127.天文研究室
どうやら、オレが待ち合わせ場所に着く前に、色々な遣り取りがグループメンバーとジーナの間であったみたいだ。
結局のところ、何がどうなったのかオレだけ分かってない。
相変わらずアンゲルとハムはニヤニヤしているだけだった。
食事飲み会が終る時にイルデさんが、「仮配属が終わったら、またお世話になります。」と挨拶していた。
そもそもどうやって配属先は決まるんだろうか?
配属先をどうやって決めるのかを全然知らされていないのだが。
まあ、この勢いでイルデさんは天然物研究室の配属を目指すんだろう。
オレは、まだ、何処に配属を希望するか決められない。まあ、まだ全体の1/5を消化しただけだからな。
自分のこれからを考えると何か漠然とした不安や期待でモヤモヤしてくる。
翌日になった。
今日から、天文研究室に仮配属になる。
先日、宿舎の連絡ボックスに初日はメーテスの天文研究室の会議室に集合というメモが入っていた。
グループメンバーと朝食を摂って天文研究室に向かった。
グループメンバーの様子は何時もと変わりない。まるで、昨日と一昨日の事は無かったみたいだ。
天文研究室に着いて、オレ達は准教授の執務室の扉を叩いた。会議室の場所を確認するためだ。
中には年配の女性が一人だけ居た。
互いに自己紹介をして、会議室の場所を訊ねた。女性の名前はデジリーさんだそうだ。
「准教授は会議室でお待ちです。会議室は、この先3つ目の部屋です。」
デジリーさんに会議室の場所を訊いてオレ達は会議室の中に入った。
部屋に居たのは、ダビス准教授だけだった。天文研究室は准教授が二人居るんじゃなかったか?
手元を見ると、様々な記号が記載されている紙がちらばっている。
それまで、その紙の一枚に書き込みをしていた准教授は、オレ達に気付いて、紙を束ね始めた。
「今日から、お世話になります。」
アンゲルがオレ達を代表して挨拶をする。メンバーがそれぞれ自己紹介をした。
「天文研究室で准教授をしているダビスです。仮配属された皆さん。これから半月ほど手伝いを宜くお願いします。
この研究室は、私とピソロの二名で運営してます。二人で活動しているのは、天文台が出来た頃からですね。夜勤が多いので、安全のために二人というのもあったんですけど、まあ二人とも天文学に取り憑かれてしまったってのがあります。
ただ、ピソロは、物理研究所と半ば兼務みたいになってまして、今日は不在です。
昨日からアイルさん達はミネアを訪問していて不在なので、ピソロは物理研究室の対応をしてます。
アイルさん達は、色々多忙でしょっちゅう居なくなりますから、この研究室でピソロが不在になっている事は多いです。
それじゃ、早速ここの仕事を説明しましょう。」
天文研究室は、文字通り、領主館にある天文台で天体の観測をするのが主な業務になっていると説明された。
他には眼鏡などに使用しているレンズを使って、望遠鏡や顕微鏡などの設計をしている。
光に関わる研究をしているという表現をしていた。
「それで、皆さんは、物理の教科書の天体に関して説明してあるところを読んでいたりしますか?」
「ええ。一応メンバー全員で予習はしてきてますけれど、納得行かないことばかりです。」
マラッカさんが応えた。
「そうですか。納得できるかどうかについては何とも言えませんけれど、事前に読んできてもらっていれば、細かな用語の説明は簡素化できるのでありがたいです。
実は、最初のグループの時は大変でした。
こちらの説明が上手くなかった事もあるんですけど、最初にこの大地はガイアという名前の宇宙に浮んでいる惑星だと説明してしまって、その後はこちらの説明に質問が止まらなかったんですよ。
惑星とは何かとか、星はどれも天空に張り付いているものではないのかとか様々な質問というか意見というかが出てきまして。
