004 張り合い甲斐
捕虜と一緒に荷車に揺られて行く。下萌え日和とは、雪の下で人知れず草の芽吹く晴れ模様のことだが、エリーの心は曇っていた。
ヘーゼルに無理を押しつけすぎた。
禁域では内密に救助に来てくれたヘーゼル。殺し屋と戦い、薬を盛られ、アルフレッドの暴力を受け、ミキに揉まれ、惨憺たる現場を片づけ、疲れを癒す暇もないままアルフレッドの奸計にはまり、血を吸われた上、朝いっぱいは劣情と独りで戦っていた。
何故貴様のような者がここにいる。ライトールの牙が、エリーの心の奥深くに刺さる。
今のエリーは、息をしているだけで周囲に不幸を振りまく。災厄と同じだ。
全部、エリーがずっと一緒だったせいだ。いたたまれなく、独り膝を抱く。
身に覚えのない子守唄の旋律が、口をついていた。何故だろうか、つらいときはこれを口ずさむのが自然なように感じた。
「いつまで塞いでいるのです」
村人と共に荷車を引くイーリャが、早速くたびれ始めた声で言う。
これが凹まずにいられるもんか。
「ヘーゼルが無理してるって、気づいてあげられなかった……」
「……あの子は昔からそうです。向こう見ずで、自分のことは後回し。気を許したかと思えば変なところで取り繕うんです」
村人に煙たがられるヘーゼル。子どもに優しいヘーゼル。邪険にされても、分け隔てなく愛想を振りまく、健気なヘーゼル。
「ううん、違う。無理してるって気づいてたのに、私は、ヘーゼルの優しさに甘えていたのよ」
「あまり、ご自身を責めすぎるのも、良くありませんよ」
「責めても責め足りないわよ!」エリーは声を荒げた。「私の中に不幸の火種があるせいで、迷惑をかけたのよ? 日頃の行いが悪いだけなら反省もできるけど、こいつはそんなんじゃない! 私のせいでヘーゼルを追い詰めちゃったのに、そんな上辺だけで慰めた気にならないでよ!」
「少しよろしいですか」
村人に一声かけて、荷車が停まる。イーリャが大袈裟に肩で溜め息をついた。「彼女、遭難してから不安定なんです」隣の村人に言い訳を含めさせ、荷台のエリーに影を落とす。
いきなりイーリャはエリーの肩を掴み、強引に振り向かせ、その胸倉をねじり上げた。「お、お嬢様、いけねえよ」と村人が触れるのをためらいながら止めようと試みても「お黙りなさい」と取りつく島もなかった。
女二人の額が触れた。
「誰が誰を追い詰めたですって? 良いこと? よくお聞きなさい。人の不幸を勝手に測ったつもりになるんじゃありません。神様気取りですか? 将来はおろか、今のヘーゼルが不幸だという確証など、誰にわかるものですか。どっちが上辺だけなんだか。それともあなた一人、自分を責めていれば何もかも解決するとでもお思いで? 思い上がりも甚だしい」
エリーは真っ直ぐな視線が眩しくて、逃げて不貞腐れた。
「そういう問題じゃ……」
「いいえ、あなたは“そういう問題”に貶めようとしています。自分を責めていれば、問題から目を逸らしながら反省している風を装えますから。それが一番楽だと理解しているのでしょう」
「楽な訳、ないじゃない……!」
「であれば一人で抱えこむんじゃありません!」
エリーの芯に、言葉が響いた。もう一人で抱えこまない。それはヘーゼルと交わした約束そのものだ。
やっと正面から向き合えたイーリャの目は、弱視のしかめ面ではなく、きりりと見開かれた素顔である。
「本当に不幸になったかどうか、そんなに気になるならいっそ本人にお訊きなさい。もっとも、今の酷いお顔を一目でもヘーゼルが見たら、確実に運気が下がるでしょうけどね」
「……そんなに酷い顔してる?」
「ええ。本当に辛気臭くって嫌です」
「……ごめんなさい。身勝手だったわ」
僅かに流れた涙は、自然に乾いていた。瞬き一つで、イーリャが見慣れたしかめ面へ戻る。
「わかれば結構。今のこと、努々忘れるんじゃありませんよ」
