N0.紙幣裏面
翌日の午前中は、アイルに流木の補強加工をしてみてもらった。
紙幣の検討している時に見付けた、紫外線照射で木の様に硬くなったレシピだ。
スカスカだった流木の隙間という隙間に、アイルがセルロースと樹脂の混合物を魔法で含浸させてくれた。
その後、時間を進める魔法を使ってみて、長期間に渡って強度が落ちない事を確認した。
ただ、この劣化させる魔法は、対象物の時間が進むだけのようだ。
紫外線が魔法で照射される訳でもないし、分解反応のための酸素や水の供給も周辺環境の拡散速度の制限を受ける。
要するに、箪笥の中に長期間放置していたという感じだ。
やっぱりちゃんとした加速試験は、当初の予定通りに、強力な紫外線照射装置を組み込んだオートクレーブでも作った方が良いんじゃないかな。
本当に何の役に立つのか分らない魔法だ。
絵に限って言うと、紫外線が当たらない様な環境で、さらに湿度や温度を管理するんだろうから、自発的に分解が起るんじゃなきゃ大丈夫なんじゃないかな。
実際の絵画の修復の時には、アイルも手伝ってくれると約束してくれた。
−−−
結局アイルは、昨日領主館に帰ってからもブツブツモードだった。
今朝は、憑き物が落ちた様に落ち着いていたから、自分なりの回答を見付けたんだろうね。
つい、その事を聞いてしまってから後悔した。
延々と何を言っているのか解らない物理用語と説明が続いた。
要するに、時間を戻そうとしたら、光円錐の内部にある空間に働き掛けないとならないんだそうだ。
量子もつれがあるために、広範な領域に影響が及ぶらしい。
私も光円錐が何かぐらいは知っている。要するにその時間に光が到達する範囲ってことだ。
僅かな時間を戻すだけで、どんだけ大変なんだ。
頻りに可能な方法が有るんだと力説していたけど……。
まっ。どうでも良いよ。
理論的に可能な事と、実際に可能な事には往々にして解離が有る物なのよ。
出来そうな事ってのは実際には出来なくって、出来る事しか出来ないんだからね。
−−−
昨日、紫外線照射装置に仕掛けていた紙の中から有望な物が見付かった。
今回の検討の前に大分絞り込んでいたから、製造に必要な成分の範囲がはっきりした。
あとは、紙の試作装置で実際に作ってバラツキを見れば良いんじゃないかな。
油なんかで、印刷が滲まないかも確認しなきゃならないけど、それはインクを作ってからになる。
でも、勝算はあるんだよ。
今回紙を作るのに使用した添加物でインクを作れば、紙と馴染んで、容易に色滲みしないんじゃないかと思っている。
実際のところ、やってみないと分らないんだけどね。
−−−
午後になった。朝の内に、ヨーランダさんには午後から経済研究室で打合せをすると伝えておいた。
メーテス関連では、私とアイル、ヨーランダさんが出席する。
経済研究室に行くと、バール管理官の他に、ウィリッテさん、デニスさん、ロッコさんが居た。
ウィリッテさんやデニスさんは想定内だけど、ロッコさんも参加するんだ。
挨拶の時に、私も経済研究室の准教授ですからと言っていた。
まあ、そう言われれば、そうだね。
ヨーランダさんと初めて会った人も居そうなので、肖像画を描く化学研究所の准教授だと紹介した。
「それで、今日は紙幣の図柄の構成について決めるんですね?」
会議が始まって直ぐに、バール管理官が聞いてきた。
「そうです。それが決まらないと、折角、王宮博物館から絵画を運んできてもらったのに、紙幣のための肖像画を書くことが出来ないですから。
それで、紙幣に最低限描かなければならないのは、王国名、金額、肖像画、通し番号といったものですけど……。」
私は、そう言って、黒板に長方形を描いて、その外に、「ガラリア王国」、「金種の金額」、「肖像画」、「通し番号 」と文字を書いて長方形への矢印を描いた。
「これは表面になります。どういった文字を描くのかとか、どこに配置するかとかが決まっていないと、肖像画の大きさとか、顔だけでにするのかとかを決めるのが難しいです。
