005 バーンズ夫妻の証言 1/5:コシノフ邸
畦道でもたついていたのが冗談だったかのように、あっと言う間にイーリャの自宅――コシノフ邸へ到着した。
誰もが口をつぐんだ道中、イーリャが独り言つ背中は丸まっていた。
「まさか訓練を妨害されるとは……。何故今まで……いえ、教官から離れた隙を狙って……。なるほど、時間稼ぎのつもりですか……」
コシノフ邸に到着するや、イーリャは気を取り直した。
「こうなっては仕方ありません。吸血鬼の立場を鑑みれば、抵抗は予測可能でした。その可能性を見落としていた私どもの責任です。エリー様がお気に病むことはありません」
「でも……」
「いずれにせよ、教官がお戻りになるまでの悪あがきです。必ず妨害は終わりますよ」
「……ありがとうございます、イーリャさん」
イーリャは前向きだ。ラムシング村の指導者、その娘を自負するだけのことはある。
「……とはいえ、このまま吸血鬼の手の平の上というのも不愉快です。アプローチを変えましょう。院長先生のお知恵も拝借したいところです。教官がお戻りになる前に吸血鬼の鼻を明かしてやりましょう」
しかし、立ちはだかる壁はエリーに宿る吸血鬼アルフレッドの妨害、それも、記憶力への干渉。覚えられないなら、打つ手がない。
「そんなお顔をなさらないでください」
イーリャが澄ました。
「敵の手口が判明したのは大きな収穫です。それに、常識外れな相手は案外楽ですよ。どんな対策を試しても咎められませんから」
イーリャがエリーに手を差し伸べる。
「さあエリー様、早く降りてください。もう到着しましたよ」
イーリャの切り替えの速さが羨ましい。
コシノフ邸は見上げるような館だった。
三階建ての一階は天然石の野面積み、二階以上は丸太構造、芝生屋根。開拓地の自然味溢れる面構えだ。
「恐れ入りますが、この簀巻きの男を運びこんでくださいます? くれぐれも丁重に」
一緒に荷車を引いた村人にイーリャが頼む。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
いつの間にか、細面の青年が当然のように一行に交じっていた。いきなり気配が肉薄したのでエリーは跳んでよろめくほど驚いた。
荷車に寄りかかって、エリーは改めて青年の姿を検める。白皙の相貌にすらりとしたタキシード姿の青年だ。
青年は指先だけでトレイを水平に保ちつつ、恭しくイーリャへ頭を垂れて迎えた。
イーリャは剣幕を深めた。
「出迎えようとする心掛けは褒めてあげます。しかし、どうしてあなたがここにいるのです? ヘーゼルの看病を任せるよう、ライトールに言付けを預けたはずですが」
タキシードの青年は、イーリャの静かな威圧を前にしても涼しいままだ。
「ライトール様のご名誉に誓って申し上げますが、同氏よりお嬢様のお言付けは確かに頂戴いたしました。しかし僭越ながら、曲者を連れておいでになるはずのヘーゼル様がお先にあのようなご様子で運ばれておいででしたので、お嬢様がご連行に御自らのお手を煩わされておいでかと愚考いたしました。ヘーゼル様のご容態はお命に別状のないものにございましたので、看病はライトール様にお任せし、微力ながらお嬢様のお役に立つべく参上した次第にございます」
「看病とは? 具体的に」
「雪を詰めたアイスバスケットとボウル一杯の水、タオルをご用意し、適宜タオルを濡らし、よく絞り、ヘーゼル様のお頭を冷やしていただくようにお願い申し上げました」
「汗拭きは」
「断腸の思いで、あえて伏せておきました」
「……であればよろしい。後で薬も用意なさい」
あまりよろしくない気持ちを呑んだらしい。やはりイーリャは切り替えが早い。同行させた村人には手間賃を握らせて、畑へ帰した。
イーリャが居住まいを正し、燕尾服の青年をエリーに紹介する。
「エリー様、こちら我が家の執事です。キャスパー、ご挨拶なさい」
キャスパーが流麗にお辞儀する。
「ご紹介に与かりました、コシノフ家執事、キャスパー・レンスキーと申します。当地にご滞在中は何なりとお申しつけを」
丁重にされるのが勿体ない気がしつつ、エリーも精一杯丁寧に名乗った。
「そのトレイは何です。出迎えに不必要でしょう」イーリャがお小言めかした。
「こちらも銀メッキにございます。お嬢様のご用命に従った結果でございますれば、平にご容赦を」
キャスパーの手を縦横に、トレイがブレイクダンスする。
イーリャは苦し紛れに懐から銀時計を開いた。
「院長はお越しに?」
「お早いご到着でした。ただ今、バーンズご夫妻とご面談中にございます」
「お待たせしては失礼です」時計を閉じる。「キャスパーはまず曲者を特別な客間へご案内なさい。それから、ライトールへ看病のお礼を。後はあなたが看病を引き継ぎなさい。長い間お引き留めしてはご迷惑でしょう」
