025 前へ進むために 1/3:引き継ぎ報告会
ミキの柏手が、エリーたちの耳目を集めた。
「さて。交友を深めたところで、引き継ぎ報告会だよ。いつものよりずっと真面目なね」
「いつも雑なだけで真面目さなんて一欠片もありませんが……」
「やめたまえよイーリャ。エリーさんが誤解するでしょう」
「もう遅いんで諦めてください」
エリーが呆れると、ミキは間髪入れずに。
「えー、知っての通り――」
(この人ゴリ押す気だ)
「――エリーさんを巡る事態は前代未聞。早急な調査と対策が必要な重大案件だね」
エリーと胎児の命は危うい均衡の上で保たれており、またその命を狙う第三者がいる。
護律協会ラムシング支部は緊急事態に直面している。
シフトを組み直し、エリーの監視と護衛に注力できる体制を整えなければならない。
「この辺の仕組み作りはアタシと院長で追々やるけど、いかんせん今は初動が肝心だからね。筋を通すのは後回しにしちゃおうか。ヘーゼル、禁域で探し物、頼めるかい?」
「物によるッス」
「おや、珍しく弱気だね。探してほしい物は触媒でね……うーん、アタシの見立てだと、銀製で、エリーさんが身に着けられるくらいの小さな物なんだけれども」
ヘーゼルは渋い顔でうつむいた。
「難しいッス。今ちょっと鼻が詰まってて、匂いを追えないッス」
イーリャがこの世の終わりのように青褪めた。
「まあ何てこと! 風邪でも引いたら一大事です! 教官、今すぐヘーゼルを我が家へ! ヘーゼル、熱はありませんか? 喉は? 食欲は?」
「イーリャ、とりあえず後でね。……じゃあ、捜索はアタシが受け持つよ」
「あ、それなら」
エリーが手を挙げる。
「私、ヘーゼルから借りたナイフ、廃墟で落としちゃって……。ミキさんにお願いするのは筋違いかもしれませんけれど、一緒に拾ってもらえたら……」
「もうある」
ヘーゼルがもう取り戻していた。何なら今朝からずっと腰に差していたらしい。
「それさあ、もっと早く言ってよ……」
安心したわ取り越し苦労だったわで、ぐったりするエリー。
「ヘーゼルから借りた物を返さなかった……?」
イーリャの仄かな怒気に中てられ、背骨が鳴るほど背筋が伸びた。
「いやあ、弁償額教えたら血眼で探してくれたよね」
(何でミキさんは得意げなんですか)
いや、いちいち個性的な二人に振り回されてはいられない。今を逃してはヘーゼルに謝る機会を見失ってしまう。
「……ごめんね、ヘーゼル。ちゃんと返したかったんだけれども……」
「気にすんなって。ちゃんと戻ってきてんだし……。マジ……ガチで見つかって、良かったあ……」
つらつら声に出す内に、ヘーゼルは半泣きになり、詰まっている鼻をぐずぐずにした。
今になっても生きた心地がしないのか、ヘーゼルは短剣が確かに鞘に収まっていると確かめずにはいられなくなって、しきりに柄を触り始めた。
一振りいくらするのだろう。怖くて訊けない。
そんなとんでもない代物を気軽に貸すヘーゼルもどうかと思うエリーだけれども、全てはエリーを思ってくれてのことだ。
悪いのはエリー。これから借り物の管理は厳しくしていこうとエリーは誓った。
「ナイフ探しのこともそうだけれども……」ミキが思案気に顎に手を当てた。「トラブル続きでヘーゼルの体調が心配だし、うん。ヘーゼル、今日のところは村に帰っちゃおうか」
「エリーを置いて休んじゃいられねッスよ」
「でもねえ」
「自分、体力はあるッスから」
「ダーメ。体力ある内に帰っておきなさい。すると……参ったね。イーリャ一人で吸血鬼と捕虜の二人。監視させるのは負担だよね」
「教官のご下命とあればお引き受けしますが……」
イーリャの返事が煮え切らない。エリーは不安だった。アルフレッドの手がミキの首にかかった直後に、油断はできない。
「イーリャさんって、そんなにお強いんですか?」
殺し屋の人質になって取り乱していた人に務まるのか。
イーリャを侮る訳ではないけれども、エリーにとっては切実な問題である。
「アタシほどじゃないけれども、村の中じゃこの子は結構頑張ってるよ」
(なら、安心かしら……)
「ただ……何て言うか、生け捕りとか器用なことは……きっといつか身につけてくれると信じているのだけれども……ははは」
(あれ今、不穏なこと言わなかった?)
