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無原罪御宿の吸血鬼  作者: ごっこまん
1.χαῖρε, κεχαριτωμένη

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009 抹殺洗礼式 3/5:刺客たちが襲う

 ヘーゼルは顔をしかめながらも背中の針をむしり取る。


 針に妙な臭い――薬か。


 エリーを落ち着かせるように「平気だ」と言い捨てる。


(この夜霧の中、どうやって当てやがった)


 水面に揺れているランプの光が目に留まる。これだ。ヘーゼルは即座にランプを水中に投げ捨てた。


「エリー、ナイフ抜いとけ。お前、狙われてるぞ」


 むしった吹き矢をエリーに見せる。


 ヘーゼルは直感的に危機を知らせたつもりだったが、エリーはヘーゼルほど夜目が利かない。目をすがめるだけで、伝わった手応えがなかった。


 やきもきしつつヘーゼルはエリーを背後に押しやり、射線から庇った。


(何だか知らねえけど、救助どころじゃねえよな。エリーを背負って逃げっかな)


 いや、ダメだ。薬がいつ、どう効くかわからない。逃げて半端に距離を稼いだところで、敵に追いつかれるのがオチだ。


 逃げに賭けたら勝ち目が薄い。


 今、ここで、対処するしかない。


「エリー、どっか近くの建物で隠れてろ」反論を封じるように「早くしろ愚図!」


 ヘーゼルは強引にエリーを突き放す。エリーがよろめく。


 怒鳴りたくはなかった。背後でエリーが戸惑っている気配がする。逡巡の間を置いて離れていくのは、水音でわかった。


 敵から警戒を反らす訳にはいかない。エリーが廃商館に入るまでの間、睨みを利かせた。


 道を挟んで向かい側、霞む廃墟の二階、窓奥の暗がりに誰かが潜んでいる。


(道理で水音が聞こえねえ訳だ。野郎、建物に隠れてやがったな)


