026 前へ進むために 2/3:払うべき犠牲
おもむろにミキが席を立ち、惜しみない拍手をエリーに送る。
「いやー、偉い! 良く言ったね! アタシ久々に感動しちゃったよ」
エリーの息が上がっていた。心臓が高鳴る。身体が浮つくほど高揚している。あんな大それたことを自分が言えただなんて、信じられなかった。
半歩下がったイーリャから視線を外し、エリーはミキに尋ねる。
「方法はあるんですね」
「わかんない」
ミキ以外の全員から、肩の力が抜けた。
エリーも手が壊れるんじゃないかってくらい食卓を叩いた。
「思わせぶりなこと言って、それはないでしょう!? 私、覚悟を決めてあんな大口叩いたのがバカみたいじゃないですか!」
「ええ? だって君、自分が超珍しい状態だってことは嫌ってほど自覚してるよね? 何をどうすれば確実に対処できるかなんて、アタシにわかる訳ないよ」
あっけらかんと笑うミキは「ま、やれるだけやるしかないよね」と能天気なことを言う。
「それとも、大口叩く度胸があっても、いざ暗中模索の手探りとなると怖いかい?」
「本当、好い性格してますよね……!」
「えへへ、ありがとね」
「くねくね照れないでください! 別に褒めちゃいませんよ!」
下らない会話。実りのない雑談。覚悟を固めたはずが、エリーはいつの間にか肩の力を抜いていた。
自分の身体を、凶悪な吸血鬼から取り戻す。
難業に挑む心構えでいたのに、この人の適当は、真面目腐るのを許してくれない。
程々に、エリーは表情を引き締める。
「上等ですよ、暗中模索。むしろ望むところです」
望まない暴力も、ヘーゼルを傷つける力も、もうたくさんだ。
この先ずっとミキやヘーゼルを頼って良い訳がない。
現に、あのミキでさえ手も足も出ない事態に直面したばかりなのだ。
いつまで被害者を気取って、ちやほやされていく気なの。
今日、この日、ミキの言葉を最後に、甘い自分を捨てて戦おう。
流木に掴まって、激流に身を任せるだけの自分とは、今日でお別れだ。
相変わらず、流木からは離れられる気はしない。
だから、近くに流れ着いたものは何でも拾って、エリーのものにする。
受け身もする。自分の手でも掴む。何もかもを試して、何もかもを取り戻す。
この身体の主人は、私なのよ。
エリーの覚悟を宿した表情にに、ミキは大きく頷いた。
「イーリャもそれで良いかな。確実な対処法はわからないけれども、実践できそうなアイデアくらいならあるからさ」
エリーの迫力に呑まれたイーリャが我に返って、咳払いをし、ちょこんと椅子に座り直す。
「……無謀はコシノフの家訓ですので」
イーリャなりの了承と見なされて、引き継ぎ報告会が再開された。
「アルフレッド対策は一旦後回しにさせてね。とりあえず、ここの見張り番を手配しないとね」
「捕虜やご遺体はどうなさるんですか?」イーリャが挙手する。「この詰所に事情を知る人間が一人もいなくなります」
「あ、そっか。うーん……」
ミキは腕を組んで考える。
「仕方ない。死体は一旦ここに置いておこう。捕虜の方は脱走したばかりだからどうにかしないとね。ヘーゼル、調子が悪いところにすまないけれども、捕虜を担いで行けそうかい?」
「良いッスよ。調子が悪いのは鼻だけッスし」
「良い返事大好き」
「大好き!?」
教官にさえいきり立つイーリャだが、気を取り直して真面目を装う。
この人本当に振れ幅が酷いな、とエリーは遠い目をした。
「風邪気味と言ってますのに、そんな肉体労働させられません。こちらの方にやらせましょう。吸血鬼の力を持て余していることでしょうし、その力を制御下に置く訓練に丁度良いのではありませんか?」
(ああもうほら早速目の敵にされちゃった)
エリーは先を思いやる。覚悟の代償って、重い。
ミキが手を振って却下する。
「妊娠週数が若いかもしれないからダメだよ。流れたら君、責任取れるかい?」
イーリャは二の句が継げない。ミキがつけ加える。
「だからってイーリャが代わるのもダメだからね。いざってときに、君が真っ先に動けなきゃどうするんだい?」
反論を探すイーリャの口が、肩に手を置かれて止まる。ヘーゼルだ。
「イーリャ、自分なら大丈夫だからよ」
「……まあ、ヘーゼルがそう言うのでしたら」
「決まりだね」
こうして、エリーたちはラムシング村へ行くこととなった。
†
出立の準備のため、エリーはヘーゼルと服を漁りに席を外した。
ミキとイーリャはエリーの処遇に関して意見を交換している。
仰々しく溜め息をつくイーリャ。
「何を企んでいるのですか」
「ええ? 企むだなんて人聞きの悪い。あ、朝食はもう済ませたかい?」
「教官」
