94.絵画
「あら、アイルさんとニケさん。お帰りなさい。
お仕事、大変でしょう?疲れてるんじゃない?」
私達が声を掛ける前に、 ロゼアお祖母様が声を掛けてくれた。
「いえ。仕事はそれほど大変なことは無いですよ。
それにしても珍しいですね。お祖母様達が、お正月のお祝いの時以外で、領主館にいらっしゃるのは。」
アイルがお祖母さんに応えた。
「あら、だって、曾祖父様の絵が王宮博物館からやってきたのよ。」
お祖母様達は、絵を見に領主館までやって来たのか。
私やアイルにとっては、祖父の曾祖父という、一言で関係を言い表わす言葉が有るのかどうかすら怪しいほどのご先祖様だ。
だけど、お祖母様たちからすると、義理の曾祖父にあたる人達だ。
先の戦争で、王国の英雄として称えられているけれど、存命中に会った事があるかもしれない。
「アイルさんとニケさんが、王国の為に鉄道を引いてくれたお礼だそうですね。本当に有難う。」
サムラお祖母様からお礼を言われた。
うーん。違うんだけど、話して良いものなのか。
でも、既に、アトラス領の主要メンバーには紙幣の事は話しているんだよな。
ところで、その肝心の絵はどうなっているんだろう?
「義父様。王宮博物館からは、何枚の絵が届いたんです?」
「ガイア神の絵、初代ガラリア国王エドワルド・ガラリア様の絵、ガリム・サンドルの絵、モナド・グラナラの絵の4枚が届いている。」
「それで、その絵は、今、どこに置いてあるんです?」
「王宮博物館から絵と一緒に来たボナリーア・ミレーラ女史が言うには、陽の光に当てたくないというのだ。今は、大広間の隣の小部屋に置いてある。あそこは窓が無いからな。物置になっていた場所だ。中にあった物を全部出して……大分大変だったみたいだ。」
「それは……大変でしたね。」
陽の光に当てたくないって……古い絵なのかな。痛みが相当に酷いとか?
「そこって、灯りは有りました?」
「どうだったかな?」
義父様は、近くに居た、侍女さんに聞いている。
侍女さんが応えてくれた。
「アイル様とニケ様が作った、電灯があります。」
量子ドットで光らせてるやつだな。
それなら、演色性は、問題無い筈だから絵を見るのには問題は無い。
それに、可視光範囲から外れた紫外線は完全にカットしてある。ただ、青色の光もそこそこエネルギーが高いんだよね。大丈夫かな?多分、大丈夫だと思うけど。
ただ、その何とか女史が納得するかどうか……。
「なら、絵を見るのには不都合は無いですね。
お祖母様達は、もう絵はご覧になったんですか?」
「運び込んでいるときに少しだけよね。」
「そうね。じっくり見たかったんだけど、設置が終るまではダメって言われたわ。」
「それなら、後で、一緒に見に行きましょう。」
「そうですね。早く、設置が終わらないかしら。」
「楽しみだわ。」
「ところで、お祖母様方は、ガリム・サンドル様や、モナド・グラナラ様と御会いになった事はあるんですか?」
「ガリム様は、私が結婚した頃はお元気で、アウドが生れた後かしら、お亡くなりになったのは。
王都にいらっしゃったので、直接お会いしたことは無かったけれど、アトラス領の事は、大分気に掛けて下さいましたね。
モナド様とは良くお会いしましたよ。」
「モナド様が亡くなったのは、d19W7年だったわ。私が結婚する何年か前でしたので、ジュリアさんほどお会いしたことはないのよ。
サムラと婚約した時にお会いして、婚約を喜んでくれたんですよ。」
なるほどね。それなりに縁があったってことなんだね。
うーん。例の件、話をしておいた方が良いんじゃないかな。
「義父様。例の件は、お二人にはお話しになられました?」
「いや、話してはいないな。話して良いのかどうかの判断も付かないからな。」
「あら?アウド。例の件って何なの?」
「ソドも何か知っていそうな顔をしているわね。一体何を知っているの?」
「あ、いや。その……。」
「それは、王宮が決めた事で……。」
二人とも、お母様達に内緒にしていたから、今さら説明しにくいか。仕様が無いな。私が説明するか。私の方が詳しいしね。
内密な話をすると言って、部屋から、侍女の人達に出てもらった。
「実はですね。……」
これから、王国の貨幣が紙幣に変わること。その時の紙幣に描く肖像画として、ガイア神、初代ガラリア国王のエドワルド・ガラリア様、ガリム・サンドル様、モナド・グラナラ様が選ばれたことを伝えた。
そして、今回の絵が、王宮博物館から領主館に運び込まれたのは、鉄道を敷設したお礼というのは建前で、実は、その絵を模写するためだという事も。
「あら、あら。何て事でしょう。ガリム様が、お金に描かれるなんて。それって、王国の人皆が使うお金なのよね?」
