9W.時間魔法
紙幣用の紙を検討している実験室に二人で向った。
騎士さんが、4本の大きな流木を持ってきてくれていた。
そこそこ大きな流木だな。
持ってきてくれた騎士さんには御礼を言っておいた。
大したことじゃ無いって言っていたけど、持ってくるのは大変だったんじゃないかな。
流木は、良い具合にスカスカになっている。
流木に含まれている塩分や砂を、魔法を使って取り除いた。
うん。これで、長い年月が経った木材だね。
『それでね、王宮博物館からやってきた古い絵の板が、ちょうどこの流木みたいにスカスカになっちゃっているじゃない。
このスカスカ部分に、セルロースと樹脂を充填して強度を戻したいのよ。
でも、その修繕をして、長時間経ってから何か起こると困るじゃない。長期に渡って問題が無いかを確認したい訳なのよ。』
『そんなの、オレが手伝わなくっても出来るんじゃないか?』
いやいやいや、そんな事は無い。断言できる。
以前、アイルが発電機を作った時に、魔法で絶縁ワニスをコイルの中に浸透させていたのを目撃している。
あんな真似、私には出来ないよ。
『アイルって器用だから、こういうの得意じゃない?』
『そうかな?そんな事無いと思うけど……。
そんな方法より、魔法で時間が進められるんだったら、時間を戻せば良いんじゃないかな。
どうやったら良いか分らないけど……。』
えっ?時間を戻す?
そんな事が出来るんだったら、修復の作業は、魔法であっという間に終るかもしれない。
『そんな事、出来るの?』
『さあ、出来るかどうかは分らない。
でも、物理学では、時間が進むのも、戻るのも本質的に変わらない事だとされているんだ。
時間を進める事が出来るんだったら、戻す事も出来るんじゃないかな。』
『凄い。それが出来たら、完璧な修復が出来るわ。』
『いや、修復なんかより、もっと凄い事が出来ると思うけど……。』
『いいのよ。そんな事は。それは、その時に考えれば良い事なんだから。
それで、どうする?
ここに、古い木材があるわ。もし、時間を戻せるんだったら、この流木が、元の木材に戻るのよね。』
『まあ、そういう事になるはずだな。』
それから、私達は、流木の欠片を前にして、色々な事を試みてみた。
映画のフィルムを逆転して見ているイメージ。
割れてしまった壺が、元に戻るイメージ。
成人が、子供になって、赤ん坊に変わっていくイメージ。
花が咲いている植物が蕾に戻って、最後は種に戻るイメージ。
思い付く限りのイメージを頭に浮かべて魔法を使ってみた。
でも、どうしても元には戻らなかった。
最初は、イメージが悪いのかと思って、よりリアルなイメージを探して試みていたんだ。
だけど、よりリアルなイメージで魔法を使うと、元に戻るのではなく、逆に劣化が進んでいくみたいだ。
アイルの星の運行のイメージは、最悪だった。あっと言う間に、流木の欠片は、塵になってしまった。
アイルに言わせると、星の運行を逆転させたって言うんだけど、それって、上下逆から見たら、どっちがどっちだか判らないんじゃないかしら……。
1時(=2時間)ほど、ああだこうだと言いながら、魔法を使い続けた。だけど、劣化が進む事はあっても、流木の欠片が元に戻る気配は全く無かった。
途中から、気付いたことがある。
もし、この朽ちた木材が元に戻るとしたら、これまでに、この木材が失なった物は、一体どこからやってくる事になるんだろう。
これまで、何も無いところから何かを生み出す魔法っていうのは無かった。
使った事のある魔法は、全てその場にあるものを変化させるだけだった。
ここにある流木が朽ちる過程で失なったものは、海の中に散らばっているだろう。そんなものがここまでやって来る事なんてあるんだろうか?
さんざん魔法を使い続けて、諦め掛けたところで、アイルに問い掛けてみた。
『ねえ、アイル。もし、この木材が元の状態に戻るとしたら、元に戻るために必要な物は、一体どこからやってくることになるの?』
『木材なんだから、大半は有機物だろ。そういった物は、空気中の二酸化炭素や酸素、窒素、水から元に戻るんじゃないか?』
『だけど、それだと、この木材の時間を戻すんじゃなくって、修復したって事になるんじゃないの?
この木材が失なった物は、多分海の中よ。
時間を戻せるんだったら、海の中にあるものも元に戻らないとならないわよね。』
『だけど、原子や分子って、同じ物だったら、互いに区別できないんだろ。だったら同じものがくっ付けば良いんじゃないか?』
『いえ。そういう事を言っているんじゃないの。
この木材と一緒だったものって、屹度今は、バラバラの欠片になって海の中にあるのよ。
時間が戻せるんだったら、そのバラバラになって海の中にある欠片も、この木材のところに戻らないとならないんじゃない?』
『それは……どうせ、この惑星の上での事だろ。魔法で戻るんじゃないか?』
『本当にそんな事が起こるの?
時間を戻すって事は、それまで起こった色々な変化なんかを無かった事にするってことなんじゃないかしら?
この木材が元に戻るってことは、この木材が経験したあらゆる事が無かったことになるってことじゃないの?』
『そうかな。多分そうなんだろう。時間が戻るって事はそうなると思う。』
『じゃあ、この木材に当って反射した光も?
