108.ジーナ
「ジーナ。こんな所で何してるんだ?」
「えっ?あれっ。ミケルじゃない。あなたこそ何でここに居るの?」
今日は気象研究室への出仕初日だ。
グループのメンバーと一緒に朝食を摂って、気象研究室に向かう途中、物理研究所に入るところに見覚えのある女性が居た。
彼女の事務所は国務館にあった。何故朝からメーテスに居るんだ?
「オレは、王宮からメーテスに異動になったんだ。今日から気象研究室に出仕だよ。」
「ああ、先週王宮から大勢やってきたと思ってたけど、その中にミケルも居たんだ。知らなかったわ。
ふーん。遂に法務省から追い出されたって訳だ。色々やりすぎたんじゃない?」
「いや。そんな事は無いぞ。宰相閣下から直々に異動を告げられた。法務省では惜しまれながらの異動だった。」
「へーえ。まあ、そういう事にしときましょ。それで、気象研究室に配属になったの?」
「仮配属だけどな。これから半月毎に違う研究室に仮配属していって、本配属は大分先の事だ。
そんな事より、ジーナが朝から何でこんな所に居るんだよ。お前の事務所は国務館じゃないのか?」
「そんなの決まってるでしょ。考案税申請書の為よ。先日、アイルさんとニケさんがとんでも無いものを作ったじゃない。アイルさんとニケさんと話をしたら、宰相閣下への対応で時間が取れないっていうから、准教授達と相談するために来たのよ。」
「相談って、一昨日准教授の人達、どうなっているのか全然解らないようなこと言ってたぞ。そんな状態で相談なんて意味があるのか?」
「こんなとんでも無いものが出来ちゃったら、分担を決めないと一歩も進まないのよ。
アイルさんから沢山図面を貰ってきたからどうにかなるでしょ。
鉄道の時なんて大変だったんだから。
線路の形、車輪の形、駆動する仕組、発電機の構造、客車の構造、寝台車、食堂車なんてのもあったわね。項目数だけでd100件を越えてたわ。申請書の数は……思い出したくもないわ。
今回のは空中を移動してるのよ。
どんだけ考案税申請書を揃えていくのが大変になるんだか……。
学校の方はどうにかするでしょうけど、しばらくメーテスの研究は止まるわね。」
「オイ、この女性は誰なんだ?」
アンゲルが怪訝な表情でオレに聞いてきた。
同じグループのメンバーと一緒だったのを忘れて話し込んでしまっていた。
「この人はジーナ・モーリ。オレの同期の文官で、国務館の考案税……あれ?正式な名称って何だった?」
「考案税調査部門王国国務館考案税調査室よ。長いから考案税調査室って言ってるわ。」
「また、長いな。国務館だから仕方ないのか……えーと、それで、その考案税調査室の管理官をしてる。」
「えっ、同期なのに管理官?」
マラッカが驚いている。
まあ、驚くよな。よほど優秀でも管理官になるのには普通あと10年は掛る。
「ああ。オレ達同期じゃ、とんでもないほどの出世頭だな。文官登用試験でも文官養成所でも断トツの主席だったから当然なのかもしれないけど。
あっ、ここに居るのが、オレと同じグループのメンバーだ。」
それからグループのメンバーをジーナに紹介していった。
「私、知っているわ。同世代で史上最年少で管理官になった人が居るって。それが貴方だったのね。」
モンさんはちょっと不思議な表情をしていた。
「考案税調査室ってことは、オレ達が作成する申請書の提出先ってことか?」
アンゲルがそんな事を言う。
「そうじゃないか。」
「じゃあ、モーリ管理官殿にはお手柔かにして頂かないとだな。」
「ちょっと、止めてよ。貴方達同世代でしょ。そんな堅苦しい呼び方をしないでよ。ジーナって呼んでもらえれば良いわ。
だけど、貴方達が考案税の申請書を書くの?
