017 最初の朝餐 2/4:初めから軽蔑していた
冷や冷やする朝食会は、温かに幕を閉じた。
エリーたち三人は声を揃えて「ご馳走様」を唱和する。
【食い終わったか】
アルフレッドの声だった。
エリー以外は呑気に料理の感想を話している。頭に直接語りかけられている。
「何よ、アルフレッド」
あえて声にして、二人に注意を促す。ヘーゼルが口を逆V字にして腕まくりするので、エリーはどうどうとなだめた。
【人狼の小娘の用を済ます。急かされるのも癪だ。とっとと代われや】
ヘーゼルに謝ること。ミキが追加した延命条件だ。
人に頭を下げるなんて、アルフレッドにとっては屈辱に違いないのに。
「良い心がけだけれど、どういう風の吹き回し?」
沈黙。「ねえちょっと?」だんまり。負け惜しみ?
「ヘーゼルに話があるって」
ヘーゼルが肯って、エリーは目を閉じ、アルフレッドに身体を明け渡す。
(そう言えば、代わるったってどうやりゃ良いのよ)
エリーの確かな意思で身体を明け渡すのは、これが初めてだ。
そう考えている内に、意識がはっきりしたまま沈んでいく。
【
エリーが目を開くと、白目を血に染めてアルフレッドになっていた。
代わるや否や、アルフレッドは腕を組んでふんぞり返り、ヘーゼルを見下しながら、苛立たしく自分の前髪に息を吹きかけた。
口を曲げ、なおも黙っている。しまいには視線だけ背けた。
】ほら、代わってやったんだから、さっさと謝りなさいよ【
じれったくエリーが野次っても、アルフレッドは聞き流す。
】(……長丁場になりそう)【
「おい」
アルフレッドにヘーゼルの人差し指が突きつけられる。
ヘーゼルが食卓から身を乗り出して息巻いた。
「てめえのやり口はよぉくわかった。次はこうはいかねえからな。今日自分を仕留め損ねたことを、いつか絶対後悔させてやる」
啖呵を切るとヘーゼルは不敵に笑み、アルフレッドと瓜二つに腕を組んでふんぞり返り、前髪に息を吹いた。
ただし、口元は「言ってやったぞ」という満足感が表れていて、負け試合の後に勝者の健闘を称えるかの如く爽やかで。
行為後の気まずさが、微塵もない。
意識の奥に下がったエリーはもとより、ミキも、アルフレッドでさえ、呆気にとられた。
困惑に半口を開いて、アルフレッドはミキを正視する。「コイツ何をほざいてんだ?」とでも言いたげに、ヘーゼルに指を差し返した。
ミキもお手上げのポーズで、遠慮がちにヘーゼルの肩を指で突いた。
「アルフレッドに謝らせる、って話だったんだけれども」
「謝らせる? 誰にスか?」
「君にだよ」
「自分に? どうしてスか?」
食卓の困惑が増々深まった。ミキが身振り手振りを交えてまくし立てる。
「いや、だって君、言っていたよね。吸血鬼に流されてたまるか、とか何とか。こいつに手を出された訳だよね。アタシたちで、そのことを謝らせるように取りつけたんだよ」
突拍子もないことかのように、ヘーゼルは周り以上に困惑した。
アルフレッドたちの顔色から、ヘーゼルの方がずれていると気づくのに時間はかからなかった。
ヘーゼルは「えーと……」と腕を組んだまま身をよじって、訥々と言葉を捻り出した。
「……たとえばスけど、狩人から逃げ切った獲物は、別に狩人に謝って欲しいとか思わねえスよね?」
「いきなり何の話かな?」とミキ。
「あんま突っこみ入れないでほしいッス。説明すんのムズいんで。……そんで、逆に獲物に逃げられた狩人も謝って欲しいって思わねえスよね? ちょっと怪我しても、狩りが終わって思うのって、アレが前触れだったとか、コレが勝負を分けたとか、経験を次に活かすことばっかだと思うんスよ」
】本当に何の話を聞かされているのかしら【
意識の手前でエリーも困惑する。獲物だ狩人だと言われても、今朝のことと繋がらない。
「で、謝罪とかそういうケジメとか建前とか、獲物にとっても狩人にとっても、どうでも良いっつーか、考える余裕がないっつーか……。ていうか、こんな奴に謝られても損した気分になるんスけど……」
しかし、じっと耳を傾けていたミキが、次第に肩を震わせる。笑いを殺していたものの、遂に我慢の限界を迎えて天井を仰ぎ、腹を抱えて笑い返った。
「アッハハ! ねえ聞いたかい、アルフレッド。今の。中々どうして、この子はいちいち核心を突いてくれるよね」
】どういうことですか【
エリーの問いはミキには聞こえず、だから答えるでもなく、腹を抱えながらも進んで説明役を買った。
「ヘーゼルは君の傍若無人ぶりを目の当たりにして、端から人間扱いを諦めてしまったようだよ」
エリーはますます困惑した。
「考えてもみなよ。人を襲う。何とか話は通じるけれども、まともに取り合っちゃくれない。そんな野生的な態度じゃ、人語に似た声で鳴く獣と見なすしかないじゃないか」
】け、獣……? アルフレッドが……? ま、まあ……うん、そう? そうかもしれないけれども……【
