027 残党狩りの口づけ 1/5:内通者
ミルズの森を抜けると雨足は激しく、しかし森と村の境界を抜けると綺麗に止んでしまった。雨と晴れの境界線にくっきりと、雨のカーテンが下りている。
煙雨の向こうでは、村人たちが凱旋行列を待ち構えていた。村人たちが道を空け、歓声が巻き起こる。村人たちは祖霊を迎え撃つために手にした銀器や農具を夕陽をきらめかせていた。
祝福する群衆の先頭で、猟銃を手にして憔悴する獣追いが、目を皿にして行列を探っていた。
「おっとう!」
狗人の懐から身を乗り出して手を振る、元気な我が子らの姿。
一目見るや、たちまち視界が熱くにじんでいく。大事な猟銃が手を滑り落ち、無心で兄弟の元へ行く。
狗人に降ろしてもらった兄弟も、父の元へ駆けていった。
親子が抱き合った。父と兄はむせび泣き、無事を喜ぼうとしても声にならず、しかし通じ合い、痛くなるほど抱擁を交わし合った。
弟だけが武勇伝を自慢したがって、耳を貸さない父に不満がる。
父子たちを見ていられず、騎馬が数組、隊列から外れた。
「良かったな」「ご尊父よ、気持ちはわかるが泣くな。胸を張れ」「そうだ。その子らは族長の息女を救った戦士なのだ」
エリーたちは胸の温まる光景を横目に、微笑ましく通り過ぎた。
「や、二人ともご苦労様」
歓声を掻き分けて行列に足並みを揃えたのは、銀仮面の護律官。
「ミキさん!」
「話は聞かせてもらったよ。私抜きでよく頑張ったね。張り切って雨を降らせてるから、どんな隙間に隠れようが吸血鬼は逃がさないよ。安心したまえ」
そうエリーに声を掛けた後、ミキはイーリャの隣へ。
「教官……遅いですよ」イーリャは疲れていた。
「ごめんごめん。雨を降らせたしチャラにしてよ」
「足りませんよ」
ミキは思い切りイーリャの太ももを引っ叩いた。
「いっ!?」
「安静にさせてって言ったのに、エリーさんまで連れ出して……生意気言うんじゃないの」
「違うんです、ミキさん」会話に割りこんでエリーが庇う。「私が勝手について行っただけで……」
「関係ないよ。本当なら吸血鬼騒ぎなんて一人で解決できるくらいじゃなきゃ、護律協会は務まらないんだからさ」
「面目次第もございません……」
「素直でよろしい。今後の活躍に期待するよ。それはそうと」
ミキは白髪の束を懐から出した。
「収穫はあったよ、エリーさん」
「それは……」
「多分、触媒……なのかなあ。自信ないや。詳しく調べてみないことにはわからないけれども、本物だとすればちょっとしたものかもよ」
「それってどういう……」
「当て推量は怖いから、きちんと調べてから教えるよ」
「ミキさんって勿体ぶりたがりますよね」
「良いかいエリーさん。ズバズバ断言しまくる人間は口が達者なだけ。根拠のない自信を武器に人の信用を得るのが得意なだけであって、本当に信用の置ける人とは限らないんだ。本当に信用できる人間っていうのはね、答えが確定するまでは、えてして安易な明言を避けるものなのだよ」
「はいはい」そんなこと言いつつ、何もかもあやふやにして煙に巻く人なら知っていますけれど。
凱旋行列はコシノフ邸前まで続き、その間を利用してミキとイーリャは状況報告を済ませた。
門前でキャスパーが深々と頭を下げて出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ。お疲れのところ恐れ入りますが、内通者の正体が判明しました」
エリーとイーリャは度肝を抜かれた。「内通者?」とミキだけが首を傾げた。
「詳しい事情は後程。ただ、僭越ながらエリー様」頭を下げたままキャスパーが言う。「その、お先にお召し替えなさった方がよろしいかと……」
キャスパーは頭を下げたまま、器用に燕尾服を脱いでエリーに差し出した。
戦闘で服が上から下までボロボロだったことを忘れていた。
(キャスパーさんには刺激が強すぎたかしら)
申し訳程度に露出部を隠す。崖から落ちたときの方がもっと酷かったし、肝心なところは隠れている。男に指摘されても恥ずかしさがあまり湧いてこなかった。
思い出したかのようにイーリャがキャスパーの視線からエリーを庇ってくれた。差し出された燕尾服を奪い、エリーの肩にかけてもらう。
そもそもキャスパーはエリーを一瞥してからずっと頭を下げて、無心で床を見ている紳士だけれども。
「あらやだキャスパー君ったらスケベなんだから」
ミキがからかってもキャスパーは動じない。執事の意地を感じるお辞儀、九十度。
逆にエリーがショックを受ける。酔っ払いと似たり寄ったりな考えをしていたことに。
(口に出さなくて良かった)
「とにかく着替えましょう」イーリャの提案。「宴もございます。私物でよろしければ、正装をご用意できますよ」
「ソーマ護律官は私と応接間へ。みな様お疲れのことかと存じますので、甘いお茶をご用意してお待ちしております」
キャスパーのお茶を心待ちにしつつ応接間を後にし、エリーはイーリャの私室に招かれた。
部屋の扉を閉じると同時に、イーリャは目元にシャボンを作り、眼鏡の代わりにした。眉間に寄ったしわがほぐれ、普段より素朴な素顔になった。
「きっと眼鏡をかけた方が可愛くなるのに」
イーリャは笑って誤魔化した。
まずは急いで身を清める。湯を絞ったタオルで身体を拭いた。
贅沢にファーをあしらったロングドレスに袖を通す。
