017 予測不能、制御不能 4/6:敵なる祖霊
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森の樹々の間を縫い、ライトールは愛馬と共に風になる。胸の中で人間の子が二人、兄弟が必死にしがみつき合っている。
子どもの一人や二人乗せたところで、愛馬ヴューガの脚は陰らない。
だが、背後を見やれば、吸血鬼と化したケナガウマが徐々に距離を詰めてきていた。
ケナガウマの脚力に始祖の血の力が加わっている。その上、この異形のウマは早速、異形の身のこなしを掴みつつあるようだ。
地面を蹴るウマの脚は、斜め方向の推進力を生む。対する異形の脚は、地面ではなく森の樹々を足掛かりにしている。
幹を蹴って得られる推進力は、限りなく水平方向に向いている。地面を駆けるウマと違い、力の伝達に無駄がない。
また、異形は蹴ったら蹴りっ放しで、脚を分解してしまう。
その都度、足掛かりとなる幹に合わせて脚を生やし、蹴り、蹴り抜いたら分解し、次の脚を生やす材料にする。
不定形な肉体を十全に活かした走法だ。
だが、力任せの追走は大味でもある。ライトールとヴューガの連携、その繊細さには遠く及ばない。
そこに勝機を見出したライトールは、ヴューガの小回りを活かして辛くも追撃をかわし続けた。
が、無尽蔵の体力を誇る異形に対して、ヴューガは駿馬ながら尋常のケナガウマだ。負担を考えれば、敵に捕まるのは時間の問題だった。
一行の背後に迫る異形、その蹄が幹に刻まれる音は、木こりの斧の百裂に匹敵した。
(何たる日だ)
ライトールが内心で悪態をつく。昨晩ヘーゼルの遠吠えを聞いて以来、ろくなことがない。
「手伝うか?」と遠吠えで訊いたライトールに、大丈夫だとヘーゼルは遠吠えを返した。
(何が大丈夫なものか。人の気も知らずに)
明くる日となった今日、ヘーゼルは、鼻が曲がるほど醜穢な血の臭いを漂わせる女を連れてきた。
この女に困らせられたのかと思えば、ヘーゼルは病に罹って倒れてしまった。
この上、血生臭い女は、ヘーゼルと情を交わさねばつかない匂いまで薄っすらとまとっているときた。
それだけでは飽き足らず、ヘーゼルが担いでいたあの男だ。
ラムシング村に災いをもたらそうという者に、村の連中はおめおめと逃げられたと言うではないか。
村長に恩を売る好い機会だと考えて追ってみれば、吸血鬼の狩り場を踏むという体たらく。
(いくらなんでもここまで愉快な一日は御免被るぞ)
ケナガウマの異形が追い縋り、肉体を変異させ、触腕がライトールたちへ伸びてくる。
だが、元来草食で狩りとは無縁なケナガウマ。襲撃は精彩を欠いている。ライトールは曲剣を抜き、容易く両断した。
もっとも、吸血鬼の姿形は血が擬態しているものにすぎない。鋼の剣で肉体の一部を切り離しても、一時的に制御を失うだけで、すぐに本体へ融合してしまう。
(やりにくい)
ライトールは舌打ちする。血生臭い女と同じ屋敷にヘーゼルを残すのが気掛かりで、銀器を置いてきたのが裏目に出た。
今のライトールには、決め手がない。
「小僧ども、銀は?」
胸の中で、大きい方の子どもが顔を真っ青にして、首を横に振る。
あくまで平静に、ライトールは愛馬に拍車をかける。
「我が祖霊よ、我が敵なる祖霊を退けたまえ! さもなくば、我を何処へ導くおつもりか!」
ライトールの祈りが森の樹々に木魂する。この森に漂う妖気は、祈りすら吸うほど静かだ。
不意に唄声が聞こえた。
方々に散る家畜を呼ぶため唄。森深くまで朗々と響き渡る、古の知恵。
呼び唄だ。一族の者の馴鹿呼び唄だ。
「ラライか!」
ヴューガを声の方角へ転身させる。
異形の襲撃が空振りし、軽く地鳴りした。
異形が体勢を崩した隙にライトールは拍車をかけまくる。
「ヴューガ! 行け! 行け! 行け!」
主人の無茶に、愛馬ヴューガは全身全霊で応えた。単騎で大群の如く蹄を鳴らし、雪と、その下に積もる落ち葉をも、粉塵に変えて巻き上げる。
青霞む森の景色に、光が差す。ラライの唄が明朗になりゆく。
異形の血の糸が、ライトールの後ろ髪をかすめる。血の捕獲膜が進路を塞ぎ――