大仰な手振りでミキははぐらかしていたが、居住まいを正すイーリャに姿勢を合わせた。
「まずは君の意見を聞かせてよ」
「一刻も早く協会本部に報告すべきです」
イーリャは躊躇なく言った。「ふむ」ミキは一呼吸置いた。
「村の評判が落ちて、開拓計画が遅れようとも?」
「評判が地に墜ちて、計画が凍結されようともです」
イーリャは努めて声量を控え、しかし声を大にする。
「部外者の禁域侵入、領域内で傷害、殺人。三名も亡くなった上に吸血鬼が蘇ったですって? それを一時的にとはいえ伏せる? 何の冗談ですか? 私、捕虜に襲われたのですよ? 先程は話に合わせてあえて言及しませんでしたが、どう考えても本部の協力を仰ぐべきです」
「エリーさんの子どもを犠牲にしても良いと?」
「払うべき犠牲です。恩人も何もありません。教官ならご承知のはずでしょう」
そもそも、旧ラムシンケ伯爵領ではかつて、一夜にして領主一族を除く領民が全滅するという凶事に見舞われている。
当時の領主、ヘルシング“教授”は露術と吸血鬼の研究に明け暮れていたという。
そのお膝元、城塞都市内に封印されていたという吸血鬼、アルフレッド・ヴァルケル。
事故との関連を疑うべきである。
ラムシング村が同じ轍を踏んでからでは遅い。
ましてやイーリャは村の統治を担う当事者だ。主張にも熱が入っていたが、ミキの耳に届いているかどうか、疑わしい。
「ふうむ」
ミキが指を組み、顎を載せる。どんな詭弁が出るか、イーリャは身構えた。
「いや、ごもっともです、イーリャ嬢」
イーリャは肩を空かされた。
「どうやらアタシは事なかれ主義に毒されていたみたいだね。ならどうぞ」
ミキはキッチンの扉を指し示した。
「本部でも最寄りの支部でも、ご自由に通報しなさい。君にこそ、この手柄は相応しい」
両者、口を閉ざした。にらみ合いが続く。
しかしミキは仮面で、イーリャは弱視。
間が持たず、イーリャが先に根負けした。
「通報も報告もできませんよ」
「あれえ? どうしてえ?」
「しらばっくれて、この人ったら……」
項垂れついでにイーリャは後れ毛をもてあそぶ。
「正論を説いたところで、教官は考えを変えてくださらないでしょう。権力におもねませんし、第一、あなたを腕尽くで従わせられる者など、この村にはいないのですから。全くインチキ。あなたはずるいお方です」
唾棄するようにイーリャはこぼした。
「ずるくてごめんね」
ミキが両手でピースを作る。
イーリャが拳骨を固めると、すかさずミキは頭を守る。腰を溜める気配がすると尻を庇う。
「いや、真面目な話。イーリャが心配するほどの力なんて、アルフレッドにはないと思うよ」
イーリャが不承不承構えを解く。
「……その根拠は?」
「例の事故の原因が彼にあるなら、今頃とっくに同じ惨劇を起こしているだろうからさ。同じ規模とはいかなくても、大昔のラムシンケ伯爵領、その全領民を犠牲にした力をね」
上司に相応しくない軽薄な態度とは裏腹に、一端に物を見る目は肥えている。
「今のところ、アルフレッドが見せた能力は、一般的な吸血鬼の範疇に納まっている。むしろ窮屈そうだ。爪を隠しているかどうか、ってところだけれども、アタシを始末する絶好の機会を逃しているし、それはないと思うよ」
捕虜の脱走、人質騒動。
ミキに肉薄できたあの瞬間なら、あるいは力を蓄えて、エリー諸共何もかも御破算にできたかもしれない。
アルフレッドにはその選択肢がなかった。
「……」
イーリャに、返す言葉はなかった。
適当ぶっているくせに、妙に冷静なおかげで逆らいづらい。経験の差だろうか。
(歯痒いですね……)
ミキのふざけた人物像に苛まれて、イーリャは特大の溜め息をついた。
「それで、教官の意図をお聞かせ願えますか? 何故本部に報告なさらないのですか」
「できれば、あの子を助けてあげたいってだけだよ。下手に本部を関わらせると、一気に捻り潰されちゃうからね。その前に、やれるだけのことをやりたいのさ」
「……教官が?」
「内緒だよ。……どしたの? 目ぇ丸くして。いきなり視力戻った?」
「……こう、もっと深遠な意図があるものと」
「全~然。何ならここ数年で一番何も考えてないまである」
「それはそれで困るのですが」
ミキ・ソーマは護律官である。
護律官に求められる資質。その一つは、狡猾な吸血鬼を屠る非情さである。
修律士であるヘーゼルやイーリャはともかく、一個人の人命をミキが尊重するのは意外であった。
しかし、ミキの傍若無人は今に始まったことではない。
何より気風の良い台詞が胸をすくようで、イーリャが抱いた違和感は、呆気なく霧散した。