「場合によってはアタシより危ないかもね。ま、安心して。悪いことしなきゃ死なないから」
エリーは思わずイーリャを見た。そこのところどうなんですか。
イーリャはエリーの視線から逃れるように目を閉じ、苦々しく口を閉ざした。
不安が的中しちゃったよ。
食卓を叩いてエリーは前のめりでミキに詰め寄った。
「極端すぎませんか!? 今までだって生きた心地がしなかったのに! この上まだキツく締め上げられちゃ、私、持たないですよ!」
「アルフレッドを自力で抑制する方法を考える良い機会だと思ってね」
「無理ですよ! あんなビックリ箱!」
「おやおや、今日だけで結構色々話したのに、もうお忘れかい? 話し甲斐がない子だね」
「え、えっと……?」
いきなり何の話だろう。
虚を突かれたエリーが記憶を辿る。今朝からミキと交わした言葉。エリーの言葉、気持ち。
頭の中に光る言葉が溢れていく。
「あっ」
「……あの、教官」
二人が言い合う間に熟考し、満を持してイーリャが挙手した。
「私、露術が使えると自惚れていましたが、私は自分の身を守ることさえままならない未熟者です。吸血鬼を監視することはおろか、この上エリーさんと赤子のお命を預かるのは私の手に余ります。吸血鬼が表出した際にためらって、取り返しがつかなくなる恐れも……」
「この子ヘーゼルとチュー以上のことしたよ」
「うおい!?」「ちょおい!?」
添い寝コンビ、ノンデリ護律官の告げ口に赤面の雄叫びを上げた。突如としてイーリャのまとう雰囲気が変わった。
「は……? 何ですって? あなた、泥棒ネコだったの……?」
眼光に殺戮の化身が宿っている。
エリーと握手を交わした手は、容赦なくハンカチで拭われた。
「よくもまあ汚らわしい手で私に……涼しい顔でいけしゃあしゃあと……心にもないことを言えましたね……このみすぼらしく下賤な略奪者めが……凍土に穀倉を築かんとすコシノフの無謀を知るが良い……!」
地獄の底から響く声だった。
どうしよう。私、終わった、たった今。
エリー、辞世の句を胸に抱く。走馬燈が流れた。すっごく短い。記憶の底が浅い。悲しい。
「ま、待てって!」
耳まで赤くしたヘーゼルが、嫉妬の視線からエリーを庇う。
リードを握られているせいで、イーリャに詰め寄る体勢にせざるを得なかった。
目に見えて恥じらうヘーゼルの表情が間近に迫る。眼福とばかりにイーリャが見入る。
見惚れられている内に、ヘーゼルはイーリャの肩を掴んで言い聞かせる。勘違いしたイーリャの顔も赤くなり、目をつむり、唇を尖らせる。
「ヤったのはアルフレッドだかんな!?」
イーリャはときめきも吹っ飛んで「んなっ」と唸り、石像の如く固まった。
「何のフォローにもなってない!」エリーが頭を抱えた。
泥棒ネコの声でイーリャが意識を取り戻す。ヘーゼルを汚物から庇うように抱き寄せた。
「ああ、可哀そうなヘーゼル。さぞつらかったことでしょう。でも、もう安心なさい。万が一そちらの方が汚らわしい吸血鬼の片鱗を一滴でも漏らそうものなら、あなたへ毒牙が及ぶ前に私が洗浄してあげます。……一挙手一投足、見ていますからね! 覚悟なさい!」
腕を組み、満足げに頷くミキ。
「やる気充分で結構。イーリャを頼りにしてね、エリーさん」
わ、わあ、何がどうなったの。断られかけた監視が引き継がれちゃった。
なのに何か余計な私情がオマケされて、何故か欲しかった手心が抜かれているんだけれども!
監視の中身が変わっちゃってませんか!
「とは言え、パワーバランスの不安を解消しないことにはと……」
エリーが目で訴えても、決まったものとして話が進む。
ミキが指を鳴らす。
「もうダルいから、院長巻きこんじゃおっか。君たち三人とも、ラムシング村行きね」
「院長さん?」
エリーの疑問に「村で修律院の頭張ってるババア」とヘーゼルが補足する。
「お言葉ですが、早計では」
口汚いヘーゼルの首輪を引き、イーリャが早口で挟む。
「吸血鬼を、それも命を狙われている方と人里に下ろすなど……」
エリーもその意見に同意しかけて、けれども声にするのはためらった。
ひとたびアルフレッドが暴れでもすれば、止められる保証はない。
それだけでも始末に負えないのに、エリー自身も殺し屋を引き寄せてしまう。
安易に村に入れてしまうのは危険。それは事実だ。
「問題の一側面に囚われすぎだよ」
ミキが指を振る。
「殺し屋のことは心配しすぎ。そりゃ、このご時世に殺ろうって、気が知れないことだよ。ただ、それだけに連中弁えてる。わざわざ人目のつかない場所を選んで襲撃しているところとかね。村だと逆に動けないんじゃない?」
確かに、村人の監視の目があれば、殺し屋の問題は何とかなるかもしれないけれども。
「万が一襲われてもアルフレッドには返り討ちにして良いって言い含めているし。それに、イーリャと院長が目を光らせてくれれば、アルフレッドも大人しくしているよ」
