109.複写
「あら、そうなんですか。じゃあ昔からの知り合いなんですね。」
「ええ。そうです。ところで、ジーナに世話になっていたというのは、考案税申請でですよね?」
「いえ、違いますよ。この研究室は考案税の申請を殆どしませんからね。」
「えっ、それじゃどういった事で世話になっていたんです?」
「メーテスを開校するのにあたって、学生達の為に大量の教科書を準備しなきゃならなかったんですよ。
でも、膨大な量の文書を書き写したりしたら時間がいくらあっても足らないでしょ?
ですから、最初の内はニケさんとジーナさんの複写魔法で大量に複写して準備してたんです。
今は複写の道具が出来たので、同じ文書を大量に準備するのはその道具を使用してます。」
「えっ!」
オレも、オレとスーシイさんの会話を聞いていたメンバーも一様に驚いた。
「文書を複写する道具があるんですか?」
アンゲルが驚いた表情のままスーシイさんに聞いた。
確かに複写する道具ってのは驚きだけど……驚いたのはそこか?
ジーナの魔法って方が有り得ないんだが。ジーナの複写魔法って……どういう事なんだ?
それから、グループのメンバー達はその複写の道具についてスーシイさんに聞いていた。
オレは、昔、誰かからジーナの話を聞いている時に魔法という言葉が出てきたことがあったのを何となく思い出した。ただその内容が思い出せない。グループのメンバー達がその道具について聞いている間、オレはその朧げな記憶を追っていた。一体何時、誰が何の話して魔法なんて言葉が出てきたんだ?
オレが昔の記憶をどうにかしようと思っている間に色々な情報が出ていた。
複写の道具というのは、紙に書かれた文書をそのままの形で複写することができる道具で、まだマリムでも数えるほどしかない。
あまりに大量の文書の複写をするのに嫌気が差したニケさんがアイルさんと相談して作ったものだそうだ。
構造がかなり複雑な上、消耗品に、未だアイルさんやニケさんの魔法じゃないと作れないものがあるらしい。
メーテスでは各研究所に1台ずつ、事務棟に1台置かれている。
物理研究所では、オレ達が最初に入った広い部屋に置いてある。
他は、アトラス領主館、国務館それぞれに何台かずつあるのだそうだ。
「商店でも持っているところがあるんでしょうか?」
アンゲルが聞いていた。
「さあ、どうでしょう。アイルさんやニケさんと付き合いの長い商店だったら二人に頼み込んで作ってもらっているかもしれないです。
でも、消耗品の事もあるのでそれをどうしてるのか……。
ひょっとすると、消耗品を作れる工房が出てきているかもしれませんね。」
「なるほど。おいミケル。やっと謎が解けたぞ。」
まあ、そんな事だとは思ってたよ。それより肝心の謎なんだが……。
あっ、思い出した。
確か考案税の同期と話をしたときだ。ジーナが大量にある過去のアトラス領の考案税申請書を写して国務館に持ち帰ったと言っていた。
同期は「ジーナが魔法を使って、大量の文書を写した」と言ったのだ。
あのときオレは「魔法を使って」というのは「魔法の様な巧妙な方法で」という意味で言っているのだと思っていた。
魔法が使えない文官のオレ達が魔法を使うなんて事は考えられない。それに、犯罪者の隠語で、「文官の魔法」というのがある。
あまり良い意味で使われる言葉じゃない。その言葉自体、詐欺と同義語だったりする。あとは信じられない方法とか、悪賢い手を使ってとかという意味になる。
文官というか法執行官が憎まれる対象になっていたり、偉そうにしている文官は魔法が使えない事を嘲笑う意味でこんな言葉が生まれたと聞いたことがある。
どうやらオレは法執行官の考え方に染まっていたのかもしれない。
あの時、同僚は、何度も「魔法を使って」というのを強調して言っていたんだが、オレは言葉通りに受け取れなかった。
オレは、「そりゃ凄いな大量の文書を写して持っていったのか」とだけ応えていたな……。
もし、ジーナがその複写魔法ってやつを使えたのだったら話が全く噛み合ってなかったって事になる。
「それで、スーシイさん。先刻の話ですけど、ジーナが複写魔法を使ってたって、本当なんですか?」
「ええ。ジーナさんはニケさんと一緒に魔法を駆使して凄い勢いで大量の文書を複写してましたよ。」
「えええぇ!」
今度は先刻よりもメンバーの声が随分と大きい。
驚くんだったら、やっぱりこっちだろ?
