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無原罪御宿の吸血鬼  作者: ごっこまん
4.Εὐλογητοί

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038 蠢動①:パティソン準男爵と特務護律官

 就寝して間もなく、ドアノッカーがしつこく鳴らされた。


 騒音に我慢ならず、隣で妻が沸騰する気配があった。


 パティソン準男爵はベッドから憤然と飛び起きた。


「全くこんな時間に、どこの世間知らずだ」


 ただでさえ妻を不機嫌にさせてしまったばかりだ。これ以上の面倒事が舞いこむのは避けたかった。


 足取りも乱暴に玄関を開けると、額に固い粒が当たった。


 羽虫だろうか。春が近い。慌て者が飛び始めてもおかしくない時季だった。


「カヴァラン族、テンツァイの子、ユィユィ……です」


 夜分遅くに来たその少女は、世間知らずと名乗る代わりに、特務護律官(オケアニデス)を自称した。


 小柄に見合ったノミの心臓の持ち主らしく、ずっとびくびく震えている。


 真っ新な祭服。いかにも新米な雰囲気に反して、身なりから漂わせる野性味が不釣り合いだ。


 頭に巻いた藍染のバンダナの重ね目から、脱色した髪をだらしなくはみ出させている。


 骨を削った額当て……いや、細いスリットを空けている。ゴーグルか。


 雪焼けのせいか色黒で、アザラシ革の長手袋に長靴を色とりどりのビーズストリングで縛っている。


 何より目を惹くのは、背負い担ぐ荷物の大きさだ。


 晒し布に包まれたそれは、ユィユィの身長も肩幅も超えている。


 二輪のシラユリの口同士を合わせたような菱形の、板状の物。


 ユィユィの小さな身体つきで背負えているので、見かけによらず軽いのかもしれない。


(それにしても、何と薄汚い小娘だ)


 パティソン準男爵は鼻を摘まむのを堪えた自分を褒めたかった。


 何故だがユィユィは必要以上に落ち着きなく、空いた手は所在なさげにビーズをジャラジャラと数えている。


 身なりはおろか、振る舞いすら感情を逆撫でる。萎縮もここまでくると加害行為だ。


 謙遜と卑下の違いも知らない土着民の手も借りなければいけないほど、栄えある護律協会も零落れたか。


 招かれざる客をパティソン準男爵が値踏みしていると、ユィユィが視線を泳がせる。


「こっ、ここここ、ここここここ……」


 どもり方が、ニワトリという生き物の鳴き真似に似ている。


 寒冷化が進んだこの時代、家禽の主役は耐寒性に優れたガチョウやアヒルに移り、それも斜陽産業になりつつある。


 今や渡り鳥もジキニア公国連邦には近寄らない。半地変から逃げ遅れた群が年を追うごとに数を減らしている。


 食用鳥と言えばライチョウで贅沢な世の中で、養鶏は更に上、特権階級向けのハイエンドビジネスだった。


 準男爵に過ぎない彼はニワトリを見たことがない。


 知っているのは、かつての仕事仲間が披露した鳴き真似と、その意味だけ。


 臆病者を揶揄する意味があるらしい。


 とことんイラつかせてくれる。


「こけーっ」と口にした瞬間に閉め出してやる。


 ユィユィは口を開け閉め、ためらいながらやっと声を出した。


「こっ、ここの偉い人、起きてる……ますか? 執事さん」


 やはり閉め出すか。一気に頭に血が昇る。


「ひぃ! ごめなさごめなさごめなさ……!」


 パティソン準男爵の形相にユィユィは怯えて、背負い物の陰に隠れてガタガタ震えた。


(この臆病な小娘が特務護律官?)


 こんな下らない小娘を育てるために税や喜捨をせびるなど、現協会長はどうかしている。


 パティソン準男爵は余計に腹が立ったが、ユィユィの小物臭にいくらか溜飲を下げ、咳払いして表情を取り繕う。


「ユィユィ特務護律官」


「ひゃい! 海とも沼ともつかない魚の骨が、お貴族様のおめめを汚してしまい、ごめなさごめなさごめなさ……」


「もう良いから黙って聞け!」


「ひゃむぐ!」


 謝罪を連呼する口を、ユィユィ自ら塞いでなお、もごもご言っている。


「私はマイケル・スコット。パティソン準男爵……お探しの偉い人だが?」


「へ……? で、でも主人、自分から玄関開ける、違う。……それに」


 ユィユィの視線がパティソン準男爵の右腕に落とされた。


 肘あたりで結んだ袖、失くした腕に。


 無礼な視線を忌々しく睨み返すと、即座にユィユィは恐れをなして隠れる。


「ごめなさごめなさごめなさ……風も波も読めない不束者でごめなさごめなさごめなさ……!」


(女に生まれたというだけで露術に贔屓された、魚臭い下民め)


