W0.初飛行
王国の重鎮や領地の重要人物が乗っているといっても、ただ昇って降りてくるだけだ。
前世の遊園地の絶叫マシンという訳じゃない。そもそも急上昇や急降下は構造的には出来ないんじゃないかな。
遊園地で似ているものと言えば観覧車みたいなものだろう。高いところまで昇って降りてくるだけ。
アイルは騎士さん達と地上でリモコンとして使っていた制御盤とコークス発電機の接続配線を飛行船から取り外した。
飛行船に乗り込んでみたところ、キャビンの中はとてつもなく広かった。
ほとんど何も無い、幅がd300デシ(=30m)ぐらい、奥行がd1,000デシ(=100m)ぐらいの徒っ広い空間だった。
四方はガラスの窓が嵌められていて、ん?ガラスか?私はガラス材料を頼まれていなかったからダイヤモンドかもしれない……まあ、それは良いよ。回りの様子が見えるようになっている。
前方には、先刻までアイルが操作していたのと同じ操作盤がある。
後方の端にコークス発電装置とコークスの山があった。
「えーと、まだ基本的な性能の確認段階なので、室内をどう使うかについては全く考えていないんです。そのため、客室はただの広い空間になってます。
それで、前方に固定されている椅子がd20脚ほどありますから、その椅子に座っていてください。」
皆で前方に行くと、椅子というよりは一人用のソファーのような幅広い椅子が窓際に並んでいた。
アイルは一番前にある操作盤のところに行くと、暫くの間、レバーやボタンをいじり始める。
キャビンの後ろの方では、アイル付きの騎士さんが発電装置を動かしている。
「それじゃ、上昇しますね。」
準備が出来たのか、アイルはそう言って、沢山あるレバーの一つを動かした。
飛行船はゆっくり浮き上がっていった。
最初は外の様子の変化は僅かだった。
少しずつ上昇速度が上っていって飛行船が上昇しているのが実感できるようになってきた。
キャビンから見える外の景色が本当にゆっくりと下方に移動していく。
揺れなどは殆ど感じられない。
音も無く、地面が下に下っていくという感じだ。
d100デシ(=10m)ほど上昇したあたりから、上昇する速度が加速していく。
どんどん地面が離れていき、モニム川の先にあるマリムの街が見えるようになってきた。
眼下には、高い塀で囲まれたメーテスが一望できる。
お祖父様夫婦や両親は大騒ぎしていた。
上から見ると、メーテスの為に確保した土地の1割も使われていないのが良く分るなぁ。私は、下を見ながらどうでも良い事を考えていた。
遥か上空から風景を見るというのを、私は前世で体験済みだからね。
飛行機に乗ると、あっという間に街は遥か下方になっていったな。
「なんと、マリムの街が見えるではないか。」
「下に居る人が蟻の様です。」
「あの巨大なガスタンクが遥か下に見える。」
「広いコンビナートが一望だわ。」
「見て。あそこに見えるのは海よね。」
「舅殿、これなら、敵がどのように陣を組んでいるか一目瞭然ではないですか?」
「そうだな。この飛行船というもの、騎士団に欲しいな。」
若干仕事モードになっている人も居るけど、皆周りの風景を見て、驚き、騒ぎ、燥いでいた。
私が最初に飛行機に乗ったときって、これほど燥いでいたっけ?
