100.ミケル・モンタニ
オレはミケル・モンタニ。王宮の文官だ。
文官になって6年だから、まだ若手と言われている。
魔法が使えない男爵家の長男だ。
三人兄妹で、オレだけどういう訳か魔法が使えない。残念だが、こういう事は良くある事らしい。
幸いなことに弟は魔法使いだった。魔法が使える妹も居るので万が一の場合でも妹に婿を取るという事もできる。
モンタニ家は安泰なので、まあ良いだろう。
だから、オレは家から離れて王都で自由に暮している。
田舎の両親の手紙では、そろそろ身を固めて、孫の顔を見せろと言われている。こればかりは相手が必要な事だから、思い立ったところでどうにもならない。
オレの実家は辺鄙な場所にある。海にも大きな川にも近くない。王国東部にある男爵領なのだが、土地だけはそこそこ広い。ただそれだけの場所だ。
ひたすら草原と丘が広がっている。小高い場所は森になっているところもある。
集落は人口d200(≒300)人ほどのモンタニが一つだけだ。
寂しい限りだが王国の基準で言えば、そこが領都という事になる。
モンタニ家は、優秀な魔法使いだったご先祖様が開墾して作った領地らしい。
開拓をしてかれこれd500年ほどになる。
長く続いているという意味では、ガラリア王国内でも屈指の家だ。しかし、ただそれだけだ。
昔はもっと領地が大きくて、王国を名乗っていた事もあったらしいが、その面影はどこにも無い。
東部大戦の時にも、特に何かした訳じゃない。あちこちから攻め込まれながらも何とか今の領地を守った。
沢山の領民が戦死したと祖父さんが言っていた。
戦争の最中に、ガラリア国王に恭順を示したことで、所領は安堵されたと聞いている。
モンタニ家は、小麦、野菜を育て、酪農をして領地を維持している。
それは、最初に開墾した当時から変わらないらしい。
小麦を育て、翌年にはその場所で放牧をして、少し経ったところで野菜を作り、その後また小麦を育てる。
何年か前に、アトラス領から、「連作障害とそれを防止する方法」という報告書が王宮に上ってきたのを読んだ。
驚きだった。
その方法はモンタニ家が代々行なっていた事ととても良く似ていた。
その報告を書いたのは、ニーケー・グラナラという女性だ。
グラナラという姓なので、東部大戦の英雄として名高いモナド・グラナラの子孫なのだろうか。
その時に、そんな事を考えたのを覚えている。
オレの所属は法務省だ。
法務省の仕事は王国法の制定とその執行だ。
私が居る王国法執行部門は、王国法に反した行為の量刑を決める場所だ。
その部門には様々な部署があって、オレが居るのは王都の警務隊が捕縛した者に適切な罰を与える。
罪状の決定は王国法に従うのは当然なのだが、法律の条文だけで判断が難しい事も多い。
そんな場合には、過去の判例を参考にする。
法務省の若手は、過去の判例を調べて中堅以上の文官に伝える事が仕事になっている。
実際に罪人に罪状を伝えるのは中堅以上の文官の業務だ。
罪人が爵位を持っている貴族の場合は法務省ではなく、爵位省が裁くか、宰相閣下が直々に裁定される。
「ミケル。ちょっと良いか?」
ある日、上司に名指しで呼ばれた。
「少し、過去の判例を調べて欲しいのだ。」
「はい。一体どんな案件ですか?」
「座り込みなんだが……。」
「座り込みですか?
誰かに怪我を負わせたり、殺害したりは?」
「いや。単純に座り込んでいただけだそうだ。」
座り込みというのは、時々発生する。
老朽化した家屋を撤去して、別な用途に使うことになった場合に元々の家屋に住んでいた住人が家屋の撤去に反対して退去しなかったりする。
暴れたりして、退去させようとした騎士に怪我を負わせたりすると、かなり重い罪になるのだが、暴力を振う事無く捕えられた場合には、その工事が完了するまで牢に閉じ込めるなどの措置を取る。
「それなら、過去の判例を調べるまでも無いのでは?
少しの間牢に押し込めておいて、その後、開放じゃないのですか?」
「いや、そうも行かないのだ。国王陛下が激怒されている。」
「えっ?その者は一体何をしたんですか?」
「いや、その者と言うか、集団だな。」
「集団でですか?それは一族郎党という感じですか?」
「いや、どうやら王都の浮浪者の集団の様だ。
今、王国の東端のアトラス侯爵領から王都に向けて鉄道を敷設しているだろう?
