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無原罪御宿の吸血鬼  作者: ごっこまん
3.ラムシング訪問

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037 クラブ:リキュール

   †


 真夜中に、人狼(ライカンスロープ)の引くイヌ橇が一台、黒い森(ブラックブッシュ)を抜けて走っていく。


 荷台には疲れ果てた乗客が一人、毛皮に包まって橇に揺られていた。


「着いたぞ」


 人の姿に戻った馭者が揺り起こすまでもなく、乗客は目を覚ます。


「全く呆れたぜ。ラムシングの野郎でもねえってのに、禁域を抜けたってよ」


 乗客が口元に指を一本立てた。確かに夜中とはいえ人目をはばかる話題だった。人狼はおどけて、乗客を真似て指を立てた。


「いや、真面目な話。ラムシングの連中が幅を利かせてよ、黒い森の恵みはめっきり少なくなっちまった。奴らが勝手に決めた掟なんざうんざりでよ。よそ者のあんちゃんが禁域ぶっちぎったってのは痛快なんだな、これが」


「……祝祭を邪魔して悪かった」


「全くだぜ……。ああいや! 何もそこまで怒っちゃいねえよ! 俺はな、俺は!」


 乗客が頭を下げようとするのを、人狼はやんわりと止めた。


「ったく、最初に見つけたのが俺で助かったな、あんちゃん。……ま、何だ。あんちゃん、手ぇ怪我してんのに、独りで、それも徒歩(かち)で黒い森を抜けようってんだもんな。おまけにこんな寒い夜にときた。いかれてるぜ。こんなん無視して死なれでもした日にゃ、ご先祖様に顔向けできねえよ」


 乗客は足代を握らせようとした。人狼が頑なに受け取ろうとしないので、毛皮を買うと申し出てきた。足代よりも遥かに高額だが、乗客は引き下がらない。


 人狼も悪い気がしないので、商売に応じ、そこで別れた。


 乗客の男は、ある町の宿屋を訪ねた。


 男は手負いで、右手を庇っている。宿屋の店主は一目くれると、あからさまに機嫌を悪くし舌を打つ。


 招かれざる客だ。チェックイン時間はとっくに過ぎている。今しがた最後の皿を洗い終えたばかりで、蝋燭を頼りに帳簿をつけているところだった。


 店主の不愛想に構わず、男はどかりと酒場のカウンター席をぶんどった。


「閉店だよ」


 ドンとカウンターに叩きつけられた物の重さに、店主は思わず目を瞠った。


 男が提示した貨幣は、二食つきで三日は泊まれる額だった。


「残飯の寄せ集めで良い。スープがあれば温め直して、無ければ湯でもくれ。とにかく温まりたい。それから、電話はあるか? 急ぎなんだ。あるなら貸してくれ」


 男は更に一晩泊まれる額を転がして、先の貨幣の小山に当てた。


 非常識でも、上客なら話は別だ。店主は腰を低くし、ゴマを擦る。


「へ、へえ、ただ今。旦那、暖炉をお点けしましょう。電話はあちらで。も、いくらでもお使いくだせえ」


 店主が厨房に立つのをよそに、男は席を立ち、電話のハンドルを回した。『交換です』通話が繋がる。


「ハイランドパーク交換所に繋いでくれ」


『お待ちください』


 しばらく無音。通話が繋がる。


『ハイランドパーク交換所』


 次の交換手の声は気怠そうだった。


「囁くように美酒を酌もう。ウィスパーはどこだ」


『……転勤しましたが』


「そうか。どのくらいで戻ってくる?」


『霊髄壁の陥落する頃に』


 もう二度とない。という慣用句に男は「ショットを飲み干す前に代わってくれ」と、有無を言わさない口調で告げた。


『悪戯なら切るわよ』


 柱時計が十秒刻む間、どちらも声を発さず、通話を切りもしなかった。時計が鳴り、刻を告げる。


「質問攻めはやめろ。レシピはロブ・ロイだ」


 禁域でアルフレッドと対峙し、仲間を犠牲にして逃れた射手――ロブ・ロイは言う。


『ご苦労様です、同志(エージェント)ロブ・ロイ。こちらウィスパー』ウィスパーは目が覚めたように応えた。『リキュールは受取人様に届けられましたか?』


「代理人に受け渡したが事故に遭った。配送中にリキュール流失が二、遺失が一。残ったのは一つだけ」


 ウィスパーが息を呑む気配がした。今の符丁を翻訳すると次のようになる。


 標的の護衛は死亡。しかし不測の事態によりロブ・ロイ率いる待子組から死者二名、生死不明一名を出してしまった。


 生き残りはロブ・ロイのみ。


勢子(せご)組や、ゴッド・ファーザー親子からの応援は?』


「それどころじゃない。受取人は顔面を血のように赤くしてご立腹。謝り倒して命からがらだ」


 血や赤は吸血鬼を示す符丁……標的が吸血鬼化した――? 作戦は失敗、被害甚大。


 笑えない冗談を繰るロブ・ロイではないが。


『受取人様が? そんなまさか』


「まさかが起きた。本件の様相はクラブの想定を超えている。受取人は特別、顔を赤くしていた」


 符丁のみの報告だけでは限界がある。それほど特別な吸血鬼化。


『承知しました。迎えはこちらで手配します』


「利き手がやられた。治療できる奴を頼む。最低限、仕事に復帰できるようにしたい」


『わかりました。他に何か必要なものは?』


「カーディナルに繋いでくれ。ムーングロウの預けた遺言と、それからリキュールの在庫を確認したい」


『いえ、事態は急を要します。受取人様の評価が変わったのであれば、スノー・クレインに繋ぎましょう。お詫びに値する品を見繕わせるなら適任です。カーディナルの許諾は私から得ておきます。カーディナルへの報告と遺言の確認は、対面時になさる方が早いかと』