あの時の方達には私の話している事は信じ難いことだったんでしょう。
結局仮配属が終わる頃になっても結局信じてもらえなかったんじゃないかと思います。
そんな事にならない為にも、質問があれば都度受け付けますから遠慮なく訊いてください。」
准教授は、教科書よりはかなり詳しい内容の書類をオレ達に渡した。
紙には、ヘリオ恒星系と書かれてあった。
准教授の説明によると、この世界は、恒星ヘリオの周りを巡っている複数の惑星で成り立っている。
惑星というのは、天空に輝いている星の種類の一つだ。特徴は他の星々とは違った動きをしている。
これはで昔から迷い星として知られていたものだ。
大地ガイアもその惑星の一つで、恒星ヘリオの周りを回っている。
恒星ヘリオに近い惑星から、順に惑星ヴィナ、惑星ガイア、惑星メゾナ、惑星アストラ、惑星ソタニア、惑星シカニナ、惑星ネプシマと続いていた。
これらの惑星は天文台にある望遠鏡で丸い星として見ることが出来るのだそうだ。
そう言えば、惑星メゾナ、惑星アストラは、セレンと同じように三日月形になって見えることがある。
ネプシマという星は聞いたことが無かった。
准教授の説明では、最近新たに見付かった惑星だそうだ。暗い星で肉眼では殆ど見えないけれど、天文台の望遠鏡を使って見ることができる。そして、他の惑星と同様に他の星々とは動きかたが違う。
惑星ヴィナ以外の惑星には、それぞれ幾つかの衛星がある。
そして、渡された資料には、それぞれの星のヘリオからの距離や星の大きさなどが詳細に記載してあった。
どれもとんでもない大きさで、とてつもなく遠い場所にある。
どうしたら、ヘリオや惑星の大きさや距離を知ることができるんだろうか?
ちなみに、一般に知られているこの世界の説明は全然違っている。
大地ガイアの周りをヘリオやセレンが巡っている。
夜になると天空には無数の星が現われる。その星も大地ガイアの周りを巡っている。
その中に迷い星がある。
明るく輝いている迷い星は他の星々とは違った動きをする。
その動きは予測困難だ。
その迷い星の動きによって地上の様々な事が影響を受けると信じられている。
ちなみに、迷い星は遠い昔にもう二つあった。
双子の星と言われていた星だ。明けのメクシートは夜明けに明るく輝き、宵のメクシートは夕刻に明るく輝いていたそうだ。そしてこの双子の星は同時に出ることが無かったそうだ。
神々の戦いの時にメクシートが破裂して霧のようになって今も天空を覆っている。
これが、良く知られているこの世界の説明だ。
准教授は、望遠鏡で見た星々の美しさや、複雑な動きをしている惑星が実はとても簡単な法則に従って動いているという事の素晴しさを交えながら熱弁していた。
時々、撮影した写真を見せてくれた。
遠くにある不思議な天体と言っている写真もあった。
話としては面白いのだが、最初のグループが困惑していたのは、知識が無かったからだけじゃなくて、この熱量の所為だったんじゃないのか?
嗜好は人それぞれだからな。
グループのメンバーの様子を見ると、一様に引いていると思っていたら、ハムだけ何だか様子が奇しい。
それより、大地が球状の形をしているという方が理解できない。
教科書には、惑星ガイアは直径d37ミロ5サンドデシ(=1,297km)の球形をしていると記載されていた。
この数字自体が驚くような大きさだ。
確か、王都とマリムの距離が1ミロ3クアトサンドデシ(=367km)ということだから、想像を絶する大きさだ。
百歩譲ってガイアが球の形をしているとしても、その大きさなんてものが如何したら判るのだ?
そもそも、山や谷があったとしても、大地は平坦にしか思えない。一体どうしたら大地が球だなんてことになるんだ?