そして、裏面にも印刷をしますから、裏面の図柄についても決めなければなりません。」
「金額は数字を書くのですか?従来の数も併記した方が良いと思いませんか?」
これは、デニスさんの意見だ。
なるほど。それは考えてなかった。数字を王国でも公式に使うようになったらしいけど、まだ不慣れな人も多いかもしれない。
「王国では正式な文書には数字を使うことが宣言されていますよ。」
これは、ウィリッテさんだ。
それから、現在使われている数字と以前使っていた数文字をどうするか議論になった。
結局、紙幣の右上と左下に飾り模様の中に従来使っていた数を表わす文字を入れることになった。左上と右下は、同じ様な飾り模様の中に数字を描くことにした。
それからも、細かな内容を決めていった。単純に王国名を描くのではなく管理する部門の財務省という文言と印刷をする造幣局の文言も入れることになった。
真ん中の左寄りの場所に大きく金額の数字、右側に肖像画、四隅に金額の数字と数を表わす文字。左側の下に通し番号とガラリア王国財務省造幣局の文字。空いている場所には飾り模様を配置する。
肖像は、首から上の部分にした。
「これで、表面の図柄と配置は決まったんですが、裏面はどうしますか?」
「全く同じものを裏面にも印刷したら良いんじゃありませんか?」
ロッコさんが提案した。
両面が同じだと、偽造するのが少し楽になってしまうだろうな。
「ここで紙幣を印刷する手間は変わらいので、偽造を防ぐという意味では、表と裏を全く違う図柄にした方が良いんです。」
「偽紙幣を作ろうとする者の手間を倍にするということかな?」
「ええ。そういう事です。ここで実施する方法は大陸中どこを探しても無いものなので、全く同じものは作れないでしょう。でも、劣悪な偽物を作ろうとするかもしれません。
同じ図柄だと、そういった企てをする人を利することになります。」
「なるほど。ただ、違う図柄を準備して印刷するのは手間では無いのかね?」
「それは最初だけです。実際に紙幣を作る作業では手間は全く変わらないですよ。」
参加している人達は納得してくれたみたいだ。
「それで、表面に女神ガイアの肖像を描く1ガリオンだったら、裏面は神殿を描いたら良いんじゃないかと思うんですよね。」
「なるほど。それなら、マリム大聖堂になるのかな?」
バール管理官がこんな事を言い出した。
「王都の神殿の方が良いんじゃないんですか?」
王都から来ている4人が顔を見合わせた。
「いや、それは無いな。王都のガリア神殿は、お世辞にも見た目が良いとは言えないんだ。」
「でも、王都の神殿ですよ。」
「昔有ったガリア神殿は、東部大戦の時に異教徒に完全に破壊されたんだ。戦後の復興の時に建てなおしたんだが、何しろ金が無くて、小さな神殿をなんとか建てたんだ。
その後、復興が進むにつれて、手狭になっていったんだが、継ぎ足し継ぎ足ししていったため、外観があまり神殿らしくないと言うか……。」
「正直、継ぎ接ぎ神殿ですね。」
ウィリッテさんが、辛辣な事を言う。
「建て替えるという話は、度々出ていたんだが、予算措置が取れずにこれまできている。
金が溢れているアトラス領と違って、どこも内情はカツカツなんだ。」
財務省から来ているデニスさんだ。財務省は予算を管理していると言っていたから本当の事なんだろう。
「そう、なんですか。知りませんでした。」
「それに、マリム神殿は、大陸でも他に例を見ない威容を誇っているんだ。
王国中見渡して、あれほどの神殿はどこにも無い。
これも、全て東部大戦の所為なんだがな。
昔は、四侯爵家の領都、つまり、ガラリア王国が建国される前の各王国の王都だな。
そこにも大きな神殿が有った。
だが、ことごとく異教徒に破壊された。
神殿の絵を描くんだったら、間違い無くマリム神殿になるんだよ。」
「そうね。それに、紙幣は隣国でも目にするでしょう?
