114.慰労会
宰相閣下一行が無事に王都に着いたという連絡を受けて、オレ達は打ち上げをするためにマリムの街に繰り出すことになった。
ウテント准教授とスーシイさんが一緒なのは分るのだが、交通管理部門ギアン管理官も合流している。
准教授がこっそりオレ達に教えてくれた話によると、今回の打ち上げはギアン管理官から持ち掛けられたもので、支払いは全てギアン管理官持ちだそうだ。
オレ達と管理官、准教授、スーシイさんは連れ立ってマリム駅へ国務館や領主館がある丘を下っていった。
打ち上げの店は、マリム駅に近い場所にある、かなり高級な店だった。
多分オレ達だけだったら、間違っても入ることはないだろう。
店の入口に立っていた男性にギアン長官が声を掛けると、店主と思われる人がやってきた。
「これは、ギアン管理官。ようこそおいで下さりました。今日の会合はどのような?」
「いや、今日は会合ではなく慰労会だな。メーテスの准教授や無事に宰相閣下が飛行船で王都に着くのを手伝ってくれた者達だ。せいぜい持て成してやりたいと思ったのだ。」
「左様ですか。宰相閣下が飛行船で王都まで戻られるとは聞いていましたが……。今日出立なされたのですよね。もう王都にお着きになったのですか。それは……また……。」
「そうだな。毎回アイルさんとニケさんが作るものには驚かされる。王都まで半日で着いてしまうのもそうだが、今回は移動する方法そのものが驚きだ。」
「その通りでございます。最初見たときには、何が空中に浮んでいるのかと肝を冷やしました。
あっ、この様な立ち話をしてしまい申し訳ありません。
お席にご案内いたします。」
「いや、良い良い。今は街中、飛行船の話で持ち切りだろう?昨夜の領主館の晩餐会でもその話ばかりだった。色々と商店主や工房主に問い掛けられたが、応え様もなくて難儀した。」
「また、ご謙遜を。聞きましたよ。今度交通省の長官に就任されるそうで。さあ、どうぞ個室を準備させております。」
店に入ると、そこは広い部屋で、電灯の灯りで明るかった。部屋には高級そうなテーブルと椅子があり、幾つかのテーブルには身形の良い男女が席に着いていた。
案内されるままに、オレ達9人は、店の奥にある小部屋に入った。
この部屋は何だ?
d10人は入れるような部屋なのだが、これが個室という事は無いよな。
店主も一緒なのだから、間違いでは無いだろうが。
全員が小部屋に入ったところで、鉄格子のような入口が閉じた。
少し揺れたと思ったら、この小部屋は上に向って動きだした。
「うわっ。」
誰かが声を上げた。ひょっとするとオレだったかも知れない。そのぐらい驚いた。
「初めてでしたか?先にご説明せず申し訳ありません。これはエレベータという道具です。階段を使わずに上の階と行き来できます。」
店主がオレ達に説明してくれた。
この小部屋はゆっくりと上に昇っていく。2階を過ぎ、3階、4階を過ぎ、5階に着いたところで小部屋は止まり、店主が扉を開けた。
扉の先は広い廊下になっている。廊下には扉が幾つもあった。
「さあ、こちらへ。」
店主に誘われるままに、廊下の一番奥にあった扉から部屋に入った。
部屋の中には、d10人は席に着けそうな大きな丸テーブルがあり、そのまわりに意匠を尽した椅子が9脚あった。部屋の壁沿いには高価そうな壺や絵画が並んでいた。
扉の対面には大きなガラスの窓があった。離れたところに向いの建物が見えたので、大通りに面した部屋の様だ。
オレ達は、窓に寄って外を眺めた。左手の何ブロックか先にマリム駅があった。
5階ということは最上階だな。マリムの中心街の建物はどこも5階建てだ。
「あっ、あそこ。ボーナ商店よね。」
マラッカさん、モンさん、イルデさん女性三人が大通りを挟んで筋向いの区画にある建物を指差している。
この前の休日に、女性三人は連れ立ってマリムの街に買い物に出ていた。
オレ達男性三人は大浴場という遊戯施設に行った。
女性達はボーナ商店に行ったらしい。王都にあるボーナ商店は有名な服飾の大店舗なのだが、本店はマリムなのだそうだ。その日の夕刻の食事時の女性達はボーナ商店の話で盛り上っていた。
ボーナ商店は、マリムの一等地にあるんだな。
既に夕刻というよりは夜に近付いていて、空も明るさを失なっている。それでもマリムの街は明るい。
こんな時間でも大通りは馬車や人の流れた途絶えることはない。
グループのメンバーで、窓に張り付いてマリムの夜景を見ていたら、
「そろそろ、席に着いて食事にしましょう。」
准教授から声が掛かった。
管理官の右隣りが准教授、左隣りにスーシイさんが座った。オレはスーシイさんの隣で、オレの隣はマラッカさん、その隣はハム、イルデ、アンゲル、モンさんは准教授の右隣りに座った。
