12W.石炭化学研究室
宿舎に帰ると妹からの木簡が届いていた。今日マリムに出掛けていた間に届いたらしい。
来週の始めにマリムに来るという内容だった。
5月になって直ぐじゃないか。
手紙には、乗る予定の鉄道の時刻やマリムで滞在する宿屋についての記載もあった。
そこら辺の対応をしなくて済むのであれば大分楽だな。
宿舎に戻って冷静になってから、ジーナやマラッカさんが妹の観光に付き合ってくれるのは有り難いことだと思い直した。
妹に衣装やアクセサリーについて聞かれてもオレは全く分からない。
石炭化学研究室の仮配属勤務が始まった。
取り敢えず、今週は仕事に集中しないとだな。
グループメンバーで連れ立って、石炭化学研究室の准教授の執務室に向った。
マラッカさんから妹から連絡があったかを聞かれた。
「昨日の夜、宿舎に帰ったときに、妹からの木簡が届いていたよ。5月2日の4時過ぎにマリムに着く鉄道でやってくるみたいだ。」
「連絡があったのね。じゃあジーナさんにも伝えておかないと。」
「態々伝えなくっても、そのうち顔を出すんじゃないか?」
「えぇっ?それはダメでしょ。伝えておかなきゃフェアじゃないわ。いいわ。私が伝えておくわね。」
一体何に対してフェアなんて言葉が出てくるんだ?放っておいても顔を出したときで良いんじゃないか?
昨日の様子だったら、次の休日にまた会うことになりそうだし……。
石炭化学研究室の執務室に入ると、若い女性の事務員が迎えてくれた。
その女性はオレ達を広い執務室の中に招き入れると奥へ向っていった。
「ギウゼ准教授。新しい仮配属の方達が見えられました。」
部屋の奥の執務机に居たギウゼ准教授にその女性事務員が声を掛けた。
机の上には書類が大量にあった。准教授は計算尺を操っていた。何か計算をしているみたいだ。
「あっ、そうか。」
ギウゼ准教授は、計算尺を見てから何かを紙に書き込んで、オレ達のもとにやってきた。
「ようこそ。これから3週間手伝いをお願いします。私は石炭化学研究室で准教授をしているギウゼです。」
それからオレ達は順に自己紹介をした。
事務の女性は、カーラさんと言うらしい。研究室の事務官は中年の女性と決まっている訳ではないのか……。
カーラさんに案内されてオレ達は会議室に移動した。准教授は何故か執務室で資料をかき集めていた。
会議室の壁には棚が幾つもあって、そこには、様々な容器が並んでいた。
中には、液体や粉体、様々なものが入っている。黄色い色をしているものもあった。
一際目立つ場所には、黒や褐色や灰色をした石が並んでいた。
「いや。遅れてすまない。今日の説明の資料を集めてたんだ。」
准教授はそう言うと何枚もの紙の資料をオレ達に渡してくれた。
「それじゃ、石炭化学研究室の説明をさせてもらう。
皆さんは石炭を見た事はあるかな?」
オレ達は、マリム観光をした時に海沿いのコンビナートにも足を運んだ。多分その時に山積みされていた黒い石が石炭だと思っていたのだが……あまり自信は無いな。
「海沿いのコンビナートに行ったときに、黒い鉱石が大量にありましたげれど、それが石炭なんですよね?」
アンゲルが代表して応えた。
「海沿いのコンビナートに行ったことがあるんだね。そう。海沿いのコンビナートには大量の原料になる石炭が集積されている。
アトラス領の北部には大量の石炭が在ることが判っているんだ。埋蔵量は判っているだけでもサンドボロキロ(約90億トン)を越えているらしい。しかも、これは初期の調査結果なので、実際の埋蔵量はその何クアト(=144)倍もあるだろうと考えられているんだ。
その石炭は北部の街のミネアから専用の船に積み込まれて海沿いのコンビナートまで運ばれてくる。
そこに並んでいるのが石炭だよ。」