 露術が嫌いだった。


 マトゥリの系譜か、あるいは女でないというだけで、その神秘から閉め出される理不尽に怒りを覚える。


 それだけならばまだ捨て置けた。波打ち際で水を浴びせ合うのは人の勝手である。


 だが、毎夜毎夜、寒冷化を抑制するという名目で繰り返される“雲送リ”がそっとしておいてくれなかった。


 おかげで毎夜の曇りや降雨の折々につけて、失ったはずの腕が疼いてしまう。


 第一線を退いて今日、満足に眠れた日などいつが最後だったか。


 護律協会が憎い。


 しかし、この小娘は仇敵でありながら、パティソン準男爵の鬱憤を晴らすには打ってつけなほど弱々しい。


 土着民には勿体ないほど整っており、男をそそらせる。


 ほんの少しばかり気を好くしたパティソン準男爵は姿勢を崩した。


「それで? こんな時間に、特務護律官殿が何用だ」


 特務護律官と呼ぶのが滑稽でつい失笑混じりになってしまったが、物陰からユィユィは腰を低く覗き返してくる。


「ごめなさごめなさ……。お貴族様のお手を煩わせる、迷惑してる、ですか? でも、ユィユィやりたい違う。本部が査察しろ言うだから……」


 要領を得ない。パティソン準男爵の舌打ちにまた、ユィユィの「ごめなさ」が始まった。


「それさあ、もう止めろ。謝るのを止めろって言ってるんだ。話が進まないだろ。ヘコヘコしやがって、余計にムカつくんだよ」


「ごめ……あ、いや、その……へ、へへへ。ニコォ」


 止めたら止めたでぎこちない笑みでへつらうユィユィが不快だった。


「査察の目的なら大方察しがついている。だが何も夜に来ることは……謝るな! はあ、査察でも何でも結構だが、日を改めるんだな――」


 閉じる扉に足が挟まれ、ユィユィが強引に押し開こうとする。


「待っでえぇぇ! 今日! 今日じゃないど、本部がユィユィ怒るっでばぁぁ!」


「やめろ! 子どもか!」


「いーやーだーっ!」


 パティソン準男爵が全力を出しても、徐々に扉が開いていく。


 利き手を失った不利。対するユィユィは両手が使えて、壁に足までついてドアノブを引っこ抜かんばかりだ。


 結果は見えている。マイケルは投げやりに降参した。


「わかった! わかったから! だが査察は明日の朝だ! 今日はもう遅い! 立ち会ってられるか! 隠ぺいされるのが不安なら勝手に見張っていればいい! これで満足か!」


「あ、じゃ、お邪魔……違う、けど違わない。難しい。お邪魔するは家に入る、です。ああ、お貴族様は身分の低い人たち見たくない、迷惑知っている、ます。でもユィユィ善いカヴァラン。なので、邪魔違うところでじっと凪ぐ、ます」


「さっきからぶつぶつ何を言っているんだ、お前。まあ良い。さっさと入れ。家を冷やす気か」


「へへ、お貴族様、ありがたありがた」


 もっと遠慮するものと思っていたが、ユィユィは物陰に怯えながらも図々しく玄関を跨いできた。


 どちゃり、どちゃりと、床に泥の足跡をこってりと残しつつ。


「おいお前、泥くらい落とせ!」


「んえ? ……あっ、ばばば!」


 慌ててユィユィは腰のホルダーから瓶と水筒を抜き、中の水をばら撒いた。


 水が命を得たかのように振る舞い、ブーツと床の泥を家の外に浚っていく。


 床には塵一つ残っていない。


「ごめなさ……で、でも、元よりもっと綺麗する、ました。へ、へへへ」


 まるで自宅を薄汚いと揶揄されたかのように聞こえ、パティソン準男爵は怒りを浮かべた。


 ゴマをするユィユィがまた委縮し、無駄に謝り倒される。


(何なんだ、こいつは)


 本当にこんなくだらない小娘が護律官になれるのか。


 こんな、拍子抜けするほど臆病で、殴れば倒れそうな小娘が。


 パティソン準男爵の手にする燭台が風に晒され、火が消えた。暗闇の先で、ユィユィが怯える物音がした。


 暗闇に誘われ、汚辱の記憶がわだかまる。


 毎夜、腕の古傷を悩ませる護律協会への鬱積。鳴き囃すニワトリの、国士の風上にも置けない物真似芸人崩れたち。


(僕は臆病者(チキン)じゃない)


 この小娘なら、手籠めにするのも容易そうだ。


 丁度良い。逃げたシャクルトン夫妻の代わりに、こいつを妻に貢いでしまおう。


 企みが芽生えた家の奥、準男爵夫妻の寝室には浴槽が置かれている。


 浴槽には血が満ち、沸いていた。


 血が持ち上がり、女の手指に擬態する。

【ん?】

多くは語りませんが、ミスではありません。

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