その鉄道の敷設に反対して座り込んでいたのだ。」
鉄道の話は知っている。
出来上がった暁には、もう何年も足を運んでいない実家に行くのが楽になりそうだった。
とは言っても鉄道が領地を通る訳ではない。
それでも、帰省するのに往復で半年近く掛るのが何日かで済むという吃驚するような事にはなりそうだった。
鉄道はアトラス領の特級魔法使いの二人に国王陛下が頼み込んで敷設する事になった。
今、王国最大の事業だ。
「何故、王都の浮浪者が鉄道の敷設に反対するのです?」
「どうやら、金で依頼されたらしい。」
「じゃあ、首謀者は別に居るんですね。その者は?」
「今、内務省が動いている。」
内務省が動いているという事は首謀者は未だ捕えられていないのか。
「しかし、鉄道という事は、複数の領地が絡んでいるんですよね?」
「厄介な事にそういう事だ。その上、国王陛下が厳罰に処せと言っておられるらしい。しかも、捕えた浮浪者の人数が尋常じゃない。d200人を越えているそうだ。とても一つの領地で扱えないという事で、今王都に移送している。
移送が完了する迄に、どういう対応を採るか決めなければならない。」
「分りました。過去の判例を調べてみます。」
しかし……こんな事例が過去に在ったとも思えない。幾つもの領地に跨がる事案だとしたら、川の護岸工事とか、災害の復旧とかだが、そんな事例で座り込みが起こることなど……流石に無いだろう。
あとは、不作に起因した暴動だろうか。
しかし、その場合には傷害や殺人が絡んでくる。座り込みなどとは全く異なる。
領主の責任問題にもなるため法務省の管轄では無い。
今回の例だと、領主には何の罪も無いだろうから……。
厄介だな。
膨大な過去の判例を調べた。想像していた通り類似した案件は見付からなかった。
過去に座り込みで重罪に問われた事例も無かった。
今回、座り込みで重罪を科したりしたら、後々大事になってしまう。
過去の判例や、重罪を科した場合の問題点を纏めて上申書にして提出した。
去年そんな事があった。
結局、座り込みをした浮浪者は釈放。首謀者は、ニーケー・グラナラ様の執り成しで大事には成らなかったらしい。
最近、時々この名前が出てくる。
どんな女性なんだろう?
業務は多忙を極めていた。人が集まると、どういう訳か罪に問われるような事をしでかす者が出てくる。王都では毎日過去の判例に照し合わせて罰を与える事が発生している。
年が明けて少し経った頃、上司からまた声を掛けられた。
「ミケル。宰相閣下がお呼びだそうだ。お前。何かしたか?」
全く身に覚えが無かった。それに雲の上に居る宰相閣下がオレを知っているなんて事が在るとも思えない。
「いえ。身に覚えがありません。」
「一体どんな用向きだろう?宰相閣下をお待たせしてはならない。速やかに宰相執務室に行け。」
オレは宰相執務室が何処にあるのかすら知らない。そう言うと上司は呆れながら場所を教えてくれた。
教えてもらった場所へ移動する。
王宮の建物はとてつもなく大きい。
その場所は、最上階の一番奥にあった。
このあたりには足を踏み入れたことすらない。
そこには巨大な扉があった。
教えられた通りだ。
ノッカーが在ったので、それを使ってノックをすると、中から声が聞こえた。
重い扉を少し開けて中を見ると、広い部屋の奥の机で宰相閣下が執務中だった。
「法務省王国法執行部門のミケル・モンタニです。お呼びとの事でしたので罷り越しました。」
「おお。君がミケル・モンタニか。急に呼び付けたりして申し訳なかったな。」
「どの様なご用向きでしょうか?」
「その前に、礼を言わせてくれ。
昨年、鉄道の敷設を妨害するために座り込みが発生しただろう?
君が書いた上申書は良く出来ていた。
あれを基に陛下を何とか宥めることが出来た。
感謝している。」
座り込み事件や上申書を提出したことなど完全に忘れていた。
「いえ、礼など……業務を行なっただけです。お役に立ったのであれば光栄であります。」
「いや、謙遜しなくて良い。優秀な若手文官が育っていると知って私は嬉しかったのだ。
ところで、少し話が変わるが、今年から王国立メーテスという機関が発足したのは知っているか?」
何か、話が飛んでいるような気がする。上申書と王国立メーテスがどう繋がるのだ?
王国立メーテスについては聞いたことがある。
オレが卒業した王国立文官学校の上位にあたる学校で、今、様々な物品を生み出しているマリムの知識や手法を学ぶ事ができる所らしい。
ただ、オレには全く関係がないので、噂程度の事しか知らない。
「王国立メーテスですか?噂程度でしたら存じています。」
「そうか。知っているか。それなら話が早い。君は来月からメーテスに赴任してもらう。」
「えっ?」
王国立メーテスはアトラス領に在る。
王都からは遥か東、大陸の最東端の場所だ。
その場所に王国国務館という王宮の各省庁の分室になっている組織が在ることは知っている。
しかし、王国国務館ではなく王国立メーテスとはどういう事なのだろう。
そもそも学校に法務省の者が行って何をするのだ?
