101.帰郷
「まったく。この子は。将来が決まっていないのは、お前だけだよ。」
本当に久し振りに故郷に帰ってきたら、挨拶もそこそこに母親からこんな事を言われた。
結婚だけが、将来という訳じゃないと思うんだが……。
言い返すことも出来ないまま、暫く母の小言を聞いていた。
流石に小言を言い続けるのに疲れたのか小言が切れ切れになり始めた頃になって、父が
「ヴァンダ。そのぐらいにしておけ。言いたい事がいろいろあるだろうが、息子が11年ぶりに顔を出したんだ。」
と言ったことで、小言が収まった。
母を止めてくれる気があったのなら、もっと早く言ってもらいたかった。
オレの家族は、父のミレル、母のヴァンダ、祖父のマレル、祖母のセンザ、弟のミカエル、妹のヴィータの6人だ。
皆、領主館と呼んでいる少し大きめの屋敷に住んでいる。
久々に実家に戻ってみて、父母と祖父母は多少歳を取った以外変りが無かった。
使用人は、宰相兼家令をしてくれているリナス・トーマさん、力仕事や雑用を引き受けてくれるムジカさん。そして侍女をしている女性が4人だ。
この状況は変わっていない。
ムジカさんは家族と一緒に、侍女の4人と同じく住み込みで働いてくれている。
リナスさんは実家の隣に屋敷を持っていて、代々モンタニ家に仕えている。
リナスさんとムジカさんは、オレが家を出た時から変らずだ。少し歳を取ったかなとは思うがそれだけだ。
侍女の女性は見覚えが無い。オレが子供の頃に世話になった侍女さん達はどこかに嫁いでしまったのだろう。
ーーー
宰相閣下からメーテス勤務を言い渡されて、何とか業務の引き継ぎを終えた。
月が変って、所属が宰相府に変わった。
一通り、メーテスの概要が記載されている文書を読んだ。
難解この上もないものだった。
何しろ見覚えのない言葉が並んでいる。
メーテスには教授が二人居る。
王宮文官だと長官クラスの役職のようだ。
一人は、アイテール・アトラス。アトラス侯爵家の嫡男。
最近名前を聞く事が多かったニーケー・グラナラという女性は、先のノルドル王国との戦争で大きな功績を挙げて領地子爵になったソド・グラナラの娘だった。
新たな神々の戦いの日に生まれたと記述があった。
目を疑った。
この記述が正しいとすると、ニーケー・グラナラという女性はまだ7歳なのか?
これまで見聞きしたり噂で聞いていた内容から、かなりの年齢の女性だと思っていた。
この文書は、これからメーテスに赴任する者に渡されたものだ。間違いは無いのだろう。
それにしても……。
難解な文書を一通り読んだ後、特にやる事が無い。
メーテス行きの人員の確保にまだ時間が掛る。移動するのは早くて月半ばだと聞いたので、休暇を貰って11年かぶりの帰郷をしてみる事にした。
鉄道を使えば、2週間ほどで往復できる筈だ。
思えば、文官学校に入学してからこれまで、モンタニ領に戻ったことは無かった。
学校は年の替り目に一月ほどの休みがある。
ただ、オレの実家まで往復するだけでも半年近く掛るので、実家に戻る事は無かった。
同級生の友人達も家には戻らないで寮に居残っている者も多かった。
文官登用試験を受けて王宮文官になった時も、卒業から勤務まで1月ほどしか無かったから、そのまま王都に居続けた。
文官になってからは、半年の休暇なんか取れる訳が無い。
それこそ家族の不幸など止むを得ない事情でもあれば別だが。
幸いそういった事態は発生しなかった。
辿り着いたモンタニは以前と全然変わっていなかった。
鉄道を使って最寄り駅のマリニエロで降りた。駅で馬を借りて南に移動する。野宿を4回してモンタニにやってきた。
モンタニ領に入って見た風景は、11年前と寸分違わず同じだった。
農地の様子も、放牧地の様子も、領主館も。
大きく変わったのは、弟のミカエルと妹のヴィータだ。
オレが文官学校に向ったのが9歳の秋だった。その頃ミカエルは7歳、ヴィータは5歳。
まだ幼ない子供だった。
久々に会った二人は、すっかり大きくなっていて、面影は残っているものの全く別人になっていた。
母の小言が収まって、ようやく話が出来ると思った。
「それで、兄さんは文官をクビになったの?」
妹よ。突然何てことを言うのだ。
「いや。そんな事は無い。」