「助かる」


 ロブ・ロイは現在地を告げて、迎えを待つと告げた。ウィスパーとの通話を終えて電話線を繋ぎ替えさせる。


 スノー・クレインを呼び出す。しかし深夜に、あれは起きているだろうか。


 無応答の時間が長く感じた。


「旦那、お待ちどうさまで」


 店主が運んだスープは湯気が立っている。受話器を肩に挟み、ロブ・ロイが器ごとグイと飲む。


   †


 宴で家主たちが留守のコシノフ邸に、電話が鳴った。留守番の村人が出る。


『ヴィトー・アンドリーニはご滞在でしょうか』


 電話の主はそう尋ねた。


 出産までの猶予を与えられたことで、ヴィトーが内通者である事実はまだ広まっていない。留守番の村人は、何の疑いもなくヴィトーに通話を譲った。


「誰だ」


『ご先代。ウィスパーです』


 ヴィトーは周囲を探り、声を潜めた。


「先代と呼ぶな。それを言うなら先々代じゃろ。息子もとっくに足を洗っとる」


『しかし、ご助力くださった』


情報(分け前)はもう出せん。内偵(天使)バレ(地に墜ち)た」


『今、通話できているのは何故ですか。何らかの譲歩が認められたのでしょう』


 食えない女だ。


「ふん。わしらの家族(隠し蔵)まで探りよって、無関係な嫁や孫(秘蔵の酒)手駒(商品)としか見とらん口でよくも――」


『災難だったようですね。世間話は結構。リキュールはまだ配達前です。受取人の現住所を報告しなさい』


 ロブ・ロイが増員を要請する間を利用して、標的の現在地を改めて把握するための連絡だった。


 ヴィトーは逡巡した。


 内偵は露見している。これ以上罪を重ねては、アポロニアや孫にまで塁が及びかねない。しかし、ここで真実を答えずにいれば、クラブも黙っていないだろう。


 幸いまだ、ヴィトーの正体を知る者は屋敷から出払っている。


「……まだラムシング村におる」


 標的の居場所を告げ口したところで、任務を遂行するのは現クラブだ。ヴィトーは知らぬ存ぜぬを貫けば、この内通は表に出ない。


「だが、受取人は洗濯屋の世話になっとる。一筋縄じゃいかんぞ」


 ウィスパーの呼気に、驚きが含まれていた。


『それで、血の染みは落とされたのですか?』


「何故だか汚れたまま放置されとる」


 護律協会の介入を許してしまった。吸血鬼狩りの専門集団の手に落ちたのであれば、あるいは手を下さずに済むかもしれない。


 しかしどういう訳か、吸血鬼化したにもかかわらず標的は駆除されていない。


 正攻法では、クラブの存在が明るみに出る恐れがある。


『なるほど。厄介ですね』


 ウィスパーは内省する。スノー・クレインに差配を任せる。あの判断は間違っていなかった。


「悪いことは言わん。手を引け。あれは記憶を失ったと聞く。何をしでかしたかは知らんが、もはや受取人の要件を満たさん」


『どこの誰からそんな戯言を……。まさか真に受けたのですか。聞くに値しません』


「……胎には子が宿っとるそうじゃな? 聞いとらんぞ」


『今更何を言うかと思えば』


 ウィスパーが失笑する。


『記憶喪失ですとか、妊娠ですとか、受取人様の私情(プライベート)を探って成果が挙がるのですか? 仕事に影響を与え得る雑音(ノイズ)を排除することは、全ての同志(エージェント)の金科玉条でしょう』


「もう引退した。知ったことか」


『受注後速やかに配送する。それが当クラブのモットーです。あなた方のお手を煩わせたことはお詫びしますが、今のあなたに譲れない流儀があるように、当クラブも流儀を掲げています。流儀の衝突は不幸な事故のようなものです。そのことを、よくよく理解してください』


 事故は往々にして、より弱い方が取り返しのつかない被害を受ける。


 ヴィトーに身重の身内がいるのを承知で、組織力をちらつかせている。


(腐っておる。どこまでもわしらを愚弄しおって)


 受話器を握り潰さんばかりのヴィトーの手に、青筋が浮かぶ。


「勢子組の待機場所で吸血鬼騒ぎがあった。被害は推して知れい。今やラムシング村は魔境となっておる。それでも恐れんなら、覚悟せい」


 ウィスパーが絶句する。


 標的が通例とは異なる吸血鬼化を遂げたとロブ・ロイから報告を受けていた。だが、これほど早く反撃を受けるとは想定していない。


 ウィスパーは標的以外に吸血鬼が潜伏していたことを知らない。ヴィトーにしても、騒動の原因をはっきりと知っている訳ではなかった。


 その脅威はそのまま、唯一現地にいるとされるアルフレッド(吸血鬼)のものとなる。


 電話越しにウィスパーの動揺が伝わる。ヴィトーはある種の意趣返しに成功した気になった。


「これで最後じゃ。わしらはもうクラブと手を切る」


『……そうですか。これまでのご尽力に感謝します。謝礼はどちらでお受け取りになりますか』


「喜捨でもせえ! もう関わるな!」


 ヴィトーは受話器を叩きつけて、通話を切った。


 上手く受けに納まらなかった受話器の振り子から、話中音がツーツーと流れていた。


 受話器を受けに戻し、アポロニアの客間に戻る。宴のご馳走に満足した寝顔を、ヴィトーは慈しみ、己の不甲斐なさを呪う。


 この身に代えてでも、まだ見ぬ災難を尽く退けてみせよう。


 ヴィトーは老骨を奮い立たせた。

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