれていたのは……」
泣き腫らして赤くなった双眸でリリスは少女に語り掛ける。その視線から少し下に設置されたモニターでは巨大な印が点滅していた。
小鳥を意味する緑色の記号とは占有する面積が桁違いだ。黒雲や同部隊、ロージナ勢の機体でもない。とにかく巨体な白色の記号であった。
少女の愛機同様に大きな翼がはためいた。
暗雲に沈んでいた外景を一蹴する。遠い空の果てでは黒い衣服を脱ぎ払った蒼天までもが澄んだ色合いを覗かせていた。
大抵の抑制が済んだ頃。リリスの耳に再度、少女は呼びかけて来た。
――はじめまして、おねーちゃん。
純白の翼が空高く広がった。その枚数は、十二枚
ドーム状の円盤が砂煙の様に散り行く黒雲から身を乗り出している。その巨体は出撃中である小鳥を全て収納している程の規模だった。
飛行艇、カエルム。
ロージナの近辺へと十二枚の翼で飛翔してきたのは、正にリリスやカインドが帰還するべき航空機であった。
『そういうことか。カエルムの艇乗者こそ』
リリスが後に続いた。
「一人目の大天使階級」
リリスは正面という概念もない飛空艇に少女の微笑みを垣間見た。長い白髪に、穢れから遠く離れた表情。神々しいまでの後光を背に、少女は自分と向かい合っていた。
――うん。わたしが、ひとりめ、なの。
ぐぉん、と少女の語尻は低い轟音と重なった。
翼を生やしたカエルムの背後に黒雲の群れが接近していた。リリス達を封じ込めていた黒い格子は一部にしか過ぎなかったのだ。新たに流れ出した嵐の軌道上にカエルムは取り残されていた。いずれカエルムは強力な重力を直に貰ってしまう。
――どいて?
十二枚の内の一枚が黒雲を振り払った。あどけない響きに上乗せされた威力が強風を巻き起こす。
曇った蒼天を駆ける黒い大蛇の集団が遠方へと向きを曲げた。
圧倒的。この一言がリリスの見ているカエルムの性能に適していた。数十機は集めなければ太刀打ちも出来ない黒雲を簡単に抑制しているのだ。操縦者が自分と同じ大天使階級であるならば、半永久的に空を飛んでいられる筈である。
「すごい……です」
粒状の光子がモニター上で点滅していった。カエルムが振り撒いた翼の羽毛だ。この粒子だけで視野の半分以上が埋まってしまいそうだった。通常の機体ならばモニターの一割を埋め尽くす輝きが限界であろう。
飛行艇カエルムを襲っていた黒雲が消された直後。少女の意識がリリスへと送られてきた。
――だいじょうぶだった? おねーちゃん。
「え、と……。はい。私なら……大丈夫です」
真下で漂う梟をリリスが俯瞰した。気のせいだろうか、自機を支えている翼の光量が減っている。
『リリス、ちゃん。僕も、大丈夫、だ……。ちょっと、気が抜けた……だけ、だよ』
首を縦に振って、自分の焦点をカエルムが飛空する高度へと戻す。
――やっとあえたね。
「……はい」
――わたしはシャイナ。カエルムの、そうじゅうしゃなの。
数日前、図書館であったフリューとの対談にて飛行艇の操縦に採用される人員はかなり少ないと聞いた。当時は深く考えていなかったが、今ならばその理由が白日の下に晒されていた。大天使階級が乗っているのだ。無限のエネルギーを保持する操縦者が居る以上、他の人員は不要だったのだろう。
