029 残党狩りの口づけ 3/5:依怙贔屓
「確かに、今にして思えば違和感のあるお急ぎようでした」
とイーリャは振り返る。
「しかし、三日過ごす内に、その疑問も消えました。ヴィトー様……ヴィトーは何と申しますか……思いこんだら一直線なお方で。お身内の方は義理の御父君の直情に振り回されたのだと、勝手に同情していました」
「その無茶も、エリー様方を先回りするのが目的なら説明がつきます」
キャスパーが肯う。
「あるいは、エリー様方を当村に誘導するのも織りこみ済みだったやもしれません。待ち伏せは、作戦に幅を持たせてこそ成立します。作戦に幅があるということは、それだけ臨機応変に対処しなければなりませんが、お身内のご懐妊を口実にすれば、どれだけ急な入村でも怪しくありません」
けれども、アルデンスは欺けなかった。コシノフ邸に到着して間もなく、殺し屋一味が潜んでいると察知したのだから。
「そんなことのために、妊娠中の身内を利用したっていうの……?」
エリーには信じ難いことだった。応接間の全員も同意見だったが、アポロニアが共犯者である線も考えられる。
「それは考えにくいかと」とキャスパー。
「ヴィトーとミケーレは、アポロニア様に稼業が露見するのを恐れていました。演技なら大したものですが、二人の反応から察するに、アポロニア様は巻きこまれただけで何もご存知ないのでしょう」
であれば猶更アポロニアが不憫だ。
「アンドリーニ一家の特徴をお伝えしますと、エリー様方は血相を変えて、ウマや橇を当家にお預けのままご出立なさいました。私の記憶が確かなら、ウマを繋ぎ、橇の収容にお手を貸してくださった方はヴィトーでした」
エリーたちの奇妙な行動、そしてミケーレの自供からヴィトーの関与が浮上し、ふと閃いたキャスパーは、納屋に残された橇の状態を確かめた。
すると、橇に細工の跡が見つかった。橇脚に切れ込みが入り、綱は千切れる寸前まで切られていたのだ。
エレクトラとアルデンスは、崖道を行くためにウマと橇を手放したのではない。
ロバートの証言によればエリーたちは、崖道の状態など、地形の変化も知らずにラムシング村へ来たと見られる。橇で来たのならそのまま橇を出そうとするはずだ。
ヴィトー――殺し屋の仲間から橇を細工された可能性が否めなかったために、移動手段を捨てざるを得なかったのだ。
ヴィトーはほぼ黒だ。
ダメ押しで捕虜の自供の裏を取るため、キャスパーはアンドリーニ一家のいる客間を訪ねた。貸与した銀器と貸出名簿の照会という名目を装って。
だが、内通者であれば、それの意味するところを理解できるだろう。
老いてなお壮健なヴィトーが、全てを察したかのように肩の力を抜いた。
臨月を迎えた義理の娘に一言断って、場所を変えてから、ヴィトーはあっさりと容疑を認めたという。
「念のため弁明の機会を頂戴しても?」キャスパーは一旦話を止めた。「……あらかじめ申し上げておきますが、私は決して、義理の娘様――アポロニア様を人質にし、ヴィトーに嘘の証言を強要してなどおりません。生憎と潔白の証明はできませんが、ご容赦を」
ヴィトーは観念し、こう言った。
――逃げも隠れもせん。然るべき裁きは受ける。だが、後生じゃから、頼まれてくれんか。
ヴィトーは床に平伏し、こう懇願したという。
「アポロニア様のお産が終わるまで待って欲しい。と」
「……何それ」
エリーは借り物ということも忘れて、ドレスに跡が残りそうなほど強く握った。
「身勝手すぎる……私だって身籠ってるのに、命を狙っていたくせに!」
