030 残党狩りの口づけ④:安産のお祈り
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屋敷の外が活気づくのを、アポロニアが耳にした。
「何だか賑やかですよ、お義父さん。お祭りでもあるのかしら……」
「ああ、そうだの」
ヴィトーは上の空で答えた。窓から義父へ、アポロニアが向き直る。
「お疲れですか?」
「ん……ああ、いや」
咳払いし、胸を張る。
「気を遣わんで良い。嫁に心配されるほど、老いちゃおらん」
「でもお義父さん、こういう賑やかなことには真っ先に首を突っこむんですもの。ちょっとくらい、お休みになったら良いのに」
「わしゃ、お前さんが心配でそれどこじゃないよ。不安がってる嫁を一人にして休むようじゃ、男が廃る。不器用なくせして無駄に働き者なのも考えものじゃがな」
「あまりミケーレを悪く言わないであげてください」
アポロニアは困った顔をする。
「それに、ほら、そんなにカリカリしてらっしゃるんですから、羽を伸ばした方が……」
「行かんったら行かん」
「でも」
「良いから」
頑固を声にして、ヴィトーはだんまりを決めた。
ヴィトーの要求が通るかどうか。そればかりが気がかりだ。
姑息な屁理屈にしてはなかなかのハッタリをかませたが、ヴィトー本人にしても、とても通る要求とは思えなかった。
標的の中で不自由している吸血鬼と、アポロニアとは無関係にうろちょろできるヴィトーらでは大違いだ。
ミケーレ共々、親子で手を汚してきた。
いつか多くの人を殺めた罪を裁かれるのではないかと恐れた夜もあった。
しかし、今やその恐れも、息子の嫁にまで類が及ぶことへの恐れに変わっていた。
判決を待つ罪人の気持ちを、産院で味わうことになろうとは思わなかった。
扉がノックされる。
裁きのときが来たか。
「はい」
大儀そうにヴィトーは椅子を立つ。ノックが急かす。
「待てよい」
ヴィトーが扉を開くと、凍りつくほどの美貌が立っていた。
アイスプラチナの御髪はよく梳かれ、ほんのりと化粧が乗った顔の冷やかを鋭利に強調する。
毛皮をあしらったドレスは煌びやかになりすぎず、威厳を秘めて、ヴィトーを後ずさらせる。
標的の女――吸血鬼を飼うエレクトラ・ブランだった。
「おま……何、で……」
余りの唐突さに喉を詰まらせるヴィトーに、標的はぞっとするほどの笑みを手向けた。
「初めまして、ヴィトーおじいさん。私はエリーです。……あなたが、アポロニアさん?」
「あら、ひょっとしてお昼頃にお見かけした……あらあら、まあ、素敵なお洋服」
アポロニアが嘆息する。
「お義父さん、やっぱりお祝い事じゃないかしら」
「まあ、そんなところです」
エリーを止めるに止められず、ヴィトーは入室を許してしまった。
屋敷に吸血鬼を宿した女が来ることはアポロニアも聞いていたはずだ。
だが、目の前のエリーと耳にした話が結びついていないのか、呑気なことばかり口走る。
ベッドのそばに椅子を寄せて、エリーは行儀良く腰を掛けた。
「スプリグリ族のみなさんが宴にお招きくださったですけれど、生憎持ち合わせの服がなくて。イーリャさんのご厚意で、ドレスをお貸しくださったんです」
「まあ、何て羨ましい。私も一度で良いから、そんなお洋服を着て、贅沢なお祝いにお呼ばれしてみたいわ」
「実は今晩の宴は村ぐるみの盛大な催しになるそうなんです。だから、妊婦の方のお見舞いと言っては何ですが、ご馳走をお運びできないかと考えまして……これからご希望を伺いに一室ずつ回っていこうかと」
「あらまあ!」
アポロニアが目を輝かせる。
「そんな、良いのかしら。私たち、ここの出身でもないんですよ。そんな、ご相伴に与かっちゃって」
「勿論です。こういうのは、大勢であればあるほど良いんですから」
「まあ嬉しい!」
離れたところから、ヴィトーは女二人の姦しさの裏を勘繰った。
世間話のためにわざわざ来たとは思えない。
脅しに来たに決まっている。
ヴィトーは鋭利なピックを手に忍ばせ、いつでも抜ける体勢を取る。
エリーはアポロニアの大きな腹を、愛おしそうに見下ろした。
「ご予定日は?」