自分が二人目の大天使階級だという情報はかなり前から得ていた。だが、最初に発見された大天使階級がどんな人物かは全く知らされていなかった。貴重な操縦者が表舞台に立たない事には少なからず疑問は抱いた。それも翅翼で飛んでいるカエルムを目の当たりにすれば氷解される。
納得が一時的に自分のパズルに嵌っていった。同時に不足している未知のピースがどうしてもリリスの気を引いてしまう。先輩と呼んでも妙ではない少女に尋ねたい事項は沢山持ち合わせていた。
「どうして、貴女は。いえ、それよりもこの声は――」
長い任務だったせいか、リリスが強く張った緊張の糸は緩くなっていた。黒雲も大規模抑制のお蔭で姿をほぼ消している。久しぶりの空がリリスの虹彩を前にして蒼い景色を露出していた。
……もう、終わりです。
楽観した思いが心の中で呟かれる。
この時、リリスは前方の飛行艇だけを感知していた。故にカインドの身と心に起きた異変を察することは不可能だった。
『…………』
「あの、その、何から尋ねれば――っ?」
浮力が空色の鴉を押し上げ、操縦席に座るリリスの質問は無理矢理中断させられた。
自分の重心へと力がかかる。乱暴な投擲であり、地表への引力に逆らったのは極短い時間であった。高度が増えたのはほんの数秒。姿勢も崩れてしまった。
漆黒の機体が傾いたモニターに映った。突然の上昇に関与したのがカインドだとリリスはすぐに理解した。
「カインドさんっ!」
梟の双翼が世界を透かし、消失していた。リリスを上へと押し上げたのは最後の力だったのだ。恐らくはエネルギー切れである。
重力を抑制したとはいえ、真下には地表を覆う黒雲がまだまだ広がっている。落ちてゆく梟が黒い海に飛び込めば、如何に圧倒的な力を示したカエルムとも救出は望めなかった。飛行艇としての巨体が問題でもある。きっと小鳥の如き飛行には時間がかかってしまうだろう。
……誰か、あの人を助けて下さいっ。
蒼天から見放されようとする小鳥へリリスは無意識に手を伸ばしていた。自分の腕では距離が全く足りない。頭が良く承知していても、片腕はモニターの先で距離を離してゆくカインドを求めた。
――だれかって、だれ?
……速く飛べる人。梟型を背負える人。……カインドさんを、この場で助けられる人!
――ごめんね。わたしじゃまにあわない。
……では、誰ならあそこまで飛べるのですかっ。
思考で閃く言葉が二人の間で交わされる。一秒にも満たない会話がリリスの脳内で盛大に反響した。
――もうわかってるんだよね? それは、だれでもない。
「でも、私は――」
――あんしんして。わたしも、てつだうから。
触れられない翼の片鱗がリリスの指先を掠めた。ふわりと舞い散る白い羽を強く握りしめる。一掴みの幻は呆気なく粉々になる。
リリスは自分の意識が加速してゆくのを感じ取った。重い鎖に縛られていた精神が解き放たれていく。本音では追及していた願いが残った腕から操縦桿へと導かれた。
「……そうですね」
相槌を打ち、自分の願望を入れた片腕を元の位置へ帰した。
誰でもない。――私が、やらなければ!
