008 バーンズ夫妻の証言 4/5:手当て
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「あの、良いですか?」
エリーはおずおずと挙手した。
「陣痛が来た、って。スペイさん、そのお腹……」
ベッドにいるスペイの腹は、まだ丸く膨れている。
バーンズ夫妻はお互い顔を合わせ、困ったようにスペイが答えた。
「陣痛って、よーいドンの合図とは限らないのよ。前駆陣痛って言うんだって。いくら痛かろうが、すぐ生まれるとはいかないんだとさ」
「前駆陣痛……」聞いたことがあるような、ないような。
「本番かどうかは、痛む具合とか、破水したとか、色々診にゃならん」ベア院長が補足する。「あとは痛みの来る間隔。大体、一時間で十分から五分で繰り返すのが目安さね」
「あたしは日の出前に二回目がやっと来たとこ。周りと比べて、のんびりした子だよ、全く」
「そ、そんなに間が開いて大丈夫なんですか?」
スペイが少しおかしそうに笑った。
「大丈夫は大丈夫だけど、とにかく大変だよ。一回目から本番っていう運の良い人もいりゃ、二回目の陣痛が来るまで一週間も開くことだってあるんだとさ。それ聞いたときはもう血の気が引いたよ。こんな気の長いことだなんて思わなかったわ」
心底くたびれた風に、スペイが愚痴る。エリーにとっても他人事ではない。
「大変なんだ」
口にすれば当たり前のことが、当事者の話を聞くと、一層重く感じた。
「これだって、エレクトラさんが教えてくれたんだよ」
「私が……?」
「そう。教わった相手にご高説垂れるのも、何だかおこがましいけどさ。ロバート、話してやって」
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そうだな。その辺にも関わってくるから聴いてくれ。
情けない話だが、産気づいたスペイの苦しみようを目の当たりにした途端、俺は頭が真っ白になってしまった。
前駆陣痛とか本陣痛とかの違いを知る前のことだったから余計にな。
スペイを助けたいのに、何をすれば良いか……講習で習ったこと全部飛んじまって。
出産経験豊富な人らはどっかに行っちまったし、食堂に残ってたのは新米妊婦さんだけ。
助産に詳しい連中は、他のお産に立ち合っている真っ最中だ。
どうすりゃ良い。
テーブルに突っ伏して呻くスペイの周りでおろおろするだけで、ひょっとしたらこのまま死んじまうんじゃないかと――。
(スペイがロバートに肘鉄を食らわせた)
悪かったよ! 縁起でもないこと言って!
それで、もうダメだと途方に暮れたときだった。
「何回目の陣痛ですか」
それまでほとんど置物のようだったエレクトラさんが、真っ先にスペイに寄り添ってくれたんだ。
質問の意味が呑みこめなかったが「答えて!」と怒鳴られて。
やっと「初めてだ」と伝えられた。
アルデンスさんに背中を叩かれて、踵が浮いちまった。
「ひとまずお湯は後で結構です。とにかく奥様を楽な姿勢に。暖炉の近くにクッションや毛布を集めて。床に敷いて、横になってもらいましょう」
言われるがまま、食堂で一緒だった人たちにも頼んで、毛布だろうがクマの敷物だろうが掻き集めに走った。
思い出しても惚れ惚れする手際だったな……。
「吸い口」なんて物、初めて聞いたよ。
横になったままでもスペイに水を飲ませられる道具なんだってな。
熱心に特徴を話してくれたが、屋敷にある似た物はティーポットだけしかなくてな。用意したのは良いが、二人とも渋い顔をしていた。
二人にスペイを任せて、見守るばかりの立場で言えることじゃないんだが……正直、やきもきした。
スペイを床に寝かせて、楽な姿勢にさせるだけ。
姿勢を固めるのにクッションを使ってはいるが、そんなことでスペイが助かるなんて信じられなくてな。
「ここに来て良かった」
いきなりエレクトラさんが呟いたときには、何だかむかっ腹が立ちそうだった。
例の神憑りみたいな口調してて。人のかみさんが苦しむのを見れて良かった、って言われたのかと耳を疑った。
まあ、実際早とちりだったんだがな。
「これなら、少しは役に立てる。苦痛はスペイさんの問題。私たちとは無関係。けれど、私たちの旅路に意味をくれる。その果てがどうなってしまっても、ここでスペイさんを助けることは、絶対に意味がある」
意味がわからん。
ただ、何だか途轍もない覚悟をこめて言うんだからな。
もう何て思えば良いか、わかんなくなっちまった。「スペイは大丈夫なのか」それで頭がいっぱいだ。
「スペイさんのお腹に、手を当ててみてください。スペイさん、構いませんか」
スペイが頷いた。最初の痛がり方を思えば、意識がはっきりしてきていた。
「押しちゃダメです。手の温もりだけを、お腹に移すように」
教えてもらった通りにしたが、こんなことで何になるのか、内心疑っていた。
口調だけじゃない。本当に霊媒師かペテン師じゃないかって。
服の上からでも、お腹の張りがわかった。
スペイの呼吸のリズム、苦しむ声、身をよじる度に動く筋肉、その全てが伝わった。
そしたら、動いたんだ。赤ちゃんが。
不思議なんだよ。臨月だと動ける隙間がほとんどなくなって、大人しくなるって話なのに。
ああ、これもエレクトラさんに教えてもらったっけな。
呆けていると、エレクトラさんが言った。
「不思議な話だけれども、“手当て”って言うじゃないですか。手には何の薬効もないけれども、本当に手を当ててもらうだけでも、結構違う気がしてくるんです。ね、スペイさん」
“手当て”をする俺の手に、スペイの冷たい手が重なった。
「スペイお前」
手の甲に、緩く汗ばんで、手当てを返そうとしてくれているのが伝わった。
疲れ果てた微笑みだったが、スペイの息遣いは落ち着きを取り戻していった。
「ありがとう。だいぶ、落ち着いてきた……エレクトラさんも、あなたも」
笑えるだろ。俺は、最後かよって。