そう准教授は言ってあの中央にある黒っぽい石が集まっている一角を指した。
「えーと。近くで見ても良いですか?」
アンゲルが興味あり気の表情で准教授に訊いた。
「ああ、実際に手に取って見てみると良いよ。」
オレ達は席から立って、その石炭が並んでいる棚の前に行った。
石の前には紙片が置いてあった。端から「デイタン」、「カッタン」、「アレキセイタン」、「レキセイタン」、「ムエンタン」と書いてある。
どの紙片にも一様に最後に「タン」の文字がある。
これは石炭の分類名が書いてあるんだろう。
デイタンと書かれてあるのは、石というよりは土のようだ。カッタンと書かれてあるのはかなり脆そうだ。アレキセイタンやレキセイタンは黒っぽい灰色の石だな。最後の無煙炭というのはまっ黒の石だ。かなり硬そうだ。
それぞれの石炭をメンバーで手に取ったりしながら見ていたら、准教授が後ろから声を掛けてきた。
「一言で石炭と言っても様々なんだ。ニケさんの話では大昔の植物が地中で変化したものだそうだ。
地面に埋まっているうちに、固い炭になっていったってことらしい。
何時からどんな風に変化したかが場所によって違うので様々な石炭があるんだ。
アトラス領にある石炭は南では褐色の瀝青炭が多くて、北に行くにつれて固く黒くなっていく。」
「この黒い石はとても燃えるようには思えないですね。」
モンさんが呟いた。
「そうだな。そもそも石が燃えるなんてな。そこらにころがってたら、単なる石や固まった土にしか見えないよな。不思議なことだな。そもそもどうしてこんなモノが見付かったんだろう。」
アンゲルも同調する様に話をしている。
それに准教授が応えた。
「それは、ニケさんがまだ赤ん坊だった頃にアトラス領の鉱石を調べるための調査隊を領主様に依頼したからなんだ。
ただ、ニケさんじゃなければ、単なる黒っぽい石としか判らなかっただろうと思うけれどね。
まさか、地中から採れる石が燃えるなんて誰も想像しなかったんじゃないかな。」
ひととおり石炭を見たオレ達は席に戻った。
「それじゃ、石炭の使い道について話をしようか。
石炭の最重要の用途は発電なんだ。
マリムの街では電力は必要不可欠になっている。
街の電力の大半はアイルさんが作ったダムで発電したものなんだけど、あれはアイルさんのとんでも無い魔法じゃなきゃ造るのはムリだ。
万一ダムに支障が出たときのために、マリムに火力発電所を作った。
王都の側のゼオンコンビナートやロッサコンビナートで使用する電力はコークスを燃料にした火力発電で賄っている。
火力発電所なら、今のマリムの工房が総力を上げれば造れると思う。
まあ、アイルさんやニケさんが造るものと比べると効率は大分落ちるだろうけれどね。
鉄道や船舶、最近では飛行船も電力で動くものは全て石炭から作ったコークスを燃やしている。
他にもコンビナートの熱源や大浴場の燃料とか鍛冶師の工房で鉄を打つための火力とかガラス工房や陶器工房といった様々な場所で使われるようになった。
これからも石炭は重要な鉱石としてますます使われていくだろう。」
「質問があるんですが。コークスって何なんですか?それは石炭では無いんですか?」
アンゲルが准教授に質問をした。
「良い質問だね。コークスというのは石炭から不純物を取り除いたものなんだ。石炭を蒸し焼きにして、事前に有害な成分を取り除いているんだ。
実は、その際に様々なものが得られるんだ。
石炭の使い道の二つ目がその有害な成分を分離精製して活用することにあるんだよ。」
「えーと。有害なものなんですよね。それは。」
「そうだね。工房なんかで石炭をそのまま燃やしたりすると石炭に含まれている硫黄や硝酸化合物、揮発する有機物など様々な有害なものが発生する。