線状の光がリリスの周辺を駆け抜けた。白の光線が空色の海を泳ぐ為の翼を与えてくれる。飛行の合図がけたたましい。それは戻って来た主に対する鴉の共鳴だった。
カインドによって放り投げられた機体が空中で停止した。複数枚の輝く帯は黒みがかかった蒼天に伸びている。
右に六枚。左に六枚。
――計、十二枚だ。
「行っけぇぇぇぇええええええええ!!」
全ての推進力が上空へと矛先を向け、一斉に咆哮した。蒼色の世界に溶け込むようにリリスの機体は急転に直下していく。
リリスと愛機の道筋は太い光の柱として刻まれた。黒雲が群がる地表へと成長してゆく円柱は黒い梟へと徐々に近づいていった。
だが、カインドごと暗黒の海に沈み込むのも間近だった。猶予はない。リリスは取り戻したばかりの翼の発光を更に強化した。
「間に合って――――っ」
モニターの奥で黒雲の団体と梟の先鋭部分が接した。
バキャ。
抑制の膜を貼れない小鳥をいいことに、黒雲が容易に破壊する。カインドの機体は最初の抵抗を限界とし、滑らかにその先へと飲み込まれる。
「わあああああああああああ!!」
――光の流れとほぼ同化していた鴉が大きな梟を奪い去った。最下点で刹那の弧を描き、全体破砕の寸前で掬い上げた。カーブした相反の力場が黒い世界を小さく抉る。闇と光が交差したのは一瞬だった。即座に黒雲は補充されていく。
現時点の任務はロージナ救出だ。センサーはカエルムとは別の小鳥達を表示している。外部からの救援としては充分の役割を果たした方だろう。
「…………カインド……さん?」
リリスは入れ替わった梟の内部へと恐る恐る声をかけた。紫電が欠落した部分から漏れている。些細な箇所ではあったが、操縦者へと通じた負担は自分には図りきれない。これで彼が助かっていなければ、何もかもが水の泡となってしまう。
バチバチ、と背景が喧しい。それ以外の音が耳に響かないことはリリスをじれったくさせた。出来る事ならば直接梟型の内部へと乗り込んで無事を確認したい。
無言に敗北したリリスは叫びを重ねた。
「カインドさん! 返事をして下さい!」
通信機が無音にして冷たい音を放つ。恐怖感がリリスの肌へと影響されていた。
『…………ああ。……聴こえて、いるよ……』
困憊で果てたカインドにリリスは必死に食いついた。
「カインドさんっ? 大丈夫ですか! 死んでないですか!?」
『勝手に、殺……さないで、く……れ』
カエルムが浮遊する安全な高度まで登り、リリスは胸を撫で下ろした。
……良かったです……。
両の目から又も熱い雫が溢れそうになる。尤もその意味は先程とは大きく異なっている。
自分はようやく大切な人へと恩返しが出来た。成功の歓喜が自分から涙を誘っていたのだ。これは小さすぎる一歩である。原因は自分にあり、恩返しと言う言葉が性格なのでさえ怪しい。
……けど、私は、嬉しいです。
リリスの両頬で一滴ずつの涙が流れる。
この時だけは自分を縛り、偽ってはいけないと判断したのだ。笑える時には笑おう。悲しい時には悲しもう。自分の背中には目立ちにくい翼が最初から生えていた。それを発見するまで長い時間がかかってしまった。
「カインド、さん」
『ん…………?』
「ありがとう、ございます。私を助けてくれて」
『最後は……君が……僕を助けたんだけど……ね。だから、御礼は、いいよ』
カインドが息を吐く様に頼りなく微笑した。もう起きているだけで辛いのかもしれなかった。彼の体調を気遣い、リリスは口を静かに閉ざした。カインドも心境を読み取って会話を安らかに眠らせてくれた。
――よかったね。おねーちゃん。
リリスは正面を見上げた。自分と同じ十二枚の翼を掲げたカエルムが変わらずに浮かんでいた。所々では小さな影が周囲を飛び回っている。別部隊の小鳥だろうか。住んでいた飛行艇の正体を前に驚愕しているのだろう。
神々しいまでの姿にリリスは数秒見惚れた。濡れた眼も次が零れる前に拭った。
意識を貼り直し、感謝の意を紡ぐ。
「ありがとうございます。貴女のお蔭で、助かりました」
年相応の声音で一人目の大天使階級は告げる。凛とした雰囲気が崩れ、何処か照れている様であった。
――えへへ。………………でも、ね。
長くない時間を費やし、リリスの前言は掘り返された。
――なんでもしてくれる……って、ほんとうだよね?
今回は結構長いです。これでようやく半分が終わったことになりました。次からは本来の問題へと戻ってゆきます。しかし、次回はE・Dの更新が先になると思いますので、しばらくお待ちください。