それまで部屋の脇に控えていた係の男性ががうやうやしく皆にメニューを渡してくれた。
ただ、料理名を見ても、酒の名前を見ても何がなにやら分らない。
メンバーの様子を見ても同じく困惑顔だった。
准教授もスーシイさんも同様だったみたいだ。
「長官。ちょっと高級すぎて、料理も酒も見たことのないものが並んでますね。
申し訳ないのですが、注文は長官にお任せしても宜しいでしょうか?」
准教授がギアン管理官に頼んだ。
「それでは、注文は任せてもらおうかな。皆もそれで良いかな?」
オレ達も准教授と同じ意見だ。皆頷いている。
ギアン長官が係の男性に声を掛けて色々と注文をしてくれた。
その男性は、注文を伝えるために部屋を出ていく。
係の男性は変わった衣装を着ていた。この部屋まで来る途中で見掛けた従業員は、皆黒い色をしたその変った服装をしていた。
隣に居たスーシイさんに聞くと、マリムで駅員や船の職員達が制服というものを使うようになってから、高級な店では皆筒袖、筒状袴を好んで使うのだそうだ。
「それ、ボーナ商店の店員さん達も同じ感じだったわ。あちらは薄緑色の明るい服装だったけどね。」
となりのマラッカが補足してくれた。
服飾店だとどうだか判らないが、こういった店だと配膳の時に袖のあたりが邪魔にならないから合理的なのかもしれない。
程なくして、係の男性が戻ってきて、オレ達の前にカトラリーが並んで、飲み物と野菜の盛り合わせが出てきた。
「それでは、乾杯をしようか。宰相閣下ご一行が飛行船で無事に王都に着いたのは皆の働きが大きい。この事で飛行船で各地に運航する第一歩になった。ご苦労さま。そして有難う。では、乾杯。」
乾杯の音頭で手元にあるガラス容器に入っている赤い色をした酒を口にした。
美味い酒だった。
マリムの酒は雑味の無い芳醇な味わいがある。
王都でもこの味の酒は飲めない。これまで良く飲んでいた酒は、酸味が強かったり、苦味が酷かったりしたものが多かった。
これは酵母という酒を作るのに欠かせないものの管理が出来るようになったためだそうでマリム特有のものだ。
野菜の盛り合わせは、新鮮な生野菜と蒸し鶏だ。それにドレッシングというものが掛かっている。酸味のあるドレッシングと淡白な蒸し鶏が良く合っていた。
「長官はこの店の店主とも懇意の様ですが、良くこの店を使われるのですか?」
「それほどでは無いと思うが。時々、大型船の運航や鉄道の運行について商店主や工房主と会議をするのだが、その後この店に来て飲食を共にすることがあったのだよ。
会議の席では当り障りの無い意見を言っていても、酒が入って和んでくると本音が出てくる。
特に工房主でその傾向が強かったな。
もともと私は騎士団の工兵だったので、こういった事は経験が無くてな。やはり飲食を供にして忌憚のない話を聞くことが重要なのだと思ったものだ。」
「本音と言うと輸送量を増やしたいという事ですか?」
「それはそうだろう。
大型船が運航するまではマリムの産物は陸送で王都まで2ヶ月以上掛けて運んでいた。
運送代や関税で商品の何倍もの費用が掛っていた。
それが費用が商品価格以下に下がって、1週間掛からずに王都の商店に荷が運べるのだ。
どの商店も工房も自分のところの商品を優先して欲しがっていた。
流石にどこかを優遇することなど出来ないから、その要求を捌くのが大変だったのだ。
今は鉄道が開通して大分収まってきたのだが、今でも要求は強い。」
「どうやって捌いていたんですか?」
「捌くというか、横車を押そうとする者を抑えていたという感じだな。金でどうにかなると思う不心得者も居るのだが、そういった輩は警務団に取締ってもらっている。
我々がする事と言ったら、重い荷が多い時には空いている場所に軽い荷を増やしたり、積み込みの作業の効率を上げるといったことだけだ。
船の運航本数を増やしたり、鉄道の運行本数を増やすには、港の整備、人員の確保、アイルさんとニケさんの手を借りるなどしないとならない。」
「やはりアイルさんとニケさんの手が必要なのですか?」
「今のところはな。大型船や鉄道の動力車は流石に二人でなければ無理なのだが、鉄道の貨車は作れる工房が出てきた。まだ安全性の確認が終っていないのだが、確認でき次第使っていくことになるだろう。船についても小型の物は作れるところが出てきた様だ。
考案税申請書を見て、発電機や大型のモーターなどを作ることころも増えてきている。
段々とだがお二人の手を借りなくても済むようになりつつあるのかもしれない。
ただ、飛行船はどうなのだろうか?