紙幣にガイア神と壮大な神殿が描かれていたら、隣国の王宮は悔しがるでしょうね。」
ウィリッテさん。なんか別な姿が見えかけてますよ。
「ヨーランダさん。神殿の絵もヨーランダさんに描いてもらおうと思うんだけど、こんな小さな紙に壮大なって、難しくは無いですか?」
「そうですね……。少し遠景で描いたら、そんな風に見えますかね?」
「出来そうなの?」
「はい。ちょっと頑張ってみます。」
「そう。じゃぁお願いしますね。それで、アイル。」
「えっ?オレ?」
「紙幣を埋める幾何学模様は、アイルに描いてもらえない?」
「オレも描くのか?」
「だって、アイルはそういうの得意でしょ?」
「うーん。まあ良いけど……。」
「偽造し難くする為には、なるべく規則的じゃないのが良いわね。なんだっけ、擬似的な5回対称性を持った不思議な図形が有ったわよね。」
「ん。ペンローズタイルの事か?」
「そうそう。それ。」
「まあ、良いけど。」
名前を思い出せなかったけれど、そのペンローズに前世のアイルは傾倒していて、沢山本を持っていた。
その不思議な充填図形は、その人が考え出したって話を聞いた事がある。
その後、疑似五回対象性を持った結晶も見付かったりしていたな。
この世界だと、誰も思い付かない模様になる筈だよ。
「それで、d100ガント紙幣の表面は、初代国王陛下ですけど、裏面の絵はどうしますか?
王宮とかにしたら良いんでしょうか?」
また、王都から来た4人が顔を見合わせている。
「えーと。何か変な事を言いました?王宮じゃない方が良いんでしたら、玉座の間というのも良いかも知れませんけど……。」
「いや、何、王宮というのは……。」
バールさんが口籠っている。
「ニケさん。爵位授与式や婚約式で王宮に行ったから見てるでしょ?
王宮に行ってみてどう思った?」
ウィリッテさんに王宮の感想を聞かれたけど……正直、思い描いていた王宮とは違ってたんだよね。庭は綺麗だったけど。
「えーと。随分大きな建物が沢山あるなと思いましたね。あと、庭は綺麗に整備されてました。」
「王宮も先の大戦で、敵の魔術師の手で灰燼になったのよ。それで復興したのは良いけど、以前有った王城は再建されてないわ。」
「そうだな。戦争で破壊されるまでは、壮麗な王城が有ったらしい。」
「今は、効率重視の建物があるだけなのよ。」
「王宮もそうなんですか?」
「そうね。あまり感心する絵には成りそうも無いわね。」
「そうだな。王宮を絵にするんだったら、マリム大橋の方がよっぽど良いな。あの橋は美しい上に壮大だ。王国内にあれほど大きな建造物は無いし、間違い無く、大陸内にも無いんじゃないか?」
「そうそう。あとは、王都とマリムを繋いでいる定期運航船も良いかもしれない。」
「そうね。あの船は美しいわ。それにあんなに大きな船は大陸内に無いでしょう?」
なんか、アイルがニマニマしている。船を褒められて嬉しいんだろう。
アイルの事だから、前世の豪華客船を絶対にモデルにしているよね。
私は詳しくないから判らないけど。
「あとは……そうね、鉄道が沢山の貨物や客車を曳いている絵なんか良いかもしれないわね。」
「でも、それだとアトラス領のものばかりになってしまいますよ。」
「それで良いんじゃないか?紙幣というのは新しい試みだし、新しい物を描いた方が良いと思うけどな。」
「それは王宮に必ず確認して下さい。お願いします。でも、本当にそれで良いんでしょうか?」
「当然確認は取るわよ。
でもねえ、ニケさん。
大陸に幾つも王国があるけど、どこも似たり寄ったりなのよ。
これと言って自慢できるようなものは無いわ。
アトランタ王国は、古都アトランタが有るけど、それだって遺跡みたいなものなの。
でも、ガラリア王国は、二人のお陰で、他国に自慢できるようなものが出来たわ。
それを紙幣の絵にしたら、王国民は皆、誇りに思うんじゃないかしら。」
「多分宰相閣下も、定期船や鉄道は良くご存知だから反対しないと思うがな。あっ、マリム大橋をご覧になった事は有るのか?」
「私が知っているかぎり、アトラス領に来られた事は無いと思うから、直接ご覧になったことは無いんじゃないかしら?
アイルさん。お祖父様がアトラス領に来られた事って有るかしら?」
「多分無いと思います。」
「でも、噂ぐらいはご存じでしょう。
あとは、王宮に確認してからになるわね。
それで良いかしら?」
王宮への確認待ちという事で打合せは終った。
翌日、連絡があって、1ガリオン紙幣の裏面にはマリム神殿、d100ガント紙幣の裏面にはマリム大橋、d10ガント紙幣の裏面には定期運航船、1ガント紙幣の裏面には鉄道の絵を描くことになった。




