9N.核分裂
空いていた研究室へ行くと、アイルが実験の準備をしていた。
燥いでいる様にも見える。
まあ、楽しそうで何よりだ。
もの凄い勢いで構造物を作っている。
放射線対策なのかな。
沢山の透明な水槽が衝立の様に立っている。
中に入っているのは水かな?
アイルが作ったので、水槽の透明なガラスの様なものは、多分、ダイヤモンドだろう。
今は鉛で防護壁を作っている。
防護壁はあっという間に出来上がって、フードの様なものを作り始めた。
あっ。スクラバーだね。見る間に鉛が綿の様なものになって、スクラバーの中に設置される。
廃棄ダクトに高電圧装置が繋がった。
何だか早回しの映画を見ているみたいだ。
アイルの指示で、騎士さん達は、研究棟の共同倉庫から資材を運び込んでいる。
汗だくになって動いているけど、完全に運搬律速になっているな……。
『何だか、凄いもの作ってるわね。ここまでする必要があるの?』
『たったの1gでも、全ての核分裂反応が起こったりしたら、かなりの熱が発生するだろうし、放射能を持った元素化合物が気化するかもしれない。放射線もかなりの量になると思うよ。』
『そんな事が起こるかな?ウラニウム−238の半減期は45億年よ。
仮に時間を進める事が出来たとしたって、何百億年も時間を進めたりなんて出来ないでしょ。』
『そうかも知れないけど、何が起こるか判らなかったら、備えておかないと。』
『まあ、そうね。それは正しいわね。』
そんな会話を日本語でしている間にも作業は進んでいっている。一体アイルの頭の中ってどうなってるんだろう?
『さぁ。出来た。安全性を確認してみてもらえるかな?』
出来上がったのは、大量の水の壁と鉛の壁で覆われた小空間だ。
小空間の中央には、透明な素材で出来ている小さな机がある。多分ダイヤモンドで出来ているんだろう。
何で鉛を使わなかったんだ。あっ、鉛は融点が低いわね。それでか。
その小空間を囲う水の壁の厚さは2mぐらいになっている。
その周りを、覗き穴が空いている2cmぐらいの厚さの鉛が壁になっていた。
私達が居る場所の反対側、実験室の壁際にその小空間に出入りできる入口がある。
鉛の扉になっていた。
空間の上部はダクトが繋がっていて、除塵装置の後に水で空気を洗浄するスクラバーが付いている。
本当にここまでする必要があるか判らないけど、放射性物質は外に出ないだろうし、放射線が多少発生したとしても私達のところまでは届かないんじゃないかな。
『大丈夫だと思うわ。ちょっと過剰だと思うけど……。』
『なら、実験を始めようか。』
アイルは、ガイガーカウンターの電源を入れた。
時々カリッという音がする。
部屋の隅に置いてある鉛製の容器の側にガイガーカウンターを近付けた。
音の状態は変らない。
騎士さんにお願いして、容器の蓋を開けてもらった。
カリカリカリカリ……。
音の調子が変わった。ちゃんとガイガーカウンターは動作しているみたいだ。
『このガイガー管の中には、ヘリウムが入っていて、管はダイヤモンドなんだよね。だから、α線は透過しないから検知できない。γ線も多分検知できないんだ。
β線のカウントをしているだけだよ。』
ここにあるウラニウムを含んだ鉱石は、ウラニウム系列として知られている経路を辿って、最後の鉛の安定同位体になるまで、様々な放射性元素を生み出す。
だから、色々な放射性同位体元素の混合物になっている筈だ。
ウラニウムは、α崩壊するけど、ウラニウムが変化して生まれた放射性元素の中にはβ崩壊するものが多数ある。それが検知されているんだろう。
多分、このウラン鉱石には、地球と同じ様に、ウラニウム−238の他に、半減期が比較的長いウラニウム−235や、ウラニウム系列で発生するウラニウム−234なんかも含まれているだろう。それらから生まれる元素もβ崩壊するものがある。
地球だったら、ウラニウム−238が大半で、他は僅かにあるだけなんだけど、ノバ君の所為で、この惑星の場合は、同位体の比率がどうなっているのか不明だ。
同位体の分離も魔法で出来るけど、ウラニウムの場合はする気にならない。
必要性が無いってのが第一の理由だけど、純粋なウラニウム−235を抽出すると、誘導核分裂、つまり連鎖反応が起る。
少量だと大したことは無いかもしれないけど、小型原子爆弾になる。
面倒なだけだよ。
騎士さんの一人がアイルに頼まれて、鉛の容器から、小さな鉱石の破片を取り出して、厳重に囲われている小空間の中にあるダイヤモンド製のテーブルの上に乗せた。
ガイガーカウンターも机に設置した。
騎士さんは、鉛で出来ている鎧を纏っている。手には鉛製の小手を嵌めていた。
何時の間にそんなもの作ったんだろう?