「多分、一週間くらいかしら……」
困った顔で、アポロニアは腹を撫でる。
「パパが間に合ってくれたら、どんなに幸せかしら」
エリーの微笑みが、アポロニアの瞬きの間だけ引きつった。
「不安はありませんか?」
「ないわ」
少しだけ考えて、アポロニアはきっぱり言った。
「パパはおっちょこちょいだけれど頑張り屋さんで、お義父さんは不器用だけれど実直で。こんな良い所を探してくれて。本当に私は恵まれているわ」
今は言うな。ヴィトーのなけなしの良心が苛まれる。
エリーは目を細めた。
「そうですか。では」
ダンスを誘うように、標的が嫁に手を差し伸べる。
「ささやかですけれど、安産のお祈りをさせてください。額をお貸しくださいますか」
アポロニアは意外そうに驚いたが、すぐに笑みを咲かせて快諾した。
「ありがとう。この子もきっと喜ぶわ」
待て。待ってくれ。
ヴィトーの声が声にならない。
そいつは吸血鬼を飼っている。触れさせてはいけない。
「どうかしました、お義父さん?」
額を許す寸前で、アポロニアは止まった。
振り返るエリーは、アポロニアには見えない角度から、酷薄な無表情で流し目を差し向ける。
黙れ。
エリーの唇は、そう読めた。
アポロニアの髪が、無造作に撫でられている。
「何でもない」
隠し持つピックを、ヴィトーは強く握り締める。
エリーはアポロニアの側頭を軽く包み、優しい手つきで顔を寄せて、額に口づけをした。
老いの兆しが表れたアポロニアの相貌に、瑞々しい唇の仄赤さが重なり、口紅が移る。
静かな祝福が、額を離れた。
「いきなりで驚かせてしまいましたね。ごめんなさい」
「いえいえ」
アポロニアは頬を染めて、顔を扇いだ。
「私ったら変なの。綺麗だからって女の人にキスしてもらって、顔を熱くしちゃって」
女二人だけが賑やかにした後、アポロニアが料理のリクエストを伝えると、何事もなかったかのようにエリーはアンドリーニ一家の客間を後にした。
扉が閉まった後、たまらずヴィトーはアポロニアに駆け寄った。
「わ、どうしたの。お義父さん」
「お前さん、何ともないか?」
「え、ええ……まだ何とも……嫌だわ、お義父さん。お祈りされたからって、そんなすぐ陣痛なんて」
「そ、うじゃなくてだな。ああ……」
もどかしい。
「噛まれたりせんかったか?」
「噛む? 額を?」
どうやって? と言いたげな顔でアポロニアが思案する。
「ああ、そう言われたら、歯が当たってたような……」
くわっと険しい形相を浮かべ、ヴィトーは困惑するアポロニアを置いて、部屋の外に飛び出した。
エリーの姿を探す。まだ階段を降りてもいなかった。
追い縋り、肩を掴んで強引に振り向かせる。
「あんた、何のつもりじゃ!?」
胸倉を掴まれ、エリーは吹き抜け廊下の手すり際に追い詰められた。
だが、虚ろな笑みを湛える女に、ヴィトーは怯む。
「何って、キスをしただけよ? 何をそんなに焦っているのかしら?」
「しらばっくれおって……良いか、覚えておけ。わしの家族にもしものことがあったら、わしはあんたを……あんたをな!」
「嫌だわ。手出しならもうしたでしょ、おじいちゃん?」
老人の物忘れを指摘するような口ぶりだった。
余裕を感じさせる、底知れない血の冷たさ。
追い詰めた側のはずのヴィトーが、じりじりと後ずさる。
「お行儀が悪いわよ、おじいちゃん。ほら、みんな驚かせちゃって」
ヴィトーの肩に、エリーの首が乗る。耳をくすぐる声がした。
「生まれるまで待ってあげる。けれども、お母さんと子どもの命が惜しいのなら、わかるわよね?」
エリーを振り払うように、ヴィトーは壁に背を預ける。
腰が抜け、ずるずると床に腰を沈める。
見下した目つきが天井高くに伸びて見える。
屋敷に来たときはちっぽけな小娘だったエリーの威圧感に、ヴィトーは慄かされていた。
(わしは……わしらは一体、何を追わされていた)
もはや標的に似た姿の何者かとなった女が、ゆるやかに手を差し伸べる。
「大丈夫ですか? 立てますか?」
それは、ちっぽけな小娘の顔をしていた。
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