96.絵師と絵画
司教様の長いお話を延々と聞くことになってしまった。
ガイア神の絵をちゃんとした光源の元で再確認出来たことが、よっぽど嬉しかったんだろうな。
特別の意図がなければ、絵画なんて、明るいところで見ることを前提として描かれているだろう。
傷みが酷くなって、僅かな蝋燭の光だけの薄暗いところで公開したら、作者の意図は伝わらなくなってしまう。
今、領主館で使っている電灯は、アイルの拘泥りもあって、可視光域の光スペクトルは日中のヘリオに合わせてあるから、より自然の状態で見れた筈だ。
司教様が、色の違いを最初に言っていたけど、違って見えるのは当然だよ。
感動は、人を饒舌にするんだよな。普段から話が長かった司教様の話は、延々と続いた。仕方が無いのかもしれない。
お陰で、絵に描かれている、様々なモノの来歴や意味といった、私にとってはどうでも良い知識が増えたよ。
バールさんの様子は、司教様越しに見てえていた。
普段、大人しいバールさんが、大きな身振りをしながら、何かを話し掛けている。相手の人は、ただ、立っているだけだな。
何をしてるんだろう?
あっ、マズい。バールさんが、肩を落して、出口の方に向った。
「司教様、お話中、申し訳ないのですけど、その絵の事で、至急話をしないとならない人が居るんです。」
まだまだ続きそうな司教様の話を遮った。
「あっ、そうですね。アイルさんとニケさんは、色々、お忙しいでしょう。長々と話し込んでしまいました。申し訳なかったです。
そう言えば、会場の噂で聞きましたけど、お二人は、あの絵画の修復を手掛けられるらしいですね。」
もう、そんな話が伝わっているのか。
まあ、晩餐会で話をする事といったら、そういった噂話なのだろうから、当然かな?
「ええ。その修復の件で、至急話をしたい人がこの会場に居るんです。
それじゃ、失礼します。」
私達は、会場の出口の方に向った。バールさんは、会場の出口を出るところだ。マズいね。
「バールさん! 」
「ニケさん。どうかされましたか?」
後ろから、声を掛けられた。
振り向くと、巨漢がニコニコしていた。
うーん、面倒だな。何で名前が同じなんだ。
これからは、「管理官の」とか、「絵師の」とか頭に付けた方が良いのかな?
隣りで、ウィリッテさんが、苦笑いしている。
アイルは、バールさんを追って、駆け出していった。
それから直ぐに、バールさんはアイルと戻って来た。
「バールさん。折り入って、大事な話があるんです。」
となりで、巨漢が動くのが見えた。
後々面倒になりそうなので、先に二人に二人を紹介しておいた方が良いかな。
「えーと。その前に、こちらは、アトラス家とグラナラ家の専属絵師をしてくれているバール・コモドさん。そして、こちらは、国務館の貨幣管理部門の管理官をしていて、メーテスの准教授をしているバール・アラピさん。
二人が一緒の事はあまり無いかもしれないけど、一緒の時には、バール絵師とバール管理官と呼びますね。
それで、バール絵師にお願いがあるんです。」
それから、私達が絵の修復を依頼されている事を話した。
修復前の状態と修復後の状態を記録するために、絵画の彩色写真をバール絵師に作ってもらいたいと頼んだ。
「えっ。あの絵の模写をする事ができるんですか?」
模写と言えば、模写かな。かなり違うと思うんだけど……。
頷いて見せると、
「ありがとうございます。あの絵は、王都に居た時に何度も観ているんです。
あんなに綺麗な絵だとは思ってなかったんです。
今回あの絵を観て感動しました。
あの色使い、ガリア神の神々しさ。
初代国王陛下の威風堂々とした姿。
英雄のお二人の力強さ。
感動しかありません。
それを模写できるなんて……。」
「ええ。ただ、王宮から来た人達に許可をもらってからですけどね。」
ここにも居たよ。電灯のお陰で感激している人が。
王宮博物館には、電灯を贈呈した方が良いかもしれないな。
しかし、バールさん。尋常じゃない食い付きだな。まあ、絵描きさんって、そんなもんかもしれない。
皆で連れ立って、絵を設置してある元倉庫に移動する。
途中で、給仕をしてくれている侍女さんに、彩色写真を元倉庫まで持ってきて欲しいと頼んだ。
それぞれの絵の脇に、絵と共に王宮から来た文官の人達が何人も立って警戒している。
絵に近付こうとする人には、近付かないように、注意をしていた。
奥の、見通しの良いところに、晩餐会を開く前に会った、ボナリーア・ミレーラさんが立っていた。
私達が近付いていくと、柔やかな表情で、こちらを見た。
そして、一瞬遅れて、眉間に皺が寄った。
「また、貴方ですか。ランダン国務館長や、アイテール様やニーケー様と同行してきても、模写は許可できません。」
ん?何事だ?