「准教授。質問があります。
この大地が球の形をしているというのが信じられないのですが。どういった理由から球状だと考えているんでしょう? 」
「そうだよな。この大地をずっと西に進んでいくと、そのうちオレ達が立っている方向とは真逆の方向に立っていることになるんだろ。
どう考えても有り得そうにない。」
同調するようにアンゲルも言葉を繋いだ。
「そうでしょうね。普通に生活していたら、大地が球状だなんて思いも寄らないと思います。でも、証拠があるんですよ。
今、王都の時刻は何時だと思いますか?」
そう言われて、オレは会議室の壁にある時計を見た。2時2刻(=午前8時20分)を過ぎたところだ。
「今は2時2刻ですよね?」
「いえ。時差があるので、今の王都の時刻は、0時N刻(=午前5時40分)ぐらいですね。ですから王都は夜が明ける前です。」
時差?何だそれは?
「時差って何ですか?そもそも、今の王都の時刻って……あっ、無線機ですね。」
「良く分かりましたね。そうなんです。無線機で通話することで互いの場所の時刻が違うのは明確に分かります。
最初にマリムと王都が無線で繋がったのは、ノルドル王国との戦争の時です。王宮からは、朝一番の2時(=午前8時)から会議をすると伝えられたのですが、王都の2時は、マリムでは3時4刻6分(=午前10時45分)でした。」
「でも、それはヘリオが大地の上空を移動するのに時間が掛っているだけじゃないですか?」
「その説明だと、夜明けの時刻の説明が付きませんよね。
マリムの夜明けが1時(=午前6時)だとすると、その時の王都はW時1刻6分(=午前4時15分)なので、未だ夜が明ける時刻にはなっていないんですよ。
もし、大地が平坦だとすると、同じ時に夜が明けないと奇しいですよね。」
そう話しながら、准教授は、黒板に丸を描いた。その右の方にヘリオと書く。
「この円をガイアだと思ってください。北側から見た図とすると、ガイアは左回りにぐるぐる回っています。これを自転と言うのですが、一日に一周しています。
ヘリオ側の場所ではヘリオの光が当たっていて、ヘリオとは反対の場所には光が当たっていない場所ができます。 」
そう言いながら、円の右半分のヘリオ側を白く塗り潰した。
「ヘリオの光が当たっている時は昼で、当たっていない時は夜になります。
夜明けになるのは、ガイアが回転してこの夜と昼の狭間になった時です。
日没は、ガイアが自転してちょうど逆の場所に回って昼と夜の狭間の位置になった時ということになります。
王都はマリムより大分西にあるので、マリムが夜明けになった時に王都は未だ夜です。
そして、これが時差というものになって、マリムと王都で時刻が違ってくるのです。」
「昼と夜になるのは、ガイアが自分で回っている所為なんですか?ガイアがヘリオを毎日一周しているんじゃないのですか?」
今度はハムが質問をした。
「そう考えることも出来なくは無いですが、それを基に考えると遥か彼方にあるヘリオが物凄い速度で移動していることになりますね。それに、他の現象と辻褄を合わせようとするとかなり複雑になってしまいます。
ガイアが自転で1日に1回転している事で昼と夜になるとした方が単純で簡単なんです。
そして、他にもガイアが球状の形をしているという証拠があります。
この回転している軸、これを地軸と言うのですが、これはヘリオの方向の垂直からズレています。」
准教授は先刻まで黒板にあった図を消して、今度は真ん中にヘリオと記載した丸を描き、その右と左に丸を描いた。右と左の丸には同じ方向に傾いた直線が交差して描かれてある。
「こちらが、夏の時で、こちらが冬の時のガイアです。
この直線がガイアが回転している軸、地軸です。
マリムや王都は、少し北に位置してますから、まあ、ここらへんだと思ってください。」
そう言って、丸の少し上の場所に×の印を描いた。
「ガイアは1年を掛けてヘリオの周りを回っているので、夏の時と冬の時では丁度反対側にあります。
夏の間は、地軸の北側がヘリオに向いてますから陽の光は天頂近くにあります。冬は、逆に陽の位置が低くなるんです。
そして、少し北にあるマリムや王都では、夏の間は昼が長くて、冬の間は昼が短いのも説明がつきます。