どうやら飛行船の考案税申請の主要な部分ははほとんど完了したらしいな。
これも王都から来た文官のお陰だな。以前鉄道の考案税の時には、半年以上の日数が掛ったんじゃなかったかな。
昨日の晩餐会でも主立った工房主が飛行船をどうやって作るかで盛り上っていた。」
そんな状況にあるのか。
王宮で仕事をしていたら、こんな話を聞くことも無かっただろうな。
次の料理が運ばれてきた。
これは煮魚かな?
いや、小麦の衣が付いている。
一旦油で揚げてから、スープの様なものが掛かっているのか?
ナイフで一口切って口に入れた。芳ばしい衣の味と、スープの味、甘い魚の身の味が合わさって何とも言えず美味だった。
「これ、美味しいですね。」
ハムが素直な感想を口にした。
「気に入ってくれたのなら嬉しいな。選んだ甲斐がある。
そうそう、王宮の文官と言えば、君達には色々世話になったな。」
「いえ。私達は准教授に言われた事をしただけです。」
管理官の言葉にアンゲルが応えた。
「そうね。初日は計算の量が多くて大変だったけれど、あとは大したことはなかったわね。」
ハムさんがそれに加わる。
「それでも、准教授一人だったら、とても適切に天候の予報をすることは出来なかったのではないか?」
「そうです。随分と助かりましたね。皆さんとても優秀で。作業を始めた時には計算尺の使い方も熟知していましたね。」
「そうでしたか。飛行船などと言うとんでもないものが生み出された時に王宮から多くの優秀な人達が居たのは幸いでしたね。皆さんは、宰相閣下が連れて来られたのですよね?」
「はい。若手の文官として宰相閣下から指名を受けて異動して来ました。」
アンゲルが応えた。
「なるほど。宰相閣下はこういった事態を予想されていたと言うことなのかも知れませんね。ところで、気象観測の道具の設置場所の選定の状況はどうなっていますか?」
「あらかた終了しています。そのまま提案書として上げられる様になっています。」
アンゲルがあらかたと表現したのは理由がある。オレが過去の事件などを調べて、何も出てこなかった候補地が幾つかある。
嘗ての同僚に調査を依頼したのだが、そもそも何も無かったことを証明することは難しい。
これだけ調べたので、過去に重大事件が起こっていないと判断しても良いのだが、保留になっている。
「そうか。それならば明日、部門の者をメーテスに送るので、その者に書類を渡してもらえないか。私は来週早々に王宮に呼ばれている。
その資料を持って行きたい。」
「宰相閣下が王都に戻られて、王宮に呼ばれたということは、いよいよギアン管理官は長官に就任ですね。」
准教授はアトラス領の元騎士のギアン管理官が長官になる事が我が事の様に嬉しいようだ。
「まあ、そうなるのだろうが……これからやる事が山積みだ。
鉄道や船はまだ良いのだ。
鉄道は線路があるし、船は安全な航路は決まっている。
飛行船はそういう訳には行かないだろう。
航行規則を作ったり、標準的な航路を決めたり、それに伴なって気象観測の道具やビーコンを設置していかなければならない。
まだ、飛行船の隻数が少ない内は良いのだが、気が早い工房は飛行船の製造に取り掛かろうとしている。
大量にマリムで造られたりしたら、かなり大変なことになる。」
「そんなに直ぐに飛行船は増えないのではないですか。ヘリウムやチタンという金属が必要ですよね。」
「それはそうだろうが……アイルさんとニケさんが工場でも建てて供給を始めるんじゃないか。」
チタンという金属は、少し前に始めて見た。というより、オレ達の職員証はチタンの板で出来ていた。硬い金属だというのにとても軽かった。飛行船に使われるのも当然なのだろう。
「でも、飛行船なら、線路が無くても、海や川に面していなくても何処にでも行けるんですよね?凄い事じゃありません?」
マラッカが無邪気にそんな事を言った。
「まあ、そういう事だ。大変とは言ったが、これから更に大きく世の中が変わるのだろうな。」
その後、ビーコンの仕組や運用方法の話とか、今後小型船が出てきた場合にどうなるのかなど話が尽きなかった。
料理は、ジュウジュウ音を立てて焼けた状態のステーキ、油で揚げた鶏肉などが出てきた。
どれもこれも、他の店で食べたものより美味かった。食材や調理方法が違っているのかも知れない。
最後にアイスクリームというデザートと紅茶を飲んで寛いだ後、慰労会は終った。ギウゼ管理官と食事の礼を言って別れた。




