107.勉強会
モンさんの声を聞いて、例の正体不明の塊の方を見ると、それが地面から離れている様にも見える。
いや、いくらなんでもあんなに巨大なものが浮いたり……。
そんなことを考えている間にもあの塊は段々と浮いていく。
人の背丈ほど浮き上がったら、こんどは下がってくる。
そんな事を何度か繰り返した。
今度は途中で止まらずに建物よりも高く浮きあがっていった。
大きな塊には綱のようなものが何本か付いているけれど、あれで持ち上がっている訳じゃないよな。
綱のようなものは浮いている塊からぶら下がっている様に見える。
「これって魔法で浮いているんですか?」
ハムが聞いた。
「アイルさんの魔法だったらあのぐらいのものは簡単に浮ばせられるだろうけど、魔法で浮かばせるのに、この周辺にあるガスタンクなどは不要だろう?
魔法じゃなく浮ばせて……魔法じゃなくって浮いているんだよな……すると……中は……ガスを……浮力……あっそうか。」
ウテント准教授はしばらくブツブツ言ってから、准教授が固まっている場所に行ってしまった。
それから准教授達がまた議論を始めた。
ただ、今回、准教授達が何を話しているのか全く分らない。
使われている単語が聞き覚えのないものだらけだ。
……
「だから、あの構造物の上部は空洞で、大気より軽いものが入っているんだよ。水素なんじゃないか?」
「ニケさんだったら水から水素を作れると思うけど。それじゃこのタンクの中は水素なのかしら?」
「でも、水素だったら危険よ。このタンクから漏れたら爆発するかもしれない。」
「だったら、ヘリウムじゃないの?ニケさん大気の中にヘリウムがあるって言ってたわ。」
「でも、水素の方が作るのは楽なはず。」
「いや、ガスタンクの脇にあるあの装置は空気からヘリウムを分離して圧縮するためじゃないか?水素だったらこんなものは要らないだろう」
……
「それに、軽くなければ浮かないんじゃないか?」
「倉庫の資材を見たらチタンが減ってたわ。だから船体はチタンで作ったんじゃないの?」
「するとチタンの船体に水素かヘリウムを入れているのか?」
「チタンって鉄と比べてどうなんだ?」
「軽いわね。強度は鉄ぐらいあるかもしれない。」
「チタンって使っている例を知らないんだが?」
「えっ、学生証や私達の職員証の金属ってチタンよ?知らなかったの?」
「そうだったのか?オレはてっきりアルミニウムかと思っていたんだが。」
「これだから物理の人は。」
……
「それで、あの大きさだとどのぐらいの浮力になるんだ?」
「中に入っているのが水素かヘリウムかで変わるし、装甲の厚さがどうなっているか。」
「とりあえず、大きさから浮力計算はできるんじゃないか?」
「でも、水素かヘリウムかで浮力は大分違うわよ。それに装甲に使っているチタンの量をどう見積るか。」
……
何度もスイソとかヘリウムとかチタンといった言葉が出てきていたけれど、何を議論しているんだ?
あの巨大な塊はゆっくりとただ止まる事なく上昇して、かなりの高さまで浮き上がった。
上空で少しの間止まっていたその塊が少しずつ傾いていった。
それまで横に広い状態だったのが、どんどん傾いて最後は縦なった。
周りでは響めきが起こった。
そのままぐるっと回っていくのかと思っていたら、縦になった塊は、そのまま傾きが戻っていく。
こんどは反対側に傾いて先刻とは逆の方を下にした縦になった。
そしてまた戻っていく。
そんな事を何度か繰り返した後、塊は降りてきて地上に着いた。
「あれって何故浮いてるのかしら?」
モンさんが呟いた。
多分ここに居る全員が抱いている疑問だ。
「そこで、准教授達が議論しているだろ?何を話してるのかさっぱり解らないけどな。」
アンゲルが忌々し気に言った。。
「そうね。先刻から聞いてたけど、准教授の人達が何を話しているのか皆目解らなかったわ。」
マラッカさんもアンゲルの言葉に同意した。
「それに、あれは何をしているんだろう?縦になったり横になったり反対方向に縦になったりしていたよな。」
これには誰も応答しなかった。
そもそも浮いている理由も分らないのに、何をしているのかなんかもっと分らない。
「渡されたこのぶ厚い書類を読まないと理解できないのかな?」
ハムのその言葉にメンバーは一様に苦いものでも食べたような表情になった。