「えーと。何かあったんですか?」
「ええ。そこの自称アトラス家とグラナラ家の専属絵師だと言う男が、ここにある国宝の絵の模写をしたいと言ってきたんです。
ここにある絵の偽物が作られる事など、許可できませんから。
追い払ったばかりです。」
ミレーラ女史は何やらご立腹だな。
バールさん、先刻何かしていると思ってたけど、模写させて欲しいって、王宮の文官の人に懇願していたのか。
「それは申し訳なかったです。ウチの専属絵師のバールが失礼しました。」
「えっ?この人、本当に専属絵師だったんですか?」
「ええ。この人は、アトラス家とグラナラ家の専属絵師をしているバール・コモドです。なかなか多才で、特殊な能力も持っています。」
「そのコモドさんという方は、魔法使いなんですか?」
ん?何故、魔法使いということになるんだ?
あっ、特殊な能力って、魔法だと思ったのか?
こういった、応答は、未だに慣れないな。
上手に絵を描くのも特殊な能力なんだけどね……。
「いえ。バールは魔法使いじゃないです。ただ、絵画の修復にあたって、少しお願いがあってきたんです。」
侍女さん。まだかな?
現物を見せるのが一番良いんだけど……。
あっ。来た。来た。
「ニケ様、お持ちしました。これで良かったでしょうか?」
侍女さんは、彩色写真を3枚持ってきてくれた。家族写真と、領主館の写真。そして……なんで、私のドアップの写真なんだ……。
うーん。説明するのには、都合が良いか。
「ええ。ありがとう。助かったわ。」
「それで、ミレーラさん。ここにあるのは、彩色写真というものです。ここに居るバールが作ってくれました。」
「彩色シャシン……ですか?」
ミレーラさんは、手渡された3枚の写真を順に見ていった。興味を持ったのか、近くに居た文官の人も、写真に見入っている。
私のドアップの写真のところで、ミレーラさんの手が停って、彩色写真と私の顔を交互に見ている。
仕方が無いとは言え、恥しいから、あまり私の顔をジロジロ見るのは止めて欲しいな。
「この絵は、凄いですね。ニーケー様のお顔そのままです。本当に、その絵師の方が描かれたんですか?随分と腕の立つ絵師の方ですね。
でも、何故、この絵はガラスの上に描かれているんでしょう?」
ふふふ。興味を持ってくれたみたいだな。
それから、写真の話をした。見たままの情景を記録に残す事が出来る道具があると説明した。
ただ、写真は、色が着かないので、絵師のバールさんが、着色を考え出したことを。
この彩色写真を修復の記録として使いたいとも。
「その彩色シャシンで、修復の記録を残すという事ですか?」
「ええ。そうです。ここにある絵の彩色写真があれば、修復する前の状態と、修復した後の状態がどうだったのか、後で確認することもできます。」
ミレーラさんは、暫らく、彩色写真を見ていた。
「あっ。ごめんなさい。色々吃驚してしまって。
アトラス領は凄いですね。こんな事も出来るんですか。
是非、記録として残して欲しいと思います。
出来れば、王宮博物館にある宝物の全てをこの彩色写真で残したいぐらいです。」
「じゃあ、ここにある絵の写真を撮って、彩色を施したものを作成しても良いんですね?」
「ええ。勿論です。」
「それで、この技術を持っているのは、バールだけなので、バールに彩色を依頼しますが、それも良いですか?
ある意味で、模写と同じ事をするんですけれど?」
「あっ。先程は、ごめんなさい。この彩色シャシンは、普通の絵とは違うのは分りますから。大丈夫です。
問題にしていたのは、同じ絵を模写で作られることなんです。
宝物の絵の偽物が出回ったりしたら、大変な事になりますから。」
「じゃあ、バールさん。彩色写真の作成をお願いしますね。
修復前と、修復後のものをお願いします。
全体の写真と、個別に、部分写真を撮ってもらうことになります。
なるべく忠実に色を現物に合わせるように彩色してください。
撮影も、バールさんにお願いしようと思うのですが、頼んでも大丈夫ですか?」
バールさんは、これでもかという程に喜んでいる。
そんなに、模写をしたい物なのかね。
私には良く分らないけど。




