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惑星ガイアのものがたり  作者: Tossy
はじまりのものがたり2
311/371

N2.凹版印刷

そこには、何故か足の長い巨大なわにが描かれていた。鰐は藪の中に立っている。


「ねえ。アイル?何故、『ワニ』なんかをサンプルにしているの?」


「ワニ?ワニって何?」


アイルは作業に忙殺されるなかで応えた。


「この絵よ。この絵の写真を撮るんじゃないの?」


側に居た騎士さん達の呟きが聞こえてきた。


「魔物じゃないのか?」

「足の数が足りないから違うだろう。」

「目の数も足りていない。」


作業を中断して、アイルが返事をした。


「それは犬だよ。」


えっ?これ、犬なの……。

私もそうだけど、アイルも絶望的に絵の才能が無いと分ってしまった。


「それで。この絵で原版を試作するの?」


「いや、それは光学系の調整の為に置いてあるだけだ。実際は本物の紙幣の原画を使うよ。」


今日は、露光機や印刷装置が出来たというので、いよいよ、凹版印刷用の原版を作製して紙幣の試作を開始する。


凹版印刷用の原版作製には、4つのステップがある。


・凹版印刷する予定の図面を写真に撮る。写真乾板は、このために作った高解像度品だ。


・撮影した写真乾板を修正して、同じ高解像度の写真乾板でネガからポジを作製する。


・出来上がったポジ乾板を使って、鏡面に磨いてあるステンレスの板の上に塗布したフォトレジストの露光をする。


・露光で硬化しなかったフォトレジスト剤を溶媒で取り除いて、その後、塩酸でステンレス板の表面をエッチングする。


個別の作業の条件は既に出ている。一連の作業で問題がなければ、試作紙幣の印刷だ。


写真技術、様々(さまさま)だね。

紙幣の図柄みたいに細かいものを、鋼鉄の表面を削って作るなんて気が遠くなりそうな作業だ。


高解像度の写真乾板は作製してアイルに渡してある。

基本的に他の乾板とは違いは無いんだけど、魔法で念入りに粉々にした塩化銀を使用した。光感度はかなり落ちるけど、静止している対象を撮影するんだから問題無い。


試作が上手くいったら王宮に送る。

王宮で確認してもらって、オーケーが出れば本格的な印刷に取り掛かる。


ようやく一段落だよ。


ただ、ダメが出る可能性もある。

そうなったら、またやり直すことになるんだけど、それは仕方が無い。

オーケーになるまで付き合うしかないよね。

まっ、ダメだったらその時に考えれば良いことだ。


紙幣の絵柄が決まってから3週間経った。


これまで、皆で様々な作業をしていた。


一番大変だったのはヨーランダさんだろう。

2週間ほどで、紙幣の原画を書き上げてくれた。

出来上がった絵は、どれも素晴しかった。

私だけの感想じゃないよ。アイルも、化学研究所の准教授達も素晴しいと言っていた。ジオニギさんを除いてだけど。まだジオニギさんは、ノアール川沿いの金鉱山から帰ってきていない。

ウィリッテさん達王都から来た人達にも高評価だった。

線で描いた絵は特殊なので、どういう印象で受け止められるか少し心配だった。問題は無いみたいだ。


王宮から来た財務省の文官さん達は、試作装置で紙幣用の紙を作ってくれた。

紙幣の試作に十分な量の紙が出来たので、今は、本格生産に向けて工場の装置の立ち上げをしている。


財務省の人達主体で紙作りが始まって、手が空いた准教授達と、分担してインク作りと試験をした。

黒、こげ茶色、濃紺、深緑の4色のインクを作った。


ちなみに肖像や風景の部分は単色で印刷する。


女神ガイアと神殿の1ガリオン紙幣は、大地の色という事でこげ茶色。


初代国王陛下とマリム大橋のd100ガント紙幣は黒。


ガリム・サンドルと大型船のd10ガント紙幣は濃紺色。


モナド・グラナラと鉄道の1ガント紙幣は深緑色。


想定していた通り、紙幣用の紙に添加した樹脂をインクに混ぜておくと、水や油で滲む事は無かった。


アイルは露光装置や凹版印刷装置を作る合間に、紙幣の空間を埋める幾何学模様や紙幣の金額や、王国名なんかを飾り文字で描いていた。


アイルが描く模様や飾り文字部分が、多色刷りになる。


最初アイルは定規を使って手書きしていたんだけど、少し描いたところで、魔法で一気に完成させてしまった。

何時もアイルは複雑な機械を一気に作るんだから、訳無い作業だと言えばそうなんだけど……。

幾何学模様は、私のリクエスト通りにペンローズタイルになっている。

これって、同じパターンの繰り返しって無いんだよね?