胸倉を放される。しわの寄った胸に、手の温もりが残っていた。
「イーリャさん、ありがとうございます」
「やめてくださいます? 張り合い甲斐がなくなっては興醒めだと思っただけのことですから」
お待たせしました。いえ。イーリャはさっさとエリーに背を向け、村人の軽いやり取りの後、荷車は軽くなったように進んだ。
「若いねえ」
村人は声で、お荷物の捕虜は心で呟いた。
(励ましてもらったけれど)
エリーはそれでも、膝を強く抱いた。
ヘーゼルやミキ、そしてイーリャ。これまで助けてくれた人たちは、一癖あっても頼りになる人ばかりだった。その印象に引っ張られて、ラムシング村の人々にも同じ待遇を、無意識に求めてしまっていた。
いや、違う。違わないけれど、違う。
吸血鬼を飼っていても、人並みに受け入れられる。心に芽生えた自意識が自信ではなくて、ちっぽけな驕りだと思い知らされたのがショックだったんだ。
ミキが示してくれた希望――アルフレッドの制御を身につけるという目標を立てただけで、その未来が確約されたものと、心のどこかで思い上がっていた。
今のエリーを受け入れてもらうんじゃない。今のエリーが村にいても許してもらえるように、人一倍自分自身の危うさに向き合わないといけないんだ。
「ビュンと伸ばして、シャッとすくって、ザパーッ……」
無茶苦茶だったミキの露術観を口にする。手のおばけを伸ばして、目に見えないお友だちに手伝ってもらう。
路傍の雪へ、エリーは手を伸ばす。冬の名残は、雪解けを待って静かにたたずむままだった。
荷車を引くイーリャがぎくりと肩を揺らした。
「どうなせえました?」
「すみません、もう一度停めます!」
今、エリー様、あの悪の教典を口にしませんでした……? 既に知識が汚染されているだなんて、どうして? いつの間に?
またも強引にエリーはイーリャと向き合わせられた。より切羽詰まった様子で。
「こ、今度は何ですか?」
「これから露術を教える私の身を思ってくださるなら、あの酔っ払いの妄言を真に受けないでください!」
どうして? 言い切る前に「どうしてもです!」と鼻息荒く食い気味に懇願されてしまい、エリーは黙ってしきりに頷いた。
「こんな場所ですが緊急事態です! あなたの露術体系が汚染される前に、きちんと基礎から教えて差し上げなければ!」
「そ、そんないきなり」
「問答無用! 今朝のおさらいからです! 復唱なさい……!」
イーリャが【何か】言った瞬間、エリーは頭痛に襲われた。うずくまるエリー。
心配そうなイーリャに肩を揺すられ、エリーは気丈に振る舞った。
「ごめんなさい、頭痛がしただけ。それで……何から教えてくれるんですか?」
困ったようにイーリャが荷引き役の村人と顔を合わせた。呆れ、困惑の入り混じった間。畑仕事の声が遠い。
意を決して、イーリャが口を開く。
「これで三度目……いえ、今思えば崖のあれは兆候だったのですね。都合……五回ですか」
何のことだかわからない。エリーは首を傾げた。
「やはり無自覚なのですね……。落ち着いて聞いてください」
エリーの肩を掴むイーリャが、力を強めた。
「あなた、露術を教える度に目眩に襲われて、教えたことを全部忘れています」
言われた言葉を呆然と聞き入れ、遅れて、記憶喪失を自覚したときに比肩する、途方もない空虚に呑まれた。
そうだ。村に着くまでの間、イーリャが何かを言ったとき、別の声が重なって聞こえていた。
【忘れろ】
霧を晴らしたときの一言でも。露術とは何か、に対する答えでも。
そして、今朝のおさらいでは三回にも渡って。
アルフレッドの呪詛に、ずっと露術の習得を阻まれていた。
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【やったぜ】
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