第九話 聖女失格
第九話 聖女失格
夜の村は静かだった。
昼間の騒ぎが嘘みたいに、広場には穏やかな風が流れている。
焚き火の火がぱちぱちと揺れ、甘い果実の香りが漂っていた。
リーネは木の桶を抱え、深谷で採れた果実を潰している。
淡い青紫色の果汁。
そこへ蜂蜜を落とし、ゆっくり混ぜる。
「それは何だ」
隣でアッシュが覗き込んだ。
完全に“ご飯待ち”の顔である。
リーネは少し笑った。
「デザートですよ」
「でざーと」
「甘いものです」
「甘い……」
アッシュの金色の瞳が輝いた。
分かりやすい。
「期待してますね?」
「当然だ」
「まだ完成してませんからね?」
「待っている」
大真面目だった。
リーネはくすくす笑いながら、果汁へ魔力を流し込む。
【水】。
冷たさを均一に巡らせる。
【闇】。
余計な雑味を静かに抜き取る。
果実の甘みだけを残していく。
桶の中で、しゃり……しゃり……と氷の粒が生まれ始めた。
アッシュがじっと見つめる。
「凍っている」
「シャーベットです」
「うまいのか」
「たぶん」
「たぶん?」
「初めて作るので」
アッシュは少し考え込み、真顔で言った。
「失敗しても食う」
「優しいですね」
「腹が減っているだけだ」
「知ってます」
穏やかな空気だった。
けれど、その少し離れた暗がりで。
クラリスはぎり、と歯を噛み締めていた。
気に入らない。
全部。
笑っている村人たちも。
リーネも。
そして、あの男も。
アッシュは明らかに規格外だった。
強い。
美しい。
なのに、彼の隣にいるのは自分ではない。
火力もない落ちこぼれ。
料理しかできない少女。
それが許せなかった。
クラリスは唇を歪める。
「……なんで、あんな無能が」
彼女は聖女だった。
光魔法の才を持ち、王都で称賛されてきた。
なのに最近は違う。
癒やしの力が不安定になっている。
魔力も乱れる。
村人たちですら、今はリーネばかり見ている。
『本物の聖女様だ』
昼間の言葉が脳裏へ蘇る。
クラリスの爪が掌へ食い込んだ。
許せない。
そんな時だった。
リーネの手元で、淡い光が揺れる。
魔力。
繊細で、美しい流れ。
クラリスは息を呑んだ。
「あれ……」
気づく。
料理へ魔力を溶け込ませている。
しかも、異常な精度で。
普通の魔法使いには絶対できない制御。
あれを奪えれば。
あの技術が自分のものになれば。
誰もが自分を讃える。
世界最高の聖女になれる。
欲望が、どろりと胸へ広がった。
クラリスはそっと杖を握る。
気配を殺し、背後から魔法陣を展開した。
淡い光が広がる。
能力強奪術式。
本来は禁止級の魔法だ。
けれどクラリスは迷わなかった。
どうせリーネは無能だ。
奪われても問題ない。
そう思った瞬間。
リーネが、ふと振り返る。
「あれ? クラリスさん?」
びくり、とクラリスの肩が震えた。
その無防備な笑顔が、余計に癪に障る。
「な、なによ」
「具合悪いんですか?」
「は?」
「顔色、悪いですよ?」
心配そうな声だった。
クラリスの胸の奥で、何かがぐしゃりと潰れる。
なんで。
なんでそんな顔ができるの。
自分を追放した相手に。
「……黙りなさい」
低い声だった。
リーネが目を瞬く。
次の瞬間。
クラリスは術式を発動した。
眩い光がリーネを包む。
「あなたの力、全部もらうわ!」
空気が震えた。
魔力が流れ込む。
六理調理術。
精密な魔力制御。
その力を奪い取ろうとした――瞬間。
ぶつり。
何かが切れた。
「……え?」
クラリスの顔が引きつる。
流れ込んできた魔力が、制御できない。
熱い。
苦しい。
光魔力が暴れ狂う。
「な、なによこれ……!」
術式が悲鳴を上げる。
リーネの魔力は、あまりにも繊細だった。
優しく。
丁寧で。
まるで何層もの糸みたいに絡み合っている。
そこへ。
クラリスの欲望と傲慢な魔力が混ざった瞬間。
完全に均衡が崩壊した。
「いやっ……!」
ばちん!!
光が爆発した。
クラリスの身体が吹き飛ぶ。
地面を転がり、悲鳴を上げた。
「熱い!! 熱い!!」
光魔力が制御不能になっている。
肌を焼く。
髪が焦げる。
自分の魔力なのに、自分で扱えない。
リーネが慌てて駆け寄る。
「クラリスさん!?」
「来ないで!!」
涙混じりの叫びだった。
クラリスは理解してしまった。
自分には無理だ。
この力は。
誰かを見下し、奪おうとする人間には扱えない。
リーネの料理魔法は。
“誰かに美味しいものを食べてほしい”
その気持ちでできていた。
クラリスには、最初から欠けていたのだ。
やがて暴走は止まり、クラリスは力なく倒れ込む。
光魔力は完全に乱れていた。
もう以前のようには使えない。
クラリスは呆然と呟く。
「なんで……」
リーネは少し悲しそうに眉を下げた。
「料理って、取り合うものじゃないですよ」
静かな声だった。
その言葉が、クラリスの胸へ深く刺さる。
広場はしんと静まり返っていた。
その空気を壊したのは、アッシュだった。
「リーネ」
「はい?」
「シャーベット」
「あっ、忘れてた!」
緊張感が吹き飛ぶ。
リーネは慌てて桶へ向かい、器へシャーベットを盛り付けた。
淡い紫色。
冷たい湯気。
果実の甘い香り。
アッシュは受け取るなり、一口食べる。
しゃり、と氷が溶けた。
次の瞬間。
金色の瞳が細められる。
「……うまい」
幸せそうな声だった。
リーネはほっと笑う。
その笑顔を見ながら。
クラリスは静かに、自分の敗北を悟っていた。