魔法で一気にって、どうやったんだろう。

しかも、きちんと4色の塗り分けパターンになっていた……不思議だ。


絵の修復は、ヤシネさんの協力もあって、無事に終った。


修復前と比べると、絵の鮮かさが全然違っていた。

王宮博物館から絵を運んで来た人たちは、とても喜んでいた。

これだけ喜ばれると、やった甲斐があるってもんだね。


修復を終え、バールさんの修復後の彩色写真が完成したところで、再度晩餐会が開催された。


晩餐会の冒頭で、ボナリーアさんから正式な感謝を受けた。そして、今回マリムに運んで来た絵画を、彩色写真として販売を許可した事が発表された。


私が絵を修復している最中に絵師のバールさんとボナリーアさんが話していたのはこの事だったみたいだ。


そして、義父おとう様からは、今後半年に一度、王宮博物館から修復のための絵が運ばれてくるという発表もあった。


義父おとう様はボナリーアさんに、ボナリーアさんはバールさんに押し切られたんだね。


修復が終った絵画の横に、彩色写真が置かれていた。「予約受け付け中」という札と共に。


晩餐会では、ダムラック司教様に捕まって、長い長いお話を拝聴する事になった。

それというのも、女神の絵の中に、数多くの神器が描かれていたのが発見されたからだ。

これまで顔料が劣化していたため気付かれなかったらしい。

発見したのが司教様だったので、熱の籠ったお話が延々と続いた……。


既に絵画は王宮博物館に戻っている。


領主館で使っている灯りを王宮博物館で使いたいと申し入れが有った。だけど、電気が通っていないと使えないんだよね。

王都で電気が使えるようになったら、対応すると応えておいた。


そんなこんなで今に至った。


うーん。何だか大変だった……。


やっぱり口は禍いの元だな。


アイルの準備が出来たらしい。


今日のギャラリーは、国務館のウィリッテさん、経済研究室のバールさんとロッコさん。デニスさん達財務省の面々。今日は工場の作業を中断して見学に来ている。

作業者として化学研究所と物理研究所の助教授達。

物理研究所では、ダビスさんとピソロさんがメーテスの学生さん達の教育で不在。

化学研究所は、ジオニギさんがノアール川の金鉱山に行っていて不在だ。

他に、義父おとう様とお父さん、グルムおじさん、カイロスさんが居る。

カイロスさんは、時々授業を受けずに他で仕事していたりする。

まだ、初等数学の講義と演習だ。既に知っている事だから問題は無いんだろう。


今日からの二日で紙幣の試作をする予定だ。


紙幣の原画は、d10デシ(=1.2m)×d6デシ(=60cm)のサイズに描かれている。これを正確に1/6のサイズに縮小して撮影する。


準備が出来たと言っていたアイルのところには、四角い箱がある。

原画を貼る場所と、その四角い箱は鋼鉄で固定されていた。


あれ?あれがカメラ?


「ねえ、アイル。その箱がカメラ?」


「ああ。そうだよ。」


「なんか、レンズが無いみたいなんだけど……。」


「これはピンホールカメラだからね。それでレンズが無いんだ。」


「ピンホールカメラ!?」


流石に私でも、そういったカメラが有ることは知っている。

だけど、高精細乾板に撮影するんだろ?

撮影に物凄く時間が掛るんじゃないか?


