110.気温、気圧、湿度
「そう言えば晩餐会の時に説明が難しいから仮配属されたらお見せすると伝えていましたね。
大体、ここでの業務の内容の説明も出来ましたらから、これからお見せしましょう。
隣の部屋に道具類が置いてあります。
そう言えば、気温とか、湿度とか、気圧という言葉の意味は知っていますか?」
皆で顔を見合わせた。
気温は分らなくは無い。空気の温度だよな。朝は涼しくて昼は暖かいその違いだろう。
一方、湿度というのも、気圧というのも殆ど気にした事がない。
先刻読んだ准教授が用意してくれた文書を皆で読んで、あれこれ話し合ってなんとなく分ったというところだ。
「皆さん自信が無さそうですね。隣にあるのは気温や湿度、気圧測るための道具ですから、道具を見る前に概略だけ説明しましょうか。」
准教授がオレ達の顔を見回した。皆頷いている。
「じゃあ、まず、気温や湿度、気圧をどう表わすかですが……」
気温も湿度も気圧も単位が決まっていて長さや重さと同じように数値で表わす。
そうしないと、比較が出来ない。
温度は、アイルさんとニケさんが定めた。水が凍る温度を0度として水が沸騰する温度をd100(=144)度としている。
アトラス領の北方の領地では、冬の間、気温が0度を下回る。その場合には数字の前に筆算で使う引き算の記号を付けて表わすのだそうだ。つまり-d10度は水が凍る温度よりd10度低い温度という事だ。
准教授は温度計という道具を見せてくれた。ガラスで作られた棒の様なもので、先の部分に銀色のものが入っている。
銀色の部分は水銀という金属なのに液体という変わったものが入っている。銀色の部分の上はとても細い管になっている。温度が変わると水銀も気体と同様は体積が変わる。
体積が大きくなった分、細い管に水銀が溢れて水銀の上端の位置が変化する。どの位置に水銀の上端があるかで温度が分かる。
この温度計という道具は、気温を測るだけでなく、様々なものの温度を測るのに使うので、研究所の中のあちこちにあるのだそうだ。
水銀は毒なので、もし温度計が割れて水銀が飛び散るようなことになったら、誰でも良いので近くの准教授に処置を依頼するようにと言われた。
決して、中に入っていた銀色のものに触らないようにと注意された。
気圧は圧力というものを測る。圧力というのは面積あたりに加わっている力のことだそうだ。
単位はデシで大気の圧力と同じ圧力の水銀の高さで測るのだそうだ。
デシは長さの単位なので、正確にはデシHgと表記する。
測定するのには液体が必要だそうだ。水銀は毒なのだけれど、知られている限り一番比重が高い液体は水銀なのでそれを使っている。
もし水で同じ測定道具を作ろうと思ったら高さがd90デシ(=10.8m)ほどになるらしい。
先の飛行船のときの説明で、空気にも重さがあると言っていた。地面に居るオレ達には上空にある空気の重さが掛かっている。
全く気にした事も気付いた事も無いのだが、ありとあらゆる場所にその重さが掛かっていて、地面に居るオレ達は空気の重さに押し潰されている状態なのだそうだ。
どのぐらいの重さが掛っているのかを聞いたら、1デシ平方(100平方cm)あたり、d96キロ(=114Kg)も掛っていると言う。吃驚だ。
「そんな小さな場所にd96キロって、奇しいんじゃないですか?」
モンさんが食い付いていた。
「確かに大きな数値ですけれども、奇しくは無いんですよ。実際にこれは量ることが出来て、量った結果ですから。」
「でも、体にそんな重さが掛ったら普通動けなくなりません?」
「動けるかどうかというのとは、ちょっと別な事ですね。
動けなくなるのは、上からだけその重さが掛かっているという様な場合ですね。