それって、どういう事?」
オレは、王宮から来た文官はメーテスで当面の間考案税申請書の作成を手伝うことになっていることをジーナに話した。
「へぇ。そうなの。それは助かるわね。
急いで考案税の申請をしてもらわないと。
昨日は工房からの問い合わせで大変だったのよ。
アレは何だ。アレの考案税申請書を見せろって沢山の工房主が1日中詰め掛けてきたの。
要求しているモノの名前すら知らないのに、そのモノの考案税申請書を見せろって、とんでもない話よ。
まあ、そのぐらい衝撃的だったのは理解できるけどね。」
その話にグループのメンバーは全員納得顔だ。
オレ達も昨日は酷い目に会った。
昨日は休日なのでグループの親睦会をしようということになった。夕刻前に皆で連れ立ってマリムの街中へ繰り出した。
マリム料理という看板を見て店に入った。混んでいる店のなかで何とか6人で座れる場所を確保して、ハンバーガーとかシチュー、エールとか適当に頼んで、乾杯をした。
乾杯の時にメーテスの名前を出したのがマズかった。
あっという間に周りの客に囲まれた。
その客達は、メーテスの関係者なら空に浮いていた道具について知っているだろう、から始まって、どうして浮いているのかとか、あれは何をする道具だ等様々な事を聞いてきた。オレ達が応え倦ねていると人がどんどん集まってきた。あっという間に周りは喧騒の渦になってしまった。
とても食事や酒を楽しむどころではなくなって、隙を見てオレ達は店から逃げ出す破目になった。
結局、皆一口エールを飲んだだけだった。メーテスに帰って食事にしようかという話になった時に、イルデさんが海浜公園に名物の屋台があるからそこに行こう
と言い出した。野外だったら先刻の様な事態にはならなくて済むんじゃないかって話だ。
唯帰っても詰らないので、その海浜公園に移動した。移動するときに使った乗合馬車の中でも、公園に着いて歩いている時にも聞こえてくる会話の内容はあの空中に浮んだものについての話だった。オレ達はあの空中を移動する乗り物がどれだけ注目されていたのかそれまで全く気付いていなかった。
屋台の主人に聞くと、一昨日突然マリムの街の上空を巨大なものが通り過ぎていったのだそうだ。そして昨日はそれよりはずっと小さなものがマリムの街の上空に現われた。
「あれは、何なんでしょうね?」と言う屋台の主人に「そうですね。何なんでしょう。」とだけ返した。
もう、巻き込まれるのはこりごりだった。
屋台の側のベンチに座って、メーテスや例の空中を移動する乗り物の話を避けて親睦会をした。
こんな状況は王都では考えられない。話題にはなるかもしれないが、空中に浮んだものなんて見たら怖れたりしても不思議じゃない。
それをオレ達を囲って問い詰めたり、国務館に工房主が詰め掛けたり。
「かなり異常じゃないか?見たことの無いものが現われたからって街中の人達がそれが何かを知りたがっている。」
オレのその言葉を聞いたジーナは呆れ顔になった。
「あのね、マリムは新しいものを作って、それを商売して成り立っている街なの。あんな珍しいものが目の前に現われたら、それが何で、どうやったら作れるのかが判るまで収まる訳ないじゃない。
商店主や工房主にしてみれば、あれは単に空中に浮んでたものなんかじゃなくって金の塊が空を飛んでたのよ。
だから、迅速に考案税の申請書を書いてもらわなきゃならないわ。
じゃあね。これから打ち合わせしなきゃならないから。」
そう言うとジーナはオレ達と分かれて物理研究所の会議室に入っていった。
「何か凄かったな。本当にお前の同期なのか?」
「本当もなにも……元々優秀な人でしたからね。ちょっと変わり者ってところもあったけど。」
「変わり者って、どこがだ?」
「新規入庁して成績が最上位あたりの文官って好きな部門を選べるだろ。彼女は最初から考案税調査部門を選んだ。一番最初に新しいモノを知ることが出来る部門だと言ってたな。
ただ、当時は新しいモノなんて殆ど考案されたりしてなかっただろ。
