012 歴上最も人を殺め難い時代
一方、部外者であるエリーの心境は更に切迫していた。
命を狙われているのは、自分一人。その切実さは周囲から絶望的に隔絶している。
エリーは疑心暗鬼の目で、周りの顔を伺い、はばかるように口元を手で覆った。
(ねえ、レッド)
誰にも気づかれない呼び名で、こっそりと囁く。またしても“フレッド”と言いそびれたエリーだが、たった一回の呼び間違いが口に馴染んでしまっていた。
(誰が内通者か、わかる?)
【ギャハハ! 信じるってえのか? このオレを?】底意地の悪い声が返る。【オレが真実を語ったなんて、テメエにわかんのか?】
(はあ!? 嘘だったの!? あんな大恥かかせておいて!)
【さてなあ? テメエで考えてみろよ】
悪鬼は混沌に浴しせせら笑うのみ。
……そうだった。こういう奴だった。こいつを頼ってはいけない。
ベア院長の言う通り、アルフレッドの証言を鵜呑みにしてはいけない。こいつはあくまで自分本位で、エリーたちの事情に無頓着だ。
それでも一見筋の通った証言は、エリーの猜疑心を否応なしに強めてゆく。
誰も信用できないという楔は、アルフレッドの手によって、確かにエリーの心の隙に穿たれていた。
イーリャやロバートは、見ようによってはエリーたちを禁域へ誘導したとも考えられる。内通者は一人とは限らない。もっともらしい理由をつけて、この二人はわざと関所を通したのではないか。
違う。イーリャは厳しいが、エリーを一人の人間として、公平に扱う心だてがある。
ロバートは……ロバートのことは、まだ少しわからない。
アルデンスは剣で脅したそうだけれど、それはロバートの悪意を嗅ぎ取ったからとは考えられないか。
けれども、もうすぐ一児の父になる。良い人だと、そう信じたい。
なら、ライトールは。彼には目の敵にされた。彼でもあり得る。
不安の種は、際限なく根を張っていく。
噂をする村人たち。奇異に向ける視線。それに、男の子から突きつけられた銃口、大声で真似た銃撃音。
これではまるで隠れ蓑だ。
内通者自身が村人たちの噂話と視線の中に紛れて、堂々とエリーの動向を観察するための隠れ蓑。誰もがエリーに図々しい興味を抱いてもおかしくない状況は、内通者に都合が良すぎる。
嫌だ。こんなこと考えたくもない。
でも、だったら誰が内通者なの。
状況整理に追いつくまでに村人の面々を思い出す中で、エリーにふと嫌な予感が芽生えた。猟銃でからかってきた悪戯っ子たちの得意顔。
彼らは今朝、どこへ行くと言っていた。
「……ちょ、ちょっと待ってください。このお屋敷だけじゃなくて、森にまだ殺し屋が潜んでいるとしたら、獣追いに行く人たちが危ないんじゃ……?」
若者たちがざわめき、ベア院長が「静まれい」と一喝する。
「そもそも今は、歴史上最も人を殺め難い時代に入っとる」
吸血鬼の登場は人類に脅威をもたらしただけではない。
殺人行為は人類史を通して、本能や感情、報復行為、法律などの取り締まりを受け続けている。心理的ハードルを高め、更に支配力を重ねがけて、バカバカしいほど高くつく行為に仕立て上げられてきた。
これらの取り組みの裏を返せば、行為に伴う代償、その値上げ一辺倒でしかない。
そのため突発的な犯行は止め難い。また、人生を犠牲にするなら安いものだと思ったが最後、心理的ハードルも支配による抑制も、代償から妥当な料金に成り下がってしまう。
何より、やってしまったなら、死ぬまで隠してしまえば良い。バレたら死ぬまで逃げれば良い。
人類の叡智を結集しても、その穴は埋め難かった。
だが、吸血鬼の登場から、殺人がもたらす結果は一変する。殺人の代償は大暴騰し、隠蔽も逃亡も悪手となった。