「でも、兄さんからの書簡に、「忙しくてモンタニに顔を出すことは出来ない。もしモンタニに行く事があったら文官をクビになった時だ。」って書いてあったわ。」
確かに、大分前に手紙でそんな事を書いた様な気がする。
家を出てから、オレは家族とは書簡をやりとりしている。
少し前からオレは紙の手紙を送って、家からは木簡が届く。
モンタニ領ではまだ紙を使っていないんだろう。
手紙を送っても届くのに何ヶ月もかかる。
年に1度か2度の遣り取りが互いの消息を知る方法だった。
それが、最近は返信が直ぐに届くようになった。一月も経たずに返信が来る。2週間で返信が届いた事もあった。
これも鉄道の所為なのだろう。
ただ、前の遣り取りの方が良かったかもしれない。
かならずと言って良いほど、結婚は未だか、孫は未だかと書いてあった。
オレは、今回モンタニに来た経緯を家族に説明した。
これまで勤めていた法務省から宰相府に所属が変わった事、アトラス領にある王国立メーテスに赴任するまで時間があったので休暇を貰った事。
そして、王都からモンタニ領に近いマリニエロまで鉄道が出来たお陰で、モンタニに来るのに、以前の様に何ヶ月も掛かることが無くなった事などだ。
「えっ。それって都落ちってこと?」
妹よ。君はまた何て事を言うのだ。
「でも、アトラス領って、東の端の領地なのよね?そんな場所で何をするの?
そんな場所に行ったら縁遠くなって結婚できないんじゃないの?」
母は心配してくれている。しかし……結婚の話からは離れられないんだろうか……。
「そうですよ。王国でも最辺境じゃないですか。そんな場所に一体どんな仕事があるんです?」
「辺境の最東の領地なら、魔物も沢山出るんじゃないか?」
それまでニコニコしながら孫の話を聞いていたセンザ祖母さんとマレル祖父さんまで心配しだした。
家族にマリムの事を教える事にした。
オレもマリムについてが詳しくないので、ここに来る前に読んだ資料の受け売りだけど。
モンタニに関係しそうな鉄の農具ぐらいだろうか。
鉄の農具について知らないか聞いてみた。
「行商でモンタニに来る商人が、鉄製の農具を持っていたのだが、あれは高かったな。
館に有った金を集めて1本だけ鋤を購入してみたのだ。
商人が、木製の農具とは全く違うと言って、断わっても何度も勧めてくる。
その商人には、何時も世話になっているので、騙されても良いかと思って買ったのだ。
しかし、あれは凄い。
商人の言う通りだった。」
「そうそう。サクサク地面が掘れるのよね。」
父の話に妹が補足する。
「それに、とても頑丈だった。」
弟も感想を言う。
そうか。とりあえず、鉄製の農具は知っているのか。
今の話だと、モンタニでは相変らず硬い木で出来た農具を使っているのだろう。
硬い木の農具は昔からある。加工が大変で、壊れ易くもあるので、直接土地を耕すのには使わない。
土地を耕すのは魔法で行なう。魔法を使って十分耕した後で、種を撒いたりする時に使っている。
「鉄の農具を知っているのなら話が早い。その鉄を作っているのがアトラス領のマリムなんだ。
他にも紙とかガラスとか高額の商品を大量に作っている。
その所為で、今ではマリムは王国で一番大きな街だ。
今回移動してきた鉄道というのも、王都とそのマリムを繋ぐために建設されたんだ。」
それから、家族は鉄道がどんなものなのかを聞いてきた。
さっきはスルーしてたよな。あっ、オレが左遷されたって話になってたんだ。
ここまで来る時にオレも初めて鉄道に乗った。
想像していたのとは違って、速い上に快適だった。
そんな話をした。
「すると、王都まで1週間ぐらいで行けるんですか?一昨年、久々に王都へ向った時は、何ヶ月も掛りましたよね。」
「そうだな。爵位授与式が何デイル年振りに行なわれるというので、王都に向ったな。十分に余裕を見て出発したのだが危うく間に合わなくなるところだった。」
「お父さんとお母さんは狡いわ。私も行きたかったのに。」
妹は頬を膨らませている。なんか子供の頃と変わらないな。
「何度も言っているが、お前は、魔法学校を卒業してモンタニに戻ってきたときに、王都までの移動はもうこりごりだと言っていたではないか。」
「だって、爵位授与式の後に婚約式があって、その婚約者がとても珍しい宝石を身に着けていたんでしょ。そんなものが見られるんだったら行きたかったわ。」