「野生の獣には、弱肉強食のルールで対処するしかない。人間だと腹が立つことも、その正体が道理もわかっちゃいない野獣ならただの習性さ。アルフレッドの扱いはそんなもので充分だ。ヘーゼルはそう思ったんでしょ?」
自論を語れば語るほど、ミキは笑いを堪えなければならなかった。
解説を聞かされてもヘーゼルは眉間のしわを深めるばかりだった。
「む、難しいッス。もっと簡単に……」
「ええ? 仕方ないなあ」
噛み合わない師弟の問答の裏、意識の手前でエリーは愕然としていた。
】要するに、初めから軽蔑していたから、何をされようが不運で割り切るつもりでいたってこと……?【
アルフレッドには手荒な真似をされた。抵抗もする。恨みもする。逆襲も考える。
けれども、謝罪や償いを求めるのは話が違ってくる。礼儀作法や掟は、対等な間柄でのみ成立する理知的な営みだ。
吸血鬼の暴力は、災害や獣害と同じもの。
ヘーゼルは最初から、アルフレッドを対等だとは微塵も思ってもいなかった。
】ちょっと待って【
理解こそすれ、エリーの情緒が追いつかなかった。
】だって、ヘーゼルったら、あんなにわんわん泣いていたのに……女心が傷ついたとしか……いや、待てよ。そう言えばその直前……【
壁に額をガンガンぶつけて、確か勝つとか負けるとか喚いていなかったか。
】え、じゃあ、あれって、純粋に負けて悔しかったから泣いていたの? 男泣きとかに近いやつだった、ってこと? もてあそばれて流した涙は、なかったの? 一滴も?【
ミキが苦しいほどの笑いを堪えつつ、ヘーゼルに噛み砕いて説明し終えたところだった。
その甲斐もなく、ヘーゼルは目をぱちくりさせて困惑している。
「待って、こんがらがってきちゃったッス」
「大物だよ、君は。いやあ、敵わないや」
ミキは大物の弟子の肩を、煙たがられるくらい叩き、引き笑った。
】……ああ、これは【
ミキの話が通じていない。ヘーゼルの価値観はエリーともミキとも違う。
】多分、私の想像していた涙と違ってたわ、あれ……【
ミキが仮面の下の涙を拭く。
「良かったね、アルフレッド。謝罪はもう良いよ。当事者がこれじゃ、無意味だもんね。……もっとも、こんな仕打ちを受けた日には、アタシなら立ち直れないけれどもね」
ミキは笑いが堪えきれそうになくなって、早口にそう言おうとして、言い切れずに爆笑してしまった。
さすがのエリーでも、あのアルフレッドに同情してしまいそうだった。
ヘーゼルの天然ぶりは、エリーから見ても頭一つ抜けている。
何なら、日常でこのヘーゼル節を発揮されるとエリーでさえ困ってしまう予感がする。一抹の寒気さえ覚えるほどだ。
「……けんな」
アルフレッドは声を詰まらせた。
「ん? 何? 今のは何て動物の鳴き真似だい? 当てるからもう一回」
笑いに喘ぐ合間合間に、ミキが煽るようにアルフレッドへ耳を寄せる。
「ふ! ざ! け! ん! な!」
やけくそな大音声が、ミキの鼓膜を貫く。二日酔いの頭が「ほげえ!」と悲鳴を上げた。
「どいつもこいつもオレを虚仮にしやがって! もう寝る!」
不貞腐れたアルフレッドに締め出されるように、エリーは意識の手前から追い出された。
】
入れ替わり際に体幹が崩れるのも構っていられず、エリーはガタゴトと席を立つ。
二日酔いの頭痛でうずくまるミキを飛ばして、目まぐるしく変わる状況に追いつけないでいるヘーゼルを全身で抱き締めた。
「すごい! すごいわヘーゼル!」
アルフレッドがムキになって大声を出したせいで、声が枯れている。けれども、構うもんか。エリーはヘーゼルへの賛辞を惜しまなかった。
「あのアルフレッドに一泡噴かせてやったなんて!」
「そ、そうだったか?」
「そうよ! 偉い偉い!」
無自覚なところがまた偉い。
勢い余ってエリーはヘーゼルを猫可愛がって撫でまくった。
ごわごわの髪の底に、温かい地肌を感じる。
今一つ手応えを感じていないヘーゼルも、撫でられる内に機嫌良くへんにゃりし、でれでれと舌を垂らしてご満悦になっていった。
舌に残るアルフレッドの噛み痕が、今や勲章にさえ見えた。
めちゃくちゃに撫でていると、ヘーゼルの吐息に熱っぽいものが含まれ始めた。
慌ててエリーはヘーゼルから離れた。
「ご、ごめん。わざとじゃなくて」
ふう、ふう、と艶めく吐息のヘーゼルの肩へ、恐る恐る手を伸ばす。
「冗談だって。引っ掛かってやんの」
ふざけた顔で振り返るヘーゼルに、エリーは膨れ面で拳骨を振り上げるだけ振り上げた。
一触即発の雰囲気。だけれども、二人とも耐えられなくなって噴き笑った。
エリーは振りかざした拳骨を開く。するとハイタッチの形になると気がついた。
「やったね、ヘーゼル」
エリーはヘーゼルに手の平を掲げた。
今の気分には、こっちの方が絶対に相応しい。
「何か良くわかんねえけど、やったなら良っか!」
手の感覚が一瞬消えるほどの一発をもらった。ヘーゼルらしくてスカッとする。




