128.セレン
「メクシートですか?」
ハムがピソロ准教授に確認している。
オレ達の前にあるテーブルには、黒い染みの様なものが鏤められている透明なガラスの板が何枚も在った。
テーブルの脇には木箱が何個も積まれている。
他にも大量の似たような写真乾板が箱に入っているみたいだ。
箱には、年月が記載されている。一番古い日付は二年前の12月のようだ。
今日から、オレ達は、天文台で作業を手伝う。
天文台には始めて入ってみたが、中央に巨大な構造物がある。
構造を見ると、巨大な骨組の向きが変えられるようになっているみたいだ。
様々なものがその骨組に付いている。
当然ながら、それらが何なのかについては皆目解らない。
周囲には幾つもの部屋らしきものがある。
その部屋の一つから木箱を准教授が持ってきてオレ達の前にあるテーブルの脇に置いて中に入っていた写真乾板をテーブルの上に並べたのだ。
「メクシートとは言いきれないんだが……かつてメクシートだったかも知れないものじゃないかと思われるものであれば良いなと思って撮影したものだな。」
何だか歯切れの悪い科白だ。
ピソロ准教授の話では、天空をかなり広く覆っている靄のような場所の天体写真を撮ったものだそうだ。この写真は毎月何箇所も天空の決められた場所を撮影したものだ。
この写真を使って、何時、何処で破裂したのか判らないメクシートが一体どういったものかを調べようとしている。
「少なくともこの靄のようなものはヘリオ恒星系の中には無いので、昔在ったと伝えられているメクシートとは違うものなのだけは確かなんだ。」
「でも、神々の戦いの前まで輝いていたメクシートが輝きを失なって靄のようなものになったという言い伝えですよね。」
ハムが質問を続ける。
「言い伝えでは、メクシートはヘリオに付き添うように、日没後の西の空や日の出前の東の空に輝いていたと言われている。
この話から類推されるのは、惑星ヴィナとガイアの間を回っていた惑星があって、それをメクシートと呼んでいたという事なんだ。
ただ、その惑星は神々の戦い以降は見られなくなった。当時の人々、いや今もそうかな。神々の戦いの後に新に現れたあの靄のような天体がメクシートが破裂した残骸だと勘違いしたんだと思う。
神々の戦い自体がどんなものだったのか分からないけれど、相当に激しい変動があったんだろう。
その時に、もともとのメクシートは、ヘリオの周回軌道を大きく外れて、どこかに飛び去ったのかもしれない。
ただ、不思議なことに、昔の言い伝えに無かった迷い星のアストラという星が何時の間にか存在しているんだ。
明るい星じゃないので神々の戦い以前には気付いていなかっただけかも知れないし、ひょっとしたらもともとのメクシートの軌道が大幅に変わって、今はアストラと呼ばれる星としてヘリオを周回しているのかも知れない。」
「そんな事ってあるんですか?惑星ってとてつもなく大きくて重いんですよね。」
「まあ、確かな事は今の時点では判らないんだよ。
これから観測を続けていくと、そこらへんが判るようになるのかもしれないがな。
ただ、確かなこととして言えるのは、メクシートの残骸だと言われている天空にある霞の様なものは、もともとのメクシートじゃないって事だけだな。」
「それで、この写真ですけど、一体何の為に撮影し続けているんですか?」
「それはアイルさんの指示というか、この天文台を作ったきっかけでもあるんだ。あのメクシートが何なのかを調べることが最初の天文台の仕事だった。
メクシートはとても不思議な天体で、あの靄の中心と思われる場所には光らない星があるんだ。
あの靄のような天体が、メクシートが破裂して四散して出来たんだったら、あの靄の様な天体は外に向かって移動していると考えられる。
その移動の様子を観測すれば、あの靄のようなものを発生させた爆発が何時、何処で起こったのか判ると思ったんだよ。
その移動している状態が観測できないかと思って天体写真を撮り続けていたんだ。」
「でも、何で写真なんです?」
「あの霞の様な天体はどれもあまり明るくない星なんだ。しかも沢山ある。
写真を使うようになる前は、霞のような天体がある場所のめぼしい天体の位置を測定していた。
ただ、困ったことに位置を測定している星が、メクシートが四散して出来た天体なのか、メクシートの背後にある普通の星なのか区別なんてできない。
散々測定して移動が確認できない状態が続いていたんだ。
それも、移動の速度が小さくて確認できないのか、見当外れの星を観測しているのかの判断も付かない。
それで、アイルさんがニケさんに頼み込んで写真乾板を作ってもらったんだ。
星の写真を撮影して、時間が経ってから相互に比較すれば、移動している星、移動していない星の区別が付くからな。」
「それは、凄いですね。結果は出たんですか?」
ハムが感心している。しかし、そもそも、そんな事が分かったところで、何がどうなると言うんだ?