「何度思い出してもあれは素晴しかったですわ。女の子が身に着けていたティアラとネックレスは光輝いてました。あんなに美しく輝くなんて。」
「それに、男の子の方が身につけていた宝石は昼と夜で色が変わると言っていたな。」
「あぁぁ。狡いわ。私も見たかったぁ。」
「それにしても、あの時は驚きましたね。戦争の論功行賞での首功が婚約式をした幼い男の子と女の子でしたからね。」
「晩餐会の時に知り合いの連中に聞いた話では、あの二人が作った道具でノルドル王国を破ったらしいな。魔物の様に地を駆けて、敵の騎士達を薙ぎ倒していったのだそうだ。
それに、あの宝飾品は突然の婚約式となって、微かな時間の中で魔法で作ったものらしい。
流石、あの年齢で特級魔法使いに認定されただけの事が有るな。
私達が王都に行ったとき、ミケルは不在だったみたいだが、どうしていたんだ?」
「その時は、コッジまで出張していた筈です。」
オレは、その爵位授与式に参加していない。
ちょうどその時、ガラリア湾で手広く海賊行為をしていた一味の何人か捕縛された。
オレは上司と共に、その捕縛された者を尋問するためにコッジに行っていたのだ。
その海賊の首魁はまだ捕まっていない。
どうやら、オレが異動する原因になった座り込みを手配したのはその首魁だったらしい。
「そうなのか。折角だから晩餐会で知人を紹介しようと思っていたのだがな。」
ウチは、長く存続している家だけあって、近隣の領地貴族とは、どこかで血が繋がっている。色々ありながらも仲良くやっているのだろう。
その所為もあって、父の情報網はそれなりに有る。
そのわりには、領地は全然変わっていない。
今や鉄道なんてものが王国に通るようになったのに。
多分、何クアト年(何d100年)も続いてきた今の状態を変える気は全く無いんだろうな。
「実は、そのアイテール・アトラス様とニーケー・グラナラ様、お二人の仕事を手伝うためにオレはマリムに派遣される事になったんだよ。」
「それは大層な出世じゃないのか?」
「いや、それは……どうなんだろう?」
そもそもどんな仕事をする事になるのか、オレ自身、今一つ分っていないんだよな。
「えっ、それじゃ兄さんは、その二人とも会うことになるの?」
少しだけ考え込んでいた妹が突然そんな事を言いだした。
「多分そうなると思うけど。」
「じゃぁ、私兄さんのところに遊びに行くわ。
先刻の話だと、その鉄道というのを使うと、マリムまで直ぐに行けるんでしょ?」
「いや、それはそうだろうけど。オレのところに来たからって、二人に会えるかどうかなんて分らないぞ。
それに、お前は今年婚約するんじゃなかったのか?」
「えぇぇぇ。紹介してよ。そのぐらい兄さんなんだから出来るでしょ?
それに、婚約したからって、直に結婚する訳じゃないわ。結婚は何年か先の事よ。」
これは、絶対にオレのところに来るな。
弟と妹は既に結婚する相手が決まっている。
弟は魔法学校を卒業した後は、領地に戻って、領地経営を学んでいた。
一昨年、王都の西にあるヴィエレ子爵の3女のドニカ・ヴィエレと婚約している。今年結婚するので、もうじきドニカ・ヴィエレ嬢がモンタニにやってくる。
鉄道が出来て良かったのだろう。
そうでなければ、嫁入りのために何ヶ月も掛けて移動することになっていた。
一方妹も一昨年魔法学校を卒業して、昨年婚約者が決まった。今年正式に婚約することになっている。
相手は近隣のピンナ子爵の三男のベルナルド・ピンナだそうだ。
普通なら、妹は結婚して外に出るのだが、婿に入ってもらうらしい。
ちなみに、ピンナ子爵家には、祖父の叔母が嫁いでいるので、遠い親戚にあたる。
そう言えば、ピンナ子爵のところは鉄道が通っていたな。
両親や祖父母は、長男のオレが魔法を使えなかったの事が、それなりに堪えていたみたいだ。
貴族の家なら、子供が5,6人居るのが普通なのだが、ウチは三人だけだ。魔法が使える家族を増やす心算の様だ。
弟と妹の結婚相手が決まったなんて事があったので、母がオレに頻りに結婚の事を攻めてくるようになった。
目出度い話なのだが、いい迷惑だ。
妹はマリムやアイテール・アトラス様、ニーケー・グラナラ様の事に興味が湧いた様で、あれこれ聞いてきた。
さっきまでの、「クビ」とか「都落ち」とかの塩対応はどこに行ったのだ……。




