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無原罪御宿の吸血鬼 ヴァンパイア・イン・イマキュレート・コンセプション 悪女と呼ばれた記憶喪失の女は、凶悪吸血鬼の血を宿して新生する  作者: ごっこまん
3.ラムシング訪問

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005 コシノフ邸

 あっと言う間にイーリャの自宅へ到着した。


「まさか訓練の妨害ができるとは……いえ、吸血鬼の立場を鑑みれば、抵抗は必定。その可能性を見落としていた私どもの責任です。エリー様はお気に病まれないでください」


「でも……」


「アプローチを変えましょう。院長先生のお知恵も拝借したいところです。とにかく目の前の課題から解決していかねばなりません」


 イーリャの露術講義は、アルフレッドの妨害という暗礁に乗り上げて立ち往生してしまった。


 問い詰めようにも、当の元凶がエリーたちを相手にもしないのは明白だ。わざわざ気にかけている時間が惜しい。


 本格的に訓練を始める前に妨害が判明したのは大きな収穫だと、イーリャは言い聞かせてくれたけれど、早速、先行きに暗雲が立ちこめてきた。


 こんなの、私がどう頑張ったって……。


「エリー様、早く降りてください」


 イーリャの切り替えの速さが羨ましい。


 コシノフ邸は三階建ての見上げるような館だが、一階は天然石の野面(のづら)積み、二階以上は丸太(ログ)構造、芝生屋根。開拓地の自然味溢れるお屋敷だ。


 イーリャは一緒に荷車を引いた村人に「恐れ入りますが、この簀巻きの男を運びこんでくださいます?」くれぐれも丁重に。と念を押して。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 いつの間にか、細面の青年が一行のそばにいた。


 白皙(はくせき)の相貌にすらりとしたタキシード姿で、青年は指先だけでトレイを水平に保ちつつ、恭しくイーリャへ頭を垂れて迎えた。


 イーリャは詰め寄る必要もないとばかりに、睨みを強める。


「出迎えの心掛けは褒めてあげます。しかし、どうしてあなたがここにいるのです? ヘーゼルの看病を任せるよう、ライトールに言付(ことづ)けを預けたはずですが」


 タキシードの男はイーリャの静かな威圧にも、慇懃な姿勢を崩さない。


「ライトール様のご名誉に誓って申し上げますが、同氏よりお嬢様のお言付けは確かに頂戴いたしました。しかし僭越ながら、曲者を連れておいでになるはずのヘーゼル様がお先にあのようなご様子でお越しになりましたので、お嬢様がご連行に御自らのお手を煩わされておいでかと愚考いたしました。ヘーゼル様のご容態はお命に別状のないものにございましたので、看病はライトール様にお任せし、微力ながらお嬢様のお役に立つべく参上した次第にございます」


「看病とは? 具体的に」


「雪を詰めたアイスバスケットとボウル一杯の水、タオルをご用意し、適宜タオルを濡らし、よく絞り、ヘーゼル様のお頭を冷やしていただくようにお願い申し上げました」


「汗拭きは」


「断腸の思いで、あえて伏せておきました」


「……であればよろしい。後で薬も用意なさい」


 あまりよろしくない気持ちを呑む気配。切り替え。同行させた村人に手間賃を握らせて、畑へ帰した。


「エリー様、こちら我が家の執事(バトラー)です。キャスパー、ご挨拶なさい」


 キャスパーが無駄のない所作で、初めてエリーと対面する。綺麗なお辞儀を披露する。


「ご紹介に与かりました、コシノフ家執事、キャスパー・レンスキーと申します。当地にご滞在中は何なりとお申しつけを」


 丁重にされるのが勿体ない気がしつつ、エリーも精一杯丁寧に名乗った。


「そのトレイは何です」イーリャがお小言めかした。「出迎えに不必要でしょう」


「こちらも銀メッキにございます。お嬢様のご用命に従った結果でございますれば、平にご容赦を」キャスパーの手を縦横に、トレイがブレイクダンスする。


 イーリャはぐうの音も出なくなった。苦し紛れに懐から銀時計を開く。


「院長はお越しに?」


「お早いご到着でした。ただ今、バーンズご夫妻とご面談中にございます」


「お待たせしては礼を失します」時計を閉じる。「キャスパーはまず曲者を特別な客間へご案内なさい。それから、ライトール様へ看病のお礼を。後はあなたが看病を引き継ぎなさい。長い間お引き留めしてはご迷惑でしょう」