「写真撮影を始めて、大体1年半になったんだが、ようやく星の移動が判別できるようになった。それで君達や前に仮配属された文官の人には、その移動量の計算を……」
先週メーテスの天文研究室でオレ達が大量の計算をさせられていたのは、この写真に写っているものが関係しているらしい。
昔撮影した写真と今撮影した写真を見比べると変化があるらしい。
実際に古い写真乾板と先月撮影したと言う写真乾板を見比べると、黒い染みの様なものの大半が僅かにズレている様に見える。
ハムが煽っている所為なのか説明が続いている。まあ面白くはあるが、どうなんだこれは?
隣に居たアンゲルにこっそり話掛けた。
「なあ、何で、あんな話で盛り上がってるんだ?」
「そうだな。面白いとは思うけど、それだけだよな。それに何でアイルさんがメクシートの事を気にしてるんだ?こんな天文台なんてとんでも無いモノを作った理由がメクシートってどういう事なんだろう?」
そう言われれば、そうだな。大型船や鉄道、飛行船なんていう、世の中を引っくり返してしまうようなモノを率先して作っているアイルさんが、何の役にも立ちそうにないメクシートに興味を持っているというのも不思議な話だ。
「そうですわね。私も理由が解らないです。アイルさんやニケさんの実績から考えると、意外というしか無いですね。」
オレとアンゲルのひそひそ話にハムさんも乗ってきた。
それから、ハムとピソロ准教授が熱心に話し込んでいる脇で、他のメンバーでヒソヒソと話をした。
ハムには悪いが、何のためにしているのか分からないというのが、ハム以外のメンバーの感想だ。
准教授とハムの会話が一段落着いたみたいだ。
准教授が結論のような事を言った。
「皆さんの協力で、ようやくメクシートが破裂した時期が判ったのだよ。
メクシートの破裂が起こったのは、今からd200,000年(地球時間で約60万年)前からd600,000年(地球時間で約180万年)前の期間のどこかだったんだ。」
その星の破裂とやらが起こったのはとんでもなく昔のの事みたいだ。
しかし、なんだか、大変な作業をした割に大雑把な結果だな。
「沢山計算した割には、随分と大雑把なのね。」
モンさんが呟いた。
それを聞こえたのか、准教授が説明をしてくれた。
「それは、仕方が無いんだ。まだ移動の距離が短かいための測定の精度の問題もあるが、写真の中で移動している幅もばらつきがあって正確なところはこれから詰めなきゃならない。
理由はこれから考えるんだが、破裂したのは一度だけじゃないかもしれない。
どうしてバラついているのというのも中々興味深いものがある。」
その後、天文台では、重力定数の測定とか、光速度の測定なども実施しているという事を話していた。
何年か前に発生した皆既日食の予想もしたらしい。
准教授は詳細の説明もしてくれていたのだが、数式だらけで全々理解が出来ない。
また、ハムに解説してもらうしかないな。
その肝心のメクシートは目には見えないのだが写真には写せるらしい。
そして、どうやら少しずつ動いているんじゃないかと言っていた。
その光らない天体の周りには光の円周が在るのだそうだ。
重力レンズと言っていたのだが、背後の星の光が曲げられて円周が見えているらしい。
そして、昔写真撮影してから、少しずつその円周の明るい場所と暗い場所が変化している。
背後の星が動いているのか、メクシートが動いているのかはまだはっきりとはしないみたいだ。
何だかどうでも良い事だな。
唯一ハムだけが興奮気味に会話をしていた。
そのメクシートの話が一段落してから、天文台にある様々な道具の操作方法を聞いた。