 吹き矢が当たる直前のこと、勘の騒いだ瞬間にチラついたのは、窓の陰から伸びる吹き筒だった。


「ンだよこれ、痛ってえなこん野郎(にゃろう)!」


 吹き矢を水面に叩きつける。


「おい、そこん家に隠れてやがる野郎てめえ! いきなりごあいさつじゃねえかコラ! こそこそ隠れてねえで、堂々と(つら)ぁ見せろやダボが!」


 怒鳴り散らした声が、大通りに虚しく響く。


 ヘーゼルが鼻を鳴らす。忌々しさに舌を打った。


「良ぉくわかったぜ。そっちがその気なら、自分がそっち着くまでに、しっかり詫び状練っとけや!」


 襟の留め金を外し、祭服をはだけさせる。ヘーゼルの上体が露わになろうとする瞬間だった。


 オオカミの遠吠えを上げると共に、ヘーゼルの全身のトラ縞模様が裏返る。縞の奥から髪と同じ黒、銀、白の体毛が溢れる。


 ヘーゼルの身体が一回り大きく、力強く膨れていく。


 背筋から尾が羽化するように伸び、口が裂け、牙を剥き、爪が鋭く伸びていく。


 遠吠えに呼ばれて、ヘーゼルの半身にオオカミが宿るかの如く、その姿が変わった。


 水柱が上がる。


 大して溜めもせず、ヘーゼルは一度の跳躍で射手の潜む窓に飛びついた。


 野獣の唸り。老朽化した窓枠を握り砕き、踏み砕く。


 窓のすぐ脇に射手を見つける。壁にへばりついて息を殺していた。


 ヘーゼルは唾を飛ばして威嚇した。


人狼(ライカンスロープ)……!」


 射手がヘーゼルをそう呼んだ。オオカミを祖先に持ち、擬態に優れた亜人種だ。


 射手は息を呑む割に冷静そうに構えていた。大した胆の据わり方だが、刹那の怯みをヘーゼルは見逃さない。


 逃げ遅れた射手の首根を掴む。大の大人を相手にしながら抵抗する暇も与えず、ヘーゼルは片手で乱暴に引きずり寄せて、窓の外へ放り投げた。


 射手は宙に弧を描く間に指笛を吹いた。着水、水飛沫が上がる。


 すかさずヘーゼルが射手を追う。壁を蹴り、射手の真上に飛びかかる。


 その刹那、ヘーゼルの更にその頭上で、霧が逆巻いた。


 音を殺し、霧を突き破ってヘーゼルの頭上に現れたのは人面の怪鳥だ。


 指笛に呼ばれて、遥か上空から、ほぼ無音の急降下である。ヘーゼルの感覚の外からの急襲だった。


 怪鳥が、ヘーゼルの体躯を隠すほどの巨大な翼を広げ、背中から鷲掴みにする。


 不意を突かれながらもヘーゼルは迎撃するため身をよじろうとした。


 が、にわかに背中が痛みに引きつった。


 落石を受けた傷が今になって響き、一手後れを取ってしまう。


 その隙を突かれ、怪鳥の爪に胴体を鷲掴みにされた。


 怪鳥は急降下の勢いそのままに、ヘーゼルを水面に叩き伏せる。


「ガボッ!? ゴボボ……!」


 浅いはずの水が深い。ヘーゼルの口も鼻も、満足に水面から出せない。


 ヘーゼルがもがいても、怪鳥は器用に羽ばたいて、その剛腕をいなしてしまう。


 それどころか、もがけばもがくほど、鉤爪で胸を絞められていく。ただでさえままならない呼吸が更に細くなっていく。


 思ったように力が入らない。ヘーゼルの目がかすむ。


(さっきの薬、麻酔かよ……!)


「助かった」


 射手は濡れた服を絞りつつ、怪鳥に礼を言う。


 グルン、と怪鳥の首が真後ろに回った。


 丸い瞳、扁平な顔。人間の特徴も備えたそれは、フクロウの鳥人(ハーピィ)だった。


「全く困るね。おっと」


 一発、きつく抵抗するヘーゼルをバサバサ羽ばたき、受け流す。


「大人しくなさい、人狼のお嬢さん。暴れても余計に苦しむだけだよ。……やれやれ、標的を見失うだけならまだしも、人狼を引き連れているなんて、聞いていないのだけれどもね。詰めが甘いんじゃないかい、ロブ・ロイ?」


 射手――ロブ・ロイたちは、崖肌に残った血痕――アルデンスの血痕を追う内に、ここに降り立った。


 血痕が目立ったせいで灌木に残った標的の痕跡を見落としていた。


 結果、アルデンスの執念が、見当違いの場所にロブ・ロイたちをおびき寄せたのだった。


 そうとは知らず標的を捜索していると、にわかに廃墟に絶叫が響き渡る。


 ヘーゼルがエリーを負ぶって屋根より高く跳んだ瞬間の絶叫だった。


 仮にも護律協会の監視下にある区域である。騒ぎを見咎められてはまずいことになる。


 ロブ・ロイたちは身を潜めざるを得なかったが……。


「あまり褒められた手際ではないのは認めよう、ムーングロウ。だが、結果的に標的は姿を現した。それに、標的の逃走を幇助する者は、誰であろうとこれを無力化する。退治までには及ばん。知っているだろう」


「ええ、ええ、承知しているともさ。気絶で止めておくよ。それが我々のやり方、ね」


「それに」ロブ・ロイがフクロウ――ムーングロウを指す。「標的を取り逃がしたのは、貴様の失態だ」


「おいおい。あれだって話が違ったってこと、お忘れかい?」


「だが、失態は失態だ。それに引き換え、人狼はこちらの手に余るが、貴様が不意を突けば容易に無力化できる。汚名返上にはおあつらえ向きだろう」


 ムーングロウはホッホウと笑った。


「食えないね。本当に食えない。今日のところは恩に着るよ」


「礼には及ばん」


 ヘーゼルの動きが、次第に鈍くなっていく。


「麻酔が効いてきたか。人用の調合がどう作用するかわからん。頃合いを見て、屋根上にでも上げて介抱してやれ」


 射手の要望を、ムーングロウは快諾する。


「しかし、標的が抵抗せず逃げるとは、妙だね」


「今の今まで隠し通してきた爪だ。そう易々と連発できるものでもないのか」


「だとすれば、今からまた標的と泥臭い鬼ごっこかね」


 ロブ・ロイは肩をすくめた。


「だが、鬼ごっこも今日で最後だ。標的が迷いこんだのは、鬼の棲み処だ」


 ヘーゼルの意識が遠のいていく。


(エリー、逃げ、ろ……。あ、とは……わ、か)


 暗い底に沈む視界の中、にわかにヘーゼルはエリーの違和感の正体を突き止めた。


 ランプも持たずにこの夜霧の中で、どうやって迷わずにヘーゼルに追いつけたのだろうか。


 願いと疑問を残して意識が途切れた頃、エリーは逃げた屋内で、ロブ・ロイ一味の一員と遭遇していた。


   †

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