123.工場
キキ准教授とボーナ商店店主のリリスさんがアイルさんとニケさんが飛行船を増産しているところへ向かった。二人はそれ程経たないうちに戻ってきた。
二人とも興奮気味だ。ニコニコしている。
なんだか随分と早く戻ってきたな。
「皆さん。糸の工場を建てることが決まりました。これから大急ぎで工場を建てるためのデータ取りをします。
協力をお願いします。」
「えーと。予算はどうなっているんですか?」
ハムが間髪を入れずに准教授に訊いた。
流石、元財務省だな。
「工場建築の申請書はこれから作成するのですか?」
マラッカさんが続いて質問をした。そうだよな。スタートは申請書からだな。
工場なんて大掛かりなものを建てるんだったら、普通、予算の審議とか申請書の稟議とかで、建築が決まるのに何日も何ヶ月も掛かるんじゃないのか?
「えっ?それは何ですか?」
准教授は驚いて聞き返してきた。
アンゲルが噛み砕いて二人の質問を准教授に説明した。
そもそも王宮に文官が居るのは、計画の申請書を元に予算や申請書内容の妥当性の評価をする為だ。
まあ、オレのが居たところはちょっと事情が違っていた。
大体予算通りに事が進む事なんて無かった。
予算は人件費と微かな経費だけだった。
そもそも犯罪なんてものを予測することなんか出来ない。予測できるぐらいなら防止しているだろう。
そんなものを相手にしていては予算通りに行く訳が無い。主任とか管理官は経費申請に四苦八苦していたな。
「へぇ。なるほど、王宮ではそんな感じで仕事をするんですね。
でも、それ、無いので。」
准教授がそんな事を言い放った。
「無いって、それは、何が無いんですか?」
モンさんが怪訝そうに言った。
「そもそも、コンビナートに工場を建てる申請書なんて有り得ませんよ。
申請書なんて書いたところで、誰も理解できませんからね。
大抵は、工場を建てて、そこで大量に生産して始めて何を作る工場なのか理解できるんです。
それと……予算というのは……えーと……原料になる資材の費用の事でしょうか?
これまで、建設資材費用の予算を捻出した事はありません。
どうせ、倉庫に大量に保管されている余剰素材を使って建てるんですから。」
今度は、オレ達メンバーが驚く破目になった。
「いえ、建築費用って、資材費用だけじゃないですよね。」
ハムが食い下がった。
「うーん。ごめんなさい。何を訊かれたのか、判らないんですけど……資材以外に何か必要ですかね……。
あっ、解った。
ひょっとすると、王宮で作るものって、外注先があったりするんじゃないですか?
それ、無いんです。
というより、頼めるところが無いんですよね。
大抵、造ろうとするものってこれまで無かったのものなので、アイルさんとニケさんじゃなきゃ造れないものばかりですから。
それに、状況に応じて造っている途中で造り直すこともあるんで、とてもじゃないけど誰にも頼めませんよ。
一旦、工場が出来たらその構造物とか保守部品とかはマリムの工房で作られますけど、最初の工場そのものは二人が造っちゃいますね。」
「だけど、もし、大量に生産してから不要だと判断されたら、その工場はどうなるんですか?」
「これまで、そんな事例は無いんですけど、その場合は工場を解体して元の素材に戻すんじゃないかしら。
そうそう。この前までメーテスに在ったヘリウムのガスタンクは、今頃素材に戻して倉庫に保管されています。そんな感じで元通りにすると思いますけど。」
少し前まで、メーテスの敷地の中にどこからでも見える程の巨大なガスタンクが幾つも建っていた。それが、突然姿を消した。
ヘリウムの工場をコンビナートに建てて、何やら特殊な管でメーテスに引き込めるようになったらしい。それでガスタンクは不要になったとは聞いていた。
あのガスタンクは素材に戻されて倉庫か。それは知らなかった。
「すると、アイルさんとニケさんが工場を造ると決めたら、あとは二人が魔法を行使するだけで工場が出来てしまうんですか?」
これまで、黙ってやりとりを見ていたイルデさんが口を開いた。
「いえいえ。そんな事はありませんよ。
だから、皆さんの協力が必要になるんです。
これまで、小規模の生産をしてましたけど、今度は工場ですからね。大型の道具で行なうことになります。その時の反応条件の最適化や、原料の調達の検討をしないと、工場なんて建てられませんからね。
じゃあ、その検討を始めましょうか。」
「キキさん。試作の方も進めてもらわないと困るわ。」
「えっ?リリスさんは来週王都に行くんですよね? 」
「ええ。その予定です。でも布を織ったり衣装を作るのは私じゃないですからね。そちらはそちらで進めていかないと。番頭は王都行きの件には関わってないのでマリムに残りますから進めておきたいわ。」
「そうなんですか。番頭さんは残られるんですね。うーん。それじゃそっちも同時に行なわなきゃならないのか……。」
何だか不思議な話をしている。
番頭さんが残るのと試作を進めるのとどんな関係があるんだ?