「何で、また、そんなカメラを使うの?」


「それは、描いた原画を正確に写すためなんだ。それに、写す対象は紙に描いた絵だろ。

長時間露光しても問題は無い。

最初はレンズを使ったカメラを使用しようと思っていたんだけど、これだけ大きな絵を撮影しようとすると、どうしても収差が発生するんだよ。

絵を正確に同じ縮小比率で撮影できないと、印刷で微妙にズレるんだよ。

出来上がった紙幣に色ズレが有るのって困るだろ。」


「だけど、撮影に時間が掛るんだよね?」


「そうだね。ただ、照射している光強度をかなり強くしているから、3刻(=30分)ぐらいで撮影できるよ。」


撮影方法やフォトリソグラフィーなどの作業についてはアイルにおまかせだった。

細かなところは知らない事が多い。


私はインクの検討をしていたからね。


これから撮影をするのは、4種類の紙幣裏表の4色の原版用の写真だ。32枚ある。

今の話だと、全部撮影するには、単純に8とき(=16時間)掛ることになる。


撮影した乾板は直ぐに現像して、次のステップを実施していく。今日の終り頃には、最初の紙幣の印刷試験が出来るかもしれない。


原画が正確に決められた場所に貼られて撮影が始まった。

撮影や現像、フォトリソグラフィの作業は物理研究所の准教授達が作業する。

化学研究所の准教授達は原版のエッチングと印刷用のインクの調整だ。


撮影から現像。乾板に写った原画の状態の確認。ポジ乾板の作成。フォトリソフラフィで原版への像の転写。エッチングを実施して最初の原版が出来上がった。


原版は同じものを4枚作った。


一つの色のロールにはその4枚を取り付けて印刷する。

印刷機は、原版にインクを塗り、ドクターブレードで不要なインクを除去して凹版の凹んだ場所にだけインクが残るようにする。そして紙に転写する。

これらを高速で実施するために原版の枚数を4枚にしてある。


印刷機のロールの曲率に合わせてアイルが平板の原版を魔法で正確に曲げ、印刷ロールに取り付けていく。


最初の原版の印刷試験をした。4枚の原版それぞれで印刷した結果が同じかどうかの確認のためだ。

印刷状態の確認をして、インクの濃度や乾燥時間が適切だったか、4枚の原版による印刷結果に違いが無いかなどを調べる。

完全に同じ原版を作った心算でも僅かな違いが出てくるものだ。

原版由来の相違が有ったら、アイルが魔法で原版を修正することになっている。


そうやって作業を続けていって、5とき(午後2時)過ぎには最初の紙幣の原版が揃った。

紙幣の印刷試験の最初は1ガリオン紙幣だ。


「これから試作紙幣の印刷をします。」


アイルの声に反応して、皆集まってきた。

デニスさんが紙を装置にセットして印刷開始のボタンを押す。

最初の試験は、d100(=144)枚で行なう。

印刷したものは、正常に印刷されているか、色ズレが無いかを確認する。


凄い勢いで紙が装置に吸い込まれていく。

この装置は、紙の表と裏に多色印刷する。

8つの印刷ロールがあり、各ロール毎に乾燥する装置を通る。その為、入口から出口まで結構な距離がある。

暫くして、長い装置の出口から紙片が吐き出されてきた。


印刷の状態は問題無かった。

色ズレも無く、原画が正確に縮小されていた。


集っていたギャラリーに紙幣を渡して見てもらった。


「綺麗だな。」

「絵画の様ね。」

「本当に全部全く同じなんだね。」

「印刷とは凄いものだな。こんなに速く大量に同じものが出来るのか。」

「これがかねとして使われるのか?」


各人各様に感想を言っている。ちなみに最後のはお父さんだ。

見ていた人達には大好評だった。王宮でもそうだと良いんだけどね。


その日は、准教授さん達に残業してもらって、翌日の夕刻前に全ての紙幣の印刷環境が整った。


王宮に送るためのサンプルをd1,000(=1,728)枚ずつ印刷して、通し番号を入れて試作紙幣は完成した。

通し番号は、赤い顔料で印刷した。

あくまでサンプルという意味でだ。

正式な紙幣は、黒で印刷することにしている。


そして、アイルに頼んで、番号を印刷する装置には、追加で印刷が出来るようにしてもらった。

これもヤシネさんのところで、様々な顔料を分析した成果だね。


サンプルは、デニスさんが王宮に運んでくれる。

その日の深夜発王都行きの鉄道でこの世界で初めての紙幣が王宮に運ばれていった。

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