エリーとイーリャの体格が似ているおかげで裾直しは最小限に、腰にスカーフベルトを巻き、肩回りはピン留めし、ピンはショールで覆う。
「良いんですか? イーリャさんの物なのに、穴なんか空けて勿体ない」
「箪笥の肥やしが日の目を見るのです。むしろ感謝していますよ」
髪を梳き、化粧は控え目に。
香水を……と、瓶に触れる寸前でイーリャの手が止まる。狗人は鼻が利く。控え目にかけても不快にさせるかもしれない。
「ですが、まあ、このくらいはご愛敬ということで……」
イーリャはまだ湯気の立つ湯桶に香水を一噴き――できなかった。瓶を振っても液体の手応えがない。凍っている。
「忘れてください」
気まずそうにイーリャは香水瓶を仕舞った。冬の間にうっかり凍らせてしまったようだ。
踵の低いパンプスを用意してくれた。もう少し高いヒールに目を奪われたけれども「つまづいたら大変です」と止められた。
身綺麗になって姿見の前に立つ。エリーの鏡像はまるでどこかのご令嬢のようで、しばらく表に裏にくるりとターンし、見蕩れてしまった。
華美になりすぎず威厳を秘めた装いは、きっとコシノフ家の気質を表現するものだ。
「教官を待たせていますから、そのくらいで」
眼鏡代わりのシャボンが割れて、見慣れたイーリャの顔に戻る。
客間へ戻るまでの間、エリーは屋敷で働く人々の目を集めた。
そりゃあ、自分でも惚れ惚れする着こなしだけれども、こう目立つとどうにもこそばゆい。
「どっちが屋敷の主人なのか、わかりませんね」とイーリャ。
「やめてください」
本来の主人にそう言われるのは畏れ多すぎる。何も面白くない。
けれどもイーリャは「あら、ごめんなさい」と表面では謝っていても、声が笑いを堪えていた。眼鏡が似合うと言ったことへの、ささやかな意趣返しのつもりなのだ。
改めて全員が応接間に揃う。爽やかで甘いお茶の香りがほのかに漂っていた。
「これはこれは」とキャスパー。既に新しい燕尾服に袖を通していた。
「見違えたよ」とミキ。
室内で待ち構えていた二人が、口々にエリーをちやほやと迎えた。返すつもりだった燕尾服の行き先を見失ってしまったけれども、何のこともなくキャスパーが受け取ってくれた。
三人分の茶器が並べられ、熱々のお茶がキャスパーの手で注がれていく。
エリーたちを待つ間に、ミキは内通者騒ぎのあらましをキャスパーから伝え聞いていた。
「追手のことまでは考えつかなかったよ。見通しが甘かったね。ごめんよ」
「済んだことですから。それよりも、内通者の正体って?」
キャスパーによれば、脱走した捕虜が自首したのだという。
森で待機中の殺し屋仲間は吸血鬼になったか、その仲間の餌食になったかのどちらかで、ウマも全滅。これ以上の抵抗は無駄だと悟り、折れた鼻っ柱でキャスパーに泣きついた。
殺し屋の降伏を受け入れる前に、懸念が一つあった。
殺し屋仲間の吸血鬼化は、エリー殺害が失敗した際の保険である可能性だ。
あらかじめ定められた日時を過ぎた時点で、殺し屋一味を吸血鬼化させる。この騒動は、初めから織りこみ済みだったのではないか。
突発的な事故に見せかけてラムシング村ごとエリーたちを襲撃する――目的のために手段を選ばない連中なら考えられる筋書きだ。
キャスパーの指摘を、出戻り捕虜は頑なに否定した。
捨て身の戦法を取るくらいなら、もっと知恵を絞るのが彼らのやり方だという。
第一、目立ちすぎて話にならないし、前提からして標的以外を巻きこむ恐れがある手段は選ばない。
百歩譲って吸血鬼化が秘密裏に作戦に組みこまれていたのだとしても、吸血鬼にとって鬼門の昼間に決行するのは不自然だ。
ウマまで食い潰す意味もわからない。
「俺たちは被害者だ!」とまで言ってのけたそうだ。
(どの口が)
エリーは顔をしかめてお茶を一口含めた。甘さが疲れた身体に染み渡る。
そうして落ち着いて考えてみれば、捕虜の証言は、イーリャから聞いた“人を殺め難い時代”を色濃く反映している。彼らの生業への、ある種の矜持があった。
丸っきり嘘だとまでは思えない。
「今、捕虜はどちらに?」
イーリャが尋ねる。
「地下牢です。一度は破られましたが、脱走される心配はありません。もう懲りています」
「……それで、もう教えてくださっても良いでしょう。一体誰が内通者だったんですか」
宴に高鳴る胸は今や殺し屋への怒りにすげ代わり、エリーが訊く。キャスパーが背筋を伸ばす。
「捕虜は、内通者を通じて、当家の所有する銀のフォークを持ち出したと主張しております。当時、当家は吸血鬼対策のため、在宅中の全員に銀器をお貸ししておりました。また、貴重な家財にございますので、簡素ながら貸出名簿をつけております。その記録からフォークの借主を洗った結果、容疑者に浮上したのは、ヴィトー・アンドリーニです」
イーリャが表情の険しさを崩さず、目を見開く。「誰ですか」とエリーが訊いた。
「エリー様、討伐に向かう際、ロバートに取り押さえられていたご老人を覚えていますか。あの方です」
エリーを見て驚いていたあの人だ。気難しそうで、ロバートでも手こずる暴れん坊。
「そして、ヴィトーらの聴取を通して判明したのですが」キャスパーが話を引き受ける。「捕虜の名前はミケーレ・アンドリーニ」
「アンドリーニ、って……」
「ええ。ヴィトーの実子です」