だから、考案税審査部門って成績が優秀な新人文官からは見向きもされない、他に行き場の無い成績の良くない連中が回される職場だった。
ジーナがそんな事を強く主張した所為か、オレの同期は考案税調査部門に配属したのが多いんだよ。しかも成績上位がのきなみだ。
あの頃はマリムや王国がこんなに変わるなんて誰も思ってもいなかった。
だけど、あいつが入庁して何年も経たずに考案税調査部門は重要部門の一つになっていった。」
「それは、先見の明ってやつじゃないのか?」
「いや。それはムリがあるだろ。確かソロバンが王都に齎されたのって、オレ達が入庁した翌年だったんじゃないかな。」
「そうです。オレが入庁した年の秋頃でしたね。」
ハムがオレに同意した。
「そうそう。その頃よ。アトラス領からソロバンが齎された時に商人達が大騒ぎしてたから憶えているわ。商人達は我先にソロバンを手に入れようとしていた。その頃は無茶苦茶高くて、何軒もの商店が同じものを作ろうとしていたけど、悉く失敗してたわ。アトラス領はどんな魔法でソロバンを作っているのかって真剣に議論されてたわね。」
「それは、私も記憶にあるわ。ソロバンと一緒に数字や筆算の方法が伝わってきたでしょ。学校の計算の授業をどうするのか大騒ぎだった。結局、計算の効率が全然違うので数字を採用することになったのよね。計算を教えていた先生が悲鳴を上げていたわね。
それは私が入庁して3年目で、教育内容が変わったのが4年目だったわ。
そう考えると、確かにミケルが入庁した時に今のこの状況は予想できないはずだわ。」
「そうだろ。だからオレの同期の間ではジーナは変わり者って事になっているんだ。」
「だけど、その変わり者の同期がオレ達の書いた申請書を審査するって訳だろ。」
「まあ、そういう事なんだよな。でも仕方が無いだろ。オレ達はヒラの文官で、あっちは管理官なんだから。」
「確かにな。違いない。
ところで、オレ達これからどうする?」
「どうするって?」
「いや、准教授は全員その考案税の会議に出てるんだろ。准教授をここで待ってるか、それとも気象研究室で待っているか。」
周りを見ると、一緒に王宮から来た文官達が所在無げにしている。
広い部屋なのだが、全員が座れる椅子がある訳でも無さそうだ。
会議がどのぐらいで終わるのか知らないけれど、それまでここで何をする訳でもなく待っているのもな……。
「気象研究室で待ってましょうよ。どうせ、ここで待っていてもウテント准教授が出てきたら研究室に移動することになるんでしょ。」
マラッカの提案に皆が同意した。
部屋の中で事務仕事をしている人に気象研究室の場所を聞いてオレ達はこの場を離れた。
聞いた場所に「気象研究室」という銘板が掛っている扉があったのでノックすると中から応答があった。
部屋に入ってみると、その部屋はかなりの広さがある。奥の方に大きな机と椅子。壁には棚があって、ファイルが幾つも並んでいた。
手前側の壁沿いに6つの机と椅子が並んでいた。
中に居た女性は、6つの机の反対側の壁の机で作業している様子だった。
その女性はオレ達を見ると立ち上がってオレ達の方へ歩み寄って来た。
「貴方達が仮配属された王宮の文官の方達ですか?」
オレ達は順に自己紹介をした。
「お待ちしてました。私はこの気象研究室の事務職員のスーシイです。よろしくお願いします。
それと、貴方達の机はあの壁沿いにあります。文具類も準備しておきました。足りないものがありましたら何なりとお申し付けください。
それで……今、准教授は会議に出席してまして、お戻りになるのが何時になるのか判らないんです。」
「考案税申請書の会議ですよね。」
「えっ、良くご存じですね。」
「ここに来る前にジーナ……いや、モーリ管理官と立ち話をしたので。」
「あら、ジーナさんをご存じなんですか?ジーナさんには随分とお世話になっていたんですよ。」
「ええ。ジーナはオレと入庁同期なので。」
あれ?お世話になっていた?何か不思議な言い回しをするな。何故過去形なんだ?普通はお世話になっているじゃないのか?