この場合は上からも下からも、どの方向からも均等に同じだけ重さが掛かっていて、動くのを邪魔してませんから。」
「下からもですか?でも准教授はこの重さの原因は上空にある空気の重さと言いましたよね。上から重さが掛かっているんじゃないんですか?」
「圧力が掛かっている原因は上空の空気の重さですけれど、その重さを支えている力が下から上に向って同じ強さで掛かっているんですよ。そしてその力は前後左右全ての方向に掛っています。」
「もし、一方からだけ力が掛かると、空気は押されて動いていきます。上から均等に力が掛かっているのであれば、空気は動きません。それは押された力に対抗して同じだけの力を返すからなんです。
作用と反作用と言うんですが、これは理解するのが少し難しいかもしれないですね。
掌を壁に当てて、壁を押したとします。壁は頑丈なので動きません。
でも、この時押したのと同じ力で掌は壁から押し返されているんです。
もし、壁じゃなく、二人の人が掌を合せて押し合っている場合を考えてみましょう。
壁の時と同じ様に動かない場合は、相手の人の押す力が同じ時ですよね。
壁は押された力と同じ力で押し返しているんです。」
准教授は黒板を使って説明してくれた。
何だか騙されているような気になった。
周りを見ると、皆微妙な表情になっている。
「解り難いかもしれないですね。作用と反作用については物理の教科書の始めの方に記載されてますので、そちらを見てもらうのも良いでしょう。
そして、場所によって気圧が違えば、気圧の高いところから低いところに空気は押されていきます。それが風です。
逆に、周りの気圧が殆ど変わらなければ風が起きないんです。風が無い状態はそういう場合に発生します。」
他にも気圧と温度の話をしてくれた。
水が沸騰する温度は気圧が変わると変わるのだそうだ。水がd100度で沸騰するのは標準気圧の場合で、それよりも気圧が低いとd100度より低い温度で水は沸騰する。気圧が高いと逆にd100度以上の温度にならないと水は沸騰しない。
ちなみにその標準気圧というのは、d8.1Nデシ(≒815mm)で、アイルさんが何度もマリムで気圧を測定して決めた値だそうだ。
先刻出てきた気圧を測る道具に使っている水銀は温度計に使っている様に、温度が上がると膨張する。その時の気温で補正する必要があるそうだ。
何とも複雑怪奇な話だ。気温も気圧も相互に絡み合っているように見える。
湿度というのは、空気の中にどのぐらい水が溶けているかを表すもので、d%を単位に使う。
水がこれ以上空気に溶けない上限というものがあって、その時の湿度がd100d%で、全く水を含まない状態の空気の湿度は0d%となる。
ここでも、気温との関係があるのだそうだ。気温が低くなると水は空気に溶け難くなる。
「冷たいエールが入っているガラスのコップの外側が濡れているのを見たことはありませんか?」
マリムにやって来て、冷たいエールを飲む事が増えた。以前は飲み物を冷たくするなんて事は無かった。確かに冷たいエールを飲んだ時にコップが濡れていると思ったことがある。言われてみれば不思議な事だ。あまり気にしていなかったが……。
グループのメンバーは頷いているから、気付いていたのだろう。
「あれは、冷たいエールで空気が冷されて、空気に含まれていた溶けきれない水が液体の水になってコップの表面に付着したんです。
これが雲が出来たり、雨が降ったりする原因だと考えています。
多分上空の気温は地上の気温より大分低いのでしょう。
ただ、上空の気温を測ったことは無いので、予想なんですけれどもね。」
あれ?飛行船だったら上空の観測ってできるのではないのか?