気になったので、リリスさんに聞いてみた。
「ボーナ商店の番頭さんがマリムに残るのと試作を進めるのと何の関係があるんでしょう?」
「それはね、メーテスの中に入れるのは、大きな商店でも二人までと決められているからなのよ。
ウチの店では私と番頭の二人が申請して許されているけど、他の従業員はメーテスの中に入れないの。
だから、私と番頭の二人共マリムから離れると試作した糸を引き取りにくるのは難しくなるのよね。」
「そんなことになっていたんですか。」
それでか。ボーナ商店の番頭さんが試作した糸を引き取りにきていたのは。
「それに普通の商店だと、店主が認められれば入れますけど、メーテスに入れる商店はとても少ないわね。
納入品を運ぶ人達は、納入門で物品を渡すだけで中には入れないのよ。
確か、国務館の人達でもメーテスに入れるのは、よっぽどの事が無い限り管理官だけだって聞いてますね。」
「それは、また、どうしてなんですか?」
「ニケさん達を守るためだってことらしいけど。アイルさんやニケさん、准教授の人達って王国でも特別な人達なのよね。だから、メーテスの中に居るのは、ニケさん達を除けば学生と職員、そして一部の商店や工房の人達に限られているのよ。
大勢の騎士さん達が警備しているのもそういった理由からと聞いているわね。
それに、何か秘密の作業もしているのかも知れないわ。立ち入りを制限している場所もあるし。
ここで見聞きした事は、外部で口外するのも禁じられているわ。
私達にしてみれば、メーテスとの繋がりは何にも代えられない事だから、口外することは無いんですけどね。」
それまで、上を向いて考え込んでいた准教授が突然声を上げた。
「じゃあ、作業を三つに分けましょうか。試作のための原料のアセチルセルロースを合成するのと、糸を試作するのと、工場の為の検討をするのと。
二人ずつでその作業に当ってもらえるかしら。」
「それは、二人一組で、三つの作業をするという事ですか?」
アンゲルが確認をした。
「そうね。何かあるとマズいから一人で作業してもらう訳には行かないわ。
工場の為の検討作業の人手が減るのはちょっと痛いけど仕方が無いわね。
それじゃ、相談して分担を決めてもらえるかしら。
あっそうそう。イルデさんは、この研究室を志望するんですよね。イルデさんには工場の為の検討に入って欲しいわね。他にウチを志望する人は居るかしら?」
イルデさん以外のオレ達は互いに顔を見合わせた。そう言えば、モンさんは気象研究室を志望する様な事を言っていたハズだな。
「あら、残念。まあゆっくり考えてみて。ウチは本当にお勧めなんだけど。
じゃあ、分担が決まったら作業場所に移動して作業を始めてください。
工場の為の検討を分担する人は実験室に来てちょうだい。
リリスさんはどうされますか?」
「私は店に戻るわ。色々準備しなきゃ。
キキさん、試作お願いしますね。工場で生産した糸の使い方を色々考えておきますからね。よろしく。」
そう言うとリリスさんは研究室から立ち去った。
キキ准教授はイルデさんを連れて部屋を出ていった。
分担を残った5人で決めることになったのか。
「それじゃ、オレとハムで臭いのキツい原料作りをするよ。ハム。それで良いだろ。」
突然、アンゲルがそんな事を言い出した。
「うぇっ、あれをアンゲルと二人で?……ああ、そうか。それで良いよ。」
「じゃあ、モンは工場の検討の方に行ってくれるかな?」
「えっ、私は別な研究室を志望する予定ですわよ。」
「いいんだよ。それで。」
「あぁ、そういう事ね。分かったわ。じゃあ、私は実験室に向かうわ。」
モンさんは部屋を出ていった。