「驚かせてしまったか。この件は、昨日陛下と相談して決めた事なのだ。この人事の説明は君が最初なので、少し要領を得ないところがあったな。」
それから、宰相閣下は、オレの異動について説明をしてくれた。
どうやら、王国立メーテスは学生を集めて教育をする単なる学校という場所ではないらしい。
いくつもの「研究室」というものが在るのだそうだ。
「研究室」とは聞き覚えの無い言葉なのだが、神の国の知識をこの世界で利用するための作業をしているところという説明だった。
先日、発足して間も無いメーテスで、王国の将来を大きく変えるような考案が為されたのだそうだ。
詳細を聞くことは出来なかったが、王国内のあらゆる事に影響を与えるものらしい。
何ヶ月か先には公になると言っていた。
そんな場所であるため、国王陛下や宰相閣下は、メーテスを最重要拠点と考えている。
しかし、その研究室で働く者が不足している。
主に業務に従事しているのは、特級魔法使いに認定されたアイテール・アトラス様とニーケー・グラナラ様の助手を以前から勤めていた者だけなのだそうだ。
メーテスは王国立の組織なので、昨日陛下と閣下が相談して、王宮の優秀な若手文官を集めてメーテスに派遣する事にした。
その人員として宰相閣下が最初に思い浮かべたのがオレだったらしい。
理由を聞くと、やはりあの上申書だった。
あの短時間で、過去の様々な関連する事案を調べ上げ、今回の事案には該当しない事を説明していたことから、調査能力が優れていると思われたらしい。
その上で、陛下が考える様な処分を下した場合に、将来の王国で発生する問題点を明確に説明してあった。それを見て、想像力に優れ、権威に流される事が無い気骨を感じたのだそうだ。
オレは普通に仕事しただけなんだが……。
メーテスに派遣する人員に必要なのは、高い調査能力と、柔軟な思考能力なのだそうだ。
そのための若い優秀な文官なのだそうだが……。
柔軟な思考なんて、若いかどうかは関係ないんじゃないだろうか?
若くても頭の固いヤツは沢山居る。
宰相閣下の説明では、王宮文官の仕事は、過去の事例を基に考える事が多い。長く文官仕事をしていると、新しい事に対応できなくなる。
というものだった。何故か妙に納得してしまった。
「それで、私のメーテス赴任は決定なのですか?」
「いやそういう訳ではない。もし、王都を離れられない事情があるんだったらそう言って欲しい。個人的な事情については掴みきれていないからな。
何の様なものであれ、事情があるのであれば異動の話を断わってもらっても構わない。それによって不利益を被ることは無いと約束しよう。」
王都を離れられない事情か……。王都に恋人が居るとか、王都で療養中の親族が居るとかかな?
オレには、そんな事情は存在しないな。そもそも恋人など居ないし、親族はモンタニ領で皆元気に暮している。
まあ、宰相閣下直々に話をされたって事は決定事項の様なものだろう。
断わる理由も無いしな。
「特に事情などは有りませんので、この話を受けさせていただきます。」
「そうか。有難う。
それでは、今月末を以って、君の所属は法務省から宰相府となる。あまり時間が無いが、今月末までに業務の引き継ぎをしておいてくれ。
異動の時期については、一定人数が集まったところで別途伝える。
その時には私も一緒にマリムに行く予定だ。」
宰相閣下の執務室を離れて法務省の部屋に戻った。
オレの上司はかなりヤキモキしていたみたいだ。
戻ると直ぐに宰相閣下に何を言われたのかを聞かれた。
宰相閣下から伝えられたオレの異動の話を上司にした。
上司は憤っていたから、オレはこの部署に必要とされていたみたいだ。
こんな事が無いとそういう事は判らないものなんだなと沁々と思った。
同僚の中にはオレの事を羨しがっているのも居た。
羨しいのか?
大陸の東の端に異動だぞ。
どう見ても都落ちじゃないか。
そいつらの話を聞くと、今王都で売られている新しい物品の殆どはアトラス領産なのだそうだ。
鉄製品、鮮かな布製品、様々な料理やその材料、宝飾品も高級なものは全てアトラス領から運ばれてくる。
オレは、そこらへんは疎いので知らなかった。
同僚に教えてもらうまで知らなかったのだが、火を点ける道具もアトラス領で作られたものらしい。魔法が使えないオレにとってはこの上もなく便利な道具だ。
これもニーケー・グラナラ様が考案したものだと聞いた。
本当にこの名前を良く聞くようになったな。