最初の頃はワクワクしていた記憶はあるけど、何度も乗っている内に興味も無くなっていた。
国際線で移動している時は、寝てるか映画を見てるかして、長い時間狭い機内で過すのが大変だった。
意外と皆肝が太いというか何というか、高くて怖いという話は全く出てこない。アイルが信頼されているって事なのかな……。
「これで、大体地上からd10,000デシ(=1,000m)の高さです。もう少し上に昇ったら、降りましょう。」
操作盤の前に居たアイルが説明した。それからも飛行船は上昇していった。
さらに上昇していくと、南の海が良く見えるようになった。
飛行船は、段々と横方向に揺れるようになってきた。周期の長い振り子の様にゆーらゆーらと揺れている。
「ねえ。アイル。段々横揺れが大きくなっているよ。」
「これは、風の所為だな。船体が大きいので、当る風の速度が場所によって違っていて、結果として横揺れになっているんだろうな。」
「この横揺れは抑えられないの?だんだん酷くなってきているみたいだけど。
それに、この飛行船南に移動していない?」
先刻まで、真下にガスタンクがあったんだけど、今は講義棟が真下にある。ちょうど休憩時間なのか、講義棟の外に沢山の人が出てきている。ちょっと遠すぎて、はっきり分らないけど、皆上を見上げている。こちらを指差している人が多い。
「地上では殆ど無風状態だったけど、上空は風があったみたいだね。今は送風機を動かしてないから、風に流されたんだろう。
横揺れを抑えるためにも送風機を動かしてみるよ。」
アイルは操作盤を操作した。フィーンという音が上の方でしたので、送風機を動かしたんだろう。
その後、飛行船はちょっと大きく横に揺れた後は、横揺れが殆んど無くなった。
少し不安気にしていた義母様は、安心した表情になった。
「だけど、何で横揺れが起ったの?」
それから、アイルが説明してくれた。だけど、普通に解らないよ。
トルクがどうとか、慣性力がどうとか、復元力がどうとか言っていたんだけど……。
要するに、水の上に浮かんでいる船と違って、空気中を浮いている飛行船は、空気の抵抗が水と比べて小さい事と、浮力が水の場合と比べて小さいことで、揺れが起きやすくて、揺れが抑え難いみたいだ。
この飛行船の設計段階では、横揺れについては考慮していなかったんだそうだ。実際に乗り込んでみて初めて気付いたと言っている。
縦方向の姿勢は制御しないとマズいと思っていたんだそうだ。
乗り込む前に飛行船を直立させたり、逆立ちさせていたりしたのは、制御の応答特性を調べていた。
「それじゃ、元の場所に……あっ、そうだ。父さん。もし良かったら、少しマリムの街を廻って見てみませんか?
今、この飛行船は風に流されて南に移動していますから、このまま降下する訳に行かないんです。元の場所に戻すために移動しなきゃならないんですけど、折角ですから、ぐるっと一巡りしませんか?」
「それは構わないが……皆はどうしたいですか?」
義父様がお祖父様や義母様達に聞いた。
「折角だから、この飛行船を動かして他の場所に移動してみてもらえないか。」
私のお祖父様が早速アイルの提案に乗ってきた。
「是非、少し動かしてみてくれないか?」
お父さんも、お祖父様の言葉に乗っている。
騎士のお祖父様やお父さんは、この出来たばかりの飛行船の有用性に期待している。
仕事に使えるんじゃないかと絶対に思っているよ。
「それじゃ、これから、マリム大橋へ向って、海に出てから、マリム港、領主館を廻って、戻りましょう。」
何やらアイルは楽し気だ。試験飛行してみたかったんだな。
それから、飛行船は南に向きを変えて、海に向って進み始めた。
地上が良く見えるように、アイルは飛行船の高度を少しずつ下げるみたいだ。
最初はゆっくりと移動していた飛行船は段々と速度を上げていく。
おや、思っていたよりも、速度が出ている。
お父さんも気付いたみたいだ。
「この飛行船は、随分速いな。」
「今は、大体鉄道と同じぐらいの速度です。まだ速度は上げられそうですけど、最初なので無理の無い範囲で動かしてます。」
「どのぐらいまで、速く動くのだ?」
「今の感じだと、鉄道の倍ぐらいの速度は出せそうですね。」
「そう……なのか?」
騎士のお祖父様とお父さんは、二人であれこれ話し始めた。
「無線を使えば……」
「飛行船で、王都から国境まで、 2日と掛らず……」
「空から国境を偵察すれば……」
「そもそも、敵国の上空に行くことも……」
「それなら、挟み撃ちも……」
折角なんだから、外の風景を楽しめば良さそうなものなのに……楽しそうだから良いのか?