吸血鬼は擬態に優れている。当然、死体にだって容易く化けられる。親族友人に見送られた遺体でも使いようだが、殺人の被害者なら擬態のハードルは無きに等しい。
なぜなら、見せしめ目的でもない限り、殺人は隠蔽するに越したことがないためである。
利害感情に従って、殺人の事実を隠したとしよう。
被害者の姿を一時的に見なくなっても、日が浅ければちょっとした遠出と勘違いされることもある。ある日ふらっと帰ってきたなら猶更だ。
雑に生き返ったところで不審に思うのは殺人犯しかいない。
これがまた、吸血鬼にとって好都合だ。
殺したはずの相手が生き返って夜道を歩く。犯人にとっては正に悪夢だろう。
犯人は今度こそ確実に息の根を止めたくなる。
食料から勝手に因縁をつけてくれる訳だ。吸血鬼にとっては、成り代わりの特典も同然である。
他にも犯人には価値がある。告発をちらつかせ、奴隷にする。日中に活動できない吸血鬼の補佐を任せれば、同じ地に長く留まれる。
殺人犯が逃亡したならしたで、そのコミュニティ内での擬態先が二人分に増える見込みが立ち、使い勝手は悪くない。
より多くの血を求める吸血鬼にとって、濡れ手に粟なことこの上ない。
謀殺であれば使える材料の供給が尽きず、尚良い。
そのため、隠された死体は、吸血鬼の優良な擬態先となるのだ。
こうして、吸血鬼の登場で、殺人はより明白に社会の脆弱性となった。
一人殺せば、巡り巡って己に返る。吸血鬼登場以前にも犯行現場の目撃者が恐喝に走る例はあったが、因果応報がこれほど真に迫る事態は前代未聞である。
そして、一人を殺めた報いは、殺人犯の血だけにとどまらず、隣家へ、その隣家へと波及する。
死者の不自然な夜歩き癖が露見するまで。
「だから殺し屋なんざ、噂だけで不安の種になる。存在が広く知られちまったら、吸血鬼に恐れをなした連中が魔女狩りを始めるよ」
『そうだとしたら、人類社会は今頃大混乱だからさ』
今朝、ミキが言っていたことに繋がった。
ベア院長の話によれば、吸血鬼の成り代わりには明らかな欠点がある。夜にしか出歩けないこと。隣人の生活習慣が激変するため、発覚までに時間を要さない。
改めて思い知らされる。
エリーに宿るアルフレッドのように、条件次第で昼間も出歩ける吸血鬼は、その安全弁をすり抜けてしまう。極めて危険だ。
イーリャが補足する。
「殺人のみではなく、誘拐や監禁など、人身への罪は倫理観や常識で説明しがちです。ですが、院長先生のおっしゃる通り、現代の犯罪根絶論は世知辛いまでの実利的観点を端に発しています。一人の死を隠蔽したことから、村が全滅した例もあります」
エリーが難しい顔で話を咀嚼する。
個人になりすます隙を、吸血鬼に見せてはいけない。殺人や誘拐は、その最たる例。エリー自身は最新の事例なのだ。
「それなら、殺し屋が極端に慎重なこともわかります。けれど、森に入った村人さんたちが安全とは限らないんじゃ……」
「当たり前じゃが、殺すなら殺すで、隠密と隠蔽が完璧でなきゃならん。あえて生業にする連中なら弁えとろうよ。ソーマの小娘によれば、現に連中、ヘーゼルにもちゃんと手心を加えたそうよな。無関係の者にゃきちんと一線引いておる。ミルズの森に一味がいるかはともかく、嬢ちゃんをおびき出そうにも村の衆に人質の価値はない。仮に鉢合わせようが、さも散歩中だって面で挨拶するだろうさ」
浮かない顔のエリーに、ベア院長は「手は打つがね、急ぐほどじゃない」と念を押す。
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