「わざわざ危険を冒す必要はないと申し上げているのです」
イーリャが不満げに反対する。
「第一、吸血鬼の力を殺し屋への対抗手段に数えるなんて……」
「だから物事の一側面に囚われすぎだって。日中ならアフレッドも動きにくいだろうから、村に行くなら今が良いんだよ。アタシも日暮れ前には捜索を切り上げて戻るからさ」
「しかしですね」
「問題が山積みなのは承知の上だよ。ただし、保護と監視の他にも、保護を継続するか、それとも監獄送りか、エリーさんの今後の処遇を決めるにしたって、エリーさんの正体を探らなきゃ始まらないんだ」
(私の過去がわからないと、私の未来も決められない……)
ミキの持論を鵜呑みにするつもりなど、エリーにはなかった。
エリーの正体が何であれ、エリーは生き延びたいだけだ。
命を狙われる謂れがなければ、自分の正義のために戦う。謂れがあれば、自由を得るための反逆に変わるだけ。
エリーの本音と、ミキたちの事情は別問題だ。
だから今は、その本心を忘れないよう、手放さないよう静かに拳を握って、ミキたちの話を聞く。
「エリーさんが狙われている理由も、エリーさんの正体がわかれば浮かび上がるかもしれない」
「しかし、村へ行ったところで……」
言いかけてイーリャが何かに気づき、ミキを見据える。ミキが応える。
「エリーさんはバーンズさんご夫婦と面識がある……ああいや」本人にその記憶はないんだから「逆か。ともかく、身元を特定する手掛かりがエリーさんやアルデンスさんの荷物の他に残されているとすれば、ラムシング村だけなんだ。遅かれ早かれ、村に行ってもらわなきゃならない訳」
エリーも自分が何者かわからないままではいられない。けれども、イーリャの意見ももっともだ。
大勢の無関係な村人たちを危険に曝してまで、強行すべきこととも思えない。
所詮はエリーの私情にすぎないのだから。
「だから言っているんだよ」
決めるときは決める。それを信条とするミキが、凛とした声をエリーに届ける。
「エリーさんには、アルフレッドを自力で抑える方法を身につけてもらいます」
エリーの瞳は澄み、ミキの銀仮面を映している。
「……自分には無理、とか言わないよね」
仮面の奥の瞳に見つめられている。エリーが試されるように見つめられている。
ミキが伝えたことを、エリーがその口で言ったことを思い出せ。そう諭す目が垣間見えた。
我慢ならず、イーリャは食卓を叩いて立ち、ミキに迫った。
「無謀です! 必要性は理解しましたが、実行するならもっと時間をかけて安全な方法を練ってから……!」
「やります」
エリーは涼やかに応えた。イーリャの怒りを買う。
「あなた一人の我儘がどれほど……!」
「私は――!」
エリーは塵ほども怯まなかった。イーリャが怯む、響く声が出た。
「私は、遭難者で、記憶喪失で、みなさんに救助された身の上で、トラブルをたくさん抱えているから、厄介者だってことはわかっています。みなさんのお世話にならないとままならないってことも痛いほどわかります」
「だったら黙って言うことを聞いていれば……!」
「黙りません! イーリャさんが村を思っているみたいに、私にだって私自身の意思と望みがあります。それは誰にも否定させません」
イーリャが口を閉じるのも待たず、エリーは畳みかけた。
「私、怖いのは嫌です。殺されたくもありません。けれども吸血鬼なんかのために肩身の狭い思いだってしたくない。ただ死ぬのを待つだけで終わりたくなんかない。私は私が何者なのか知りたい」
自分の中に潜む怪物を支配する。
それをエリーは無理だと心のどこかで決めつけていた。一歩踏み出すことをためらっていた。
(けれども、今朝、私はこう言ったはずじゃない)
――何もできないままあいつの道連れなんて、御免です。
ミキはエリーの臆病さと、その裏で燃えている本心。どちらも知っている。
「……本当はミキさんが代わりに言ってくれる前に、私が言わなきゃいけないことだったんです。私が何をしたいか。どうなりたいか」
――今後の待遇を判断するためには、君がどういう考え方をしていて、どういう行動を選ぶのか、外側から観察するしかない。
過去に囚われすぎるな。未来を見ろ。今のエリーを見せろ。
――結果次第では監視付きでラムシング村に行っても良いよ。
今のエリーを観察し、ミキは決断したのだ。エリーを信じると。
村への外出許可。報酬を先払いして、必ず結果を出すように、あえて厳しく突き放す。
ミキが差し伸べてくれた手をここで逃したら、子どもが生まれるまでの余生を無為に過ごす予感がした。
諦めるのは、挑むことよりずっと怖い。
――助けてもらった命なら、助けてもらったことに報いるように生きるのが礼儀ってものさ。
「だから私、やります。アルフレッドを抑える方法を見つけます。だから、やらせてください」
青い瞳は、コシノフ家が挑み続ける凍土に似て冷たく、鋭い。
逆にイーリャが静かな迫力に呑まれてしまった。