「ミケル。ジーナさんって魔法が使えたの?」
モンさんが聞いてきた。
そんな訳無いだろ。
ジーナも何処かの領主の娘だ。魔法が使えてたなら、別な人生を歩んでいた筈だ。
「魔法が使えたなら文官なんてしてないと思いますよ。」
「そっ、そうよね。じゃあ、何で魔法が使えるの?」
「それはオレも知りたいよ。えーと、スーシイさん。本当に魔法だったんですか?」
「ええ。そうですよ。
私がジーナさんと会った時にはジーナさんは普通に魔法を使ってました。
王宮の文官の人の中には魔法を使える人も居るんだなって思ってたんですけど……。
ジーナさん、昔は魔法を使えなかったんですか?」
普通に魔法を使ってたら、それ自体は不思議だと思わないよな。
文官にも魔法が使える人が居ると思う方が自然だ。
これは本人に直接聞くしかなさそうだな。
どうせ、あの感じだと度々メーテスに来るんじゃないかな。
「ジーナは魔法が使えなかった筈なんですけど。こればかりは本人に聞いてみた方が早そうですね。」
「ええ。ご本人に聞かれるのが良いと思います。だけど、魔法が使えなかった人が魔法を使えるようになる事ってあるんですか?」
「無いと思うんですけど……不思議な話です。」
「そうですよね。」
「じゃあ、ミケル。その話はジーナさんに会ったら聞いておいてくれよ。
それでどうする?」
「どうって、またか。一体何をだよ?」
「いや、机の順をどうするかだけど。」
「そんなもの生れた順にでもしときゃ良いんじゃいか?」
「そうだよな。そうだ。それが自然だよな。」
一体何を言い出してるんだ?
そう思ってメンバーを見たら、マラッカがやけに嬉しそうにしている。
他の連中は、また優し気な表情でオレを見てる。
本当にどうなってるんだ?
オレは奥から三番目の席に着いた。ガイダンスの時と同じ並びで、一番奥はアンゲルで、モンさん、オレ、マラッカさん、ハム、イルデさんの順番だ。
席に着いて、準備してくれたという文具を見た。ガラスペンとかインクとかの中に見覚えのないものがあった。
真ん中が動く定規のようなものだが……あぁ、勉強会の時に読んでいる資料にあったな。計算尺ってやつか。
「ミケルさん。計算尺がありますよ。これを使うと計算が楽になるって書いてありましたよね。」
「ああ。実物を初めて見たな。」
これ、練習しないと使えるようになるとは思えないんだが、宿舎に持ち帰っても良いものなんだろうか?
「スーシイさん。この計算尺って持ち帰っても良いものなんでしょうか?」
「ええ。それは今回の文官さん達への支給品の一つで研究室のものじゃないんです。
計算尺はアイルさんも准教授さん達も持ち歩いてますよ。」
そうか。それなら勉強会の時にでも練習すれば良いのかな。
「じゃあ、今日の勉強会の時に使い方を習うのが良いんじゃないか?」
「そうですね。早速今日の勉強会の時に使い方を勉強しましょう。」
なんだかマラッカは楽しそうだ……。
「スーシイさん。この研究室の事が解るような資料がありませんか?准教授がお戻りになるまで読ませて頂きたいのですが?」
モンさんがスーシイさんに問い掛けた。オレもそんな資料があれば、何もしないで唯待っていなくて良いから有り難いな。
「准教授が皆さんが興味があればと準備されたものがあります。」
スーシイさんは、モンさんに少し厚めの文書をファイルにしたものを渡した。
「これは、何でしょう?」
「今の段階で判明している気象現象について記載したものだそうです。」
へぇ。そんなものを準備してくれたのか。少し興味があるな。
「モンさん。読んだらオレにも見せてもらえません?」
「あっ私も見たいです。」
「皆さん、興味がお有りですか?」
スーシイさんが、オレ達に聞いた。
メンバー全員が興味があるので読みたいと言う。
「人数分ありますから、皆さんにお渡ししますね。」
スーシイさんは、微笑みながら、オレ達全員にそのファイルを一つずつ渡してくれた。
それから、メンバーでその資料を読みながら、不明な点を互いに話し合ったりして過した。
空気に重さがあるとか、空気に水が溶けているとか知らない事だらけだった。
空気の圧力が下がると軽くなった空気が上昇するとあった。
空気が上昇すると雲が出来る。
雲が出来ると雲の中の水が落ちてきてそれが雨になる。
雲が出来る理由や雨が降る理由なんて、これまで考えたこともない。
この空気が上昇したり下降したりするのって、あの浮んでいた物体に通じることろがあるのだろうか。
知ってしまうと色々疑問に思うところが出てくるものだな……。
ウテント准教授が研究室に戻ってきたのは2時(=4時間)近く経ってからだった。
昼食の時間の直前だ。
「やあ、皆さん、ここに居たんですね。あっ、それは私が準備した資料じゃないですか。読んでくれたんですか。」
なんとなく、准教授は嬉しそうにしている。
アンゲルが、准教授に訊ねた。
「考案税の申請書を書く仕事があるんですよね。」
「いや、今回、気象研究室は免除されました。それよりアイルさんから仕事を言いつかっているんです。
王宮文官の君達に手伝ってもらいたい事があります。」