「お怒りはごもっともです。屋敷に対吸血鬼態勢を布いた際、エリー様が吸血鬼を宿されていることは全員に告知せざるを得ませんでした。ヴィトーも例に漏れません。そして、エリー様が身重である情報は、ミケーレを通じて得た模様です。それがヴィトーの要求に根拠を与えてしまいました」
「……どういう、ことですか」
「吸血鬼を宿しているにもかかわらず、エリー様の延命が許されているのはどう考えても不自然でした。しかし、併せてご懐妊なさっているとなれば、その理由に察しがつきます。よしんばご懐妊がその場しのぎの嘘だったとしても、ヴィトーにとってはつけ入る隙です。殺人教唆に手を染めたヴィトーも、実行犯の一味であるミケーレも、アポロニア様のお身内です。妊娠が吸血鬼の盾になるのであれば、彼らにも同様の譲歩がなければおかしいと主張しております」
力み、震えていたエリーの手が急に弛緩し、ドレスを放す。
「ほぅら出たよ!」
ミキが柄悪く仰け反って、野次を飛ばすようにキャスパーを指す。
「依怙贔屓するとそういうのが出るんだって! だからアタシは最初からさっさと駆除しようとしていたのにさ!」
ミキはイーリャにガツンと殴られた。大きなたんこぶができた。
「もちろん今はそんな酷いこと微塵も思っちゃいませんとも! ちょっと誰だい、駆除とか物騒な話を蒸し返したの!」
「教官」
二発目の拳骨が待機中。
「はいすいません黙ります」
「しかし弱りました」イーリャの拳骨、解除。「この期に及んで図々しいと言いますか、この短時間で出所の違う話を繋ぎ合わせて、私どもの泣き所を割り出すだなんて、何て嫌らしい」
「ごめんやっぱしゃべるね。アポロニアさんって、確か初産で高齢出産だよね。こんな土壇場で心労をかけるのは酷だよ」
「とはいえ、無法者を野放しにする訳には……」
議論が紛糾する中、エリーは独りドレスに寄ったしわに視線を落としていた。
エリーの中には吸血鬼がいる。そいつがいつ村人たちに牙を剥くかはわからない。そこを突かれると、エリーは強く出られなかった。
エリーはお腹の子のおかげで、特別に生かされている。エリーの身には、ズルを許されている後ろめたさが常につきまとってきた。
まさか仇にズルを指摘されるとは思いもしなかったけれど。
【何を悩んでやがる。話は簡単だ】
アルフレッドが胸を熱くさせた。
【胎のガキを盾にする気なら、アイツらとオレらの立場は同じって訳だ。思い出せよ。アイツらのせいで今まで散々痛い目を見てきただろ。晴れて同じ立場になったなら、同じように逆襲したって、アイツら言い返せやしねえぜ。何せ、アイツらから懇願したことなんだからよ】
血潮は嗤う。
【我らに罪を犯す者を我らが赦す如く、我らの罪をも赦したまえ。復讐するは、テメエにある。アポロニアとかいうババアを殺してやれ。妊婦が殺されたように、妊婦を殺してやれ。それでやっと対等だ】
(逆襲……復讐……)
エリーは心の中で、吸血鬼の甘言を噛み締めた。ドレスにしわを残した両手をじっと見る。
この手はもう、汚れている。
応接間での話が走馬燈となって、エリーの頭の中を駆け回った。
憎い仇、その身内である無辜の妊婦。何も知らずのうのうと、あるいは全てを知っておきながら、自分たちだけで幸せを独り占めする歪な家族。
何でヴィトーだけ、ミケーレだけ、アポロニアだけ、アンドリーニ一家だけ。
何で私だけ。
「私は、稀代の大悪女……」
エリーが乱暴に席を立つ。ミキたちの議論を遮って、エリーは立ち上がりざまに応接間を後にする。
「あれ、トイレ?」ミキが尋ねる。
「妊婦さんにお見舞いしてきます」
エリーは銀のペンダントヘッドを口に含み、飾り紐を解いた。扉が音を立てて閉まる。
「お見舞いって……」
応接間に置き去りにされた三人が、我に返ってエリーを止めに急いだ。