「恐れながら、水を差すのは野暮かと……」


 イーリャが微笑みながら青筋を浮かべた。


「今は誰がこの家の主人です? 従僕」


「あなた様がご代行中にございます」キャスパーがさらりと言う。「であればご用命に従うのが、キャスパーめの務めです」


 キャスパーはコシノフ邸の門を開き、主人と客人を迎え入れる。暖気が二人の頬を撫でた。


「改めましてエリー様、当家にようこそおいでくださいました」


「どうぞお入りください、エリー様。院長様方がお待ちのお部屋には、私が案内しましょう」


 寒々しい外に反して、賑やかな屋内だった。掃除婦、洗濯婦は村人と似た格好なので、臨時のお手伝いさんなのだろう。目の前をよぎった洗濯籠にはシーツやおむつが山盛りで、そこかしこから元気な嬰児の泣き声と父母のヨチヨチベロベロバアの混声大合唱が、壁越しにくぐもって聞こえてきた。


 命の生まれる家だ。屋敷の目まぐるしさに、道中の鬱屈を少しは晴らしてもらえそうな気がした。


 しかし。


「こんなところに殺し屋の一味を捕らえておいて大丈夫なんですか」


 周囲を警戒しつつ声を潜めて、エリーはイーリャに訊いた。対して、イーリャは涼し気に耳打ちする。


「牢があるのは村の中で当家だけなのです。向こうの詰所のお粗末さはご存じでしょう」


 鍵もなく、“入るな”のドアプレート一枚で済まされていた、杜撰な即席牢兼死体置き場。本当にあれはなかった。捕虜に脱出の隙を与え、尿を被ったイーリャが人質になる羽目に……。


「何をお考えなんですか」


 囁くように叱責されて、耳がこそばゆくなった。


「ご安心を。当家は地下も石造り、牢は鉄扉で錠前もあります。今朝の轍は踏ませません」


 キャスパーは捕虜を担いで奥に消えた。ここに来て臆したのか、捕虜はいきなり声を荒げてもぞもぞと足掻いたが、キャスパーは何でもない顔で「お黙りなさい、倉庫荒らしの不届き者が」とそれとなく周囲に言い訳を立たせる余裕を見せて、手こずるまでには至らなかった。


 エリーたちはエントランスホールの階段から二階へ上る。


「あなた、後でキャスパーにお礼を言いなさい」途中、イーリャがエリーに耳打ちする。


 確かに、これから世話になるのだから、雇い主がいない折を見て改めて礼を述べるべきかと思ったが、違ったようだ。


「記憶を失う前のあなたは、一度当家へ立ち寄られたはずです。バーンズ夫妻がここで静養中なのですから。キャスパーはあなた方と面識があるにもかかわらず、あなたが気負わないように初対面を装ったのですよ」


 言われてみればその通りだった。全く思いつきもしなかった。エリーが恥じるよりも、後ろめたさを感じさせないキャスパーの気遣いを賞賛すべきだろう。


「教えてくださってありがとうございます。一人では気づけませんでした」


「お礼は結構です。執事と仲良くなってくださった方が、あなたの世話に裂く労力が減るのですから。この助言は私の利益を優先したまでのことです」


 口ではそう言うがやはり、しっかりしたお嬢様だ。ヘーゼルに首ったけだけれど。


 二階の吹き抜け廊下(ギャラリー)で、柵から身を乗り出す老人がいた。固唾を呑んだ顔で、一階を眺めていた。


「危のうございますよ」


 イーリャが声をかけると、気まずそうに老人は柵から離れた。気難しい顔は老いているが、過日の逞しさを感じさせる容姿をしている。


 エリーを認めると、一瞬だけ老人はくわっと見開くや、慌てて「すまん」と口にし、逃げるように一階へ降りていった。


 そうか。二回目なら普通、ああいう反応になるのね。


 と言うより、エリーが吸血鬼を宿していると知っているから、か。


 今のコシノフ邸は吸血鬼に対応するため、全員が何かしらの銀製品で武装している。エリーの事情を承知しているはずだ。


 行き交う人々は、忙しさを言い訳にして、エリーを見ようともしない。それは考えすぎだろうか。


「全く、庶民を招くと、ときどきはしゃぐ者が出るからいけません」イーリャは老人の背を睨んでぼやいた。


 老人がいたところは丁度、部屋の前あたりで、扉が半開きのまま放置されていた。通りがかりにふと視線を向けると、腹の大きな女性が儚げに窓から空を見上げている。


 年嵩のあるその女性は、エリーの視線に気づくと柔和に微笑んだ。


 目的の部屋に着いて、イーリャがノックする。


「院長先生、イーリャです。エリー様をお連れしました」


 入りな。年輪のあるしわ枯れ声が、二人を招く。

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