「ガリム・サンドル様だけでなく、モナド様もお金に描かれるんですか。吃驚だわ。
でも、紙をお金にするんですか?紙が幾ら珍しいものだとしても、それほどの価値は無いですよね。」
ジュリアお祖母様の反応は普通だ。この世界では、お金イコールそのものに価値があるだからね。
それから、王国が紙幣に記載された額と同額の金と交換するという事で、紙をお金として流通させる事にしたという事を説明した。
流石にお祖母様達は、貴族の妻として活動していただけあって、その意味は理解してくれたみたいだ。
「そうだったのね。それにしても王国は変わった事を始めるのね。」
「そうね。不思議な事をするのね。何か理由があるのかしら?」
義父様の顔を見たら、頷いてくれた。助け船を出してくれるみたいだ。
それから、義父様は、貨幣として大量の銅が隣国のテーベ王国に流れて行っていることや、隣国は、戦争の準備の為に大量の銅をかき集めているらしい事を説明した。
「あら、いやね。また戦争になるんですか?」
「すると、テーベ王国では、貨幣を武器に変えているんですか?」
「そう聞いています。
隣国を利することになるので、王宮では、金属を貨幣にするのを止めたい様です。
それと、聞くところによると、銅の価格がテーベ王国では上っているらしいです。
ガラリア王国でも、銅貨の価値を維持するのが難しくなっているらしいです。」
結局、紙幣の話は、これで御仕舞いになった。どうなるか分らない隣国の話や、王宮の考えなんて、私達に本当のところは分らない。
そんな事より、お祖母さん達に、その曾祖父の人達の話を聞いた。
程なく、見た事のない文官と思われる人が、絵画の設置が完了したと伝えに来た。
「晩餐会の準備の方もそろそろ終るだろう。今日は、夕刻からバタバタだな。晩餐会で客を招き入れる前に、家族で、その絵画を少し鑑賞することにしよう。」
義父様がそう言って、晩餐会の準備をしている部屋へ向った。
私達は、その後に付いて行った。
絵画は、本当に物置になっていた部屋の中に置いてあるようだ。部屋の中は灯りが無く、入口からの光で、中を窺うことができるだけだ。
電灯を点ければ良いのに。やはり、光が絵に悪さをすると思っているのかもしれない。
入口のところに、王宮から来たらしい文官の人が5人ほど立っていた。
女性の文官の人が私とアイルの元にやってきた。
「ひょっとして、貴方方が、アイテール・アトラス様とニーケー・グラナラ様ですか?」
「そうですが。貴方は?」
なんか、喧嘩腰だね。何か気に入らない事でもあるんだろうか。
「そんな……。
お聞きになっていると思いますが。王宮博物館から絵画を運んできたボナリーア・ミレーラです。
王都まで鉄道を通したとは言え、全く、とんでもない要求をされたものですね。
最初聞いた時には耳を疑いました。
博物館から決して外に出すことのなかった絵画4点を、こんな東の端の辺境まで輸送しなければならないなど、有り得ないことです。」
なるほど。門外不出の絵画をこんな田舎の領地に運ばなきゃならなかったのが余程気に障っていたみたいだ。
でも、そんな事言われても、知らんがな。
肖像画を選定して、その肖像画を運ぶことにしたのは王宮だよ。
貴重な絵なんだろうけど、私達に責任は無いよ。
「そうですか。それは大変でしたね。それで絵は、この部屋に設置してあるんですよね。まずは、絵を見せてもらいます。」
アイルはそう言うと、部屋の中に入って、部屋の灯りを点けた。
「あっ、何てことを。絵に光を当てると、絵の状態が悪くなります。お止めください。」
ボナリーア・ミレーラさんの叱責の声がしている。アイルは、それを無視して、私に話し掛けてきた。
「ニケ。見てみて。この二つの絵は、確かに、かなり痛んでいる。何が起こったのか分らないかな?」
確かに、この部屋の中には、絵が4枚ある。女性を描いた絵と、年配の男性を描いた絵は、かなり古くて、あちこち傷んでいるのが見える。
残りの二つの絵は、それぞれ若い男性を描いたものだ。こちらは、ほとんど傷んでいる様には見えない。
描かれた年代を考えると、年配の男性が初代国王のエドワルド・ガラリアで、若い男性はガリム・サンドルとモナド・グラナラなのだろう。
どっちがどっちなのか分らないけど。
後で、お祖母様に聞こうっと。
傷んでいる絵を良く見ようと思って、絵に近付いたら、また、声がした。
「あっ。絶対に触らないでください。」
触る気は無いよ。ただ良く見ようと近付いただけだ。
絵は、木の板の表面に、白いものが塗られていて、その上に描かれている。木の上の白い塗料は、あちこち罅割れしていて、表面に塗られている絵の具もあちこち剥れていた。
描かれて、どのぐらい経っているんだろう。初代の国王陛下が存命中に描かれたのだとしたら、かれこれ300年は経っているんだよね。