頼まれた騎士さんは、おっかなびっくりで作業している。
そりゃ、突然、完全防護させられた上で作業を依頼されたら、何だか分らなくて怖いよね。
ガイガーカウンターは軽快なカリカリ音を出している。
『さて。準備は出来たな。それじゃ、ニケ。あの鉱石から鉛を全て取り出してくれないか?』
『それは良いけど、どんな実験するのか、詳細を聞いてないよ。』
『あれ?そうだったっけ?
もし、魔法で時間を進める事が出来たら、ガイガーカウンターの音に変化が出てくる筈だよ。
これから、ニケがあの鉱石から鉛を取り出したら、その後に発生した鉛は核分裂反応で生じたものってことになる。
だから、放射線が増えるか、鉛が増えるかすれば、時間を進めた事になるんじゃないかな。』
『まあ、そんなところだと思ってたけど、鉛に関しては期待薄よ。
何しろ、半減期が億年単位なんだから、そんなに簡単に鉛になったりしないわ。』
『まあ、良いじゃないか。とにかくやってみてからだよ。』
『そうね。解ったわ。』
私は、遮蔽物越しに、テーブルの上に乗っている鉱石から鉛を取り出す魔法を使った。
ちゃんと鉛は取り出せたみたいだ。
取り出した鉛をテーブルの端に、塊にして置いた。
重さは判らないけど、体積にしたら鉱石の1/4ぐらいだろうか。
けっこう鉛の量が多いね。
大分古くからある鉱石なのかもしれない。
あっ、ノバ君があったな。
結局、あの超新星の所為で、そういう事は判らなくなってるよな。
『魔法は、放射能の類じゃないってことだけは解ったわね。
放射線の遮蔽物の有無は魔法の実行に何の障害にもなっていないわ。』
『じゃあ、時間を進める魔法だな。
うーん。どんなイメージで魔法を使えば良いのかな……。』
『えっ?今さら何を言っているの?』
『でも、時間を進めるイメージって、どんなイメージなんだろう?』
『私だって、そんなもの分らないわよ。
あっ、そうだ。』
『ん?何か思い付いた?』
『ええ、ちょっと思い付いたからやってみるわね。』
先刻、アイルが作業しているのを見て、映画の早送りみたいだと思ったのを思い出した。
ちょっと好きだった映画で、何万年も時間を早送りするシーンが出てくるのが有った。
映画のタイトルは主人公の女性の名前だった。主演した女優さんは、人気の娯楽映画でスパイ役をしていた人だ。
その映画で見た時間を早送りするシーンを思い浮べて魔法を使ってみた。
ガギギギギギギ。
ガイガーカウンターから凄まじい音がしたと思ったら、音がしなくなった。
音がしなくなった事に吃驚して、魔法を止めた。
少し経ってから、
ギギガガカカカリカリカリ……。
音が戻った。少し、音が大きいかも知れない。
『ニケ!何をしたんだ?』
『それより、何でガイガーカウンターの音が止まったの?』
『ああ、それは、電子線が大量に入って、電荷が飽和したんじゃないかな。
それより、何をしたんだ?』
『何って、時間が流れるイメージを思い浮かべてみただけよ。』
『時間が流れるイメージって、それはどんなイメージなんだ?』
それから、私は、アイルに前世で見た映画の話をした。映画のDVDを持っていたので、恭平だったアイルに貸した事もあった。
『ああ。あの映画か。記憶が有るよ。大量の麻薬みたいなものを投与されて、生き残ったら、全能の神みたいになっちゃうやつだろ。
最後は消えちゃうんだっけ?
それで、そうそう。太古の風景から現代までみたいなシーンが有ったな。』
『そう。その時間が経過しているシーンを思い浮べて魔法を使ってみたのよ。』
『ふーん。そんなイメージで良いのか……。
なるほどね。じゃあ、今度はオレがやってみるよ。』
ギギャ
何か変な音がして、ガイガーカウンターは直ぐに音がしなくなった。
鉱石のあたりを見ると、周辺の空気が光っているのが見える。
うーん。何で光るんだ?
放射線が周辺の空気に当って、プラズマ化してるのかな?
このまま覗き穴から、覗いていても大丈夫なのか?