だから、事前にそういったものを取り除いてコークスという安全な燃料に変えているんだ。
海沿いのコンビナートでは、十分に管理した状況でその有害物を集めて役に立つものに変えているんだ。
代表的なのは硫黄だな。海沿いのコンビナートに行ったのなら、黄色いものが大量にあったんじゃないかな?」
「ええ。見ました。あれは何なんですか?」
「あれは硫黄で、ゴムを作るときの原料になるんだ。他にもメタノールとかベンゼン系の化合物とか、硝酸やアンモニアも得られる。これらは薬の材料になったり、染料になったり様々な場所で使われている。」
「それは知らなかった。地面から掘り出されたものが、そんな事に使われているんですか。」
それからギウゼ准教授は、黒板に様々な化学式を書いて石炭から取り出せる化合物の説明をしてくれた。
もっぱら質問するのはアンゲルだった。
どうやらアンゲルはこの仕事に興味を持ったみたいだな。
石炭を処理する温度によって、様々なものが得られる。
その化合物は多岐に渡っていて、昼食を挟んでの説明になった。
昼食の時にジーナがオレ達のところに顔を出した。
「ミケルの妹さんが来る日が決まったみたいね。」
「えっ?なんで、それをジーナが知ってるんだ?」
「マラッカさんが教えてくれたわ。何であんたじゃなくってマラッカさんが教えてくれるたのかについては色々思うところがあるけど、まあ、それは良いわ。」
えっ?何時の間に伝えていたんだ?オレとマラッカさんはずっと一緒だった筈だけれど。
マラッカさんを見るとニコニコしている。
「良かったわ。それにしても凄いわね。朝、カーラさんに伝言を頼んだら、もう伝わるのね。ちょっと吃驚かな?」
「無線機があるしね。マリムでの情報の伝達は早いわよ。」
何だか少し怖ろしく思えてきたんだが……。
午後になって、一通り説明が終って、研究室の中を案内してもらった。
大きな炉とそれに付随している様々な道具があった。
以前、天然物研究室で見たガラス器具、蒸留器もあった。
今週は海沿いのコンビナートでコークスの生産や発生する様々なものを分離精製する現場で作業を学ぶのだそうだ。
来週は、研究室にある大きな炉でコークスを作る条件を変えながら、発生する成分を分離して、調査、検討する仕事を手伝って欲しいと言われた。
「来てそうそうに申し訳ないんですけれど、来週は有給休暇を頂きたいんです。」
一通り准教授からの説明が終ったところで、マラッカさんが突然そんな事を言った。
えっ、ここで有給休暇の申請をするのか?
「ええ。良いですよ。実家にでも戻られるんですか?」
「いえ、そうじゃないんですけれど。ちょっと。ミケル。あなたの事でしょ?」
「あっ、オレも来週有給休暇をお願いします。」
「2人でそろって有給休暇ですか?2人でどこかに出掛けるんですか?」
「いえ。オレの妹がマリムにやってくるんで、マラッカさんには案内を頼んだんです。オレ、女性の好みそうな場所を全然知らないんで。」
「そうですか。2人で有給休暇ですか……羨しいですね。
こんな仕事をしていると、女性と出会うことも殆んど無いんですよ。」
「でも、カーラさんも女性じゃないですか?」
マラッカさんがそんな事を言った。
「ええ。事務員としては珍しく若い女性ですが……。アトラス領の騎士に恋人が居るらしいです。」
そう言うと准教授は何とも言えない表情になった。
まあ、王宮からやってきた文官の女性も居るから……いや、下手な事を言うのはマズいな……。
この小説で使っている数に関わることを纏めて、「惑星ガイアのものがたり【資料】 数に関する設定の纏め ep.22」に投稿しました。URL : https://ncode.syosetu.com/n0759jn/22/




