014 ミルズの森
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禁域より下り、ラムシング村を抜けて宿場町に挟まる森を、ミルズの森と呼ぶ。
陽光を遮るほと生い茂った樹冠は、この時期雪帽子を残している。そのため地上は昼間でも薄暗い。樹木から揮発した精油成分の影響で見渡す限り青霞む光景は空に沈んだようで、ミルズの森は獣の息すら吸う妖気に満ちていた。
涸れ川道から土手に外れた木陰で、三頭のウマが繋がれて、そのそばで三人が火を囲んで憩っていた。
「ムーングロウの野郎、遅えな……。光モールスは確かだったんだろうな」
「ああ。ご先代によれば『標的ハ待子ヘ。勢子待機サレタシ』だ。それきり音沙汰なし」
「倅が倅なら、先代もたかが知れてら。第一、状況終了で伝令が来る手筈だったろうが。狼煙が足りねえか? フクロウ野郎も隠居ジジイも何やってんだ。いけ好かねえ」
「終わったら翼を折ってやれ。俺が許す」
「ともあれ、今にでも標的が宿場町に引き返すかもしれない。ご先代の手まで煩わせるのは作戦要綱で厳しく禁じられているし。ここで目を光らせて、耳を澄ませておかないことにはね」
三人は思い思いに項垂れて、溜め息をついた。携帯糧食をかじる。獣脂の臭いとハチミツの甘ったるさに奥歯を噛み締める。
「ああ、かゆいかゆいかゆい……」
離れたところにもう一人、毛布に包まる男がいた。樹の根元にできた窪みに身を埋めて、ガタガタと震えている。
四人の役目は標的を追い詰めること。後は崖道に陣取った仲間が標的を仕留めるという段取りだった。
ウマを駆り、橇に鞭をくれる標的を追うだけの仕事。それだけではやり甲斐がないので、仕留められるなら仕留めても構わなかった。
だが、先陣を切るウマの鼻面に、標的がランプを命中させたのが分かれ目だった。
火炎瓶と化したランプの炎はウマたちを恐慌状態へ導き、標的を取り逃がす。直撃を受けた一頭はおかげで死んでしまった。
そのウマの騎手が、この毛布の男である。
ウマから投げ出されて頭を打ち、一時は意識を失っていた。だが、目を覚ましてからというもの、人が変わったようにうわ言を繰り返し、ずっとかゆみに悩まされている。
愛馬がノミかダニでも飼っていたか、喪失感がそうさせるのか、病的なまでにかゆみを訴え、その内、本人は参って倒れてしまった。
寒冷地の吸血虫は苛烈である。毛布の中で、男は全身をボリボリと掻きむしっている。
かゆい、かゆい……。一晩中聞かされた三人も参っていた。
「も、もう限界だ」毛布の男が三人に先んじた。「ひもじい。食いたい」
火を囲う三人は互いを見合わせて、各々戸惑った。食欲があるのは結構だが、男の情緒はどこかずれているように感じた。
一人が焚火から離れて、携帯糧食の包装を剥く。震える毛布の目に留まるよう、間近で差し出す。
「はいどうぞ。一人で食べられる?」
糧食ではなく、腕を掴まれた。食糧を分け与えようとした男は軽々と引き倒され、毛布を跳ねのけた男が覆い被さる。男は狂乱していた。組み伏せた相手の首を噛み千切る。噴出する血をじゅるじゅると、一心不乱に貪る。
「おい! イカれちまったのか、てめえ!」
もう一人が助けに出る。「行くな! 様子がおかしい!」残りの一人が引き留めるのも聞かず、剣を抜いた男が、血を貪る男の肩を強引に掴む。
振り払われただけで、掴んだ剣ごと腕が飛んだ。
妖気の静寂な森に、悲鳴が轟く。肘より先から流れるおびただしい血を押さえ、激痛を抱いて男は倒れた。
まずい。残された一人は既に背中を向けて逃げていた。何だ、いきなり何が起こっている。逃げろ。どこに? 任務は? 知るか。ウマが怯えている。使えない。この足で? どこまで? 思考に追われるまま、男はひたすらにその場から逃げ去ろうとした。
剣が項を貫き口から出て、幹に縫い止められた。
腕を失った男の悲鳴を伴奏に、新たな眷属が血の宴に耽る。
この場の誰も終ぞ、吸血鬼の仕業だと思い至らず、護身用の銀器を握ることもなかった。何の前触れもなく仲間が吸血鬼になるとは思いもよらず、全滅してしまった。
いや、ほんの小さな前触れならあった。小さすぎて誰の目にも留まらなかったのだ。
眷属の手の甲に噛みついていた、ほんの小さなかさぶた。赤いダニが溶けて、男の身体に馴染んでゆく。
夜明け前の出来事であった。
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「うーん、ないねえ」
禁域の廃聖堂、顔の欠けたピエタ像の膝元で、ミキ・ソーマは片胡坐に頬杖をついて溜め息をついた。
エリーが露術を使った。殺し屋の一味の証言が真実だとすれば、エリーは間違いなく触媒を所持していたはずだ。救助時の所持品にそれらしい物が見当たらない以上、禁域で落としたと考えるのが妥当だ。
しかし、昨夜のエリーの行動範囲に、それらしい物品は見当たらない。
探し方を考え直すため、全ての始まりとなった廃聖堂で小休止を取っている。
(少なくとも、崖上で交戦していた時点では所持していたはずだよね)
滑落の過程で落としたなら、廃聖堂周辺が疑わしい。あるいはアルデンスの遺体があった周辺も候補に入るが、どちらもハズレだった。
崖の途中とか? まさか。抜けた天井を仰いだときだった。
聖母像の頭上に、青葉のついたマツの枝がかかっていた。ふと、それを摘まみ、ミキはためつすがめつ観察する。
断面は粗く、折れてまだ新しい。
エリーの滑落に巻きこまれたのだろう。霧が深いせいでここからはよく見えないが、崖肌にマツが根づいているのは昨晩目にしている。こんなところにも生えるもんなんだ~へえ~。と、呑気な感想が浮かんだことを覚えている。
途中で触媒を枝に引っかけた可能性は大いにある。
「……登攀かあ」
露術を酷使することになりそうだ。ミキは大きく伸びをして、水面に浮かべた楯に飛び乗った。
間欠泉の如く水が噴射し、霧の彼方へ消えて行く。
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