ちなみに、この傾きのために、北の方では、夏は一日中日が沈まない白夜と冬には一日中日が出ない極夜という状況が発生します。
ノルドル王国が最初に侵攻してきたのは、当時のアトラス領最北の場所にあったノアール川です。
その辺りは、夏は一日中日が沈まない白夜になり、冬は一日中日が出ない極夜になります。
そして戦闘が開始したのは冬の極夜の時期でした。
ノルドル王国の大軍を迎え撃つときには暗闇の中での戦闘になる筈でした。
そうなる事を事前に知っていたアイルさんが強力な照明を作ったので戦闘の間はとても明るかったそうです。」
何だか騙されている様な気がするのだが、夏の日のヘリオが高い位置にあることや冬には日差しが低くなることも含めて全てこれで説明が付くのか。
少なくとも大地が平坦だったなら、白夜や極夜なんてものは起こらないのだろう。
その事は、アトラス領で戦闘に加わった騎士達は皆経験しているんだ。
ガイアが球状の形をしているという事についてはあまり疑い様が無いみたいだ。
「どうしたら、ガイアの大きさが分かるんです?」
またハムがまた質問をした。何時もより随分と積極的だな。
それから准教授は、マリムや王都が球状のガイアの上のどこにあるのかを正確に表わすための経度と緯度というものがあると説明をした。
そして、二つの場所の経緯度とその間の距離が分かれば、ガイアの大きさを算出できると教えてくれた。
具体的な計算の方法を説明してもらったが、今のオレには理解しきれない。三角関数というものを使うのだそうだ。
グループのメンバーは一様に浮かない顔をしている。
ただ、ハムだけは不思議と意欲的に見える。
そう言えば、ハムは数学の教科書の内容を一番初めに理解していた。財務省は数字を扱うところだけに、数字に強いんだと関心した記憶がある。
それからも、この世界の話が続いた。ヘリオは天空にある数多の星々の一つにすぎないのだそうだ。そしてその星々には、オレ達の居るような世界があるかも知れないと言う。
「それって、確かなことなんですか?」
モンさんが、准教授の他にも同じような世界があるかも知れないという話に質問をした。
「いえ、今は遥か彼方の星の周辺まで見ることは出来ませんから確認できている話ではないです。でも、これだけ沢山の星があって、ヘリオだけが特別という事は無いだろうと思ってます。」
はっきりした話では無いのだな。逆にヘリオやガイアが特別だという可能性もあるんじゃないか?
写真機に使われている写真乾板を始めて利用したのが天文台であるとか、今は極めて弱い星の光を分光するために特殊な道具を開発しているとかを聞いた。
その技術で、分析化学の精度が向上するのに役立っているらしい。
ガラスのレンズの改良も進めていて、それがメガネや望遠鏡や顕微鏡の役に立っているといった話も聞いた。
初日は様々な天文に関する話を聞いて終った。
天文台での作業の手伝いは夜勤が必要なので、来週実施することになった。それ以外の日は、この天文研究室で、観測結果やそれに伴なう計算の手伝いをするのだそうだ。
「凄いですよね。天文学って。遥か彼方にある世界を構成しているものが分かるんですから。」
宿舎に帰る途中でハムが興奮気味に話している。
どうやらハムは天文研究室が気に入ったみたいだ。
「まあ、凄いのは分からなくは無いけどな。でも、他の研究室も充分凄いと思うぞ。」
興奮気味のハムに応えたのはアンゲルだ。
「そうですか?観測した事を基にこの世界の事をここまで詳細に掴んでいるんですよ。
それに、あの沢山の星々にもここと同じような世界があるかもしれないんですよ。」
「それについては否定も肯定もしないが、天文学は何かの役に立っているとは思えないんだよな。」
「えっ、でも写真の技術や、望遠鏡や顕微鏡の技術の役に立っているじゃないですか。」
「まあ、それも否定はしないが、それは天文学そのものじゃないだろう?
あくまで天文学で特殊な道具を使う必要があって、それが偶々世の中の為になっているだけだと思うけどな。
それで、ハムは天文研究室を志望するのか?」
「ええ。感動しました。」
「いやいや、良いんだ。ハムが選ぶことだからな。ただ、大変だろうな。数字と計算式が山のように出てくるみたいだ。」