「じゃあ、それで決まりってことで。」
そう言い終えると、アンゲルとハムはそそくさと原料を作る作業場へ向かった。
後には、オレとマラッカさんだけが残された。
えっ?何だったんだ?今のは。
マラッカさんは何だかソワソワしている。何となく気まずい感じがする。
「えっと、それじゃオレ達も作業を始めようか。」
先刻まで、グループのメンバーで糸を作る準備を行なっていたので、あとは原料を調整して、道具を動かすだけになっていた。
これまで、6人で行なっていた作業を2人でしなければならない。相談しながら糸を取り出せるようになるまで気の抜けない作業をしていく。
最初、会話が固かったマラッカさんも段々と普通に話をするようになった。
二人だけで居たことが無かったから、警戒されているのかも知れない。
3刻(=30分)ほどして糸を巻き取れるようになった。
あとは、道具の状態を監視していれば良いだけだ。
暫らくの間、二人とも無言で、道具の動作しているのを眺めていた。
「ねぇ。ミケルさんの実家ってどんな所なの?」
先刻から何か言いたそうにしていたマラッカさんがオレの実家の事を訊ねた。
「えーと。農地しかない場所だな。村も一つだけだよ。ここに来る直前に11年振りに実家に戻ってみたけれど、全然変わってなかったな。」
「えっ、赴任前に実家に戻ってみたの?ミケルさんの実家って王都から結構遠いんじゃない?」
「鉄道が通ったお陰だよ。マリニエロの駅で降りて、馬で二日ほど南に移動すれば辿り着けるって知ったんだ。それで、赴任前に実家に戻ってみた。
鉄道が無ければ移動に半年近く掛るから、文官学校に入ってからは実家に行くことは無かったな。」
「そうなのね。私も文官学校に入ってから実家に戻ったことは無いわ。ミケルさんのところほど遠くは無いけど、王都からだと一月は掛かるから。
久々に両親と会ったのは、爵位授与式の時ね。」
「オレは、その時出張していて親族とは会えなかった。
えーと、マラッカさんのところは、王都の北西の方だよな。」
「ええ。そう。王国の東の方は良いわよね、鉄道が出来て。
そのまま西に鉄道が延びるのかと思っていたらどうもそうじゃないみたいだし。」
「ああ、そんな話らしいな。これだと、王都周辺とアトラス領周辺だけ便利になっていくみたいだ。
マラッカさんの実家はどんな感じなんだ?」
それから、オレとマラッカさんは、実家の話や家族の話をして過した。
マラッカさんは長男のオレとは違って、三人兄妹の末っ子だそうだ。
上に兄が二人いて、その二人とも魔法が使える。そんな理由で実家の方は跡継ぎが居るので問題は無いらしい。
マラッカさんは魔法が使えなかったので文官学校に入った。
まあ、オレと似たような境遇だな。
文官同士では、態々そんな話をしないけれど、文官をやっている連中は皆同じ様な境遇じゃないかな。
その日は、糸の製造は順調に進み、終業の半時程前に道具を止めて後始末をした。
休日は例によってグループメンバーとマリムの街へ遊びに行った。
女性達がヒソヒソ話をしながらオレの方を見ていたが、あれは何だったのだろう。
どこに行っても、オレはマラッカさんの隣にさせられた。以前は、黙り込んでしまう事の多かったマラッカさんも普通に話をしてくれるようになったから、まあ、それでも良いのだが。
翌週になって、アンゲルとハムは十分な原料を作ったらしく、週の半ばで工場の検討の作業の方に合流した。
オレ達二人はその週もひたすら糸を作っていた。
糸を作っている道具を監視している間は、マラッカさんと雑談をした。
マラッカさんとはかなり打ち解けて話が出来る様になった。




