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無原罪御宿の吸血鬼  作者: ごっこまん
1.χαῖρε, κεχαριτωμένη

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012 吸血鬼新生 1/4:サプラーイズ

 商館の一室から届いた断末魔に、ロブ・ロイはうんざりと溜め息をついた。


 ナイフ使いの悪い癖だ。


「おやおや、お楽しみのようだね」


 頭上からムーングロウの呆れた声が聞こえた。気絶した人狼を建物の屋上に寝かせておくよう指示していた。


「奴を連れて来たのは間違いだった。悪趣味の巻き添えになる」


 とは言え、その悪趣味が役に立つのも事実だった。


 標的に罪を白状させる。そのために血道を上げて拷問術を磨いてきたド変態だ。


 標的に口を割らせるため、逃げ隠れできない状況を作る――確実に仕留められるシチュエーションを作ることにかけては、右に出る者はいない。


 その熱の上げようは理解に苦しむが、好きこそ物の上手なれを地でいく腕前は信用できる。


 今回は鬱憤が溜まって我慢が利かないようだが。


 ナイフ使いがエキサイトするのに辟易としながら、ロブ・ロイは自分に言い聞かせる。


 現にこうして、廃商館で合流せずに外で待っていられるのは誰のおかげだ。


 ナイフ使いの下劣な感性を差し引いても、その実力が評価に値するからだろう。


「しかし、良かったのかい?」


 頭上からムーングロウに尋ねられた。


「予定だと、標的を処分するのは禁域離脱後だったろう。護律協会の縄張りで流血沙汰は、さすがに僕らでもまずいんじゃないの」


「あれを見て同じことが言えるか」


 ロブ・ロイが顎でしゃくった先には、頭部を失くした死体が伏せっている。


 血痕を辿って崖を降りてみれば、案の定だ。


 標的の同行者、散々手こずらされた男の最期は、呆気ないものだった。


 そして血の禁忌は、今や侵されてしまった後である。


「一回禁忌を侵してしまえば、二回目も変わらん。律儀に禁域離脱まで標的の面倒を見るのは手間だろう。ここで始末する口実ができたと考えた方が合理的だ」


「切り替えの早いことで。いやはや、潔い」


 呆れ半分にムーングロウが感心する。


 静かになった。射手は腕を組み、壁にもたれて向かいの商館を見上げた。


 丁度、窓が開かれた。


 岩迷彩を血塗れにしたナイフ使いが、気だるげに手を挙げた。


「お疲れーい。今終わったぜい。とっとと撤収して酒と女を浴びに繰り出そうぜい」


 脱力しそうなほど軽い調子だ。相当張り切って仕事に臨んだか、ナイフ使いの声はかすれていた。息を上げて、喘ぎが混じった声は、ぼやけて聞きとりづらい。


 自然とロブ・ロイたちの間で、緊張が緩む。


「やれやれ」


 ロブ・ロイが首級を挙げた労いをこめて、ナイフ使いに声を張る。


「その前に湯でも水でも浴びろ。その血を落とせ。酒が不味くなるし、(やわ)な女は卒倒する」


「違えねえ」


 ナイフ使いが嫌らしく笑う。


「死体を運ぶにゃ面倒だ。こっから落とすぞ」


「いや、首だけで充分だ。切り落とせ」


「首ぃ……? はーん、首かあ」


「……まさか顔はやってないだろうな?」


「すまーん」


 ナイフ使いが窓の奥に引っこんだ。大バカ野郎が。ロブ・ロイは苛立った。やはり失敗だった。殺しで興奮する異常者はこれだから扱いに困る。


 ……いや。


「あいつ、顔色が悪くなかったか」


 ふと覚えた違和感を、ロブ・ロイはそのまま口にしていた。


 ムーングロウは「さあ? 人間はみんな同じ顔に見えるものでね」とどこ吹く風だ。


 商館の方から、呑気に間延びした「行くぞー」の掛け声が白々しく響いた。


 気のせいか。ナイフ使いは普段通りだ。ロブ・ロイは被りを振る。


「良いからさっさと……」


 投げ捨てられた死体が、水柱を上げて着水した。


 ロブ・ロイは言葉を失った。死体を確かめようと前に出たがる脚を止め、静観に徹した。


 屋根上のムーングロウも気づいたらしい。


 捨てられた上半身は、ナイフ使いのものだった。


 直前まで会話を交わしていたはずの仲間が、変わり果てた姿で水面を漂っている。


「妙だよ、ロブ・ロイ」ムーングロウが吠える。「血が滲んでいない」


 あれだけ返り血を浴びていたにもかかわらず、死体は澄んだ水に浮いている。


 ロブ・ロイの目にした返り血が錯覚だったとしても、これはおかしい。ナイフ使いが今の一瞬で殺されたのなら、水が血に染まらないはずがない。


「これでは、まるで……」


「あら、お騒がせしてごめんなさいね。お向かいさん」


 場違いに媚びた女声が、開け放たれた商館の窓から落とされた。


「模様替えで部屋を赤く塗ろうとしたんですけれど、塗料が悪くて、ついカッとしてしまいましたの」


 エリーと呼ばれる標的の女が淑やかな声を作って、窓から身を乗り出している。


 白目を血のように赤く染めて、自分の冗談で楽しそうに笑っていた。


「あら嫌だ。首だけご入用と伺ってましたのに、私ったらそそっかしくて嫌あねえ。こちらの不手際でお手間を取らせてしまうのは誠に恐れ入りますけれども、そちらでご勝手に切り分けちゃってくださいまし」


 その口元は、肉に接吻した後のようにべったりと血に濡れて、鋭利な笑みが裂けている。


 標的の女は今更になって口の汚れに気づいたのか、乱暴に血を拭い取り、不調法に艶めかしく舐め取った。


 舐め残した血は口紅に見立てて、小指ですくい、血色の悪い唇に塗る。下唇に血の口紅を乗せ、上唇に巻きこんで、色を移す。


「それとも、私が切りに伺ってよろしくて?」


 標的は窓を腕一本で跳び越えた。


 落ちる、かと思いきや、標的は綿毛の軽やかさでゆっくりと、優雅に舞い降りてくる。


 標的の護衛の亡骸が伏して祈る直上に、標的は降り立つ。水面に触れた爪先は束の間、波紋の上にたたずんだ。


 束の間に晴れた霧と雲の隙間より、一条の月光が差す。夜光の下で、天より慈悲の御使いが降りる。


 ロブ・ロイは固唾を呑む。心を奪われかけた。


 標的の挙げた腕から窓の下枠にかけて、赤く光る線が見えた。糸だろうか。赤い糸で吊り下がったまま、標的は物憂げに爪先で水面をもてあそぶ。


 やがて得心いき、微笑を浮かべて、くるぶしまで水中に沈む。


 着地した標的はカーテシーを誇張して、ロブ・ロイたちにお辞儀した。


 歪んだ口紅の、鮮烈な笑み。


「サプラーイズ」

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