目の前には、2メートルぐらいの厚さの水の壁だし、体の大半は厚い鉛の板で遮蔽されているから……。
大丈夫な筈だよね……。
それから、d2分(=1分36秒)ほどしたところで、ガイガーカウンターの音がし始めた。
カリカリカリカリッカリッカリッ。
それからは、時々カリッという音がするだけになった。
それまで、光っていた周辺の空気も光らなくなった。
『ねえ。アイル。ガイガーカウンターが壊れちゃったんじゃない?」
『あれ?本当だ。音がしなくなったな。』
また、騎士さんにお願いして、小空間の中に設置してあるガイガーカウンターを外に出してもらった。
これまでの様子を見ていた騎士さんは、完全に腰が引けていたけど持ってきてくれた。
音がしなくなったガイガーカウンターを、ウラニウム鉱石が入っている容器の中に向けた。
カリカリカリカリ……
『ガイガーカウンターはまともに動いているな。ガイガー管自体も特に問題無さそうだし……。
ニケ。あの鉱石から鉛を再度取り出してみてくれないか?』
『だから、そんな簡単に鉛に変わったりしてないと思うよ。』
そうは言いながらも、確認のためだと思って魔法を使う。先刻鉛を取り出して、鉛が含まれていない筈の鉱石から鉛を取り出してみた。
『えっ。鉛がこんなに一杯……。』
鉱石の半分以上の大きさの鉛が取り出せた。
吃驚だ。
『今、分離したのが鉛か?そうすると、核反応が完全に進んだってことか?』
『そうみたいね。残っているのは、殆どが珪素とアルミニウムの酸化物みたいだわ。
アイル。魔法を使う時に、どんなイメージを使ったの?』
『ニケの話を聞いて、時間が流れるイメージをすれば良いんだと思ったから、星の運行を思い描こうと思ったんだよ。
最初は月が太陽の周りを回るのを思い描いて、そのままズームアウトして木星が太陽の周りを廻るのを思い描いて、そのままずーっとズームアウトして、太陽が銀河の中で他の星と回転しているイメージで。
多分100周を越えたあたりで、ガイガーカウンターが変になったな。』
『あっ。そうなのね……』
私には思い描くのがムリなイメージだね。
『ちなみに、その銀河って、一回転するのに、どのぐらいの時間が掛かる訳?』
『えーと、2.5億年ぐらいかな……。』
『そうすると、250億年分のイメージで、ウラニウム系列の放射性同位体が全て消滅したってことなの?』
『そういう事になるのかな。』
『まあ、辻褄は合ってそうだけど……吃驚ね。』
『そうだな……吃驚だな……』
『だけど、やっぱり信じられないわ。時間を進めたって以外の可能性って無いのかしら。』
『うーん。どうなんだろう。でも、魔法を使っている時にイメージしたのは、銀河がぐるぐる廻っているイメージだよ。そんなイメージで、一体、他に何が起こるんだ?』
『そう言われると……。私の時も、あの映画で年月が進んでいるシーンを思い描いただけなのに、ガイガーカウンターは反応していたわね。』
『まあ、でも、面白そうな事を見付けたから良いんじゃないかな。今度、魔法研究室の人達が集まったら、意見を聞いてみようよ。オレ達より、魔法について詳しい筈だからさ。
そんな訳だから、この研究室の設備はそのままにしておいてもらえないかな?』
『この部屋は未だ使ってないから、それは良いけど、長期間実験するんだったら、魔法研究室の方に移動してね。
あっ、それで、木材の加速劣化試験って、この魔法で出来ると思う?』
『さあ、どうなんだろう。この魔法で木材が劣化するんだったら、今回の実験の傍証にはなるんじゃないかな』
おっ。言ったね。じゃあ手伝ってもらえるだろうな。
私としては、時間を進める魔法が使えるんだったら、それで良いんだ。
何故とかはアイルに考えてもらえば良いよ。
『そうね。じゃあ、悪いけど手伝って。絵画を修復する方法のアイデアが有るのよ。』
ウラニウムの表記について。
日本語ではウラニウムの事はウランと表記するみたいですね。
実は、作者は知らなかったんですよね。ちなみに英語ではUraniumです。日本独自の命名なんだろうか……。そう思って調べてみたら、どうやらウラニウムと呼ぶ場合とウランと呼ぶ場合と色々みたいです。ドイツ語はウラン、フランス語ではウラニウムの様です。
まあ、ニケは米国で学位を取ったので、米国風に呼んでいると思ってください。