そう思ったときに准教授が
「飛行船というのは上空の気象を調べるのにとても役に立ちそうなんです。
ただ、自由に使えるようになるのは、まだ大分先の事でしょう。
アイルさんにお願いして、気象研究室に飛行船を作ってもらえないか交渉しようと思っているんですよ。」
と言った。オレが思い付くぐらいの事は当然考えてるよな。
「こんな具合に、気温、湿度、気圧、そして風などは相互に関連した現象なんです。
しかも、広範囲に影響があるんです。」
「気象観測網での観測装置の設置場所ですが、広範囲に観測の道具が置かれてない場所があるのは良くないのではありませんか?」
モンさんが質問をした。
「そういう観点で選定場所を選ぶことも大切かもしれません。」
「どのぐらいの範囲、設置されていない場所があると不味いんでしょう?」
「うーん、どうかな。d200サンドデシ(≒50km)ぐらいに一箇所は欲しいかもしれないですね。
ただ、そうすると、設置する場所が多くなるだろうと思うんですよね。
それに、この地図。
王国の西の方とか、旧ノルドル王国あたりはかなり不正確なので、この地図を頼りにする訳にはいかないですし。
優先順位で設置場所を決めて、正確な場所や他の場所との距離を調べてから、設置場所を検討した方が良いのかもしれませんね。
さて、概略の説明はこんな感じです。ただ私もまだ良く分っていないことだらけですから研究しながら学んでいるところです。
もし疑問に思うことがあったら聞いてください。一緒に考えましょう。
それでは、道具の置いてある部屋に移動しましょう。」
それからオレ達は准教授に付いて隣の部屋に移動した。
その部屋は、これまでの部屋の倍ぐらいの広さの部屋だった。
ただ、部屋の入口側の半分ぐらいには床の上に等間隔で棚が並んでいた。
その棚には見たことの無い道具が整然と並べられている。
奥の場所に会議で使っている大きさの机があって、机の上には様々な胴部の部品と思われるものが置いてあった。
「ここは、観測装置の改良や修理を行なうための作業場兼道具類の保管場所なんですよ。
今も、古い故障した観測装置が破損した場所を調べているところです。
あっ、そうそう、部屋の一番奥に、気圧を測る道具があるんです。
あれで気圧がどのぐらい強いものなのか解ると思います。」
先刻、ハムさんが食い付いた話題だな。
その道具は、木で出来ている縦長の収納庫に収まっていた。正面はガラス張りの扉になっていて、扉を開けなくても中が見えるようになっていた。
「これが、先刻説明した水銀の高さで気圧を測る道具です。」
そう言いながら准教授は正面の扉を開けた。
「ガラスで出来ている管の中は全て水銀が詰っています。
一番下の部分に水銀が溜っているところがあって、溜っている水銀の表面から、ガラスの管の水銀の上端までの長さで気圧が解るんですよ。」
ガラスの管は銀色をしていて、先刻の温度計と同じくガラス管の上端の位置が見える。
そのガラス管の上部は閉じてあって、とても細長いコップを逆さにしてあるような構造だ。
「ちなみに、水銀の上の部分に隙間がありますけど、そこは何も無いんですよ。」
准教授は上部の空間を指差しながら言った。
「何も無いって、どういう意味なんですか?」
「このガラス管は上部が閉じてますでしょ?この測定器を設置する時には、先が閉じている方を下にして、水銀を中に入れていくんです。そして、空気が入らないようにして、水銀溜りの上に立てるんです。
立てた管を固定してその後で水銀溜の容器を下に下げていくと、上部に空間が出来ます。
水銀溜りの表面の位置から空間までの高さは、気圧が一定だと同じ高さなんです。
つまり、ガラスに詰っている水銀の重さと、水銀溜りの表面を押している空気の圧力が釣り合いを取っているんですよ。
そんな操作で生まれたこの隙間の中にはには何も無いんです。」
何も無いって……今の話だと上の隙間は空気という訳じゃないんだよな。何も無いところがあるって何か矛盾してないか?
「それで、この水銀の重さが気圧の大きさになります。水銀の比重は量れますから、このガラス管の中の水銀の重さは計算できます。その重さがガラス管の断面積に掛っているんで、先に説明した
1デシ平方(100平方cm)あたり、d96キロ(=114Kg)という結果になるんですよ。」
何か、どこかで誤魔化されているんじゃないかと思って、考えてみたんだが、どこも変な話じゃなさそうなんだが……。
何だか納得出来ないことだらけだな。
「皆さん、何か納得出来ない顔をしてますね。時間を掛けて考えてみてください。
じゃあ、気象観測をする道具の説明をします。そこで無線についても説明しますね。」




