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【祝10000PV】無原罪御宿の吸血鬼  作者: ごっこまん
3.ラムシング訪問

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002 村とその不確かな記憶②:雲降ロシと呼び唄

 うずくまったエリーを、イーリャが手を貸してくれた。


 自力で真っ直ぐ立つのもままならない。イーリャが肩を貸して支えてくれた。


「具合が悪いのですか?」


「……わからない。何だか、さっきから変」


 エリーは頭を押さえ、ふらつく身体をイーリャに預ける。


「うわあ! すまねえ、エリー! 鼻詰まってねえか!? 熱はねえか!?」


 ヘーゼルが取り乱す。


 風邪を移したかもしれないと、ミキから注意を受けたばかりだった。


 右往左往するヘーゼル。担がれた捕虜にとってはたまったものではない。


「危ねえ」とぶらぶら揺れて文句を垂れる捕虜。


 風邪を心配するヘーゼルに、否応なしにイーリャはミキのたわ言を思い出す。


「この子ヘーゼルとチュー以上のことしたよ」


 エリーの目と鼻の先で、嫉妬の歯ぎしりが鳴る。


(き、気まずいよ、ミキさん……!)


 今のエリーには良い気つけ薬だった。


「……熱はないようですが」


 心を鎮めたイーリャがエリーの額に手を当て、体温を比べてくれた。


「立てますか?」


「ええ、……もう平気です。ごめんなさい」


「こういうときは、ありがとうと言いなさい」


 イーリャの剣幕が迫る。


 弱視のせいだとわかっていても、距離が近いと気圧されてしまう。


 鬼教官の外見から、すこぶるお淑やかな声がする。


 耳にするのと目にするので落差が物凄い。


「返事は?」


「は、はい。ありがとう、ございます」


「よろしい。しかし、高山病でしょうか……そこまで標高は高くないはずですが。ひとまず話は後で。村へ急ぎましょう。倒れるくらいなら村の近くでお願いします」


 そんなドライな理由で、一行は谷越えを急いだ。


 エリーの立ち眩みはすぐに治まって、自力で歩けるようになった。


 先頭のヘーゼルが足場の様子を声に出しながら、エリーたちは崖の抜け道へと向かう。


 なだらかな坂を上りきると靄を抜け、切り立った崖下に雲海を一望する。


 空から渦雲が垂れて、雲の柱になっている。


 雲の柱は谷底に注がれて、雲海は刻一刻と潮が満ちていく。


 谷底を区切る城壁の内側は白い闇に満ち、古びた鐘楼など高い塔のみが雲の海に点々と浮かんでいる。


 その光景は、さながら島嶼部(とうしょぶ)のようだった。


「何あれ……」


 エリーは雲の柱に目を奪われた。


 雲海も幻想的で美しい。しかし、あの雲の柱だけは異様だ。


「“雲降ロシ”です」


 イーリャによると、露術の一種だそうだ。


 日中は地表を温めるため“雲降ロシ”で晴れさせる。


 夜間は放射冷却を防ぐために“雲送リ”で曇りか雨や雪を降らせる。


 喩えるなら、暖炉で温まってから毛布に包まり、温もりを長持ちさせるようなもの。


 それを国家規模で行っているらしい。


 途方もない話だ。露術はそんなこともできるのか。


 谷風の静か。岩肌を伝う露と清水。


 イーリャたちを避けて水流るる、露術の行く手は常に乾いたガレ場。


 乾きに立つ命のみが、寒風越しの朝日の下を行く。


「ここ、本当に禁域なの……」


 廃墟と自然と奇跡が織りなす絶景。


 ここが殺戮の舞台となった事実さえ洗い流されそうなほど、心が洗われる風景だ。


「見惚れていたら、足を滑らせ――」


 きゃっ、とイーリャがつまずいた。


 蹴つまずいた瓦礫が谷底に、嫌にゆっくりと落ちていく。


 ヘーゼルの肩に掴まっていたおかげで、大事には至らなかった。


 足場が悪いため、二人はヘーゼルに肩を貸してもらっている。


 捕虜と合わせて三人分。力自慢とはいえ悪い気がする数だった。


 青褪めたイーリャが呼吸を整えている。


「気をつけろよ。落ちたら死ぬぞ」ヘーゼルも青褪めていた。


「そうですよ。私が良い例です」その点、エリーには一日の長がある。


「ちょっと黙っててもらえませんか」イーリャが荒ぶる鼓動を鎮めつつ吠える。