天文台では、毎月の測定項目が決まっていて、それを順次測定して記録に残している。
場合によっては写真を撮る。
望遠鏡には分光装置というものが付いていて、その分光した結果も写真にしている。
今は専ら天空の星々の光を分光して比較しているらしい。
最近になって液体窒素が入手できるようになった。
その分光装置の受光面という場所を冷却することで感度が数段向上したのだそうだ。
その分光器の低温を維持するために、毎週、飛行船に低温を保持する容器を積んでメーテスから天文台まで、その液体窒素というものを運び込んでいる。
ご苦労なことだ。
そういったものの操作方法を教えてもらって、准教授の指示でメンバーで手分けして作業をした。
ボタンを押すと巨大な骨組の道具が動くのは圧巻だった。
深夜には、もうじき満月になるセレンが天頂近くに移動した。
准教授はオレ達の為に、望遠鏡をセレンに向けてくれた。
「望遠鏡でセレンを見たことは無いだろう?」
准教授がオレ達に訊いてきた。
メンバー全員が頷いた。
「それじゃ、順にこの部分から覗いてみてくれ。世界観が変わるぞ。」
年齢順に望遠鏡を覗いていった。
最初に望遠鏡でセレンを観たアンゲルが「何だ、これは!」と叫んでいた。
続いて望遠鏡を覗いたモンさんも驚いた顔になった。
一体何が見えているんだ?
オレの番になったので、望遠鏡を覗いてみた。
天空に白く輝いているセレンはさぞかし幻想的な姿をしているのだろうと思って覗いたのだが、期待したものとは全く違っていた。
視界全体に大きく見えるセレンの表面は沢山の凹凸があるだけだ。どちらかと言うと凹みが沢山あるアバタだらけの姿だった。
海とか川とかは無いんだな。森のようなものも見えない。岩だらけだ。
「何も無いんだな。」
つい呟いた言葉に准教授が応えてくれた。
「そうだな。何も無い。大気も無いだろうと考えている。」
「何も無いんだ……女神セレンは……」
望遠鏡で観たセレンの姿の衝撃から思考が停止してしまったのかも知れない。とんでもない事を呟いてしまった。
「ははは。女神セレンか?中々面白いことを言うじゃないか。それは何処かに居るかも知れないが……少なくとも衛星セレンには居ないんじゃないかな。何度もセレンを望遠鏡で眺めているが、一度もお目に掛かったことは無いな。」
つい女神セレンの名を出してしまったのは、セレンには女神セレンが統治する光輝く都があるというお伽話を聞いて幼少期を過していたからだ。
子供の頃、曾祖母さんが良く話してくれた。
どうやら、そのお伽話は一般的なものではなく、曾祖母さんの創作か、どこかの地方の言い伝えといったものだったらしい。文官になってから知ったことだ。
ただ、そんな理由からセレンには、少なからず思い入れがあった。
しかし……何も無いところなんだな。
大気が無いという事については、散々観測した結論らしい。大気が在ればありそうな事を何度も確認したんだそうだ。
この話を聞いて気象研究室でウテント准教授と飛行船で観測をしたときの事を思い出した。
上空に行くに従って、大気の圧力はどんどん減っていった。ウテント准教授はそのままさらに上空に行くと大気は無くなるだろうと言っていた。
大気があるのは、ガイアの地表周辺だけなんだろう。セレンはとんでもなく遠方にある。
何も無い空間を動いているという事なのか。
ヘリオ恒星系のデータを「惑星ガイアのものがたり【資料】 ヘリオ恒星系 ep.21」に投稿しました。URL : https://ncode.syosetu.com/n0759jn/21/