そんな二人の遣り取りを見ていた宰相のお祖父様がアイルに問い掛けた。
「それで、どうなんだろう?この飛行船というもので、どのぐらいの貨物を運ぶことが出来るのだろうか?」
「これから色々と改造する事も出てきそうですし、そうなると、船体が重くなるかもしれませんから、あまり正確な事は言えないんですが……。
この大きさの飛行船だったら、d60ミロキロ(=215トン)からd90ミロキロ(=322トン)ぐらいは積み込めるようにしたいですね。
どのぐらい船体を軽くできるかと、どのぐらいヘリウムを使えるかに依るんですけどね。」
「それは、鉄道の貨車で言うと何両分ぐらいになるのだ?」
「貨車に積む重さですか……。それも様々ですから……。大体d10からd20両ぐらいでしょうか?」
「なるほど、やはり輸送量は鉄道には劣るのか。しかし、それだけの量の貨物が運べるのは良いな。」
宰相お祖父様は満足気に頷いていた。
飛行船はマリム大橋の上にやってきた。
「マリム大橋を上から見ると、こんな風に見えるのか。」
「綺麗だわ。」
「やはり上から見ても大きいな。」
上空から見たマリム大橋に、祖父母達や両親達はそんな感想を漏らしていた。
飛行船は、マリム大橋を飛び越えて海に出た。
少し海の上を飛行したところで、左に旋回して北向きに方向を変えてマリム港へ向かう。
港から、アトラス号が出港して海を南に航行しているところだった。この時間に出港しているのは、王都行きではなく各港を巡って行く船じゃないかな。
大分高度を下げている所為か、船の甲板に出ている人達の様子が良く見える。
一様にこちらを見上げている。
港には王都から来たアトラス号が貨物を下していた。
これから積み込む貨物が埠頭に積み上げられている。
そのまま、港からマリムの街の上空に入った。
沢山の家と沢山の通りが見える。
通りには、沢山の馬車が走っている。
この街も大きくなったな……。
上下水道を敷設した頃は、この1/d10も無かった。鉄道が出来て、沿線に街が広がっている。
マリム駅の上空に差し掛かかった。
街の人は皆、こちらを見上げている。
表情までは見えないけれど、驚いているんじゃないかな。
そのまま、マリム神殿を右手に見ながら領主館の上空を通過した。
クリスタルパレスが日の光を受けて輝いている。
騎士の訓練所で訓練をしている騎士さん達が立ち止まって、こっちを見ている。
あれ?突然皆走り始めた。
皆、馬に跨って、飛行船を追い掛け始めた。
「ふむ。まあまあかな。」
お父さんがそんな事を言った。
「えっ?何がまあまあなの?」
「ん。領主館の上を得体の知れないものが通過したのだから、確認に動くだろう?」
「あれ?でも飛行船を作るって、知っているんじゃないの?」
「副騎士団長のグラジアノや警務団長のエンゾには伝えてある。しかし、そもそもマリムの街まで来る予定は無かっただろう?
それに、飛行船がどんな形をしているのかは誰も知らないからな。」
なるほど、そうであれば、得体の知れないものになるな。
それで、騎士さん達は慌てて追い掛けているんだ。
「見るところアトラス領の騎士達はなかなかの練度の様だな。」
今度はお祖父様がそんな事を言う。
「アトラス領は魔物の討伐を繰り返し行なっていますから、皆鍛えられているのですよ。」
「いや、そうは言っても、咄嗟の事だ。指揮をしている者も居たな。兵を分けて、追跡する者と警備に残る者、役割をきちんと分けていた様子だったぞ。」
「そこまで見えましたか。あれは、ニカンドルという若い騎士ですな。普段はニケの護衛をしているのですが、今日は訓練の日だった様です。」
今日はニカンドルさんを見掛けてなかったけど、あそこに居たんだね。
「はははは。いや、良いものを見せてもらった。他の領地ではこうは行かないだろう。流石はノルドル王国を滅ぼした騎士達だな。」
「舅殿に初めて褒められましたな。ははははは。」
「そんな事は無かろう?何時も褒めているぞ。ははははは。」
「はははははは。」「はははははは。」
二人で笑い始めたけど……何となく睨み合っている様にも見える……。
それより、追い掛けている騎士さんたちをどうするんだ?