 しかし、その慌てぶりにエリーは違和感を覚えた。


「あれ……? イーリャさんって、ここを通って詰所に来られたんですよね。ヘーゼルが一緒でも足元が覚束ないのに、お一人で眼鏡もなしにどうやって――」


「エリー様!」


 谷にエリーの名前が木魂した。


 イーリャは顔を真っ赤にして、口の前に一本指を立てる。


 それも束の間、今度はヘーゼルに身体を密着させる。


「あ、あの……そう! け、今朝のことでまだ武者震いが治まらないのです! もう膝が笑って笑って仕方がないのですよ!」


 エリーの意見に同調しかけていたヘーゼルも「ああ、そりゃそうだよな」と納得した。


「落ちてからじゃ遅えし、もっとしっかり掴まってなよ」


 イーリャが人質騒動で憔悴するのは当然なのだが、エリーに言わせれば怪しい部分もあった。


「ああ、ヘーゼル。何て優しい子なのかしら」


 役得とばかりに、毛皮の埋まったスリットを狙って、イーリャが鼻先をふるふる埋める。


 ほら、この可愛がりよう。そうまでしてくっつきたいの?


「大体」イーリャがヘーゼルに頬擦りしながら、毒づいた。


「毎日のように通っている道なんですから、目をつむっていても通れるに決まっているじゃないですか。ねえ、ヘーゼル」


「ん? ああ、そうだな」


(何か説明臭いなあ)


 エリーは釈然としないまま、様子のおかしいイーリャのことは諦めて、谷越えに集中することにした。


 谷間の向こうから、にわかに唄声が響く。


 萎縮するエリーの手を、ヘーゼルが引っ張る。


「村で宿営してる遊牧民がトナカイを呼んでんだ。この声はラライだな」


 馴鹿呼び唄(クルニング)という発声法らしい。


 遊牧民の澄んだ声が、霧の立ちこめる廃墟を悼むかのように響く。


 放牧したトナカイたちを呼び戻す唄は、悲鳴に似ながら()()と鋭利に、だが響きをたわませて、無音よりなお静謐を深めていった。


 待ち伏せされていた。


 なんてことはなく、ラムシング村から派遣された交代の修律士二人と崖で鉢合わせただけだ。


「聞きました? 今の唄」「思わず聞き入ってしまって」


 世間話を交えつつ、挨拶を交わしただけである。


「ソーマ護律官からお話は伺っています。遭難者の保護と手荷物の捜索、ご苦労様です」


「巡る恵み、もたらす業に感謝を」


 護律協会流に祈りを切る四人に遅れて、エリーも彼女たちに倣った。


 とてもエリーの事情の全てを知っているとは思えない、牧歌的な二人と別れて先を急ぐ。


 村側の関所をあっさり通り抜けて、川沿いに森の道を下っていく。


 凍った川の下でちょろちょろと流れているのは雪解け水だろうか。それとも禁域の湧き水か。


 流れる水の音を耳にし、両岸に朽ちた石垣の跡を見つける内に森を抜けた。


 青空の下、ほとんど平坦な丘陵地に、石垣で区切られた銀世界。


 一面の畑が広がっている。


 どことなく寂寥とした風景だが、人や家畜の影があると、見知らぬ眺めも途端に血が通った営みに見えてくる。


 寄せ合う幕舎に煙が昇る。


 ケナガウマを駆る狗人(クー・シー)の若者たちがトナカイの群れに目を光らせている。


 トナカイは各々餌を探して、雪下を掘って苔や地衣類を食み、切り株の樹皮を噛み千切ったりしていた。


 点々と見える人影は木灰を撒いており、今年の農作に備えている。


 木槌の高鳴りは、風車か水車か、雪解けに向けて歯車の傷みを直しているものだろう。


 イーリャとヘーゼルが振り返り、エリーに道を空けた。


「改めまして、ようこそラムシング村へ」


 吸血鬼は招かれなければ境界を越えられない。


 その風説にイーリャが従ったものだとは、エリーは知らない。

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【勝手に宣伝】

クルニングは実在する発声法です。

Jonna Jintonさんという方のYouTubeチャンネルで視聴できます。とても美しく幻想的な歌声で、ファンタジックな洋画なんかで耳にしたことがある方が多いんじゃないでしょうか。

チャンネルはこちら。

https://www.youtube.com/@jonnajinton

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