あっ、そうそう。高分子って壊れるときに発光するのよ。
この木材が欠けたり壊れたりしたときに放たれた光は、四方八方に飛んでいってるわ。
今、それこそ光の速度でこの惑星から離れていっているのも有るわよ。
それも元に戻るのかしら?』
『えっ、それは……。
光子って……。そう言えば、量子もつれなんて事も……。
うーん。時間が戻るって……。』
高分子が壊れるときに発光するというのは、本当らしい。高分子が千切れるときには光が出る。真っ暗な中で、繊維をハサミで切ると発光するのが観測される。
実験した事は無いけど、そんな事があるんだそうだ。
別に、私はアイルを困らせようと思っている訳じゃない。
こんな木材でさえ、時間を元に戻そうと思ったら、周辺への影響が有るってことを分ってもらいたかっただけだ。
この細やかな木材の破片でさえ、残留物や残留効果があちこちに沢山散らばっている。
それらを全て回収して、これまでの事を無かったことにすることなんて出来ないんじゃないと思う。
ただ、アイルは、何時ものブツブツモードになってしまったから、復活するのに時間が掛かるんだろうな。
うーん。無駄な時間を使ってしまった……。
ん。それほど無駄でも無かったかな。
どうやら、時間を進める魔法は、木材の劣化を進める事も出来るみたいだ。
これは、当初したいと思っていた加速試験が魔法で出来るという事だ。
アイルは、時間が進むのも戻るのも物理学では同等と言っていたけど、進めるのは簡単だけど、戻すのは難しいんじゃないかな。飛び散った光を回収するなんて、出来る事とは思えない。
そりゃ、宇宙全体の時間を戻すんだったら、話は別だけど。
そんな事に意味が有るとは思えないよ。
そもそも、そんな事が有っても、時間が戻ったのか、進んだのか、私には判らないんじゃないか?
外を見たら、陽が傾き始めていた。
残りの作業は明日かな。
慌てて色々進めなきゃならない訳じゃないよね。
今はヨーランダさんが肖像画を書いてくれたり、バールさんが彩色写真を作ってくれている。完成するまで時間があるだろう。
そうだ。ヨーランダさんのところに行ってみよう。どうせ、アイルはしばらくリブートしないだろうし。
ヨーランダさんの無機化学研究室に行くと、机に向って、写真を見ながら模写をしている姿があった。
「あら。ニケさん。アイルさんと色々していたみたいですけど、終ったんですか?」
「いえ。それは、まだ終ってないんだけど、ヨーランダさんの様子が気になって来てみたの。」
「あら。そうなんですか?
あっ、そうだ。ニケさんにお伺いしようと思っていた事があるんですよ。」
「何かしら?」
「陰影は、どう描いたら良いんですか?」
陰影というのは立体を表わすために、敢えて陰を付けて描く方法だ。
普通は、少し濃く色を塗ることで表現する。
「陰影は、線の数を変えて、濃く見えたり、薄く見えたりするようにして欲しいんですよ。例えば、濃い所は、何方向もの線を描いて濃く見せたりしてください。
線の太さで変化を付けても良いけど、沢山線が有った方が偽造はしにくくなると思うんですよね。」
「そうですか。分りました。そんな風にしてみます。
それで、顔の部分を描くのは良いんですが、顔の下の部分はどこまで描いたら良いんでしょう?
胸あたりまでですか?
肖像の周りはどんな感じになるんでしょう?」
そう言えば、紙幣のレイアウトはまだ決めていなかったな。
バール管理官達を集めて、早急に決めないとヨーランダさんも困るだろう。
あれ?紙幣の裏面はどうすれば良いんだろう。
表面の肖像は決まっているけど、片面印刷ってことは無いだろうから、裏面も必要だよね。
紙幣の裏面っていうと、有名な建物とか、風景とかが描かれていた様な気がする。雉の絵って、裏面だったかな……。
初代国王陛下だったら、宮殿だよね。王座の間とかかな。確か爵位授与式で王宮に行った時の写真が有ったはずだな。
女神ガイアだと、神殿かな。マリム神殿って大陸で一二の大きさを誇るらしいから、マリム神殿でも良いのかな。それともガリア神殿かな。
あとは、建造物か。マリム大橋なんか良いかも知れないけど……。
なんか、マリムに偏ってるな。
ふふふ。悪乗りして、マリム尽しでも良いかもしれない。
どうせ、その絵はヨーランダさんに頼む事になるんだろうし。マリムで描けるものの方が良いんじゃないかな。
ダメ出しされたら、代わりの絵と差し替えるのも、写真とフォトリソで作るんだったら、それほど手間は掛らない。
あっ、ヨーランダさんには二度手間になるかも。
どうせ、私個人の意見が通るとも思えないから、相談してからだよ。
「ごめなさい。まだ、紙幣の全体構成って決めてなかったんです。
ヨーランダさんに教えてもらうまで、完全に忘れてましたね。
明日にでも、相談しようと思うので、ヨーランダさんも参加してくれませんか?」
「ええ。私は良いですよ。まだ習作を描いているだけですから。明日打合せの時に呼んでいただけますか?」
「じゃあ、申し訳ないけれど、お願いします。肖像画をどう描くのかは、それからになりますね。」
それから、造幣局へ行ってみた。バール管理官が居るんじゃないかと思った。
案の定居たよ。
明日の午後に経済研究室で、紙幣のレイアウトを決めたいから集まって欲しいと頼んだ。
化学研究所に戻ってみたら、アイルは未だシャットダウンしたままだった。
「アイル。もう夕刻だから、帰るわよ。」
「えっ。もうそんな時刻なのか?」
「そうよ。今日の午後に絵画の修復の確認をしようと思っていたんだけど、アイルの所為で全然進まなかったわ。だから、明日の午前中は付き合ってもらうからね。」