「恐れながら、水を差すのは野暮かと……」
イーリャが微笑みながら青筋を浮かべた。
「今は誰がこの家の主人です? 従僕」
「あなた様がご代行中にございます」キャスパーはさらりと肯う。「であればご用命に従うのが、キャスパーめの務めです」
キャスパーはコシノフ邸の門を開き、主人と客人を迎え入れる。邸内の暖気がエリーの頬を撫でた。
「改めましてエリー様、当家にようこそおいでくださいました」とキャスパー。
「どうぞお入りください、エリー様。院長様方がお待ちのお部屋には、私が案内しましょう」とイーリャ。
寒い外と比べて賑やかな屋内に、掃除婦、洗濯婦が忙しく行き交っている。燕尾服に装ったキャスパーと違い、普段着だ。
目の前をよぎった洗濯籠にはシーツやおむつが山盛りだ。
そこかしこから元気な嬰児の泣き声と父母のヨチヨチベロベロバアの混声大合唱が、壁越しにくぐもって聞こえてくる。
(命の生まれる家だ)
屋敷の目まぐるしさに、道中の鬱屈が紛れていく。
しかし。
「こんなところに殺し屋の一味を捕らえておいて大丈夫なんですか」
エリーは周囲に気を配りつつ声を潜めた。イーリャは涼し気に耳打ちし返す。
「牢があるのは村の中で当家だけなのです。向こうの詰所のお粗末さはご存じでしょう」
鍵もなく、“入るな”のドアプレート一枚で済まされていた、杜撰な即席牢兼死体置き場。本当にあれはなかった。
捕虜に脱出の隙を与え、尿を被ったイーリャが人質になる羽目に……。
「何をお考えなんですか」
囁くように叱責されて、耳がこそばゆくなった。
「ご安心を。当家は地下も石造り、牢は鉄扉で錠前もあります。何より今、曲者は簀巻きで指一本動かせません。今朝の轍は踏みませんよ」
キャスパーは捕虜を担いで奥に消えた。
捕虜はここに来て臆したのか、いきなり声を荒げて足掻きだす。しかし、キャスパーには通用しない。
「お黙りなさい。倉庫荒らしの不届き者が」
殺し屋の素性はそう偽ることになっていたようだ。
それとなく周囲に言い訳を立たせるくらいである。捕虜の抵抗はまるでキャスパーの手を煩わせていなかった。
エリーたちはエントランスホールの階段から二階へ上る。
「あなた、後でキャスパーにお礼を言いなさい」
途中、イーリャにまた耳打ちされた。
確かに、これから世話になるのだから、雇い主がいない折を見て改めてお礼をしないといけない。
と思ったら、違ったようだ。
「記憶を失う前のあなたは、一度当家へ立ち寄られたはずです。教官からそう聞きました。あなたが会ったというバーンズ夫妻はここで静養中なのです」
「えっと、つまり?」
「キャスパーはあなたと面識があるにもかかわらず、あなたが気負わないように初対面を装ったのですよ」
言われてみれば、後ろめたさを感じさせないほどさり気なく、細やかな気遣いだった。
種明かしをされた今だって、気遣いを察せなかったことを恥じるより、むしろ気づかせなかったキャスパーの手腕を称賛したい気持ちの方が強い。
「教えてくださってありがとうございます。一人では気づけませんでした」
「お礼は結構です。執事と仲良くなってくださった方が、あなたの世話に裂く労力が減るのですから。この助言は私の利益を優先したまでのことです」
口ではそう言うがやはり、しっかりしたお嬢様だ。
ライトールにヘーゼルを盗られたくないあまりに暴走しかけたけれども。
二階の吹き抜け廊下で、柵から身を乗り出す老人がいた。
固唾を呑んだ顔で、一階を凝視している。
「危のうございますよ」
イーリャが声をかけると、気まずそうに老人は柵から離れた。
気難しい顔は老いているが、過日の逞しさを感じさせる容姿をしている。
エリーを認めると、一瞬だけ老人は目をくわっと見開いた。
老人は慌てて「すまん」と口にし、逃げるように一階へ降りていった。
(そっか。二回目なら普通、ああいう反応になるのね)
と言うより、エリーが吸血鬼を宿していると知っているからだろう。
今のコシノフ邸は吸血鬼に対抗するため、全員が何かしらの銀製品を所持している。全員がエリーの事情を承知しているのだ。
行き交う人々は、忙しさを言い訳にして、エリーを見ようともしない。
「全く、庶民を招くと、ときどきはしゃぐ者が出るからいけません」
イーリャは老人の背を睨んでぼやいた。
老人がいたところは丁度、客間の前あたりで、扉が半開きのまま放置されていた。
通りがかりに何気なく室内に目を向けると、腹の大きな女性が儚げに窓から空を見上げている。
年嵩のあるその女性は、エリーの視線に気づくと柔和に微笑んだ。
目的の部屋に着いて、イーリャが扉をノックする。
「院長先生、イーリャです。エリー様をお連れしました」
「待っとれ」
年輪のあるしわ枯れ声が、二人を招く。