オレ達全員ガイダンスの時に渡された書類を、一緒に渡された肩掛けの袋に入れて持っている。結構な重さがある。
「ねぇ。グループのメンバーで勉強会をしたらどうかしら?」
マラッカさんが皆に提案した。
確かに一人でこの書類を読んでいくより良さそうではあるな……。
「勉強会か。確かに一人でこの書類を読んでも理解できるか自信が無いからな。」
アンゲルは同意した。
「グループ学習ね。それは理解を早める効果があると言われているわ。」
モンさんも同意した。教育の専門家らしい言い回しだな。
結局グループのメンバー全員が同意して、毎日の夕食の後に集って勉強会をすることになった。
「じゃあ、私、勉強会ができる部屋が無いか宿舎の人に聞いてみるね。」
マラッカさんはとても楽し気だ。
そんな話をしている間に動きがあった。あの正体不明な塊に付いていた綱の様なものが全て外された。アイルさん、ニケさん、宰相閣下達が何人かの騎士とあの塊の中に入っていった。
その後、塊は上昇して、どんどん高くなっていった。
その塊は上空で少しずつ動いていく。
オレ達の真上を過ぎて今は講義棟の上空に在る。
上空からフィーンという音がした。
あの塊が向きを変えた。
その後、急に塊が移動する速度が上った。どんどん加速しながら南に進んでいって遥か彼方の小さな点になった。
「どこかに行っちゃいましたね。」
イルデさんが呟いた。
「そうだな。結局あれって何だったんだ?」
ハムも呟くように言った。
あれは多分乗り物なんだろうな。
「宰相閣下が中に入ったあと上空に昇って移動したから乗り物なんじゃないか?」
オレはハムにそう応えた。
「でも、空中を移動する乗り物って……。」
「そもそも、乗り物なんて昔は船ぐらいしかなかっただろ。今は馬車や鉄道もあるけど、そういったものは全てマリムで最初に作られたじゃないか。」
「確かにそうかも知れないな。」
そんな話をしていたら、ウテント准教授がオレ達の元にやってきた。
准教授が集まっていたところを見ると既にそこには誰も居ない。
何人かの准教授は、建造物のところで作業をしている。
「准教授の皆さんは何をしているんですか?」
「分析化学研究室のカリーナ准教授はガスタンクの中の気体を取り出したので分析しに研究室に戻りました。
残りの化学研究所の准教授達は倉庫で使われた金属を調べに行きましたね。
天文研究室のダビスとピソロは移動している状況が見えるんじゃないかと望遠鏡を取りに行きました。
アルフとセテはここにある道具を調べてます。
私はあまりこういった事には役に立たないんで傍観してます。
アイルさん達が戻って来てから話が出来る機会を待とうと思ってます。」
「結局あれは何だったんですか?」
モンさんが准教授に聞いた。
「准教授全員、空中を移動する新しい乗り物だろうという意見で一致してます。
ただ、どうやって浮遊しているのかとか構造がどうなっているのとかは良く分ってはいないんです。
今回は、想像ですけど、宰相閣下の要請で作ったモノじゃないかと思うんです。だから准教授の我々は誰も詳細を知らないんですよ。
そうは言ってもアイルさん達が戻ってくるまでにある程度解らないかと思ってこっそり作業をしてるんですけどね。
それで、皆さんはどうされます?そろそろ終業の時刻になります。
アイルさん達は何時戻ってくるのか分りませんよ。」
「そうだな。どうする?」
アンゲルがオレ達に聞いた。
「一旦戻らないか?この重い資料をどうにかしたいと思ってたんだ。」
ハムがそれに応える。
「そうね。それに勉強会の場所も聞いておきたいし。」
良いことだけど、マラッカは随分と勉強会に乗り気だな。
「勉強会ですか?」
「今日、ま近で准教授の方達の話を聞いていて、全く理解できなかったんです。頂いた資料をグループのメンバーで一緒に勉強しようかと思ってるんです。」
「そうですか。それは良い考えですね。」
「ただ、どう進めていくかとかはこれからなんですけど。」
「それなら、最初は数学から始めるのを勧めます。学生達も最初数学から学んでますからね。」
「そうなんですか。ありがとうございます。」
それからオレ達は、ウテント准教授に、今日の午後色々話をしてもらったことに礼を言って宿舎に戻った。