逆に言うと、良くこの状態で保存されていたって感心するよ。
後ろに廻って、板の状態を見ると、年輪と年輪の間の柔らかな部分はすっかりスポンジ状になっている。
こっそり、魔法を使って、白い塗料を調べたら、案の定、カルシウムの酸化物だった。
木に漆喰を塗って、その上に絵の具を乗せて描いたものの様だ。
色はきちんと残っているから、絵の具は無機酸化物の顔料なんだろう。
ちょっとだけ確認してみる。
なるほどね。
完全に同定はしてないけど、どうやら全て、金属酸化物系の顔料みたいだ。
前世ではフレスコ画と呼ばれていた方法に近いのかもしれない。
ただ、あれは木材じゃなくって、石の壁に描いたんじゃなかったかな。
木材表面に漆喰を塗って、木材が古くなってきたら、罅割れるだろうし。
描いた人も、こんなに長い間、保つかどうかなんて、考えてなかったろう。
「経年劣化ね。」
「ニケ。その結論は……見なくたって分るんじゃないか?」
「あっ。それもそうね。えーと、まずは……」
それから、どう劣化しているのか、話していった。
まずは、木材から、揮発分が抜けて、多孔質状態になっていること。この所為で土台の木材の形状変化が起こって、表面に塗られている塗料が罅割れしている事。
木には、漆喰が塗られていて、その上に絵が描かれている事。
漆喰は水酸化カルシウムが主成分で、経年劣化で、炭酸カルシウムや酸化カルシウムに変化しつつあること。
色を構成している顔料の酸化物も、経年劣化で、酸化数が変化したり、炭酸化物に変わったり、水酸化物に変わったりしていることなんかを説明した。
「昔の状態に戻したりは出来ないのかな?」
「うーん。どうだろう。欠落している部分は流石に元通りにはならないし、土台の木材は、元には戻らないわね。ただ、表面の漆喰や顔料は、変化したのを戻すだけなら、魔法を使えば出来るかも知れないわ。」
「えっ!」
背後から声がした。
「今のを聞いていましたよね?ボナリーア・ミレーラさん。
ニケの見立てでは、ある程度なら修復が可能な様です。
宰相閣下や国王陛下から指示を受けていますよね?
どんな指示でした?」
「どうして、それを……。」
「今日の昼前に、連絡がありました。それで、どんな指示を受けていますか?」
「それは……。絵画の扱いについては、アイテール・アトラス様とニーケー・グラナラ様の指示に従うようにと……。
お二人次第で、絵画の修復が出来るかもしれないと……。
でも、お二人が、こんな幼ない子供だとは思わなかったんです。」
なるほど。修復が可能かもしれないという事で期待していたら、出てきたのがこんな子供で、落胆したのか。
そして、そんな子供が絵画にどんな悪戯をするか気が気じゃなかったって訳か。
「それで、どうされますか?
修復が可能かどうか、少し検討が必要になりますが、修復してみますか?」
「えっ、ええ、出来るのなら……。ところで、この光は、絵画に当っても大丈夫なのでしょうか?」
「この光は陽の光とは違いますからね。ニケ。問題は無いよね?」
「ええ。この絵画に使っている顔料なら、この光に当ったからといって問題は無いわ。どちらかと言うと、土台の木材の方が問題ね。陽に当ると、温度が上るから、その所為で劣化が進んだのかもしれないわね。この光なら、温度も上がらないから大丈夫よ。」
とりあえず、一悶着あったけど、大丈夫そうだな。
安心したのか、ボナリーア・ミレーラさんは、部屋の入口の方に戻って行った。
周りを見ると、騎士の人達が何人も壁際に立っていた。
あんな暗い中で、警備してたのか。大変だね。
剣呑な雰囲気だったために、遠巻きに見ていた家族も、絵画の前に集まってきた。
「あら。モナド様もガリム様も、若い時には、お髭を生やしていたのね。」
「歳を召されてからしかお目に掛らなかったけど、面影がありますね。」
「本当に。昔を思い出すわ。」
お祖母様達は、絵を前にして嬉しそうだ。話の流れだと、こっちがモナド・グラナラで、あっちがガリム・サンドルなんだな。
ふーん。どっちもハンサムだな。
でも、絵だからかもしれない。絵に描くんだったら、ハンサムに描くかもしれないけど、どことなく、義父様やお父さんに似てなくもないかな。
「ねえ。アイル。最初、ボナリーア・ミレーラさんの言葉を無視しつづけたのは何故なの?」
「年齢の所為で不満に思っていたとは思わなかったけど、まともに受け答えしたら、火に油を注ぐようなものだよ。」
「ふーん。アイルも大人の対応が出来るようになったんだ。」
「えっ?何だよ。それ。オレは生まれた時から大人の対応をしていた……と思うけど……」
「まあ、良いわ。そういう事にしておきましょ。」