森が開けた。
光が差す。焼けた異形の血煙を破り、人馬は白日の下に躍り出る。
異形の悲鳴を置き去りにした先は、樹々に囲まれた雪原だった。
その中央で、腹帯を締めた狗人の女性が大きく手を振り、生後間もないトナカイの仔と共にたたずんでいた
「兄上!」
ライトールを呼ぶその女性はラライ。ライトールの妹だ。
「助かった、ラライ。子どもたちを」
愛馬から兄弟を下ろし、ラライに託す。
ラライの柔和さを肌で感じたのか、弟の方が我慢の限界で泣き出し、兄はむっつりと洟をすすった。
ラライは優しく二人を抱擁した。
息を荒げ、湯気立たせるヴューガから降り、ライトールは無理をさせた分だけ労いの言葉をかけた。
「ここで何をしている?」ライトールがラライに訊く。
「唄っても戻らない仔を探していたら、ここで眠ってて……」
仔トナカイのつぶらな瞳が、まるで他人事のようにライトールたちを映している。
「お昼寝していたの。母親もうっかり忘れて、はぐれちゃったみたい」
呑気で場違いな話だ。ライトールは閉口した。
森が咆哮に揺れた。異形の咆哮だ。元がケナガウマとは思えない、獰猛ないななきだった。
仔トナカイが怯えて鳴き、母親を呼んでいた。パニックになる仔トナカイを、ラライがなだめる。
「兄上、あれは……」
「心配するな。日の下にいる限り、こちらに手出しはできん。……だが」
吸血鬼化したケナガウマは森の日陰を駆け巡り、ライトールたちの逃げ場を塞いでいる。
獲物を逃がすものか。牙を突き立ててやる。ライトールたちに執着している。
見渡す限り、この広場は木立に囲まれている。影がある所は、あの祖霊のテリトリーだ。
(トナカイは最悪諦めがつく。置いて逃げても構わない)
しかし、疲弊した愛馬一頭だけでは、さすがに大人二人と子ども二人を脱出させるのは困難だろう。
「お前、ウマはどうした」ラライに尋ねる。
「交配させたばかりなの。借りれそうな子もいなくて」
「なら……おい、歩いて来たのか!?」
ラライはのほほんと頷いた。
「全く、お前という奴は……」ライトールは頭痛を堪えた。「小僧ども。俺のようにウマに乗れるか」
二人ともふるふると首を横に振る。
子ども二人だけならあるいは、と考えたのだが。ライトールはヴューガの鞍飾りを外した。装飾に紛れた隠し蓋から弦を取り、鞍飾りに張れば、緊急時用の弓となる。
獲物のいないラムシング村で、スプリグリ族が大っぴらに弓を持ち歩くのはご法度である。
隠し蓋から矢を数本抜く。吸血鬼に備えた銀の矢じりは一本のみ。
「ラライ、銀はあるか」
「これだけ」
胸元を彩るネックレスを持っていた。瑪瑙の囲む円盤の中心に、黒ずんだ銀の古銭が埋めこまれている。
「外せるか」
ラライは爪を噛ませて古銭を外し、潔く差し出した。磨けば使えるだろうが、相手は群の死に様を散々目にした生き残りだ。賢く、要領も良い。
(血が穢れる前は名馬であっただろうに。惜しいものだ)
あれを相手にこの古銭では頼りない。精々、一瞬の隙を作れるかどうか。
「いよいよ閉じこめられてしまったか」
太陽は、とっくに南中を過ぎていた。
ヴューガを休ませる時間はある。しかし夜になれば、あれは自由になる。
(逃げ切れるのか)
そもそも、あれを連れて人里に降りるのは、一族や村を危機に陥れる悪手ではないか。
考えが行き詰まり、ライトールはボウと吠えて自身を奮い立たせた。
「ラライ、石を探せ。草でも根でもすり潰して、身体に塗っておくんだ。気休めだが、祖霊避けになる。小僧どもも手伝ってくれるな?」
兄弟は指示に従い、ラライと手分けして雪原を掘り返した。
現状は祖霊に閉じこめられたも同然だ。逃げ場のない重圧は、幼い子どもたちには堪えるだろう。
祖霊避けの材料を探している間なら、しばらく気を紛らわせられる。
ここでできる対策は限られている。今は、人事を尽くすしかない。
太陽を睨み、ライトールは節をつけて遠吠えを天に突かせた。
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